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金地金の復権

2012年8月30日   田中 宇

 8月28日、米国フロリダ州で共和党大会が開かれ、11月の大統領選挙でミット・ロムニーを統一候補にすることを決めた。この大会で話題になったことの一つは、米国の通貨体制を金本位制に戻すべきかどうかを議論する「金委員会」の設置が、選挙に向けた共和党の政治要項に盛り込まれたことだ。党大会の数日前、綱領に金委員会の設置が盛り込まれることがわかった直後から、金相場が上昇した。 (Gold nearing overbought after GOP ignites gold standard debate

 ドルの総資産量から考えて、金本位制は非現実的だ。ドルの発行総額は約3兆ドルで、米政府の金保有量が8千トンだから、単純に割り算した金本位制の金価格は1オンス1万ドルになる。しかし、ドル資産は現金以外にもある。預金や債券を含むドル建て資産の総量は、米国だけで、銀行勘定と証券勘定(影の銀行システム)の合計で40兆ドル前後だ。これらがすべて金との交換性を確保するには、1オンス10万ドルを超えてしまう。今の金相場は1オンス1600ドル台だから、非現実的な価格設定になる。ちなみに、世界の金融資産の総額は130兆ドルで、これまでの世界的な金の採掘総量は15万トンと言われる。これらを単純割り算すると、金価格は1オンス2万6千ドルになる。 (影の銀行システムの行方

 米金融界の儲けの構造から見ても、金本位制の復活は、金融関係者にとって「あってはならない」ことだ。金本位制の縛りを受けずにドル資産を無限大に発行できることが、この20年あまり急拡大した米金融界の大儲けの源泉であり、米国が金融力を使って世界を支配できる覇権の原動力だった。金本位制に戻ることは、米国の国家と金融界の力が激減する自滅行為だ。

 1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)で、米国はドルの金本位制を捨てた。その後ドルの価値は低迷したが、85年のブラザ合意と米英の金融自由化(ビッグバン)を皮切りに、ドルが金本位制に縛られていた発行総額の限度から解放された点の方が重要になった。米国が世界的な覇権国である限り、その信用力をテコにいくらでもドルを発行でき、米国に国際信用がある限り、ドルを大増刷してもインフレにならない。85年以降、米英の当局と金融界は、このドルの無制限の力の構造を米国債や社債に拡大することに成功し、企業はわずかな信用力で巨額の債券を発行でき、これが米経済を長期成長へと転換した。 (格下げされても減価しない米国債

 米国の当局と金融界は、現預金のほかに債券金融システムに資産を貯められるようになり、両者間の資金流通をうまくやることによって、インフレを発生させずドルを増刷し続けた。米経済は80年代までひどいインフレだったが、90年代以降、インフレは姿を消した。先進国全体の中央銀行のネットワークが強化され、各国が米国式の金融システムを採用し、世界的にインフレがなくなった。「金本位制をやめるとインフレがひどくなる」という理論は破綻している。 (Reviving Gold Standard Studied in Republican Platform

 米国が金本位制に戻ると、これまで影の銀行システムとして調整機能を果たしてきた債券金融の勘定を、金本位制の内部に取り込まねばならなくなり、調整機能も失われる。価値の無制限拡大もできなくなり、錬金術的な金融界の儲けが失われる。08年のリーマンショックは、債券金融システムの構造的な崩壊だったので、その後、米政府内に「ボルカー委員会」など、影の銀行システムのやり方をやめようとする動きが起きた。だが米金融界はこの動きを阻止するとともに、債券金融システムを何とか延命再生させ、今に至っている。 (The Top Ten Reasons That You Should Support the "Gold Commission"

 米共和党は、党内が多様な勢力から成り立っている。共和党では、金融界の発言力が強い一方で、連銀を含む連邦政府の拡大に反対する「小さな政府主義者」も党内に多い。小さな政府主義者はリーマンショック後、連銀や金融界が米国を崩壊させ、財政赤字を増やしていると主張し、国債増刷と金融界を敵視する「茶会派」を形成し、党内を草の根から席巻している。30年前から金本位制への移行や連銀の廃止を主張してきたロン・ポール下院議員は、共和党の小さな政府主義者にとって英雄で、今回の共和党予備選にも立候補し、ロムニーの強敵だった。 (Republicans Eye Return to Gold Standard

