東アジア新秩序の悪役にされる日本2012年8月29日 田中 宇8月17日、北朝鮮の金正恩の摂政役で、事実上の国策決定者である張成沢(金正日の妹の夫)が北京を訪問し、胡錦涛主席や温家宝首相といった首脳陣と会談した。張成沢は、9月に金正恩を訪中させたいので国賓として受け入れてほしいと中国側に要請した。中国側は、北朝鮮を同盟国として支持するとともに、北朝鮮が中国式の経済改革を採用すれば経済発展できると勧めた。中朝は、両国の国境地帯の北朝鮮側にある黄金坪や羅先の経済特区で、経済協力を強化することを決めた。 (China's Wen urges North Korea to let the market help revamp economy) 張成沢は、妻(金正日の妹)である金敬姫と一緒に、以前から北朝鮮の中枢で、中国式の経済開放策をやろうとしてきた。先代の指導者だった金正日は、支援元のソ連が崩壊して北朝鮮が飢餓状態になった90年代、軍部に権力を与える「先軍政治」をやらざるを得ず、昨年末に死ぬまで軍部に頭が上がらなかった。だが今年、金正恩への世代交代が行われるとともに、摂政役の張成沢が、権力中枢の軍幹部(李英鎬ら)を7月に更迭して軍から実権を奪い(朝鮮労働党への権力返還)、北朝鮮の国策を経済開放の方向に大きく転換し始めた。その流れの中の最新の動きが、今回の張成沢の訪中であり、中国が北朝鮮の経済開放策への協力を強めると決めたことだ。 (◆経済自由化路線に戻る北朝鮮) 北朝鮮は最近、平壌に駐在する米国のAP通信社に、中朝国境の羅先経済特区を取材させたりして、外資導入に向けた宣伝にも力を入れている。 (China's flagging economic aid to North Korea) 北朝鮮はこれまで何度も経済開放策を試みて失敗し、中国の協力も無為に終わってきたので、今後の試みも成功するとは限らない。だが今回が従来と決定的に異なるのは、北朝鮮の中枢で張成沢ら経済改革派が権力を握り、経済改革に反対してきた軍部が失権したことだ。今後、北朝鮮は経済面で中国の傘下に入る傾向をさらに強めるとともに、中国がいやがる核実験や韓国との交戦を避ける傾向を強めるだろう。 この変化は、経済崩壊していく北朝鮮を支援する優位な立場で南北間交渉をしていこうと考えていた韓国政府にとって、危機的だ。韓国優位の南北統一ができなくなり、中国に仲裁してもらわないと北との対話もできなくなる。北朝鮮が中国の傘下でうまく経済成長していくと、韓国の出る幕はなくなり、韓国がいずれ取ろうと考えてきた北朝鮮の経済利権は、中国にもっていかれる。韓国が頼みの綱にしてきた米国は、この数年、ときどき北朝鮮との交渉を試みるも失敗し続け、問題の解決に本腰を入れるまでに至っていない。韓国は今後、米国でなく、中国を仲裁役として頼って北朝鮮と向き合っていく時代に入る。韓国にとって最重要の国が、米国から中国へと、静かにだが劇的に転換している。 (Ties with China Are Key to Korea's Future) そうした現状に立つと、韓国の李明博大統領が8月10日に竹島を訪問し、日韓関係を劇的に悪化させた背景も見えてくる。以前の記事に書いたとおり、今後の韓国は北朝鮮への敵対をゆるめ、南北対話を再開せねばならないので、代わりの悪役として再び日本を引っ張り出す策略だろう。米国政府は、日韓に安保協定を結ばせて、日米と米韓がバラバラだった東アジアの安保戦略を日米韓の三角関係に転換させたい。だから李明博は、これまで日韓関係を良好に保とうとしてきた。だが今や、韓国にとって米国の重要性が落ちている。だから韓国側は、米国の思惑を無視し、米国側からの批判に耳を貸さず、竹島問題で反日感情を煽っている。 (◆李明博の竹島訪問と南北関係) (Time for U.S. to help Japan, South Korea to get along) 李明博は来年初めに大統領任期が終わって下野するので、今後万が一、韓国が再び日本と協調せねばならなくなったら、その時の韓国は次期政権だろうから、日本との喧嘩を李明博の竹島訪問のせいにして、再び日本と協調できる。人気が落ちている李明博は、次期政権を狙う同僚の朴槿恵に頼まれ、竹島訪問、反日扇動の戦略に乗ったのかもしれない。 