タイ政治騒乱の背景2014年1月16日 田中 宇東南アジアのタイで、2月2日の議会選挙を前に、民主党など野党勢力が選挙のボイコットとインラック・シナワット首相の辞任を求める政治運動を展開し、10万人がバンコクの中心街を占拠する事態になっている。タイの政治混乱は、06年に首相だったインラックの兄のタクシン・シナワットが軍事クーデターで国外亡命を余儀なくされて以来、タクシンを支持する北部や東北部などの人々(赤シャツ派)と、軍部や王宮、官僚機構、民主党に率いられ、タクシンを嫌う首都バンコクや南部の人々(黄シャツ派)が対立を続けてきた。今回の騒乱も、その対立の一部だ。 (Thailand: "Occupy Bangkok" Begins) 反タクシン派は、この100年近くタイを支配してきたエリート層が、市民を巻き込んだ勢力で、裁判所や検察、マスコミを配下に持つので、タクシンは「汚職まみれの悪いやつ」にされ、タクシン派が作った政党は、裁判所から何度も解散を命じられてきた。だが支持者数で見ると、タクシン支持の国民の方がずっと多いため、選挙をやるとタクシン派が何度でも勝ってしまう。01年以来、すべての総選挙で「プアタイ」などタクシン派の政党が勝っている。11年の選挙で、タクシンの妹であるインラックが首相になることをエリート側が容認する代わりに、タクシン派は亡命中のタクシン自身を帰国させないことで談合が成立し、それ以来、タイの政情は比較的安定していた。 (What's behind Thai protests?) しかし今年2月の選挙を前に、反タクシン派が選挙で勝てないことがほぼ確実となり、タクシン派が昨年末、選挙勝利後のタクシン自身に対する恩赦と帰国を模索したこともあり、エリート層とタクシン派の談合が崩れ、2月選挙を前に反タクシン派が「選挙より先に政治改革(つまりタクシン派の一掃)が必要だ」と言って選挙のボイコットを宣言し、インラックに辞任を要求する「民主化運動」を再開した。選挙で勝てず、じり貧になりつつある勢力が「民主化」を要求して政権転覆を画策している点が興味深い。 (Opinion: Prognosis for divided Thailand bleak, but why?) タイの政争においては実のところ、タクシンの方が「民主化」を求める勢力だ。タイは、欧州列強が世界を席巻し、すべての国に国民国家制度をとるよう求め始めた約100年前に立憲君主制に移行して以来、王宮・官僚・軍部などで構成されるエリートのネットワークが権力を保持し、民選された政治家が力を持つ議会や内閣に権力が移行しないような仕掛けが作られた。98年に首相となり、01年にタイ史上初めて再選された首相となったタクシンは、タイの権力を旧来のネットワークから奪って議会に移行しようとして、今に続く政治騒乱が始まった。 (民主化するタイ、しない日本) タイの騒乱に関して、よく言われることの一つは「タクシンは米国の金融資本家に支援されている」ということだ。黄シャツ派を支持する人々は「これは米国資本家によるタイ支配との闘いだ」と主張する。タクシンは、米国のブッシュ父子ら共和党の上層部と親しく、ブッシュ家を中心とした共和党の元高官らが運営する投資会社「カーライル」の顧問もしていた。タクシンが愛国党を結成して首相の座を狙い始めた1998年には、パパブッシュやベーカー元国務長官らがタイを訪問してタクシンを支持した。タクシンの亡命先はロンドンやドバイで、いずれも米英金融筋の管轄地だ。 (Thailand: Uprooting Wall Street's Proxy Regime) これらを見ると、タイの騒乱は「タイを米国の傀儡国にしようとするタクシンに対する、タイの既存のエリート勢力の抵抗運動」になる。しかし歴史を振り返るとタイの既存のエリート勢力は、ずっと前から米国の傀儡として動いてきた。タイは冷戦時代、反共的な中国包囲網の一翼を担っていたし、ベトナム戦争ではラオスやカンボジアを攪乱するCIAの拠点だった。米国は、タイに新たな傀儡を作る必要などない。 タイの騒乱に関する米国系のマスコミの論調は「タイの野党は選挙に勝てないので、インラックが話し合いましょうと言っているのに拒否し、選挙をボイコットしてデモをやっている」「ほとんどのタイ人はタクシンの政党を支持しており、黄シャツ派は自分らがもはやタイを支配していないことに怒っている」「北部や東北のやつらは教育を受けていないのでタクシン派に買収されてしまうのだと、バンコクのエリートは(傲慢にも)言っている」といった感じで、黄シャツ派に冷たい。 (No resistance as crowds occupy Thai capital in festive protest) (What's behind Thai protests?) (Opinion: Prognosis for divided Thailand bleak, but why?) (In Thailand's North, Support for Ruling Party Remains Strong) 米国のマスコミの論調からは、米国の上層部がタクシン寄りであることが感じられる。しかし、米国の上層部は一枚岩でない。ブッシュ家やベーカー、カーライルといった勢力は、もともと共和党内で「中道派」と言われ、何でも武力で解決すれば良いんだと過激な主張をする「タカ派」と対峙する存在だった。子ブッシュ政権の初期に起きた01年の911テロ事件後、米政界全体がタカ派の方向に引っ張られる中、子ブッシュ政権はイラクやアフガニスタンへの侵攻など、タカ派の最も過激な戦略である「武力侵攻による強制民主化」をやりまくって失敗したが、これは中道派がタカ派以上に過激なことをやって半ば意図的に失敗し、結果的に中道派が好む「一極支配でない均衡した世界」「多極型の世界」を作り出している。 (ネオコンは中道派の別働隊だった?) 多くの人は、ブッシュ父子ら共和党の元高官たちが最初からタカ派だったと思っているが、それは間違いだ。彼らはもともと穏健派で、反米諸国を含む新興市場諸国の経済を発展させて儲けたいと考えていたが、クーデター的に起きた01年の911テロ事件後、タカ派に転じざるを得なくなった。彼らは、単にタカ派に転じるのでなく、タカ派の戦略を過激にやって失敗させ、米国の覇権の衰退を誘発し、BRICSなど新興市場諸国の経済発展と政治台頭を引き起こした。米共和党は、過激なタカ派ばかりになっているが、好戦的なタカ派の戦略をやればやるほど、米国の覇権が衰退し、中露やイランなどが台頭し、世界の体制は多極化する。 タイのタクシンが顧問をしていたカーライルには、サウジアラビアの財閥ビンラディン家も投資していた。ブッシュ父子は石油事業やCIAの策略(パパブッシュは若いころからCIA要員だった)などを通じて、ビンラディン家やサウジ王家と親しい関係にあった。ビンラディン家のどら息子オサマ・ビンラディンやサウド家は、01年の911テロ事件「犯人」とされ、米国から敵視されている。タカ派が米政界を席巻した911事件以来の「テロ戦争」は、ブッシュ家を窮地に陥らせる方向で起きている。ブッシュ父子はむしろ、911でやられた側だ。911事件を引き起こし、ブッシュ父子らを窮地に陥らせた勢力が、もともとのタカ派だろう。 タイ政界でタクシンが台頭した時期は、タイから発生して東南アジア全域や韓国に広がった97-98年のアジア通貨危機の直後だ。米国のブッシュ家や共和党の金融筋がタクシンを支援したのは、タクシンがタイ政界を牛耳って安定させることで、アジア通貨危機の再来を防ぎ、金融筋が投資するアジアの新興市場が再崩壊しないようにしたかったのでないか。 1990年代以来、米国の諜報機関の最重要の任務は、軍事・政治から、産業スパイや投機による金融危機の醸成(金融兵器)など、経済・金融部門に転換している。98年のアジア通貨危機(投機によってアジアの新興市場を潰した)と、米政府(クリントン政権)の「ならず者国家」戦略(中小の反米諸国に「ならず者国家」のレッテルを貼って軍事攻撃や経済制裁による政権転覆を目指す策)の開始、01年の911事件への流れは、米国の諜報界において、新興の経済金融勢力に対する、旧来の軍事中心勢力(軍産複合体やイスラエル系)によるクーデター的な反攻だった。この反攻に対する早い時期の米共和党中道派の再発防止策の一つが、タイでタクシンの政権を強化することだったと考えられる。 (Glenn Greenwald: Industrial espionage is hypocrisy) (米国の信号傍受の諜報機関であるNSAが最も重視して集めているのは、産業スパイに役立つ経済の情報と、銀行取引などの金融情報である。テロ対策は二の次で、ほとんど名目だけだ) (Follow the Money': NSA Monitors Financial World) タイでもともと権力を持っていたエリート層(黄シャツ派の黒幕)は、日本の権力体である官僚機構と似て、自分らの権力が守られるなら米国の言うことを何でも聞く。彼らがつながっている米国中枢の筋は、主に旧来の軍産複合体系だったので、引っかけられて97年にアジア通貨危機が引き起こされたのだろう。タイの権力構造が従来と同じである限り、再びタイを皮切りとした国際金融危機が誘発されかねない。97年の通貨危機の原因となったタイの経常収支は、危機の後に改善して黒字になったが、米連銀が主導する世界的な金融緩和策の中、大量の資金がタイにも流れ込んだ結果、2010年から再び黒字が減少し、赤字に向かっている。 