米中関係をどう見るか2012年8月3日 田中 宇私が今年5月に北朝鮮を訪問したのは、慶応大学経済学部の大西広教授に誘われたからだったが、その大西教授の誘いで、8月3日に北東アジア学会の会合で「米中関係をどう見るか」と題する講演を行うことになった。講演に際し、米中関係をどう見るか、私なりに再考してみた。 私は根本的に考えるのが好きなので、米中関係をどう見るかを考えているうちに、近現代の世界をどうみるかという基底部分の思考に行き着く。米国も中国も、近現代ならではの国家だ。18世紀末に英国から独立した米国という国家は、資本家主導の、近現代の産物である。孫文以来の中国も、古来の中華帝国をどのように近代国家に変身させるかという近現代的な試みだ。 私なりに定義すると、近現代とは、産業革命と国民国家革命を進展させる時代のことだ。産業革命によって大量生産の工業が生まれ、大量生産したものを買わせる消費者(富を持つ人々)を増やさねばならないという、人類史上初の事態が起きた。それまで支配層が、農業生産をやらせる群衆としかみなしていなかった世界中の貧農、農奴、貧乏人を、消費者や中産階級に仕立てていく、新たな世界的事業が始まった。支配層から見て、農奴は貧乏でかまわないので極限まで搾取したが、消費者には金を持たせねば工業が発展しないので賃上げなど待遇改善する必要が出てきた。人々を貧農から工業労働者に転職させ、賃金を払って消費させ、工業製品を買わせるという経済循環の構図を世界に拡大し、儲けを世界的に増やすのが、資本家の目標となった。これが近現代の始まりだ。 資本家は個人(欧州では主にユダヤ人)だが、産業革命は国家的な事業だ。産業発展に必要な交通や通信などのインフラ整備は、私企業でなく、国家がまとめてやるのが効率的だ。国家を豊かにするには、人々に喜んで納税させる必要がある。農奴として搾取していた人々を「国民」「主権在民」などといっておだてて教育(洗脳)すれば、人々は国家の主人としての「自覚」を持ち、国家に忠誠を尽くし、喜んで納税し、兵役に就く。国民国家(国民主権が建前の国家)は、それまでの、やる気のない農奴を無理やり働かせた生産性の低い絶対君主制国家よりもはるかに強く、富が蓄積された。近現代は、世界中で産業革命と国民国家革命(植民地の独立)が起きる時代になった。 絶対君主国家を国民国家にするには、支配層の王侯貴族が、名目上だけでも権力を手放し、国民に権力がある形にしなければならない。支配層は権力を放棄したくないので、主権在民は国民にそう思わせておくだけの詐欺的な建前の構図だ。支配層は、国家の権力を隠然と握り続ける。あらゆる民主主義国には、その国の支配層が隠然と権力を握り続けられるよう、見かけ上の民主化だけやって、真の民主化を阻む何らかの仕掛けが存在する。 各地の国家の権力が隠然化することは、欧州の資本を握っていたユダヤ商人にとっても都合が良い。欧州のユダヤ商人は近代以前、非キリスト教徒として弾圧されたがゆえに、欧州各地の王侯の目立たない顧問役(投資指南役)として、絶対君主国家を資本面から隠然と握ってきた。世界中が似たような形式の国民国家になり、権力構造が隠然化すると、欧州の資本家が各地の国民国家の権力構造の上の方に入り込みやすくなる。社会主義国も、権力中枢が独裁で不透明なので、入り込みやすさの点で国民国家と大差ない。 全欧に広がった産業革命と国民国家革命によって、欧州は他の地域を圧倒する覇権地域となり、今に続く欧米中心の世界体制が始まった。中でも英国は、世界で最初に産業革命をやった国として、真っ先に経済発展し、謀略的に強い外交力と相まって、仏革命後のナポレオン政権を倒した後、他の欧州列強より強い、世界的な覇権国となった。しかし同時に英国の覇権戦略は、これ以降、英国の国益(英国の世界支配力)を最大限にするための戦略と、資本家の世界的な利益(世界経済全体の成長)を最大限にするための戦略の2つに分裂していくことになった。 前者の戦略は、世界中に英国と同じぐらいの大きさの国家を無数に作り、英国をはるかにしのぐ国力を持つ大国が出てこないようにして、世界における英国の優位を維持した。ナポレオン戦争時のスペインの無政府状態に乗じ、中南米は小さな国々に分割された上で独立した(ブラジルだけは、宗主国のポルトガルがナポレオン戦争時も存続したので分割されず、大国として残った)。アフリカは、独仏などを誘って欧州列強間の植民地争奪戦が起こされ、その過程で無数の小国に分割された。英国は、アフリカの次に中国の分割を企図し、日仏独なども誘って、揚子江流域は英国、広東はフランス、山東はドイツ、満州はロシアや日本というように、列強が中国の各地域に影響圏を設定した。