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キプロス金融危機の意味

2013年4月2日   田中 宇

 2008年のリーマンショック以前、米欧の3大債券格付け機関のすべてが最優良のトリプルA格をつけている国債の発行残高の総額は11兆ドルだった。現在、その額は4兆ドルまで減っている。リーマン危機前に3機関ともトリプルA(トリプルかける3で「ナインA」と呼ばれる)をつけていた米国、英国、フランスなど先進諸国に対し、格下げを行う機関が相次いだからだ。特に、11年夏にS&Pが米国債を格下げした影響が大きい。 (Global pool of triple A status shrinks 60%

 米国債を頂点とする債券格付けの構造が崩れると、債券市場全体の信用不安(価値の下落)につながるので、3大格付け機関は、米国債に対してS&Pが格下げしても他社は格下げしないなど、債券金融システムを維持するための煙幕的な策を、談合しつつ駆使しているが、ナインAの国債総額が5年あまりで6割も減ったことは、世界的な金融のリスクの上昇を如実に示している。

 世界経済の中心が、欧米日の先進諸国から、BRICSなど新興諸国に移る動きがあり、リーマン危機後の5年間にブラジル、ボリビアなどの新興諸国の国債が格上げされた。だが、新興諸国の台頭に、先進諸国の下落を穴埋めできるほどの勢いはない。

 リーマン危機後、米国中心の世界の債券金融システムは、健全な状態に戻っておらず、米連銀による債券の買い支え(量的緩和策、QE)などによって延命している。従来型の預金金融システムよりずっと規模が大きい債券システムが壊れたままなのだから、国債を含む債券金融がもっと早く崩壊しても不思議でなかったが、金融界の粘り腰によって、ナインAの債券が5年間で6割減っただけの悪影響にとどまっている、ともいえる。

 だが、その一方で言えるのは、この先も債券金融システムが再び健全化するメドが見えないことだ。これまでのバブル崩壊は、米連銀などの当局が裏の仕掛けを作って不良債権を買い取って塩漬けすると事態が回復に向かい、塩漬け物件の相場が戻って不良から優良に変わり、米連銀は黒字を出せる仕掛けだった。だが今回は、米連銀が買い取った債権の価値が下がり続け、3年間に5470億ドルの損失の拡大となっている。このような大損失は、連銀の約百年の歴史の中で始めてのことだ。連銀が買い支え(QE3)をやめたら、米国債も価値が下がり、経済難に拍車をかける金利上昇とインフレが起きる。連銀に無限の買い支えを期待することはできない以上、最悪のシナリオを無視できない。 (Fed Faces Explaining Billion-Dollar Losses in QE Exit Stress

 これまで「リスクゼロ」と考えられてきた米国債がこのような状態なのだから、リスクの上昇は金融のあらゆる分野で起きている。株や債券に比べて低リスクだった預金も、リスクが高い運用先になり始めている。その一つの兆候が、東地中海のユーロ圏の島国キプロス共和国(ギリシャ系)で起きている金融危機と預金封鎖だ。

 キプロスは、ギリシャ系とトルコ系という2つの人々が住む島で、英国の植民地から独立する際、2つの人々の対立が激化して内戦化する構図が敷かれ、英国が仲裁役の「国連軍」として南北の分断線に軍事駐留し続けてきた(キプロスは、英国にとって東地中海地域の重要な情報収集の拠点だ)。トルコ系の北キプロス・トルコ共和国は、トルコ以外の国から国家承認されず孤立しているが、ギリシャ系の南キプロス(キプロス共和国)は、EUに加盟し、通貨をユーロにしている。南キプロスは事実上、経済的にギリシャの一部だ。

 これまで、状況は北より南のキプロスの方が優勢だったが、投機筋が先物売りなどでギリシャ国債を暴落させ、ギリシャでユーロ危機が悪化すると、ギリシャ経済の傘下にある南キプロスでも国債の下落や格下げ、財政難が起こり、ギリシャ国債を大量に買っていたキプロスの銀行の経営も行き詰まった。キプロスは金融の課税や規制がゆるいので、ロシアや、英国などEUから、キプロスに資金が流入し、租税回避地的なオフショア金融市場として機能していた。キプロスの預金総額1200億ユーロの約半分が、ロシアの金持ちが預金した資金とされている。 (2012 - 2013 Cypriot financial crisis From Wikipedia

 キプロスは、GDPで示される実体経済に比べて金融市場の規模が巨大なので、政府が金融界を救済しきれない。キプロス政府は昨年、金融危機対策としてロシアから資金を借りたが足りず、EU(欧州委員会)、IMF、欧州中央銀行(ECB)の三者(トロイカ)に支援を要請した。トロイカは見返りに緊縮財政や増税を求めたため、キプロス政府と折り合いがつかず、支援が行われないまま、今年に入って金融危機が悪化した。

 結局、今年3月、キプロス金融界があずかっている預金の一部を、キプロス政府が税金として徴収し、それを損失の穴埋めに使うことを条件に、トロイカがキプロスに資金援助する話になった。金融危機によって発生した損失の一部を、銀行の預金者にも負担させる方法は、リーマン後に世界各地で起きた金融危機で行われておらず、キプロスの金融危機で初めて試行された。

 銀行や金融当局は、預金者との間で、預金保険の範囲内で、預金を保証することを約束している。銀行が経営難で預金者に預金を返せなくなったら、預金保険を使って返済する。当局が新規に法律を作って預金に課税することは、預金者との約束に違反している。キプロスの議会は、政府がトロイカと合意した預金への新規課税の法案を否決し、いったん救済策を潰した。 (The Cyprus Bank Bailout Could Be A Disastrous Precedent: They're Reneging On Government Deposit Insurance

