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第5章:金融覇権をめぐる攻防

2011年9月19日   田中 宇

これは「新刊本・第4章:歴史各論」の続きです。

★タックスヘイブンを使った世界支配とその終焉

 英国人のジャーナリストにニコラス・シャクソン(Nicholas Shaxson)という人がいる。彼は、英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)の研究員で、チャタムハウスの兄弟機関である米国の外交問題研究会(CFR)が発行するフォーリン・アフェアーズの論文執筆者でもある。チャタムハウスとCFRは、米英中枢のために世界戦略を考える組織だ。シャクソンは、米英中枢から一目置かれる存在といえる。

 だが、シャクソンが調べて書いていることは、米英の世界戦略を批判する、米英中枢にとって過激な内容だ。彼は以前、西アフリカ諸国の石油利権を米国がどうあさっているかを描き、石油収入を得たアフリカの産油国が豊かにならず、権力者の腐敗や内戦、国民の貧困がひどくなる構造を、石油利権をあさる米欧がアフリカに植え付けていることを批判していた。そして彼は今、米英の金融界が大きな利益をあげているタックスヘイブン(租税回避地)について「世界にとって有害な存在だ」と攻撃する論文や本を相次いで書いている。 (The truth about tax havens

 シャクソンによると、タックスヘイブンが世界にとって有害である理由は、脱税(節税)を可能にするからくりであるという点にとどまらない。タックスヘイブンを使えるのは、資金を国際展開できる大企業や大金持ちの投資家、有力な政治家など一握りの人々であり、彼らがタックスヘイブンを利用して税金を少ししか払わないことが、米英などの貧富格差の増大につながっている。米国の所得税率の上限は35%だが、大金持ちの実質的な所得税率は10%以下だろう。公表されている数字でも、様々な減税措置の結果、米国で最も大金持ちの400人の実質的な平均税率は17%でしかなく、これにはタックスヘイブンに流れた所得が勘案されていない。

 アフリカの人々や政府、企業が持つ資産総額は、アフリカが世界から借りている負債総額をはるかに上回っており、アフリカは本来的に「黒字大国」だ。しかしアフリカの資産の大半は、各国の権力者などが私物化してタックスヘイブンに隠しており、その結果、アフリカは多重債務国の集合体になっている。このような本質は、世界のほとんどの人々の目から隠されている。欧州を困窮させているギリシャなどユーロ圏周縁諸国の国債危機も、タックスヘイブンから流入した後、激しく流出した資金が元凶だ。ギリシャに流入した資金の多くは、ルクセンブルグ、英領バージン諸島、アイルランドといったタックスヘイブンを経由しており、資金の流れを統制するのが困難になっている。

 このように、世界にとってタックスヘイブンが有害なのは、そこに巨額の資金が秘匿されることで、金に絡んだ世界の問題の本質を見えにくくしているからだとシャクソンは書いている。タックスヘイブンが存在しなければ、米国の財政赤字問題やアフリカの貧困問題、ユーロ圏の金融危機といった世界的な大問題が、完全といわないまでも、かなり解決される。

 シャクソンによると、タックスヘイブン(オフショア金融拠点)に蓄積される資金は、英米が金融を自由化した1985年から爆発的に拡大した。今では、世界の金融資産の半分以上、多国籍企業による投資金の3分の1がタックスヘイブンにある。米国に近い英領のケイマン諸島は、世界第5位の金融拠点で、世界のヘッジファンドの4分の3以上が登記し、ニューヨークの銀行口座の総額の4倍にあたる1・9兆ドルの資金がたまっている。

 タックスヘイブンには、英国系のもの(英仏海峡のジャージー島など英王室属領、カリブ海のケイマン、バミューダ諸島など英国海外領地、アイルランド、ドバイ、香港など旧英国領の3種類に、さらに分類される)、欧州大陸系のもの(スイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、モナコ)、その他のもの(パナマ、ガボン、ガーナなど)という3系列があるが、その中で最も大きな影響力と組織力を持っているのは英国系のものだ。

 英国系のタックスヘイブンが強力な理由は、それが大英帝国が持っていた世界に対する影響力を維持するシステムを目指す、英国の隠れた国策として行われているからだとシャクソンは言う。英国は2度の大戦に勝ったものの戦争で国力を使い果たし、第2次大戦直後、ほとんど国家破産の状態だった。英国は国力復活のため、米国政府による厳しい金融規制に縛られていた米金融界(ウォール街)の資金をロンドンの金融界(シティ)に流入させて運用して儲けられるよう、1950年代にロンドンをオフショア金融市場として機能させた。

 その後この戦略は洗練され、1960年代末に英国は、世界に対する植民地支配を全廃していったのを機に、英仏海峡やカリブ海、アジア地域にある自国の領土や旧植民地を、オフショア金融の拠点(タックスヘイブン)として機能する衣替えを行った。これにより、ロンドン金融街の代わりに、世界各地に点在する旧英国領が、米国など各地から集めて運用し、英国の金融の儲けを維持拡大する機能を果たすようになった。