だが、この構想を進めている間に、欧州列強どうしが共食いして自滅する第一次世界大戦が起こり、英国は中国分割構想を果たせなかった。 英国が世界を細かく分割することに完全に成功していたら、英国が覇権国として世界を支配する状況が恒久化していただろう。そうなっていたら、英国の国家自身にとって都合が良いが、英国の覇権運営の中枢を担っていた資本家(主にユダヤ人)にとっては、英国に幽閉されたも同然の状態になる。欧州の資本家は、15世紀から18世紀にかけて、スペイン、オランダ、英国と移動し、可能性のより大きな国に覇権を持たせる「覇権ころがし」をやっており、全欧的なネットワークを持った、国家から自由な存在だった。 英国だけが永久に覇権国である状態は、ユーラシアの内陸部など、英国が危険視した地域の発展が阻止されることにつながり、その点も資本家にとって好ましくない。英国の覇権戦略の内部には、英国という国家の利益を最大にしようとする「国家の論理」もしくは「帝国の論理」と、資本家や世界経済全体の利益を最大にしようとする「資本の論理」が別々に生まれ、相克を引き起こす状態になった。これは、世界の産業革命化を誰の利益のために使うかという相克・暗闘であり、今に続くものだ。 産業革命とフランス革命が起きていた1776年に英国から独立を宣言した米国は、資本の論理に沿って動ける大国を作る、資本家による試みだったと考えられる。米国の独立後、資本家がロンドンからニューヨークに移り、NYの方が世界的な金融センターになった。第一次大戦で英国など欧州列強が共食い的に自滅すると、米国は、戦後の世界体制として国際連盟を作り、欧州列強の植民地をすべて独立させ、国際連盟で1カ国1票の世界政府的な新世界秩序を作ろうとした。 だが、それに協力すると言って入り込んできた英国が、米国よりも上手の外交力を使って新体制を機能不全に陥らせ、国際連盟の体制は失敗した。米国はそっぽを向いて孤立主義に入り、その間にナチス政権のドイツや日本が台頭して英国覇権を潰しにかかり、第二次大戦が起きた。英国が日独に潰されかけた時、英国が米国を騙さずに覇権移譲する条件で米英間の協調が再結成され、米国が参戦して日独を打ち負かし、今度は米国に国際連合を作って、米国好みの世界政府的な新世界秩序を打ち立てた。 国際連合の世界体制は、安保理の常任理事国として米国、欧州(英仏)のほかにソ連と中国が入っており、従来の欧米中心体制を離脱する「多極型」の世界秩序だった。だが英国はしぶとく、国連ができた翌年の1946年に英チャーチル首相が訪米中に放った「鉄のカーテン演説」を皮切りに、米国の軍事産業やマスコミ(軍産複合体)を巻き込んで、米欧とソ連中国を敵対関係に陥らせる冷戦体制が築かれた。米国の上層部は、多極型の世界秩序を希求する多極主義者と、英国覇権の発展型ともいえる冷戦型の世界秩序を希求する軍産複合体との暗闘となった。 軍産複合体は非常に強く、多極主義者は正攻法でやっても勝てないため、軍産側の冷戦戦略(もしくはその後継戦略である「テロ戦争」や「中国包囲網」)を過剰に推進して失敗させ、米国の覇権を自滅させ、覇権体制を冷戦型から多極型に転換させる策略が採られた。ベトナム戦争やイラク侵攻など、過激で稚拙な好戦戦略は、隠れた多極主義戦略だったと考えられる。経済面でも、ドルや米金融界の経済覇権を自滅させるリーマンショックとその後の米当局の稚拙な対応が採られ、米国の覇権は自滅しつつある(資本家は長期の儲けや世界経済の成長を重視しているようで、短期的にNYの米金融界が破綻しても良いと考えているようだ)。一方、いずれ立ち上がる多極型世界を担う中露やインドなどがBRICSを構成して結束している。大英帝国と資本家の百年の相克は、資本家の優勢になっている。 ▼近現代史の全体像をふまえて各国を見る 一見、米中関係に関係ない近現代史の全体像を延々と書いてしまった。これは私が今まで何度も書いていることでもあり「またお得意の隠れ多極主義化よ」とうんざりした読者もいるかもしれない。だが、この近現代史の全体像をふまえないと、米国や中国(や日本)が、どのような立場に置かれた国であり、米中や日米の関係がどういうものであるか、深く分析できず、浅薄な見方に終わってしまう。読者にうんざりされても近代史の全体像を書かざるを得ない。この全体像の上に立つと、米国や、アヘン戦争以降の中国、明治維新後の日本がどんな国なのか、米中関係をどう見るかといったことが、ダイナミズムをともなって見えてくる。 米国がどんな国かは、すでに書いた。大英帝国の覇権勢力のうち資本家層が、帝国の戦略的束縛から逃れるために、英国から分離独立した国であり、第二次大戦後に英国から覇権を譲渡させたものの、英国にとりつかれて暗闘の60年間をすごし、911以来の過剰な好戦戦略の末、世界秩序を資本家好みの多極型に転換しかけている。