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イスラエルと共存するムスリム同胞団

2011年12月16日   田中 宇

 12月12日、イスラエルからエジプトに新しい大使(Yaakov Amitai)が赴任してきた。今年8月、イスラエルとエジプトの国境地帯で、イスラエル軍とエジプト軍が銃撃戦になってエジプト兵8人が殺される事件が起こり、激怒したエジプトの群衆がカイロのイスラエル大使館を襲撃し、当時の大使(Yitzhak Levanon)ら大使館のほぼ全員がイスラエルに引き上げた。 (New Israeli ambassador arrives in Cairo

 エジプトの人々は第二次大戦後、反イスラエル意識が強かったが、今年2月までのムバラク政権は、世論を抑止しイスラエルとの和平を維持して米国からの支援を受け続け、政権を延命させていた。ムバラク政権の崩壊後、エジプトでは反イスラエル意識が顕在化した。米軍のイラク占領失敗、トルコの反イスラエル化、レバノンでのヒズボラ主導の反イスラエル政権の樹立など、周辺事態が自国に不利になっているイスラエルは、エジプトとの関係を悪化させたくなかった。だが8月の銃撃戦とその後の暴動によって、イスラエルは駐エジプト大使館を閉めざるを得なくなった。 (New Israel ambassador to arrive in Egypt this week, sources say

 今回、3か月ぶりの大使館再開は、イスラム主義勢力がエジプトの次期政権に就くことに決まった直後に実現した。エジプトでは11月末に60年ぶりに民主的な議会選挙の第1弾が行われ、ムスリム同胞団(自由正義党)とヌール党(サラフィー主義)というイスラム主義の2つの系統の勢力が合計で60%を得票し、軍もこの選挙結果を認めた。時期的にみて、大使館再開は、エジプトの第一党になるムスリム同胞団が、イスラエルとの国交の維持を好んだことを意味している。 (◆エジプト選挙で弾みがつく中東政治のイスラム主義化

▼ムスリム同胞団は現実重視の安定志向?

 エジプトではまだ軍が暫定政権を持っているが、すでに軍は同胞団の主張に逆らえない。米政府が「民主主義」を重視する理由で、同胞団を抑圧するエジプト軍政を公式、非公式に批判し、抑圧をやめさせているからだ。エジプトではムバラク時代に作られた憲法を改定する予定だが、イスラム主義者が議会の過半数を握ったため、議会に憲法改定を任せると反リベラルなイスラム主義の憲法ができると懸念し、軍が憲法改定委員会に介入しようとした。だが米政府など多方面からの批判を受けたため、軍は憲法改定に関与せず、同胞団主導の議会が憲法を改定することになった。米政府の「中東民主化」戦略が「中東イスラム主義化」になるのは、ブッシュ政権時代からのことだ。エジプトの権力は事実上、すでに軍から同胞団に移っている。 (Egypt's Military Retracts Plan to Extend Influence Over Constitution

 エジプトの民意は、国境の隣に住んでいるパレスチナ人に同情的で、イスラエルを憎んでいる。パレスチナのガザを統治するハマスは、同胞団の弟分の組織だ。同胞団が政権をとったらイスラエルと国交を断絶しても不思議でない。同胞団がイスラエル大使のカイロ再赴任を了承したのは、意外な展開といえる。同胞団は「イスラエルとの和平条約は見直す必要があるが、見直しは急を要する最重要課題ではなく、他にすべきことがたくさんある」と表明している。同胞団は、反イスラエル的な世論に配慮しつつも、イスラエルとの関係を持続する構えのようだ。 (Muslim Brotherhood: Egypt-Israel peace treaty needs to be reviewed

 イスラエルは、同胞団政権の新しいエジプトに好かれようと努力している。イスラエルは、エジプトの仲裁で、ハマスとの交渉を進め、過激派として拘置してきたパレスチナ人のうち、550人を12月19日に釈放すると発表している。これは今年10月、ハマスが捕虜にしていたイスラエル軍兵士ギルアド・シャリートを釈放する見返りに、イスラエルが1027人のパレスチナ人を釈放する合意を履行する第2弾なのだが、そもそも一人の兵士の釈放と引き替えに千人を釈放するのは不均衡が大きすぎる。背後に、エジプトやハマスとの関係を改善するイスラエル政府の戦略がありそうだ。イスラエルがパレスチナ人を釈放する見返りに、エジプトがイスラエル大使館の再開を認めた感じだ。 (Israeli official in Cairo for talks on second stage of Shalit swap deal

 同胞団は、自分らの政権が安定したらイスラエル敵視に転じるつもりに違いない、と考える人もいるかもしれない。だが、私は違う見方をしている。エジプトの政権をとる同胞団が、自国を強くして、自国民を幸せにしたいなら、イスラエルを潰すのでなく、逆に、和平条約を維持しつつ、イスラエルに譲歩させてパレスチナ人の苦境を救ってやる方が良い。イスラエルと敵対して潰そうとすると戦争になり、エジプト経済も破壊される。イスラエルとの和平を維持し、自国周辺を安定させた方が経済発展でき、国民は豊かになれる。パレスチナ人の苦境を救えれば、エジプトはアラブの盟主として尊敬され、国際的な地位も向上する。ムバラクより同胞団の方が良いと国際社会も認めるようになる。