(英政府がケイマン諸島の議会に信託法を制定させてタックスヘイブン化を開始した1967年は、英国が「スエズ以東」のアジア地域から軍事政治的に総撤退することを決め、その対策としてイスラエルが第三次中東戦争を起こしてアラブ地域を占領した年でもある)

 ロンドンのシティがタックスヘイブンのままだと、英国政府は、米国など資金を吸い取られる側の諸国から苦情を言われ、タックスヘイブンで儲ける戦略をやめねばならなくなるが、英国の旧植民地は60年代末以降、法的に英国政府と直接関係ない存在になっており、英国政府は「すでにわが国と関係ない地域なので、わが国としてはどうしようもありません」としらを切れる。英仏海峡の英属領は欧州大陸やアフリカから、カリブ海の英領は米国や中南米から、ドバイやシンガポール、香港などの旧英領はアジアからの資金流入を誘導した。

 英国の帝国運営は昔から、意図的に法的な曖昧を維持する策略をとっている。ジャージー島、ガーンジー島、マン島といった英国周辺の海域にある英王室属領は法的に英国の外にあるし、ケイマン、バミューダ、バージン諸島、タークス・カイコス諸島、ジブラルタルといった英国の海外領土は、行政長官(総督、弁務官)が英政府の任命だが、立法議会など自治組織があり、法的に英国と別な存在になっている。これらのタックスヘイブンは、経済的に英金融界と強くつながり、地元議会の議員のほとんどは英金融界の代理人である。

 英国が植民地のネットワークをタックスヘイブン網に衣替えしていくに際しては、69年から71年にかけて、英政府内で賛成反対の議論があった。中央銀行(イングランド銀行)は金融界の儲けが増えるので賛成だったが、英財務省など財務当局は属領から来る税収が減るので反対した。英外務省は曖昧な態度をとり、最終的に賛成派が勝った。

 英国がタックスヘイブンの国際網を形成し、世界から資金を吸い上げ始めた同時期の1971年に、米政府が金ドル交換停止を決め(ニクソンショック)ドルの金本位制が崩れた。その後、世界の通貨体制はG5やG7による先進諸国の協調介入による為替安定策に転換した。私が見るところ、これにもタックスヘイブンが関与している。タックスヘイブンにある巨額資金を英金融界などが動かすことで、一般の人々に手法を知られぬまま、為替相場を隠然と動かすことができる。タックスヘイブン網にある資金が増えると、G7諸国による政府介入すら不必要になる。

 1985年には米国が英国と一緒に金融自由化を開始し、それまで厳しい金融規制が特徴だった米国自身が、英国のタックスヘイブン網を活用して儲けることを是認し始めた。これは70年代以降、米国の製造業が日独などに抜かれて衰退し、米経済の活路が金融サービス業しかなくなったことと関係していると思われる。英国系タックスヘイブンのジャージー島に流れ込むアフリカの独裁者たちの資金が急増したのは85年からだったと、シャクソンが書いている。金融自由化は、タックスヘイブンの公然化だった。

 その後、米国を中心に90年代の金融的な乱痴気騒ぎが始まり、デリバティブなど当局すら実態を把握できない債券金融(影の金融システム)が拡大し、米国自身の内部で巨大なタックスヘイブン(当局が実態把握できず、課税できない金融市場)が急拡大し、課税不能な債券金融界の資金総額が、課税可能な旧来の銀行界を超えるまでになった。

 全世界がタックスヘイブン化するかに見える中、そのバブルは07年のサブプライム金融危機を皮切りに崩壊し始め、08年のリーマンショックを引き起こした。その後も債券金融システムは崩壊過程にあり、ドルや米国債の崩壊感が強まっている。BRICの5カ国はドル忌避を強め、ドルの代わりに5カ国の相互通貨で貿易決済する体制を強化することに決めた。タックスヘイブン網と、その進化系である米中心の影の銀行システム(債券金融)は、ドルや米国債など世界金融の全体を巻き込んで、崩壊していこうとしている。

 シャクソンは書いていないが、私が見るところ、英国(英米)のタックスヘイブン網には、英米にとって脅威になりそうな国々を金融的に潰す「金融兵器」としての機能がある。タックスヘイブンから新興諸国に資金を大量に流入(投資)させ、バブルを拡大してから急に潰すことで、その国に大打撃を与えられる。90年代以降、メキシコ、東南アジア、韓国、ユーロ圏周縁諸国などが、その被害にあっている。英米にはジョージ・ソロスのように反英的な人もおり、英国がソロスら投機筋に振り回され、ポンドを暴落させられたこともある。金融兵器の操縦桿をめぐる暗闘がある感じだ。

 タックスヘイブンの中には、英国の息がかかっていないものもある。たとえばスイスだ。第一次大戦後、欧州諸国が戦後復興のためこぞって増税した時、スイスは永世中立国だったがゆえに戦火に遭わず、復興も必要なかったため増税しなかったことから、周辺諸国より税率が安く、諸国から資金が集まり、それ以来タックスヘイブンとして機能している。スイスは、社会主義者やナチスなど、英国の脅威となる勢力の資金をも受け入れ、英国がタックスヘイブン戦略を強化した80年代以降「ナチスの資金を隠匿したスイスはユダヤ人に巨額資金を賠償し、情報公開してタックスヘイブンをやめるべきだ」と圧力をかけられた。スイス側は「タックスヘイブンとしては君たちの方が悪質だよ」と英国系勢力に言い返している。(タックスヘイブンが隠然とした「金融兵器」であるのと似て、ホロコーストは英米イスラエルの脅威となる勢力を無力化する「倫理兵器」である)