 ロムニーは財界出身で、金融界の仲間だ。彼は、今回の党大会で統一候補になったものの、ポールを支持する小さな政府主義者たちの主張を採り入れないと、党内を分裂させてしまうので、しかたなく、金本位制を検討する委員会の設立を、党の綱領に入れることにした。 (GOP may embrace Ron Paul and the Gold standard

 小さな政府主義は、自主独立的な米国民の気質に合うため草の根から根強い力を持つが、共和党内の金融界や財界、軍産複合体系の人々は、彼らを嫌っている。共和党大会では「金本位制を復活するなら、奴隷制も復活したら良いんじゃないか」とか「天動説も掲げるか」といった揶揄が渦巻いた。 (The Gold Standard Gets Another Look

 草の根からの支持は強いものの、共和党の金委員会は、金本位制を復活しないだろう。共和党が、金本位制復活を検討する金委員会を設置するのは、1982年のレーガン政権の時以来2度目だ。前回も、党内の小さな政府主義者からの強い要請で金委員会が作られたが、委員の顔ぶれは、ケインズ主義者など金本位制に反対する人々ばかりで、金本位制に賛成する委員はロン・ポールら2人だけだった。 (Gold Commission 2

 当時の金融界など共和党の主流派は、金委員会の委員選出を操作することで、金本位制復活議論を骨抜きにした。今回も似たことが行われるだろう。82年当時、米国は71年の金ドル交換停止以来の悪影響でひどいインフレに見舞われ、金本位制復活やむなしという世論が強かった。だがその後85年の金融自由化を経て、今の米国は債券金融システムという新たなインフレ抑止策を持っている(リーマン倒産後、システムは脆弱化したが)。一般に、選挙期間中に米国の野党が打ち出す綱領は、人気取りの色彩が強く、野党候補が勝って大統領になっても、就任後に忘れられてしまうことが多い。 (The GOP has picked the wrong time to rediscover Gold

▼本質的に進む金地金重視

 ここまで、共和党の金本位制復活議論の先行きについて否定的なことばかり書いたが、実は否定的でない部分がある。共和党の金本位制復活論の出所は、草の根だけでない。ロムニー候補の戦略顧問をしているロバート・ゼーリックが金本位制の復活論者であり、今回の金委員会の設立方針は、ゼーリックの意見が反映されたものだ。ゼーリックはゴールドマンサックスの国際戦略担当の重役だったこともあり、金融筋の人だ。ゼーリックは、国際戦略の分野で、キッシンジャーなどもいるエリート的な国際派の現実主義者であり、中国の台頭を積極是認する親中派だ。彼は、米国内的な発想に基づく草の根の小さな政府主義とは別の系統だ。 (Romney, the Republicans, and the Gold standard

 ゼーリックは、世界銀行の総裁だった2010年秋に、ドルだけでなく、ドル、ユーロ、円、ポンド、人民元といった、G20の主要諸通貨の全体が、新たな多極型の国際基軸通貨として機能する新たな世界体制を作り、この新世界秩序の中でインフレやデフレの傾向を判断する指標として金地金の相場を使い、それをもとに主要諸通貨の為替を決定していくという、擬似的だが世界的な金本位制の導入を提唱した。(通貨と金価格を完全につなげる本格的な金本位制は提唱していない) (Zoellick seeks Gold standard debate

 ゼーリックの提唱は、彼独自のものでない。リーマン倒産後、フランスやロシアなどの首脳の提案で、G20サミットが危機対策を検討する国際機関になり、米国(共和党ブッシュ政権)もそれを了承し、世界の経済政策を決める最高意志決定機関がG7からG20に移行した。G20サミットは、1944年に戦後の米国覇権の一部であるドルの単独基軸通貨体制を決めた「ブレトンウッズ会議」の決定事項の書き換え(ブレトンウッズ体制の刷新)を掲げ、世界の基軸通貨体制を、ドル単独から、ユーロ、円、人民元などを含む多極型でバスケット制に移行する方針を決めた。金地金を価値の基準として使うことも、G20の方針に盛り込まれている。 (「ブレトンウッズ2」の新世界秩序

