人権抑圧策を強める米国2011年12月14日 田中 宇12月1日、米国の議会上院が、来年度分の「国防権限法」(NDAA)を可決した。この法律は毎年、国防総省の予算枠や、それに付帯する政策を決定するものだ。下院はすでに5月に通過しており、あとはオバマ大統領が署名すれば法制化される。 (Portrait of a Police State?) 今回の国防権限法には、米当局が、テロに荷担していると疑われる人々を、裁判所の逮捕令状なしに逮捕し、裁判や弁護士接見を認めることなく、必要がなくなるまで無期限に勾留できる条項が含まれている。対象からは、米国民と米国に合法的に在住する外国人が除外されているが、国防長官が議会に事情を説明すれば、米国民や米国在住者も逮捕・無期限勾留できる。 (S. 1867 Subtitle Detainee Matters(359ページから)) 新法における無期限勾留の対象は、アルカイダやタリバンの支持者や、911テロ事件に関与した者とされており、いわゆる「イスラム過激派」以外の人々は対象外だ。この点は、911以来の米国の政策から逸脱していない。 しかしオバマ政権は12月9日、米国内におけるテロの脅威に対処する新政策を発表し、そこにはイスラム過激派と無関係な、ギャングによる暴力、性に関する暴力、職場での暴力などが、テロとして対処すべき対象として盛り込まれている。どこのコミュニティにもありそうな暴力沙汰が、アルカイダと同罪のテロとして扱われうる。今後の米国では、ウォール街占拠運動のデモに参加した市民とか、夫婦喧嘩で妻を殴った夫、職場で解雇され暴れた若者などが「テロリスト」として逮捕され、裁判も受けられないまま無期限勾留されるといった構図がありうる。 (White House unleashes new terrorism propaganda campaign) この新政策をめぐっては当初、テロの脅威を与えそうな勢力として「イスラム過激派」が明記されていたが、大統領府(ホワイトハウス)が反対したので削除されたと、法案を作った上院議員たちが指摘している。オバマは「イスラムを敵視しない」と宣言する中東政策を展開しており、その関係で削除したと考えられる。共和党側は「イスラム過激派を対象から外したことで、アルカイダやタリバンと戦うという政策の焦点がぼけてしまった」とオバマを非難している。この非難は当を得ている。 国防権限法案の策定主導者の一人である民主党のカール・レービン上院議員(軍事委員長)によると、大統領府は、国防権限法案の中の、米国民を対象にしないと明記した条項を削除するよう求めてきたという。オバマは、上院が法案の改訂に応じないなら署名を拒否して拒否権を発動し、法制化を阻止すると言っている。オバマは、法案が成立すると米当局のテロ捜査がやりにくくなると主張しているが、具体的に法案のどの部分に不満なのか明言していない。レービンの指摘が正しいなら、軍産複合体寄りの共和党に劣らず、オバマ自身も、米国民の人権を剥奪するのに熱心だということになる。 (Obama insists on indefinite detention of Americans) ▼911以来の軍事独裁の強化 米政府は01年の911以来、有事体制を活用し、テロ対策の名目で、米国民の人権を抑圧する政策を強化している。911直後に立法された「愛国者法」(Patriot Act)は、外国人のテロ容疑者に対する裁判なしの無期限勾留を認めるともに、米国民の電話やメール、預金残高などの個人情報を裁判所の令状なしに、米当局がテロ捜査の名目で傍受や取得できるようにした。 その後、07年度の国防権限法で、南北戦争後に米軍の米国内での軍事行動を禁止した法律(Posse Comitatus Act)などを改訂し、米軍が米国内で軍事行動できるようにした。同時に、テロ容疑者に対する人身保護法の適用を廃止した。911以来の一連の改訂は、米政府内で国防総省(米軍)の権限を拡大し、CIAやFBIなど、その他の諜報・捜査部門を弱体化しており、隠然とした「軍部台頭」「軍事独裁化」である。 (Obama's Most Fateful Decision) 愛国者法や07年度の国防権限法は、前ブッシュ政権の時代だ。「ブッシュは911事件で人権意識が麻痺してしまい、人権無視の国内政策を進めたが、オバマはまともなので人権侵害などしない」というのが、日米でよく言われてきた「解説」だ。だが、今回の展開を見ると、911を口実にしたブッシュの人権侵害の国内政策を、オバマもしっかり継承している。今回の国防権限法は、テロ容疑者に対する捜査尋問の執行を国防総省に一本化する内容であり、国防総省がFBIやCIAの権限を奪うかたちになっている。この点も、オバマはブッシュ政権を踏襲している。FBIはCIAは、今回の法案に反対を表明している。 (Obama should veto the Defense authorization bill) もしアルカイダやタリバンが、米国にとって本当に大きな脅威であり続けているのなら、国民の人権を侵害しても取り締まるのが、妥当な選択肢の一つになる。だが、アルカイダもタリバンも、米国にとって大した脅威でない。アルカイダは、もともと存在しているかどうか怪しい組織で、米国がテロ戦争を「第2冷戦」的な長期の覇権体制にするための「敵」として誇張されてきた。タリバンは、アフガニスタンをイスラム主義の国に統合することを目指すナショナリストの武装勢力だ。米国がアフガンを侵略しなければ、タリバンは米国を敵視せず、むしろ米国との国交正常化を希望する(911前がそうだった)。 (アルカイダは諜報機関の作りもの) 911後のテロ戦争は、米国にとって、ユーラシアに軍事関与して世界に対する影響力(覇権)を維持する長期戦略の復活を意味していた。