世界の金融システムの大黒柱である米国の金融(債券)市場は、08年のリーマン危機後、米連銀が大量の資金を市場に供給する緩和策(QE)によって維持されてきたが、この策は連銀の資産内容を悪化させるため、今年からQEが縮小される。これは、米国と新興市場の両方にとって危険だが、新興市場が安定したままだと米国の方が先に崩壊する一方、新興市場が不安定化すると、新興市場が先に崩壊し、資金が米国に戻る分、米国は延命する。 米国中枢(共和党や諜報界)で、新興市場の安定を重視する勢力(旧中道派、隠れ多極主義者)は、タイでタクシンやインラックの政権が保たれることを望む半面、新興市場を潰して米国を延命させようとする勢力は、インラック政権を倒してタイを混乱させ、アジア通貨危機を再来させたいだろう。タイの政治騒乱の背景に、こうした米諜報界内部の暗闘がある。 (米国中枢にいる一部の人々が、隠れ多極主義者として、米国の覇権を意図的に崩そうとしていると考える私の分析に違和感を覚える人がいるかもしれない。彼らは、米国を恒久的に破壊しようとしているのでなく、いったん破壊してしばらく経ったら、覇権国でないかたちで米国を再生しようと考えているのでないか。覇権運営をする人々の時間概念は10年とか数10年の単位だ。現実として米国は、金融システムがいつ崩壊してもおかしくないし、中産階級が貧困層に没落して社会的にも崩壊している) タイの政治騒乱と関連して、タイとねじれの位置にあるのが、隣国のカンボジアだ。カンボジアでは1985年からフン・センが独裁的な首相を続けている。フンセンは、もともとベトナムの傀儡として政権についた。昨今は強い親中国でもあり、東南アジアでカンボジアぐらい中国の意向に従順な国はないと言われる。その一方で、フンセンはタクシンに味方し、タクシン派がタイで不利になったときに亡命を余儀なくされたタクシンの側近たちを、カンボジアが受け入れている。 (Cambodian Shift Highlights Regional Tensions) カンボジアでは先日から、韓国系など外資の製造業の工場で働く従業員の賃上げ要求をきっかけに広範なストライキが起こり、野党の救国党に率いられ、フンセン政権を倒そうとする反政府運動に拡大している。昨年夏の総選挙でフンセンの人民党が辛勝したが、それは選挙不正の結果であり、本当は野党が勝っていたと救国党は主張し、フンセンに辞任を求めている。救国党は党首のサム・レンシーがフランスで金融家として働いていたことがあるなど、米国やフランスに支援されている。 (More Than Meets the Eye Behind Cambodia's Growing Unrest) (Is Cambodia at a tipping point?) 親中国なカンボジアの政権を倒そうとする反政府運動を米欧が支援するのは「中国包囲網」の構図だ。米国は、日本やフィリピンをそそのかして中国と敵対させて「海の中国包囲網」をやるとともに、カンボジアで親中国政権と対決する野党を支援する「陸の中国包囲網」をやっている。しかし、米国が中国包囲網を強めるほど、中国はそれを乗り越えることに力を注ぎ、もともと国内の経済発展や安定化を優先しようとしていた中国共産党を、国際台頭重視へと転換させ、中国の台頭を早めてしまう。米国の中国包囲網策は、実のところ、中国を覇権の方向に引っ張り出す多極化戦略である。その意味で、タイとカンボジアの事態は、ねじれの位置にありつつ同根になっている。 中東のトルコでは、第一次大戦に敗れて以来のトルコの国是だった「欧米化」「世俗主義(反イスラム主義)」を棄てて、イスラム主義への傾注と、アラブ諸国や中露イランとの関係強化に動くエルドアン政権を潰すための司法界によるクーデター的なスキャンダル捜査が昨年末から行われ、司法部門を無力化しようとするエルドアンとの闘いになっている。 (Erdogan rallies Turks to thwart 'plot' against nation's success) (Politics behind Turkey graft probe) 昨年から続くトルコの事態も、欧米への従属を振り切って自立した新興市場国になろうとするトルコを潰すことで、政治的・経済的に米国の覇権を守ろうとする動きだろう(日本は昨年、このトルコの騒乱からの漁夫の利で、東京五輪を開催権を得た)。米国の覇権が金融面から崩れそうな中、今年はこの手の騒乱が、さらに多くの国で起きそうだ。 (Strains tear US ties with Middle east allies)
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