 北朝鮮の金正日一家は、資金の運用先や師弟の留学先としてスイスを愛用しているが、これはスイスが伝統的に英国の逆張りとして社会主義勢力の資金を受け入れていた歴史と関係しているかもしれない。スイスは英国の逆張りとして機能しているが、英国の方が、より隠然と(つまり狡猾に)大規模に(スイスは一国だけだが英国は世界各地に属領の島がある)タックスヘイブンを運営している。

 タックスヘイブンは英米関係の裏舞台でもある。南北戦争の時、英国はバハマ諸島を経由して南軍に資金援助した。1930年代以来、米国の犯罪組織がフロリダからキューバをつなぐ資金洗浄のルートを作った。キューバルートは1958年のキューバ革命後、一時的に消えていたが、英国は60年代末からそのルートを再利用し、英国のタックスヘイブンであるバハマやケイマンとフロリダをつなぐ資金洗浄ルートが再開された。フロリダはCIAの大拠点だ。70年代から米国が中南米で展開した「麻薬戦争」(麻薬撲滅の名目で中南米に介入した)も、この資金洗浄ルートが使われた。タックスヘイブンは、米英の諜報機関が外国で政権転覆や介入作戦をやる際の重要なネットワークでもある。

 タックスヘイブン網を使った英国の世界戦略の流れを知った後で再考すると、これまで「英国が作ったブレトンウッズ体制をぶち壊した反英的な転換」と私が考えていた71年のニクソンの金ドル交換停止も、実は英国によって誘発された転換だったのかもしれないと思えてくる。タックスヘイブン網という巨大な資金の隠し場所を得た以上、ドルの発行量を限定する金本位制は、むしろ英国にとって邪魔なものになる。米当局にドルをどんどん増刷させ、それがタックスヘイブンに流れ込むほど、英国が隠し持つ金融兵器は強大になる。

 半面、タックスヘイブンには「金融兵器」の側面とは別に、新興諸国に経済発展をもたらす資金源の機能もある。たとえば香港は、中国の経済発展のための資金源として長く機能してきた。70年代に中国の発展のための設計図を描いたトウ小平は「英国の手先」である香港を忌避せず、むしろ積極活用し、香港のとなりに新セン市を新設して「中国全土に香港を拡大する」戦略をとった。

 中国の共産党や中台の財界人は、華人の隠然ネットワークに似た使い勝手のタックスヘイブン網が大好きで、中国の国有企業はヘイブンに置いた企業で資金調達したり、海外企業に非公式に投資したりしている。中国はタックスヘイブンの凶暴性も知っており、人民元の為替を自由化したがらない。自由化するとヘイブンの投機筋が中国のバブルを拡大して潰す攻撃を仕掛けるだろうからだ。タックスヘイブン網の発展性と凶暴性は、私の以前からの推論である「資本と帝国の相克」とうり二つだ。タックスヘイブンからの資金で中国など新興諸国を発展させるのは資本の論理そのものだし、金融兵器で新興諸国を潰すのは帝国の論理そのものだ。

 60年代末に英国がタックスヘイブン網の世界戦略を開始してから85年に米国が英国の戦略に相乗りする時期には、資本と帝国の相克に関する重要な出来事がいくつも起きている。72年のニクソン訪中や71年の中華人民共和国の国連加盟(中華民国の追放)は、中国の台頭という資本家側の策略の基盤を作った。米国主導の89年の冷戦終結は86年ごろから画策されていたが、これも東側地域の経済発展を可能にする資本の論理に基づく戦略の感じだ。「帝国」の側としては、中露が台頭しても金融兵器で潰せると考え、ニクソンやレーガンら米国の行動を容認したのだろう。

 半面、今起きている巨大な金融崩壊を意図的なものとして考えると、85年に米国が英国製のタックスヘイブン戦略に積極的に乗って英米協調の金融自由化をやったのは、資本家の側が帝国の側を25年がかりで引っかけて潰す策略だったのかとも思えてくる。85年以降、米英の金融バブルはどんどん拡大し、90年代末から潜在的に不安定になってバブル拡大に拍車がかかり、07年からの崩壊に至っている。ミイラ取りがミイラになった感じで、金融バブルを拡大させた後に潰す金融兵器の手法の犠牲者に、米英自身がなっている。

 85年に米英の金融自由化が始まってから07年の崩壊開始まで30年近い歳月があるが、まさにその間に、中国は極貧国から経済大国へと変身し、ロシアやインドなどと合わせ、世界を米欧中心から多極型の政治経済の構造に転換することが可能になっている。これを米英資本勢力による「30年かけた多極化戦略」と見るかどうかが、もはやだれも否定できない現実として存在する多極化を「自然・偶然な流れ」と見るか「意図的な誘導」と見るかの違いとなる。