 ゼーリックが総裁をした世界銀行は、IMFと並んで国連の「ブレトンウッズ機関」であり、両者はG20の事務局として機能することになった。その後、リーマン倒産で崩壊したと考えられていた米国の再建金融システムが、米金融界の努力によって延命再生したため、G20が提唱した基軸通貨の多極化は棚上げされている。 (G20は世界政府になる

 しかし、米金融界の現状は、リーマン倒産で破裂しかけた債券金融の巨大なバブルを、対症療法で再び膨張できる状態に戻しただけであり、いずれバブルが再び破裂する事態が来る可能性が高い。米当局はボルカー委員会などを通じ、バブルの軟着陸的な縮小を模索したが、現実化していない。米国で金融バブルが再崩壊したら、その後、G20が決め、ゼーリックが提唱した、基軸通貨の多極型への転換や、擬似的な金本位制の導入が必要になる。金本位制の復活は、金融界の儲けと米国覇権を喪失するものだが、今の状況下で本質的に必要な議論である。 (The Republican Platform and the Mainstreaming of the Gold Standard

 余談だが、ゼーリックは国務副長官などとして、ブッシュ政権の戦略を立案していた。中国を「責任ある大国」と命名し、米中で「G2」を作って世界の諸問題を解決しようと中国に提案したのは彼だ。彼は、中国を多極型世界における東アジアの地域覇権国として引っ張り出そうとしている。もし11月の選挙でロムニーが勝ったら、ロムニー政権の中国戦略は、ブッシュ政権と似て、反中国のようなふりをして中国の台頭を誘発しようとする隠れ多極主義的なものになるだろう。 (Romney's China hand encounters rough seas

 ロムニーは中国に対し「人民元の対ドル為替を操作しているので制裁してやる」と非難しているが、人民元の対ドル為替の切り上げに中国が応じた場合、ドル安や米国債の急落を招き、米国を自滅させかねない。ロムニー政権は、表向き日米同盟を重視するだろうが、実際のところ日本より中国をはるかに重視し、沖縄米軍基地問題などで日本人の怒りを扇動し、日本を対米自立(アジア重視)の方に押しやろうとし続けるだろう。 (Romney's wrath out-shouts China hands

 多くの人にとって、米国の金本位制復活は「ありえない」話だろうが、実際のところ、金地金を国際的な価値の基準として復活させる動きが、最近いくつか起きている。7月には、世界の金融機関の会計基準を定めている国際決済銀行(BIS)が、金地金を、現金と同様の最も安全な資産の地位(ティア1資産)に引き上げる新基準(バーセル3)を来年から始めると決めた。金地金を通貨と同等とみなす、画期的な決定と報じられている。 (The Arbitrageur: Gold Sea Change

 EUに続き、米国も、自国の銀行に対し、バーセル3の基準を使うよう求めることにした。バーセル3では、銀行に対し、資産全体に占めるティア1資産の比率を、従来の4%から6%に引き上げることを求めており、世界中の銀行が、金地金の備蓄を増やしそうだと予測されている。 (Big Changes Ahead: Gold Just Became Money Again

 8月中旬には、金融先物やデリバティブの決済市場を運営するロンドンのCMEクリアリングが、投資家が担保として提出する資産として、金地金を、現金と並ぶ地位に引き上げている。 (CME Clearing Europe to Accept Gold as Collateral on Demand

 刷るだけで価値を生む国債や通貨を失いたくない先進諸国の政府と金融界は、この何十年か、金の価値や役割をできるだけ下げ、金本位制の復活を避けてきた。だが、リーマン倒産以来の金融不安定化を受け、金地金の価値を再び重視せざるを得なくなっている。米金融界がバブルの再膨張という危険なやり方で延命しているので、金地金復権の傾向が今後も続くことは、ほぼ間違いない。 (Banks count Gold as money again?



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