この長期戦略は、冷戦終結でいったん終わったが、911を機に、ソ連の代わりにイスラム過激派を敵とし、世界各国の諜報体制に米国が介入できるテロ戦争の体制に衣替えして復活した。しかしその後、イラクとアフガンの占領失敗、中東全域の反米イスラム主義の席巻によって、テロ戦争による世界支配の戦略は崩壊した。オバマがイスラム主義に対する敵視をやめ、イラクもアフガンも撤退するのは、覇権戦略としてのテロ戦争が失敗して終わりに向かっていることを示している。 アルカイダやタリバンが実際の脅威でなくとも、彼らを敵視することで米国の世界支配が強化できるなら、まだ理解できる。今回の国防権限法のようなテロ戦争関係の法律が出てくるのは、有事体制のねつ造であるものの、国家戦略として古今東西よくあることだ。 しかし、オバマは外交面で、テロ戦争の構図を使って世界支配を強化するのを、すでにやめている。ブッシュ政権はアフガンへの恒久駐留を目指したが、オバマ政権は14年にアフガンから軍事撤退する政策だ。ブッシュはイスラムを敵視したが、オバマはイスラムとの融和を繰り返し宣言している。 ▼米国はもっと悪くなった後に復活する 米国は外交面で、テロ戦争の構図を世界戦略として使うのをやめている。それなのに国内政策の面では、テロ戦争の有事ねつ造型の構図をむしろ強化していることが、今回の国防権限法に盛り込まれた無期限勾留の政策から読みとれる。アルカイダは脅威でなく、脅威をねつ造する世界戦略も失敗してやめているのに、米政界は、まだアルカイダの脅威をねつ造して米国民を無期限勾留できる新法を強化している。なぜ、こんなことをするのか。 一つの可能性としてあるのは、米当局内の権限争いだ。国防総省がCIAやFBIから権限を奪うことが、911以来続いており、有力議員らがこの動きを支持している。米当局内では、メキシコの麻薬組織を扇動・強化し、メキシコをパキスタン的な「失敗国家」におとしめ、米墨国境を越えて米国に不安定な事態を拡大させ、米軍が米国内で軍事行動する事態を作ることで、国防総省の権限をさらに拡大しようとする動きすらある。 (Drug-Related Mexican Violence Soars, As US Policy Bolsters Cartels) (U.S. intervention in Mexico will make things worse) (US government openly admits arming Mexican drug gangs with 30,000 firearms - but why?) (12月15日追記:オバマはNDAAに対する拒否権発動の脅しを引っ込めた。米議会が法案の条文の中に、FBIなど国防総省以外の文民当局によるテロ捜査を、この法律が妨害するものでないと明言する条項を入れたためだった。やはり米議会は、FBIやCIAの権限をないがしろにしても国防総省の権限を拡大しようとする傾向を持ち、ホワイトハウスはそれを嫌って拒否権をちらつかせたのだと考えられる)(White House drops veto threat on defense bill) この場合、軍産複合体は、米国の安定より国防総省の権限強化を優先していることになる。もしくは、米国の中東戦略が軍産複合体(タカ派、ネオコン)の過剰策によってイスラム主義の席巻を招いて失敗したように、国内政策でも過剰策を展開した末に自滅的な失敗に至り、米国以外の諸大国(中露など)の台頭を招く「隠れ多極主義」が発動されているのかもしれない。 もう一つ考えられることは、米当局が米国内の人権や言論を抑圧しなかったら、米国内の反政府運動がもっと強くなり、60−70年代のベトナム反戦運動の席巻のような事態になっていた可能性だ。今の米国は、実体経済の悪化が続き、実質的な失業者が増加し、ローン破綻で家を失う人も増えている。だが米国では、庶民の不満が爆発して暴動が起きるといった事態に、ほとんどなっていない。英仏では移民の暴動が起きているが、それに比べて米国は安定している。この背景に、911以来の米国内でのマスコミ統制や、テロ対策を口実とした治安維持強化などの、ねつ造型有事体制があるのかもしれない。 今に比べると、911以前の米国は、とてもうまくいっていた。財政赤字はなく、ドルの覇権は揺るぎなく、覇権国として世界的に尊敬を集めていた。貧富格差も今より少なく、市民は旺盛に消費していた。あれから10年余がすぎた今、米国は経済的にも外交的にも明らかに凋落している。イラク戦争や金融政策における、度重なる重過失的な失策の結果である。 これを単純な過失の連続とみるか、未必の故意的な重過失とみるか、意見が分かれるだろう(私自身は、米国上層部の人々の有能さから考えて、未必の故意だろうと思っている)。だが、言論が抑制され、失策が隠蔽され続ける米国の国家体制が今後も続くことが、今回の国防権限法から読みとれる以上、米国が経済、社会、外交面で強さを回復していく見通しは、今のところ見えない。米国の衰退は、今後も続くだろう。 私は、ものごとを本質的に考えようとする米国の国民性が好き(官僚独裁によって表層的にしか考えないよう訓練されてしまった戦後日本の国民性が嫌い)なので、米国がひどい国になっていくのは残念だ。しかし同時に、このひどい状態を経て、世界の体制が多極化していき、米国は、背負わされていた単独覇権を放棄した後、ラディカルで人間味にあふれる本来の姿に戻り、尊敬される西半球の国として復活すると、私は予測している。
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