 シャクソンが、チャタムハウスやCFRといった英米中枢の研究機関の関係者であることも、意図的な感じを受ける。シャクソンは、タックスヘイブン網の創設は英国の国家戦略だったと書くとともに、タックスヘイブンの存在自体を非難し、タックスヘイブンで脱税(節税)している多国籍企業にもっと課税すべきだという米英の市民運動を加勢し、途上諸国が多国籍企業にうまく課税できる体制作りを手伝う国際市民運動(Tax Advisers Without Borders)まで作っている。

 シャクソンはタックスヘイブンの本質を暴露するとともに、その存在を潰す方向の市民運動に加勢している。これは英国の帝国的な国益を損なっているが、彼自身は英国の帝国的な国益を代表すると言われるチャタムハウスの関係者である。私は以前から、資本と帝国の相克が、米国と英国の潜在的な対立としてだけでなく、英国内部の論争や暗闘としても起きていると感じてきたが、シャクソンの動きからも、英国内部で資本と帝国の相克がある感じを受ける。米中関係の改善や金ドル交換停止をやったニクソンの戦略を立案し、今もドイツ訛りの高齢者の不明瞭な英語で「世界の中心はアジアに移る」とうわごとのように言うキッシンジャーが、ニクソン政権入りの前にCFRの研究員だったことにも通じるものがある。

 リーマンショック直後、米国が世界経済の中心的な意志決定機関をG7からG20に切り替えたが、これもタックスヘイブン網と関係がある転換だ。85年に創設(秘密協定の顕在化)されたG7は、タックスヘイブン網にある巨額資金を使って為替を安定化してドル基軸制を維持する英国主導の手法のお手伝いをする組織だった。対照的に多極型のG20は、当初からドル基軸制の崩壊後の世界体制を提案し、タックスヘイブンやヘッジファンドを規制・禁止する政策を打ち出している。

 G20の傘下に入ったIMFは、国際資金取引に課税するトービン税を、国連の財源として提案しているが、トービン税の課税は前提として、世界のあらゆる国際金融取引をIMFが監督する体制を必須であり、タックスヘイブンの秘密性を破壊して情報公開させる意味を持つ。G20と国連は相互補完的に、多極型の世界の上に立つ「世界政府」として機能する戦略を持っており、IMFは世界政府の財務省として位置づけられ、トービン税は世界初の国際課税となる。

 G20やIMFのタックスヘイブン規制は今のところ実現していないが、大きな流れの方向は、タックスヘイブンは規制・禁止され、英米覇権やドル・米国債は崩壊し、BRICの台頭が続いて、世界の覇権体制は多極化していく。その一環として、シャクソンによってタックスヘイブン網という英国の覇権の本質が暴露され、同時にS&Pの米国債格下げや金地金相場の史上最高値更新など、いよいよドルや米国債の崩壊感が強まっている。

★ロン・ポールが連銀をつぶす日

 ロン・ポールは、米国のリバタリアン系の下院議員である。リバタリアンは、国家(政府)の機能は秩序を保てる最小限にとどめ、個人の自由を最大限に尊重すべきだという考え方だ。リバタリアンの直訳的な意味は「自由主義」だが、日本語の自由主義は、むしろ「リベラル」「リベラリズム」の訳語である。

 リベラルとリバタンアンは、政府が個人の自由を尊重すべきだという点では同じだが、リベラルは戦後、個人の自由を尊重する社会体制を国家が作るべきだと考える志向を強め、国民に最低限の生活を保障する社会福祉や、政府(米国)はソ連など外国の独裁政権を転覆する努力をすべきだという冷戦的な考えへと変化した。リベラルは事実上「大きな政府」を支持する方に回っている。

 リバタリアンはもっと純粋かつしつこく(ラディカルに)、個人の自由を尊重するには政府の機能ができるだけ小さい方が良いとこだわり続け「小さな政府」を求めている。リベラルは「米政府は国際政治に積極関与し、圧政下の国民が各国国家を転覆する政治運動を支援するなどして、世界を良くしていくべきだ」と考える「国際主義」の傾向が強いが、リバタリアンは「米政府は世界に干渉しない方が良い」と主張し、いわゆる「孤立主義」の考え方をとっている。リバタリアンは、10年秋の中間選挙以後、共和党で台頭した新勢力「茶会派」の主要な考え方でもある。ポールは「茶会派のゴッドファーザー」と呼ばれている。

 ポールはリバタリアンらしく、個人の防衛権保持を理由とした銃規制への反対論や、中絶反対(彼は産科医でもある)、財政赤字の拡大反対などを主張してきた。だが今、彼の主張の中で、米国と世界にとって最も重要なのは、銃規制や中絶の問題ではなく、彼が「連銀(FRB)は存在しない方が良い」と考えていることだ。

 彼は2011年初め、米下院で連銀を監督する担当の小委員会(Financial Services Subcommittee on Domestic Monetary Policy and Technology 国内通貨政策・技術小委員会)の委員長に就任した。この小委員会は従来、事実上、記念通貨の発行を担当するだけの役目だった。だがポールは、失われていた小委員会の本来の役割である連銀に対する監督機能を復活させ、情報を出したがらない連銀に情報公開を強いる方針を決めた。これは連銀のバーナンキ議長にとって最悪の悪夢だとCNNは報じている。 (Bernanke's worst nightmare: Ron Paul

