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米国原油放出の意味

2011年6月27日   田中 宇

 6月23日、先進諸国でつくるエネルギー供給の安定化組織IEA(国際エネルギー機関)が、リビア戦争にともなう原油価格の高騰を防ぐという理由で、これから1カ月間、毎日2百万バレル、合計6千万バレルの原油を国際市場に放出すると発表した。放出総量の半分にあたる3千万バレルを米国が戦略石油備蓄を取り崩して放出し、残りは西欧諸国や日本が放出する。実質的に、米国主導の意志決定である。放出を受け、国際原油価格(北海ブレント)は約8%下がった。 (A Coalition Strike on Oil Prices

 米国の戦略備蓄は、緊急事態が起きて米国内市場への原油供給に支障が出そうな時に放出するのが決まりだ。これまで放出が実施されたのは、91年の湾岸戦争でペルシャ湾からの石油供給が止まりそうだった時と、05年のハリケーン・カトリーナで米国メキシコ湾岸の石油施設が被害を受けたときの2回だ。いずれも緊急事態の範疇に十分に入る。 (White House Oil Epiphany

 しかし、今回は様相が違う。IEAや米政府は、放出の理由についてリビア戦争を挙げたが、リビア戦争が始まってリビアからの石油供給が大幅に減ってから2カ月以上がすぎ、国際標準の北海ブレント相場は、4月に1バレル127ドルの高値をつけて以来、値下がり傾向にあった。米国は、もともとリビアの石油をほとんど輸入しておらず、リビアだけが理由なら米国の国益と関係が薄い。単に「原油価格が高めだ」というだけで米政府が戦略石油備蓄を放出するのは不適切だと、米野党の共和党が騒いでいる。 (Why is Obama tapping the Strategic Petroleum Reserve, really?

 オバマ政権を擁立する米民主党からは「放出は、米国の中産階級の生活を直撃しているガソリン価格の高騰を抑止するので良いことだ」と政府擁護の意見が出ている。だが、米国のガソリン価格に占める原油価格の割合は約5割で、原油の一時的な放出だけではガソリン価格の安定に大して寄与しない。原油価格は08年に140ドル以上まで高騰したが、そのとき米政府は戦略備蓄に手をつけておらず、政策が一貫していない。オバマの人気取り策だという説もあるが、次の大統領選挙までまだ1年半もあり、タイミング的に疑問だ。今回の米政府の備蓄放出には明確な理由がないとか、前向きな理由がないなどと、何人もの分析者が批判している。 (Obama Taps Strategic Petroleum Reserve Without Good Reason) (The Dark Side of the OECD Oil Inventory Release

▼OPECがイランに乗っ取られたこととの関係

 今回の備蓄放出について一つ言えそうなことは、産油国で構成するOPECの6月8日のサミットで、米欧の要求を受けてサウジアラビアが提案した増産策が、イランなどの反対によって否決され、OPECの増産によって原油価格を引き下げる米欧の思惑が拒否されたこととの関係だ。

 OPECは、1970年代初頭の中東戦争時に米欧への輸出を止めて原油高騰(石油危機)を引き起こしたころ、米欧の言いなりにならないイランやイラクなどの発言力が強かった。だがその後、イランとイラクは「イランイラク戦争」で長い対立に入るよう、うまいこと米欧に操作され、その後のOPECは対米従属的なサウジアラビアに率いられ、米欧に従順な機関となった。石油危機を受け、米欧は戦略備蓄を放出して原油高騰を防ぐIEAを設立したが、80年代以降OPECがサウジ主導となり米欧の傀儡になったので、米欧がわざわざ自分たちの備蓄を放出する必要はなくなり、IEAの役割は低下した。

 しかし近年、イラクは米軍撤退の時期が近づくとともに反米親イラン(シーア派連合)の色彩を出し始めた。米欧に長く経済制裁されて国内の油田開発が遅れていたイランも、中国やロシアの技術や資本によって油田ガス田の開発を進め、かつてのようなイランとイラクの石油関連の国際政治力が復活している。そこに反米チャベス政権のベネズエラ、欧米に侵攻されて復讐を誓うカダフィのリビアなどが加勢し、OPECにおけるサウジの主導力が相対的に低下し、6月初めのサミットでの増産否決となった。 (IEA drawdown marks major shift in Oil price policy