 キプロス政府は次善の策として、預金保険の対象の範囲内の預金に手をつけず、潰れそうな大手銀行を国有化してそこに移管して保護する半面、預金保険の対象外の預金は、約40%が戻らず、残りも銀行の株式に転換するなどして大幅に価値が減った状態で預金者に返すことを検討している。 (Bank of Cyprus savers with more than 100,000 euros now face 60 PER CENT losses as officials scramble to prevent collapse

 預金保険対象外の、大口預金のほとんどは、ロシアや英国など外国人の預金だ。特に、ロシア人の預金の中には、キプロスを通すことで違法品取引など犯罪からの収入を資金洗浄している分が多く含まれているとされ、違法資金なので保護しなくてかまわないという考え方だ。とはいえ、返還されない預金のすべてが違法資金なわけではなく、この理由づけは政治的にゆがめられている観がある。ロシア政府はキプロス政府のやり方に抗議している。 (Europe is risking a bank run

 銀行が破綻した場合、預金保険の対象範囲内の預金が保護され、対象外の預金が保護されないのが建前だ。だが実際のところ、米国など先進諸国の金融当局は、金融危機が起きて銀行の経営が行き詰まったとき、多くの場合、その銀行を預金ごと他の銀行に吸収合併させ、預金保険の仕組みを使わずに危機を乗り越えてきた。日本でも米国でも、預金保険制度の発動は小さな銀行が破綻した場合のみで、大手銀行の経営難に際して預金保険の制度が使われることは少ない。

 当局が預金保険の制度を使いたがらないのは、大手銀行の破綻に際して預金保険を使っていくと、保険の準備金を使い切ってしまい、預金保険の体制不足が露呈するからだ。この30年間の債券バブルの拡大で世界的に債権債務が急拡大し、世界の銀行界が預かっている資金総量からみて、大きな危機が起きた場合、預金保険でも各国政府でも銀行を救済し切れなくなっている。それが露呈すると信用不安を引き起こすので、各国はなるべく預金保険を使わず、金融危機に対応している。 (The debt bomb just got bigger

 リーマン危機後、米当局は公金を注入して金融界を救済したが、それによって米政府の財政が大幅に悪化した。米議会上院は最近、今後米国の大銀行が経営難に陥っても、公金を投入して救済することをやらないと決議した。政府以外に金融界を救済しうる勢力はないので、これは事実上、次の大きな金融危機が起きたら、救済する者がいないことを決定する動きだ。 (US Senate Unanimously Votes To End Unfair Subsidies For `Too Big To Fail' Banks

 金融危機が拡大していかなければ、こうした策でも何とかなる。だが、危機は沈静化する方向にない。キプロスの金融危機は、東欧の旧ユーゴスラビアのスロベニアに伝染しそうだ。キプロスの危機がひどくなった後、スロベニアの国債利回りが3倍に(国債の価値が3分の1に)なった。 (Slovenian bailout 'is inevitable': Second tiny EU state caught in fallout from Cyprus banks crisis

 銀行危機に際して預金を返さず損失の穴埋めをするやり方は、これから増えていく可能性がある。ニュージーランドでは、このやり方が危機対策の一つとして検討されている。リーマン危機が直後に感染して08年に銀行危機に陥ったアイスランドでは、銀行を救済せず国有化したうえで破綻させ、その代わり、アイスランド国民の預金は保護するやり方を採った。アイスランドの銀行も、キプロスと似て、外国人があずけた預金が巨額だった。 (New Zealand Government Now Planning a Cyprus-Style Confiscation to Fund Bank Bail Out

 アイスランドはキプロスと異なり、ユーロ加盟国でなく、独自通貨アイスランドクローナだったので、一時的にクローナの為替が暴落したが、これによって逆にアイスランドは輸出(多くは水産物)が有利になり、5年後の今では経済が立ち直って発展している。「キプロスはユーロを離脱してアイスランド方式を採るべきだと」との主張がある。 (Iceland offers hard lessons for Cyprus on capital controls

 日本でも「アベノミクス」の一環として、デフレ脱出のためと称し、円や日本国債を意図的に弱体化する策が続けられており、今は安定している日本の金融界が、国債危機などが起きて不安定化した場合、日本人の預金も安泰でなくなる。ナショナリズム優先のアイスランド政府は、外国人の預金を犠牲にして国民の預金を守ったが、対米従属の日本政府は、自国民の預金より外国人の預金を優先する可能性があり、いざというとき頼りにできない。日本に真のナショナリズムがあれば変わりうるが、日本人の多くがナショナリズムを「対米従属・中国敵視」と取り違えているので望み薄だ。

 キプロスのユーロ離脱が取り沙汰されているものの、国際政治的(地政学的)に見ると、キプロスのユーロ離脱は考えにくい。キプロスは、欧州の東方政策の先兵であり、EUは巨額の救済金をかけてもキプロスを守るだろう。EUは、預金を没収して損失の穴埋めをさせることで救済策を安上がりにしたいだけで、キプロスを見捨てる気はない。EU内で、キプロスの経済規模は小さい。

 キプロスへのユーロ危機の波及をしりめに、中露などBRICS諸国は南アフリカで定例のサミットを開き、IMFに頼らず国際金融危機に対応できるよう、BRICS開発銀行を共同で設立することを決めた。これは米英覇権の解体と多極化の流れに沿った自然な動きといえるが、BRICS開発銀行はまだ実体がなく、国際金融危機への対応をIMFでなくBRICSが行うまでには、まだ時間がかかる。その間、世界の混乱はひどくなる傾向が続きそうだ。 (BRICS Approve Currency Fund as Bank Start-Up Stalls



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