 ポールが「連銀は存在しない方が良い」と考え始めたのは、1971年にニクソン大統領が、それまでのドルの金本位制を壊す金ドル交換停止を発表したことによる。このニクソンショック後、ドルの発行総額は、米当局が持っている金地金の量によって決まるのではなく、連銀が政治状況を見ながら恣意的に決められるようになった。

 連銀が十分に情報公開されている組織なら、どのような意図でいくらのドルを発行したか、人々が知るところとなるが、連銀は、連邦議会に対してもほとんど情報公開しなかった。連銀が何をしているかは、米国の政府や議会ではなく、連銀と人脈的につながっている米金融界(ウォール街)の最上層部のみが知る状況だった(今も変わっていない)。つまり連銀が発行するドルは、ニクソンショック後、米金融界の完全な「私的通貨」となった。

 当時、若手の医師だったポールは、金ドル交換停止が発表された日に、政治家になることを決めたという。彼はもっと若いころから、市場の機能を重視するリバタリアン的な経済学であるオーストリア学派の経済学を学んでいたが、同学派は、米国の通貨システムが崩壊するだろうとの予測を1960年代から発表していた。金ドル交換停止が起こり、ポールは同学派の予測が当たったことに驚くと同時に、ドルの価値が政治的に決められる時代に入ったことを悟り、政治の道に入ることを決意した。

 ドルはニクソンショックによっていったん崩壊し、2年後の73年には石油危機も起こり、世界経済は大不況となった。たがその後、74年結成(秘密裏)のG5や、76年結成のG7といった為替市場介入の国際的な協調体制が米英主導で作られ、ドルは、金地金と連動して価値を維持する仕組みから、世界の他の通貨がドルと連動して動くことで世界がドルを支える政治的な仕組みに転換し、国際基軸通貨としてのドルの地位は保たれた。

 ポールは1976年の補欠選挙で米議会下院に初当選したが、数か月後の総選挙で落選し、次に当選したのは78年だった。この時にはすでに、G7による国際談合でドルの価値が保持されるシステムができあがっていた。新人議員のポールは大したことができなかったが、初当選以降、一貫して、金地金との交換性が確保されていないニクソンショック以後のドルは、合衆国憲法に違反して発行されたものであると主張している。

 米国の合衆国憲法を見ると、第1条の第8節の(5)に「(連邦議会は、次の権限を有する)・・・貨幣を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を規律し、度量衡の標準を定めること」と書いてある。つまり、貨幣の鋳造権は、連銀(中央銀行)ではなく、連邦議会が持っている。米憲法には中央銀行についての定めがない。また、米憲法の第1条の第10節の(1)には「いかなる州も・・・貨幣を鋳造し、信用証券を発し、金銀以外の物を債務支払いの弁済となし、・・・・ことはできない」と定めている。つまり全米各州は、金銀以外のものを通貨(債務支払いの弁済)として使ってはならないと定めている。貨幣の発行についての条項は、これらの2つだけだ。

 米憲法に沿って考えると、連邦議会が連銀に権限委譲してドル紙幣を発行することは合憲だろうが、ドル紙幣が金銀との交換性を持っていない場合、全米各州はそれを合法的に通貨として流通させられない。連邦議会が連銀に刷らせたドル札が、金銀との交換性を保障していれば、それは金銀と同じ価値を持つので、全米各州は合法的に流通させられる。ロンポールが「ニクソンショック後、ドルは憲法違反の通貨だ」と主張し続けるのは、こうした理由による。

 連銀(FRB)は、米国も巻き込まれた1907年前後の世界的な金融危機を受け、1913年の連邦準備法(Federal Reserve Act)で議会から通貨発行権を委譲されて発足した。米金融界は金融危機を意図的に悪化させ、パニックを作り出した上で米政界に圧力をかけ、どさくさ紛れに連銀法を成立させたと言われるが、一応、連銀は合法的な存在だった。だが1971年のニクソンショック後、連銀が発行するドル紙幣は違憲な存在になった。

 ドルは70年代後半以降、連銀が、日銀や西独連銀など世界の主要な中央銀行を談合に引っ張り込んで作った国際通貨システムの中で価値を維持されるようになった。85年には米英で金融が自由化され、のちに「影の銀行システム」と呼ばれる債券金融システムが誕生し、急拡大した。これは国際通貨システムの一部として機能し、実は紙切れでしかないドルが国際政治の力で価値を維持する「無から有を生む」メカニズムを拡大して、実は価値の低いジャンク債を金融界内部の談合によって高い価値を持たせるシステムだった。このシステムは20年以上うまく機能し、債券金融の拡大によって米英経済は金融主導で発展し続け、この発展が世界経済の成長を牽引した。

