ユーロ危機対策めぐる裏の暗闘2011年10月29日 田中 宇EUのユーロ圏諸国は、10月26日にギリシャ救済策を決めた。ギリシャ国債を保有する民間銀行に半額分を放棄してもらってギリシャ政府の財政赤字負担を減らすことや、救済用の安定化基金(EFSF)の増額などを盛り込んだ。ドイツを中心とする各国政府ばかりがギリシャ救済の損をかぶるのでなく、民間銀行にも損を負担させるべきだというのは、ドイツ議会などの強い意見だ。 (Hard line adopted on Greek debt loss) EU当局が、民間銀行にギリシャの損をかぶれと命じて強制的に損切りさせると、それはギリシャ政府の債務不履行と同じことだと債券格付け機関からみなされ、ギリシャ国債がデフォルト格に下げられてしまう。だが今回のEUの決定は、民間銀行が「自発的に」ギリシャ国債の保有額の半分を放棄するもので、デフォルト扱いされずにすむ。民間の銀行が喜んで損をかぶるはずがない。債権放棄は、独仏など各国政府からの無言の圧力を受けた結果なのだが、それを銀行界の自発的な行為としたところが要点だ。 (Kabuki Theater Comes to Greece: The `Voluntary' Debt Haircut) ギリシャ国債に対する民間銀行の債権放棄の比率は、今年7月のEU合意では21%だった。それが今回50%に増えた。ギリシャの国債償還の負担は1000億ユーロ削減される。その見返りにユーロ圏諸国は全体として、民間銀行に1000億ユーロの資本増強を行う。 (Euro zone strikes deal on second Greek package) 救済基金(EFSF)の増額は、ユーロ圏諸国自身が新たな資金を出すのでなく、ギリシャなどのユーロ圏の弱い国々の国債を買ってくれるEU外の政府系金融機関に対し、EFSFがその国債の債務保証を行う方法で救済を行う。EFSFは今年7月に4400億ユーロの資金として設立されたが、これまでにギリシャやポルトガルを救済したので、残高が2900億ユーロに減っている。EFSFは、中国やブラジル、日本などに総額1兆ユーロ以上のユーロ圏国債を買ってもらい、そこに債務保証を行う予定だ。ユーロ圏の高官が、日本や中国に、協力してくれとさかんに要請している。2900億ユーロの元手で1兆ユーロ以上を債務保証するので、4-5倍のレバレッジ(借り入れ倍率)となる。 (Sarkozy Said to Plan Plea to China for EU Fund) ▼救済策の裏にEU統合推進 今回のユーロ救済策は、ユーロ圏諸国に資金的な余裕がない中で、民間銀行を巻き込むとともにEFSFを増額するという目標を達しており、うまくできた救済策だ。特にユーロ圏の中心であるドイツにとって、国内の政界や民意が新たな資金を出すことに強く反対したり、民間銀行にも損をかぶらせろと求める中で、それらの要求に沿いつつ、ギリシャ救済に必要な策をとっており、独メルケル首相の手腕が生きるものとなった。英米は、ドイツなどが巨額の公金を投入してEFSFを増強するやり方を求めたが、メルケルはそれを拒否し、むしろ長い時間をかけてEUの財政統合を進めたり、ユーロ圏諸国の財政赤字体質を改めていく方策をとった。 (Merkel's mantra works without `big bazooka') ユーロが危機を脱するには、EUの財政統合を進めることが不可欠だ。統合が進んでいない現状では、米英の投機筋がユーロ圏内で財政基盤が弱いギリシャやポルトガル、イタリアなどの国債市場を攻撃して財政崩壊を引き起こすユーロつぶしを画策できる構造が残るからだ。今回の救済策には、財政統合に向けた道筋がつけられている。今回の救済策が決められていく議論の中で、EUの大統領にあたるファンロンパイが、ドイツの意を受け、EUに統合された財務省を作り、フランクフルトかパリに設置する構想を表明している。EUはすでに統合された外務省を持っており、次は財務省を作ろうというものだ。これはEUの政治統合の一部門である財政統合を意味する。 (New euro 'empire' plot by Brussels) EUが政治統合で強くなることに脅威を感じる英国は強く反発し「独仏がEUを乗っ取ろうとしている」という論調が噴出した。英国は、ドイツの影響力の拡大を恐れるスウェーデンやポーランドを支持を取り付け、裏にEU政治統合の画策が隠されている今回の救済策に難癖をつけて妨害した。フランスのサルコジは、英国のキャメロンに「ユーロを使っていない英国が、ユーロのことに首を突っ込んでくるな」と怒鳴ったという。 (Nicolas Sarkozy tells David Cameron: 'We're sick of you telling us what to do') ドイツ政府はEUの財政統合や政治統合を進めたいが、ドイツ国内には国権の一部放棄につながる財政統合に反対する声が大きい。メルケルはユーロ救済策に関するドイツ議会での演説で、財政統合についてまったく触れなかった。EUの政治統合は、こっそり進められている。 (Europe's grand gamble risks failure without ECB) 独仏は「トービン税」の導入も進めている。トービン税は、金融取引に微量の税率の税金を課すもので、独仏はこれを、これから作るEU財務省の独自財源にしようとしている。従来のEUは、加盟国が個別に国内課税や国債発行などによって政府財源を確保する構図で、EU自体は何も財源を持っていない。EUがトービン課税を行って独自財源を持つことは、政治統合への道として画期的だ。 (Bring On the Tobin Tax - But Only After Making This One Key Fix) しかもEU当局は、トービン課税の基盤となる金融取引を把握する口実で、投機筋によるデリバティブ取引など、ユーロを金融面から破壊しようとする動きに関する情報収集ができる。従来、デリバティブは情報公開の必要が全くなく、投機筋は好き勝手に攻撃ができたが、今後はEU当局に抑止されるようになる。当然ながら英国は、EUのトービン税導入に猛反対している。 (Exclusive: City Warns Osborne On Tobin Tax) トービン税は、国連の財源として導入することも構想されてきた。金融市場は世界的につながっているので、金融取引課税は世界的にやらないと具合が悪い。EUがトービン税を導入して成功したら、いずれ課税は世界規模になり、国連など世界機関の財源になるだろう。 (◆EUでトービン税導入の計画) 先日、意外な方面から、そのことを支持する勢力が出てきた。カトリック教会の総本山であるバチカン(ローマ教皇庁)だ。バチカンの高位の聖職者でつくる「カトリック正義と平和協議会」は10月24日、欧米など世界的な金融危機の解決のために「世界政府」や「世界中央銀行」を新設し、トービン税を新組織の財源にすべきだと提唱した。国連やIMF、G20といった既存機関が金融危機を解決できていないので、新機関が必要だと主張している。 (Vatican joins calls for crackdown on financial markets) 国際金融界が利益追求に走った挙げ句に金融危機を引き起こした結果、世界的に人々の貧富格差が広がり、貧しい人々の生活が打撃を受けている。バチカンはこの事態を看過できず、金融のあり方を人間中心に転換させる強い国際機関の新設を提起した。EUの金融危機対策と同期して発表されたバチカンの提案は、EUの財政統合を陰に支持するとともに、「ウォール街占拠」など米国の市民運動の金融界に対する非難に同調する内容となっている。 (Vatican's economic statement will be way to the left of Wall Street financiers) バチカンは冷戦終結の前からときおり、貧困救済を名目に、国連の強化や世界政府の樹立を呼びかけてきた「新世界秩序」の支持者である。世界政府は、米国の単独覇権と対立する概念であり、バチカンやその他の新世界秩序の支持者たちは、隠れ多極主義者である。新世界秩序は多くの場合、米単独覇権の強化策であると見なされるが、私からみるとその見方は間違いで、米単独覇権をやりすぎて自滅させるネオコン的な戦略にだまされている。 ▼ユーロ救済策を悪し様に言う ここまで書いてきたように、私から見ると今回のユーロ救済策は、わりと良くできている。しかし、世界的に大きな影響力を持つ米英マスコミでは、今回の救済策が、ろくなものでないと書かれている。「ドイツが自国のやりたいことを勝手にぜんぶ盛り込んだだけで、具体策が未決のままだ」と指摘されている。 (Why the summit to end all summits solves nothing) 「救済策は、短期的な効果しか持たない。2013年以降について、何も決まっていない」という指摘もある。1年以上先のことなど誰もわからないので、13年以降の救済策を今決める必要は低いのに、13年以降のことが決まっていないので、この救済策は潰れるという論調だ。 (Euphoria fades in the cold light of day) 「今後のEUは、07年のサブプライム危機から08年のリーマンショックにかけての時期の米国に似た状態になるだろう。いずれ大きな危機に陥るとわかっていながら、それが回避されるのでないかとの楽観的な見通しを投資家が信じ、株価は上がる」と言う予測も出た。実際には、07年から08年にかけて、米英マスコミの多くは「いずれ大きな危機がくる」との指摘などせず、逆に「危機は去りつつある。株が上がって当然だ」と書いていた。昔の様子を意図的に間違ってとらえることで、今の状況に関する分析を歪曲するのは、詭弁の手口の一つだ。 (European Crisis Postponed; Investors Face Momentous Decision) マスコミだけでなく、英国の中央銀行総裁も「今回の救済策は短期的な効果しかなく、単なる時間稼ぎであり、長期的に必ず失敗する」と表明した。ユーロ圏が立ち直り、EUが財政統合を進めると、英国は孤立するか、国権を放棄してユーロへの統合を加速するかの二者択一を迫られる。 (Bank of England governor Mervyn King says euro fix is just buying time) 逆に、ユーロ圏が自己救済に失敗して崩壊していくと、米英が救われるかといえば、そうでもない。米国の銀行は、フランスやギリシャなど欧州各国の金融機関と密接な取引をしている。ユーロが崩壊し、欧州の大手銀行がいくつも破綻すると、米国の金融界も甚大な被害を受け、リーマンブラザーズの倒産以上の危機に陥ると予測されている。日本など欧米以外の国々への悪影響も、ユーロ自体の崩壊より、連鎖的な米金融界の崩壊の方がずっと大きくなる。 (The European Debt Crisis: The Creditors are America's "Too Big to Fail" Wall Street Banksters) (Behind Europe's Debt Crisis Lurks Another Giant Bailout Of Wall Street Banks) ▼悪く言われるほどEU統合が促進される 今回のユーロ救済策が実際よりも悪いもの、欠陥の多いものとして描かれる傾向が強い理由は、米英がドル危機を隠すためにユーロ危機を扇動している要素が強い。だが、それだけではない。ユーロ圏の諸国自身が、危機対策がうまく行っていないかのように見せようとしている観がある。 (Europe forced into second summit) 独仏は、救済策をめぐって激しく対立したとされ、ユーロ圏の首脳会議が10月23日に開かれたが何も決まらず、26日に再度首脳会議を開いてようやく救済策が決まった。23日の首脳会議の直前、メルケルとサルコジの独仏首脳会談が緊急に開かれたが、その後の記者会見や声明発表などが何も行われず、マスコミは「何も発表がないということは、独仏の意見の対立が非常に深刻だということだ」と判断して大々的に報道した。 (Crunch Time for Franco-German Relations) EUの意思決定で最も大事なことは、独仏の協調関係だ。独仏の仲が悪いと市場が判断したら、それ自体がユーロの危機になる。だから、たとえ密室内の独仏首脳会談の現場でメルケルとサルコジが怒鳴りあっても、部屋から出たらニコニコと仲良くして、たとえ空文でも前向きな共同声明を出すのが必須だ。しかし実際には、サルコジがメルケルと非難の応酬をしたとサルコジの側近がマスコミに漏らしてしまうなど、まるで要領が悪かった。これは、意図的に行われた感じがする。 (Eurozone summit - despair and backbiting in the corridors of power) 独仏が、自分たちが対立してユーロ救済策が決まらない状態を意図的に演出する利得があるのか。私から見ると、それは、ある。EU加盟各国の国権の一部を剥奪してEUに集中させる財政統合や、その先にある政治統合は、平時に各国の議会に議論させても、ほとんど支持されない。政府財政を審議して決める権限は、国家の議会が持つ重要な権限の一つだ。各国議会が、それを喜んで手放すはずがない。平時にやれないなら、有事にどさくさ紛れに進めるしかない。財政統合が究極の解決策であるユーロ危機は、格好の有事だ。EUは、わざと自分たちを追い込んだ方が、財政を含む政治統合を推進できる。 独仏が協調できない演出をして、危機が高まるほど「来週の首脳会議で財政統合を決めないとユーロは崩壊だ」「各国が財政統合を承認するしか解決の道がない」と言って、独仏政府が自国の議会を含む各国を説得できる有事の状況になる。実際、イタリアでは、この有事的などさくさにまぎれ、財政緊縮の柱となる、公的年金の支給年齢を引き上げる決定が連立与党内で行われている。年金支給年齢の引き上げは、EUがイタリア支援の条件として出していたことだった。 (Berlusconi Cuts a Deal On Pension Overhaul) 絶体絶命劇にはIMFも参加していた。IMFのラガルド専務理事(フランス前財務相)は、土壇場になって「IMFは、次のギリシャ救済に金を出しません」と言い出し、EU自身が資金を出さねばならない状況に追い込んだ。IMFの中でも、中国やブラジルなど新興諸国は、ユーロ救済に資金協力する姿勢を見せていた。だが米国、日本、カナダ、そしてドイツ自身は、IMFが金を出さなくてもEU自身で救済できると主張し、EUを自己救済の方向に押し出した。IMFが金を出さなかったのは、独仏の演出の一環でないかと疑われる。IMF Powers Resist Talk Of Rescuing Euro Zone この先、おそらく今年いっばいから来年にかけて、ユーロ圏の混乱が続くだろう。しかし、それを乗り切れば、EUの財政統合が具体化してきて、ユーロ圏は混乱から卒業し、EU統合の加速で安定化を実現していける。EUやユーロの未来は意外と明るいと、私は以前から予測している。
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