 イスラム主義者は往々にして、イスラム以前の古代遺跡を観光客が訪れることを偶像崇拝とみなして非難する。女性が水着で公的な砂浜を歩く海浜リゾートにも反対する。同胞団の政権ができたら、エジプトのピラミッドやシナイ半島のリゾートなどの観光業が抑制され、経済に大打撃を与えると、リベラル派などが主張していた。選挙後、同胞団は「反観光」のイメージを払拭しようと、関係者を集め、観光振興のための会合を開いている。同胞団よりも厳格なサラフィー主義のヌール党までが、観光振興を掲げたイベントを行っている。イスラム主義のエジプト新政権は、宗教上の作法より、経済の建て直しを重視していることがうかがえる。イスラエルとの和平維持と並べて読み解くと興味深い。 (Egypt's Islamists seek to ease fears over tourism

▼米イスラエル関係の変化は米国の世界戦略の変化

 イスラエルは以前、米政界に影響力を行使して、イスラム勢力をテロリストとして敵視する方針を米国に採らせ、米国の軍事力で中東の敵対勢力をすべて潰そうとする戦略を進めていた。しかし、この好戦的な戦略は完全に失敗した。米軍がイラクから撤退を完了するとともに、イラクは、イスラエルの仇敵であるイランの影響下におかれ、イラク戦争の失敗が確定した。トルコもレバノンも反イスラエルに転じた。今のイスラエルにとって、和平を維持してくれる同胞団のエジプトは、自国の破滅回避に不可欠なありがたい存在だ。 (Iraqi Prime Minister Nouri al-Maliki to visit White House Monday

 米国の右派は、この期に及んでイランに核兵器開発の濡れ衣をかけ、戦争をけしかけている。イスラエル政府も、米国に調子を合わせ、イランとの戦争を辞さずと表明している。だが実際のところ、イスラエル政府は、戦争したら国家的な破滅なので、イランと戦争する気などないだろう。イスラエル政府は、イランやアラブのイスラム主義勢力と敵対するのでなく和解して、米軍が撤退した後の、イスラム主義が席巻する中東で、何とか国家的に存続していこうとしている。その方向性が、エジプトとの最近の関係から推測できる。 (Israel: Will Not Attack Iran, For Now

 しかし、イスラエル国家がうまく存続していけるがとうか、まだわからない。ヨルダン川西岸地域でパレスチナ人を敵視し、入植地を拡大しているイスラエルの右派や、イスラエル右派のロビー団体と親密な関係にある米共和党の右派(共和党の次期大統領候補の多く)は依然として、イランからパレスチナまでのイスラム主義を敵視する姿勢を続けている。彼らは、米イスラエルの政界で大きな力を持ち続けている。 (After Gingrich declares Palestinians 'invented', picture emerges of U.S. Presidential hopeful with Yasser Arafat

 イスラエルでは、パレスチナ人との敵対を扇動し続けようとする入植者ら右派勢力と、右派の敵対扇動を阻止しようとするネタニヤフ政権の政府との対立が強まっている。イスラエル政府は、西岸の入植地撤去を妨害する入植者を軍事法廷で裁くことを決めた。右派は、イスラエル軍や政府内の各所に入り込んでいる。暗闘は何年も前から続いている。 (Netanyahu: Jewish extremists not a 'terror group' but will be given military trial) (Right-wing activist calls on IDF soldiers to sabotage equipment

 米イスラエルで右派が政府を出し抜いてイランやヒズボラとの戦争(中東大戦争)を引き起こす可能性は消えていない。物事が解決に向かいそうなときほど、その解決策に不満な勢力が動き、戦争が起きやすい。米国は今後、中東での影響力を失い、イスラエルへの経済援助もしなくなるので、イスラエルは経済的にも苦しくなる。

 だが、イスラエル政府が同胞団のエジプトとの協調関係を構築し始めていることは、中東でイスラム主義が席巻した後もイスラエルが国家存続できる新たな可能性が出てきたことを表している。西岸とガザの統治権がパレスチナ人の手に完全に戻った後、イスラエルが、国土や国力は小さいが、周辺諸国と友好な関係を持つ国として存続する道が見え始めた。これは画期的なことだ。

 従来のパレスチナ解放運動の視点で見ると、イスラエル国家の存続を許せば、レバノンやシリアなどに住む、イスラエル本土(西岸とガザ以外)から追い出されたパレスチナ難民が、昔の土地をそのまま取り戻すことが困難になる(土地を完全に取り戻すにはイスラエル建国後に住んでいるユダヤ人の追放が必要)。運動家の中には「難民問題が完全に解決されるまで、パレスチナ問題の解決はない」と、事実上イスラエル国家の滅亡を求める者もいる。しかし、イスラエルを滅亡させるには中東大戦争が必要で、それは中東全域の人々の生活を破滅させる。エジプトの同胞団が選んだ道は、それと違う、もっと現実的で安定重視のものだ。この現実策の萌芽がこれから育っていくかどうかが注目点だ。

 イスラエルをめぐる情勢は、日本から遠い中東の話なので人々の関心を引きにくい。だが、イスラエル系の在米圧力団体は、米政界に絶大な影響を持つので、米イスラエル関係の変化は、米国の世界戦略の変化につながり、対米従属のみが外交戦略である日本に、間接的に大きな影響を与える。イスラエル系の圧力団体は、米国の戦略を、世界のことに積極関与する国際主義や覇権主義の方向に引っ張ってきた。米イスラエル関係が疎遠になると、米国は国際主義や覇権重視の方向性が弱くなり、孤立主義が表面に出てくる。これは、米国が日本を軽視し、日本が対米従属の国是を続けにくくなる方向だ。



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