 この間、ポールは当選し続けたが、彼の主張はマスコミに無視され続け、彼はほとんど変人扱いされていた。ポールは議員として、連銀に委譲された通貨管理権を議会に戻すことを目指し、連銀に対し内情を開示するよう何度も要求した。だが、ポールが所属する共和党の中には、連銀を牛耳る米金融界の傀儡として機能する議員も多く、ポールの主張はなかなか通らなかった。彼はリバタリアンとして、連銀などの連邦機関の権限縮小を求めたが無理だった。

 だが、98年のアジア通貨危機と、00年の米国IT株バブル崩壊の崩壊による金融危機あたりから、影のシステムがうまく機能しなくなった。00年2月、ポールは米議会において、連銀による通貨発行量(M3)が急増し続けている問題について尋ねた時、連銀のグリーンスパン議長は「今や、通貨とは何であるかを定義するのが困難になっている。だからM3は意味のない指標になっている」と答えた。この証言が意味するところは、「もう一つの通貨」ともいうべき影の銀行システムが急拡大し、伝統的な銀行システムの指標でしかないM3で通貨発行量を計る意味は失われている、ということだ。

 連銀は、通貨の流通を管理して安定を確保するのが任務である。ポールは「連銀が通貨を定義できないとしたら、定義できない存在を管理することはできないのだから、連銀は通貨を管理できませんね」と尋ねた。グリーンスパンは「確かに、定義できないものを管理することはできません」と答えた。連銀が、影のシステムを含んだ米通貨システムを管理できなくなっていることを認めた瞬間だった。

 実際にはその後、米国は経済成長を維持するために影のシステム、つまりジャンク債の発行に頼る傾向を急速に強めた。製造業など、成長できる他の要素が失われていたからだった。影のシステムは肥大化してバブルとなり、07年のサブプライム金融危機以後、バブルは崩壊過程に入った。連銀は、帳簿上だけでなく簿外勘定(メイデンレーンLLCなど)をも使い、ドルの過剰発行である「量的緩和策」を拡大して、影のシステムの不良債権を買い取り続けた。連銀は、赤字急拡大を止められない米政府発行の米国債をも買い支えている。

 ドルの崩壊感が強まる中、先に述べたように、議会下院でポールが連銀の監督を担当する小委員会の委員長になった。米議会では連銀に対する不信感が強まっており、それがポールの委員長就任につながったのだろう。連銀の不透明さが問題だという、ポールの主張はもはや変人扱いの対象ではない。米国民の4割は連銀の透明化を求め、2割は連銀の廃止を求めている。世論もポールを支持している。だが、連銀は何十年間も、米議会からの運営情報の開示要求を拒否し、内実の非公開を貫いてきた。ポールやその他の議員らがあらためて圧力をかけたところで、来年にどれだけの情報が開示されるかは疑問だ。

 だが、ドルや米国債に対する国際的な不信感は強まっている。ポールはフォーチュン誌のインタビューで「連銀は、私が潰す前に自滅しそうだ」と述べている。ポールらが議会で、連銀に情報開示させることに少し成功するだけで、連銀にとって不都合な事情が世界に暴露され、ドルと米国債に対する不信がいっそう強まる。従来は、不信感が米国債の金利高騰など破綻的な状況に結びついておらず、潜在的な状態にとどまってきたが、不信が一定以上に強まると、ある時点で一気に顕在化し、破綻的な状況が突然に起こりうる。ポールは、その引き金を引く可能性がある。そして、連銀不要論を主張してきたポールは、それを望んでいると考えられる。

 ポールは全米に、学生など草の根的な支持者がいる。ポールは「全米各州の政府が、憲法に従って金銀の地金を通貨として認める決定を下せば、米国民はドルのほかに金銀を通貨として使えるようになり、ドルに頼る必要がなくなる」と述べており、今後もし連銀が崩壊していくなら、全米各地で金銀の地金を通貨として使おうとする運動が起こり、各州議会で金銀地金の通貨化が可決されるかもしれない。

 ポールは12年の米大統領選挙にも共和党から出馬を予定している。ポールは以前にも大統領選に立候補したことがあるが、マスコミからは全く無視されていた。今回は、共和党に他のろくな大統領候補がいない中で、しだいにポールが重要な存在になり、マスコミも彼を無視できなくなってきている。ポールの息子であるランド・ポールは、先の中間選挙でケンタッキー州から上院議員に当選した。彼は父親同様に「茶会派」(Tea Party)の一部と見られている。

 茶会派は、08年秋のリーマンショック後、米政府が景気対策と称して巨額の公金を金融機関に救済融資し、雇用など実際の景気対策にほとんど効果がなかったため、財政の浪費に怒った人々が、リバタリアンに率いられ、全米各地で「連邦政府に税金を払う必要はない」「政府は腐敗した銀行家を税金で助けるな」と主張する「ボストン茶会運動」を起こし、共和党内で大きな勢力に発展した。