この時期、米国の裁判所は、韓国側の感情を逆撫でするかのように、米国企業であるアップルと、韓国企業であるサムソンの、スマートフォンの技術特許をめぐる裁判で、アップル一方的勝訴の判決を出した。これは、米国企業を勝たせたい陪審員の政治判断の結果なので、韓国側は怒っている。韓国には、米韓FTAに対する不満も残っている。韓国は、経済面でも米国との同盟関係から離脱していくかもしれない。 (日本政府は4年ぶりに北朝鮮との直接交渉を再開する。これも、北朝鮮をめぐる状況の変化を受けた動きだろう。交渉を北京でやるところがポイントだ。尖閣問題でいくら中国と対峙していても、力関係からいって、日本は北朝鮮との交渉を北京でやらざるを得ない) (North Korea, Japan to hold first direct talks in four years) ▼アーミテージ・ナイ論文との関係 竹島をめぐる韓国の思惑は分析できた。尖閣をめぐる中国の思惑はどうか。尖閣も竹島と同様、今回の対立激化は、日本側からでなく、相手方(竹島は韓国、尖閣は中国)から扇動されている。中国側は8月15日に活動家集団を船で送り込んで尖閣に上陸し、日本政府が彼らを逮捕すると、中国全土で同時多発的に反日デモが起きた。これらの一連の動きは、市民が自然発生的に起こしたというより、中国共産党が意図的に流れを作ったものだろう。その意図は何か。 中国側の事情として存在するのは、10月に胡錦涛から習近平への権力継承が本格化するので、その時期に国内政治で何か世論の怒りをかう事態になった場合に備え、日本という外部の敵を作っておくのが好都合ということだ。 その見方よりもっと私が注目したのは、米国政界に依頼され、米シンクタンクのCSISが8月15日に発表した、日米同盟の今後に関する「第3次アーミテージ・ナイ論文」だ。この論文は日本に対し、台湾やインド、オーストラリア、フィリピンといった、中国を取り囲む民主主義諸国との協調を強め、米国が作っている中国包囲網の強化に貢献するよう求めている。 (Anchoring Stability in Asia - The U.S.-Japan Alliance) (US report urges Japan to work with Taiwan on security) 共和党のアーミテージと民主党のナイが連名で作る、日米同盟に関する論文は2000年以来、今回が第3弾だ。論文は毎回、日本に対し、東アジアでの米国陣営の強化にもっと積極的に貢献せよと求めている。今回も同じ流れだ。しかし、東アジア情勢の全体をめぐる変化を見ると、この10年間で、政治経済の両面で、米国が弱体化し、中国が強くなって、米国が中国の台頭を容認せざるを得なくなっている。米国は、ブッシュ政権が提唱した「G2」など、ときに中国を東アジアの地域覇権国として認める言動すらしている。米政府は、日本に中国との敵対強化を求めるが、その一方で米国自身は中国に対し、融和策と敵対策が入り交じる曖昧な態度をとっている。 こうした全体像をふまえると、アーミテージ・ナイ論文が日本に求めることは「米国の傘下でアジアの中国包囲網強化に貢献せよ」から「米国の助けを借りず、独自に中国と対決せよ」へと変化している。日本の権力中枢(官僚機構)がやりたいことは、対米従属の維持であり、中国との敵対でない。米国が、日米同盟を強化してくれるなら、日本は、米国の傘下で、虎の威を借る狐的に中国敵視の態度をとっても良いと考えているが、米国の後ろ盾がないなら、日中の経済関係が大事なので、中国との敵対を強めたくない。アーミテージ・ナイ論文の要求は、日本にとってしだいに迷惑なものとなっている。 この論文が8月15日という、中国にとって反日(対日解放)の記念日である日を選んで発表されたことも重要だ。論文がこの日に発表されることは、事前に周知されていた。この論文が象徴する「米国が日本を、中国との敵対する方向に追いやろうとする」動きや、石原都知事が4月の訪米時に突如として尖閣買い上げを提唱したという、米国が尖閣問題で日本側を扇動している動きを見た上で、中国が8月15日以降、尖閣問題で反日的な態度を強めていることを見ると、中国共産党は日本に対し「米国の傘下でなく独自に中国包囲網を強化できるというのなら、これでもくらえ。