今後の米国は、金融以外の経済分野の没落が続き、地方政府から中央政府へと財政破綻が広がり、貧富格差がひどくなり、そのうちに金融危機も再燃し、ドルは基軸通貨としての地位を失うだろう。ただし長期的に、世界が多極型に転換した後、米国は西半球(南北米州)を率いる国として、経済的、政治的に再台頭するかもしれない。 一方、アヘン戦争以来の中国は、古来の中華帝国の国家システムを、国内を分裂させず、欧州列強の分割戦略を乗り越えて、何とか(擬似的な)国民国家に転換する試みをやっている。辛亥革命後、国民党は中国を民主的な体制にしようとしたが、国内が多様すぎるうえに、欧米的な民主主義の考え方を定着させることが難しかった。代わりに導入されたのが、単一のナショナリズムを創設できない国々(多くの途上諸国)にうってつけの擬似的な国民国家制度である社会主義の体制で、国民党も共産党も社会主義を標榜した。 しかしこれも、毛沢東の文化大革命に象徴されるようにうまく導入できず、最終的にトウ小平が経済だけ資本主義(市場経済)を導入する改革開放を開始し、一党独裁のまま経済のみ開放し、ようやく産業革命を進展させている。中国政府は最近まで、あと20年ぐらい発展途上国として国内の経済発展のみを重視していこうと考えていたが、米国覇権の失墜を受け、東アジアの地域覇権国として国際政治上、台頭せざるを得なくなっている。中国は国際政治に対し、ロシアよりずっと野心が少なかったが、米国主導の国際秩序が崩れていく事態が、中国を国際台頭の方向に引っ張っている。 米国は、百年前の辛亥革命以来、中国を民主的な国民国家(共和国)にしようと引っ張りあげることを断続的に続けてきた。辛亥革命を率いた孫文の兄(孫眉)は米国ハワイの華僑であり、米国はそのルートで孫文を支援して国民国家革命をやらせたと考えられる。国際民主主義(世界政府)もしくは多極型の世界体制を希求してきた米国は、中国を、太平洋の対岸の、自国の鏡像的な戦略的伴侶に仕立てようとしてきた。中国は人口が多く、欧州と並ぶ歴史的大文明の国だ。そのため米国は、中国を、世界政府内の重要な立場の国に仕立て、中国を、米国自身やEU、ロシアと並び、多極型世界を担う勢力にしようと引っ張り上げてきた。 米国が中国を引っ張り上げる際には、米国が過激な好戦戦略によって自滅することで覇権を多極型に転換させる隠れ他局主義の戦略が繰り返されている。1970年代には、米国が自滅的なベトナム戦争後、ニクソン訪中によって中国との関係を正常化し、同時期に国連の代表権は台湾から中国に移った。近年では、過激で自滅的なイラクとアフガニスタンへの侵攻後、米国の覇権衰退とともに、国際社会における中国の立場が強くなっている。昨年からの米政府のアジア重視策(中国包囲網)も、中国を怒らせて台頭させようとする過激な好戦戦略に見える。つまり私から見ると、米中関係の根本の線は、米国が中国を自国と並ぶ大国に引っ張り上げ、世界秩序の多極化に貢献させようとしていることだ。 ここから蛇足だが、今回分析した近現代史の全体像から見ると、日本はどういう国なのか。私から見ると、明治維新は、英国が日本を引っ張り上げることを好んだ結果、成功した。19世紀末から20世紀初頭の重要な時期に、アジア諸国で近代化(産業革命と国民国家化)に成功したのは日本だけだ。英国の隠れた支援がなければ、日本の明治維新も成功しなかっただろう。英国が日本を好んだ理由は、大英帝国の戦略として、ユーラシア大陸の反対側の海上に浮かぶ島国という英国にとって都合の良い場所にある日本を近代化させ、ロシアや中国といったユーラシア内陸部の国々と戦わせ、大英帝国の世界戦略であるユーラシア包囲網を維持発展させようとしたことだろう。 日本は、英国のエージェント(代理人、手下)として近代国家に仕立てられた。二つの大戦の戦間期だけは、英国の覇権が衰退して日本は解き放たれ、大陸にできた覇権の空白を埋めて急拡大したが、英国が米国と再協調した後、日本は米英の策略に引っかかって真珠湾攻撃し、敗戦した。戦間期を除いた戦前も戦後も、日本がロシアや中国を敵視し続けるのは、英国(軍産英複合体)のエージェントとして当然だ。冷戦構造の中で、日本が米英の西側陣営の不沈空母として機能したことも自然な流れだ。 だが今後、米国の隠れ多極主義が成功して世界秩序が多極化されていくと、日本を戦略的に重視してきた米英覇権勢力が衰退し、世界における日本の優位性が低下しかねない。日本は国際戦略の再検討を迫られている。
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