 ボストン茶会とは、米国が英国からの独立を目指す運動の象徴的な事件のひとつで、英国が自国の東インド会社を儲けさすため、北米植民地にお茶を輸出する独占権を与えて課税したことに怒ったボストンの市民団体が、1773年、英国からボストン港に到着していた課税品のお茶の葉(インド産)を樽から出して海に投げ捨て、課税に抗議した事件である。当時のボストン市民が怒ったのは、自分たちが本国の英議会に代表を送れる選挙権を持っていないのに、お茶に課税されて間接税を取られたからだった。英国の憲法では「代表なくして課税なし」という考え方が認められており、北米植民地の人々はこれを主張し、米国は事件の3年後に独立宣言した。米国では独立後も、政府が民意を無視して課税することに反対する運動に「ボストン茶会」の名称がつけられるようになった。(Tea Partyは「茶会」ではなく「茶党」と呼んだ方が良いとの説もある)

 18世紀のボストン茶会は、米国の英国からの独立と建国という偉業につながったが、21世紀のボストン茶会は、18世紀に作られた米国という連邦国家の崩壊を引き起こしかねない。合衆国は「民主主義」という国民の権利と「納税」などの義務とが明確な契約関係になっている。大多数の国民が今の連邦体制に不満を持つようになると、合衆国の連邦は解体するか、もしくは地方分権が強い国に再編される可能性がある。すでに、ニューハンプシャー州やテキサス州などの議会で、米国からの「独立宣言」を模索する動きが続いている。

★ユーロ圏の危機と統合

 2010年春以降、EUのユーロ圏諸国が、ギリシャを皮切りに、次々と国債危機に襲われている。EUでは、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアといったユーロ圏周縁部の諸国の国債が売られ、フランスなどの銀行も資金調達が難しくなって、金融危機の様相が続いている。

 この危機は、実体よりもイメージが先行している。たとえば最も象徴的なギリシャの場合、赤字問題は最近始まったことではなく、悪化が近年特にひどくなったわけでもない。英国が、欧州の覇権をとった後の19世紀前半、トルコ帝国に対抗するための傀儡勢力として近代ギリシャを建国させて以来、ギリシャは産業や社会の基盤が弱く、財政赤字の体質だ。しかもギリシャのGDPはユーロ圏全体の2・5%と小さい。

 ギリシャ国債がデフォルトする(債務不履行に陥る)確率が98%と報じられたが、これはCDS(債券破綻保険)で計った確率であり、実際のデフォルトの可能性と別物だ。EU当局はギリシャ政府に対し、2012年末までの国債の元利返済のための資金を融資する救済策をすでに決めており、ギリシャ国債のデフォルトは、少なくとも12年末までありえない。それなのに、CDSの価格で計ったデフォルト確率の報道だけが一人歩きし、あたかも間もなくギリシャ国債がデフォルトすることが確実であるかのようなイメージが作られている。

 この問題が危険なのは、ギリシャの危機を扇動しているのが、ゴールドマンサックスやJPモルガンといった米国の投資銀行的な勢力と、S&Pなど米英の格付け機関であることだ。彼らは、ドルやポンドの危機を回避するために、ドルやポンドより先にユーロを潰そうとしている。ギリシャ国債のCDSを売ることでギリシャの危機がひどくなっているように演出しつつ、英米などのマスコミも動員して投資家の不安を煽り、時機を見てS&Pがギリシャ国債を格下げし、危機を激化させた。これは要するに、英米の金融覇権勢力(米英中心主義)が、覇権の多極化を阻止するために「金融兵器」を発動したものであり、覇権をめぐる金融世界大戦の一部である。

 英国は、19世紀のパックス・ブリタニカの時代から、欧州諸国どうしを競わせて漁夫の利を得る均衡戦略として、欧州諸国のマスコミや暴徒の動きを扇動する諜報的なネットワークを持っていた。今回もそれが発動され、ギリシャでは反政府暴動が続き、ドイツでも「怠慢なギリシャ人を救う必要などない」という世論が掻き立てられ、もともと弱かった凡欧州主義は消え、代わりにドイツ民族主義が復活している。EUが統合を維持するには、各国のナショナリズムを止揚して凡欧州主義を涵養し、EU統合を経済から政治へと進めることが必要だが、それはかなり難しくなっている。

 EUの中心にいる独仏政府や欧州中央銀行(ECB)は、この危機を逆手にとり、EU強化のために使おうとする戦略を続けている。ECBは、国債危機が続くギリシャ、スペイン、イタリアなどの国々に対し、各国政府が財政緊縮策を進めることを条件に、ECBが各国の国債を買い支えることを決めた。重要な点は、買い支えと引き換えに各国の財政政策にECBが介入する点だ。これは、ユーロ圏諸国のうち、財政赤字が続く国々の財政政策の決定権を、各国政府から奪い、ECBに集中させる政策であり、事実上、EUの政治統合の一部をなす財政統合の始まりである。

 EUは10年、ユーロ圏内で国債危機や財政難を起こした国を救済する基金として欧州金融安定化機構(EFSF)を設立した。ECBが、国債危機を起こしたユーロ圏諸国の国債を買い支える代わりに、各国から財政政策権の一部を移譲させる試みが具体化したら、次はこの機能をECBからEFSFに移転する予定だ。そして、EFSFの財源として欧州共通国債(ユーロ国債)を発行する構想と重なると、EFSFが各国の財政決定権と国債発行権をもらい受け、統合されたEUの財務省として機能することになる。