中国人の怒りを受けてみよ」という政治的な先制攻撃をしてきたと考えられる。 台湾を併合したい中国にとって、尖閣問題は、台湾を取り込んで中台が共通の敵を作れる格好のテーマだ。今秋から中国の権力を握る習近平が、歴史に名を残すためにやりたいことの一つは、このところ中国に取り込まれていくことに抵抗しなくなった台湾を、経済的・政治的に併合していくことだろう。だからこそ中国側は、中国本土でなく中立的な香港から出港した船が、大陸側だけでなく台湾側の活動家や中華民国旗も乗せて尖閣に向かうやり方を以前から好み、今回もそれを踏襲している。 中国は9月に初の空母を正式就航する予定で、空母の名前を何にするかが取り沙汰されている。従来、清朝時代に台湾を征服した将軍「施琅」の名前を空母につける案が出ていたが、今回反日運動が盛り上がったのを機に、空母名を、尖閣諸島の中国での呼び名である「釣魚島」もしくは台湾での呼び名である「釣魚台」にしたらどうかという提案が、中国軍の強硬派から出ている。この話は、台湾を併合して国内化することを視野に入れつつある中国が、これまで台湾を敵視していたのをやめて宥和し、代わりの敵として日本を引っ張り出してくる流れそのものだ。 (China eyes Japan with carrier name) 中国側は、日本政府が、対米従属のみを重視し、米国の後ろ盾が薄れる中、単独で中国と敵対的に渡り合うことを好まないことを知っている。事実、日本政府は、8月15日に尖閣上陸後に逮捕した中国人活動家たちを、起訴せずに帰国させている。一昨年秋、当時の前原国交相(のちに外相)が、尖閣の領海内に入った中国船の船長らを逮捕し(たぶん米国のそそのかしもあって)起訴する方針を掲げた時に比べ、日本の対応は腰が引けている(一昨年も結局は船長を起訴せず帰国させたが)。 (日中対立の再燃) 中国側は、日本の腰が引けていることを見て、今後しつこく尖閣上陸の試みを繰り返すかもしれない。日本政府は、尖閣問題の日中対立が激化するのを、政府の立場を超えて抑えようとした駐中国の丹羽大使を更迭した。つまり日本は、中国と積極的に和解する気がない。だがその一方で日本政府は、尖閣上陸の中国人活動家を起訴せず帰国させ、中国と腹を据えて対決する気もない。 丹羽大使を「中国のスパイ」扱いする人々がいるが、それは、日本が米国との戦争に負けそうだと言った人を米国のスパイ扱いした戦時中の人々と同様、世間の雰囲気に乗るだけの付和雷同者だ。自力で戦わず対米従属な分、今の日本人は、戦前よりずっと劣る。丹羽大使の出身母体である伊藤忠商事に対する不買運動を提唱する者はいるが、「敵」そのものである中国の製品に対する不買運動を呼びかける動きは少ない。中国製品は日本にあふれているので、不買運動をするのは日本人の生活に大きな打撃を与える。中国製品をコンビニで買って、ユニクロを着て、中国で作ったiフォンを愛用しつつ中国への嫌悪感を表明する日本人は、中途半端な「反中(嫌中)ごっこ」をしているにすぎない。 「日本は中国に毅然とした態度をとるべきだ」と多くの日本人が考えている。私も賛成だ。中国が初の空母を「釣魚台」と命名するなら、日本も戦後初の空母を建造して「尖閣」と命名し、石垣島あたりを母港にする案はどうだろう。ただし、もし日本が、中国に対して曖昧な態度をとる米国の真似をするのでなく、独自の姿勢で中国に毅然とした態度をとっていくなら、米国は、日本を賛美しつつも、日本は自力でやっていけるようになったと言って、日米同盟を静かに解消していく傾向を強めるだろう。対米従属が日本の権力機構の最大関心事である以上、日本は、中国に毅然とした態度をとりきれない。米軍の空母に出て行かれたなくないので、日本は独自の空母など作らない。日本は、腰が引けたまま、中国や韓国から便利な悪役にされる状況が続くのだろう。 秋に選挙をやって、再び官僚主導から政治家主導への転換(真の民主化)を起こそうとする動きが日本の政界で強まるなら、事態は変わるかもしれない。
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