 これまでOPECを傀儡化して原油価格の上昇を防いできた米欧は、OPECに対する影響力を失い、昔のようにIEAの備蓄放出を武器にするしかなくなった。それが今回の備蓄放出の背景だろう。米国は、国際政治におけるイランとの長い戦いに(自滅的に)負けているため、OPECを失い、自らの戦略備蓄を放出せざるを得なくなっている。 (Bernanke and the IEA

 サウジは原油の大きな生産余力を持っているが、それらは硫黄分が多い重質油であり、リビアが産出していた軽質油の代替になりにくい。半面、米欧などが備蓄している原油の多くは軽質油なので、サウジの増産でなく米欧の戦略備蓄の放出が行われたという見方もある。米国の戦略備蓄は約7億バレルの容量があり、今回放出するのはその5%以下にすぎない。だが、サウジなど産油国の原油は枯渇するまで何十年も出るが、戦略備蓄はもっと有限であり、今の速さで放出すると2年で空っぽだし、放出した分量をあとで買い戻さねばならない。OPECをイランなど反米勢力に奪われた米国は、不利な状況にある。 (Releasing Oil Reserves Called a 'Sign of Desperation'

▼QE2終了との関係

 原油相場には、金融界の力も関係がある。原油先物相場を使って、米英ヘッジファンドなど投機筋が以前から原油価格を操作してきた。だがこちらの分野も、懸念は資金の「枯渇」だ。08年のリーマンショック以来、米連銀がドルを大増刷して米国債からジャンク債まで買い支え、金融市場に巨額資金を供給し、その資金の一部が原油市場に売り(ときに買い)先物として入り、原油価格の引き下げ(ときに高騰)に貢献した。

 しかし、連銀の米国債買い支え(QE2)が6月末に終わり、先物主導の価格抑制が減って原油が反騰したり、国際的なドルへの不信感が強まり、債券を売ってコモディティを買う動きが広がる懸念がある。日本や西欧などで進む脱原発で原油の需要が増える要因もあるため、銀行系の分析者たちの間からも、石油は反騰が近いという見方が出ていた。 (Crude at lowest since Libya crisis began

 こうした石油高騰の具現化を防ぐために、QE2の終わりにあたる今の6月末のタイミングで備蓄の放出が行われた可能性がある。実需のみで見ると、原油価格が下がると、企業や人々が燃料以外の分野に金を使える余力が増え、経済がその分活況になり、他のコモディティ(食糧や原材料、貴金属類)の国際相場が上がるのが道理だが、今は原油だけでなく、金銀など他のコモディティの相場も下がっている。これは実需でなく金融界からの引き下げ介入であることを示しているとの指摘がある。 (Bankers Declare War on Commodities

 米欧日の原油備蓄放出は、米欧日自身の実体経済に、あまりプラスにならない(債券金融界に対する救済策ではある)。対照的に、経済成長率が米欧日よりずっと高いがゆえにインフレがひどい中国やインドにとっては、今回の米国主導の原油放出による原油価格の引き下げが、かなりありがたいものになっている(中国やインド自身は、原油放出より米欧投機筋に対する規制の方が重要だと言って軽視しているが)。

 BIS(国際決済銀行)は最近「世界的にインフレがひどくなってきたので、各国の通貨当局は、経済成長を阻害しても、従来の金融緩和策をやめて、金利引き上げなどの金融引き締めに転じ、インフレを抑止する必要がある」と警告している。インフレが特にひどいのは、先進国よりも、中印や中南米など新興市場諸国だ。今回の米欧日の原油放出で石油価格が下がり、インフレがやや緩和されると、新興諸国は、経済成長を阻害してまでインフレ対策の金融引き締めをやる必要性が低下する。 (Economic growth must slow, warns BIS

 米欧当局は、自国の経済でなく、自国の資本家が投資している先である中国など新興市場の経済成長が阻害されるのを防ぐため、原油備蓄を放出したといえる。これは資本の理論が多極化を好むことの象徴でもある。日本は、1カ月で790万バレルを放出するが、中国に棚ボタ的な利得を与える原油放出を好き好んでやりたかったとは思えず、対米従属の国是の一環として参加せざるを得なかったのだろう。



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