 EUはすでに外交政策の一本化を進めており、外務と財務という国家の2つの重要な部門が、EUに統合される。これまで国債格付けが低く、国債発行に高金利を強いられてきたユーロ圏周縁部の諸国は、財政権の一部をEUに奪われる見返りに、低利で国債(共通国債)を発行できるようになる。また、EU各国の国債が一つに束ねられることにより、投機筋(米英金融覇権筋)からの攻撃を受けにくくなり、EUは国際政治的に強くなる。

 とはいえこの構想は、各国に国家主権の放棄を強いることなので、各国政界では反対論が根強い。特に反対論が強いのは、救済されるユーロ圏周縁部の諸国でなく、救済する側となるドイツの政界だ。今回のユーロ危機はEUと米英との金融戦争だと書いたが、戦争といっても、戦っているのは米英の側だけで、ドイツはほとんど応戦せず、無抵抗でやられているばかりか、利敵行為をする人がドイツ内部に多い。

 ドイツの与党CDU(キリスト教民主同盟)の内部には、ユーロが崩壊しても良いと思っている人々がいて、ドイツの公金でギリシャを救済することに強く反対し、首相のメルケルは動きがとれなくなった。野党のSPD(社会民主党)も、「国民に開かれた議論をせねばならない」と言いつつ、与党批判をしながら、ギリシャ救済を阻止する動きをしている。独政府内には、国民にわかりにくい形でギリシャ救済をやってユーロを救おうとする動きがあったが、SPDは「開かれた議論」を主張することで、それを止めようとした。

 ドイツは日本と並ぶ敗戦国で、戦後ドイツを占領した米英、特に英国は、ドイツが英国にとって二度と脅威にならないよう、ドイツを恒久的に東西に二分割して東半分をソ連に与えた。同時に、西ドイツに「民主教育」をほどこし、ドイツの政官界、マスコミ、学界などが、自国を覇権国に戻したいと考えぬよう、自国が永久に米国に従属するのが良いと考える傾向を持つように仕向けた。シュピーゲル誌などドイツのマスコミや政界、学界などに、EU統合の進展に反発する勢力が多い。シュピーゲルは以前から、EU通貨統合には根本的な欠陥があり、必ず失敗すると書き続けている。ドイツの状況は、日本と似ている。

 そもそもEU(欧州統合)は、欧州人の努力の結晶のように見えるが、実はそうではない。欧州人の努力の結晶なら、今のようにドイツがギリシャの崩壊を傍観するわけがない。欧州統合推進の黒幕は米国の隠れ多極主義勢力であり、欧州を冷戦時代の傀儡状態から脱却させて米英と対抗できる強い勢力にして、米英の覇権独占を解体していく長期戦略だった。

 冷戦を終わらせた米国のレーガン政権は、ドイツに対し「東西ドイツの統合を許してやるから、同時に通貨統合もやって、ドイツが再び強大になってもフランスと対立しない構造を作れ」「東西統合やEU統合をやるなら今しかない」と提案し、ドイツはそれをのんだ。米国のこの策略は、ドイツが主導する欧州を地域覇権勢力へと引っ張り上げる、多極化の一環としての「覇権の押しつけ」だった。だが敗戦以来、ドイツの中枢には英米中心主義のエージェントが多数おり、覇権を目指していた戦前に対する悪いイメージもはぐくまれてきた(日本と同じ)。ドイツでは覇権国を目指すことへの抵抗が強く、欧州の経済統合は進めても政治統合が進まないという、中途半端な状況が20年続いた。その結果、EUは、英米中心主義勢力の金融攻撃に対して脆弱な状態にある。

 ドイツは、欧州を主導して地域覇権国になる実力が十分にあるのに、それを行使したがらない国になっている。これは「平和主義」とは似て非なるものだ。米国が単独覇権主義を掲げ、イラクなどで戦争犯罪的な行為を繰り返しても、ドイツ政府は黙っている。こうした戦後ドイツの状況は、日本とよく似ている(憲法9条は対米従属のためにあった)。米国の隠れ多極主義勢力は、日独を誘っても覇権を取ろうとしないので、代わりに中国やロシア、ブラジル、イラン、トルコなどに覇権を取らせようと、各国の反米感情を鼓舞している。

 すでに書いたように、EU当局による救済策が打たれているので、ギリシャなどユーロ圏の周縁諸国の国債がデフォルトする可能性は非常に低い。しかし、ユーロ圏諸国の銀行界が資金調達難に陥り、金融界の破綻からユーロ圏経済の危機が長期化する懸念はある。EUはこの先、財政統合に成功して強くなるか、財政統合できずに金融破綻がひどくなるかの二者択一だ。たぶんドイツの国内政治が、EUをどちらの方向に進めるかを決める鍵を握っている。

 EUは弱体化か強化かの二者択一だが、米国はそうではない。米国の金融財政危機には、米国を強化して復活させる問題解決の道が存在しない(今のところ全く見えない)。まもなく崩壊するか、しばらく延命するかという、後ろ向きの二者択一しかない。構造的に、欧州より米国の方が危険な状態にある。EUが財政統合に失敗した場合、欧州と米国の両方が崩壊感を強めていくことになる。

「第6章:しだいに多極化に対応する中国」に続く】



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