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南シナ海で中国敵視を煽る米国

2011年6月23日   田中 宇

 南沙群島(スプラトリー)は、第二次大戦の終戦まで日本の領土だった。日本は1936年から南沙群島(新南群島)を台湾の一部として統治した。台湾は日本の領土の一部だったので、南沙群島は東京から5千キロ近くも離れているが、日本の領土だった。戦後、台湾は中華民国(台北政府)として中国の一部になったが、中華人民共和国(北京政府)は台湾の領有権を主張したので、台湾の一部である南沙群島も中国のものだという主張になった(これは、中国が台湾の一部としての尖閣諸島の領有権を主張するのと同じ理屈だ)。

 南沙群島は、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、マレーシアから見ても自国の沖合にある。これらの東南アジアの国々も、南沙群島の一部について領有権を主張している。1968年に南沙群島の海底に石油や天然ガスがあることがわかり、各国の領有権の主張が強まった。80−90年代に中国とベトナム、中国とフィリピンが、何度かこの海域で衝突した。

 中国が改革開放政策によって経済大国になり、経済主導で東南アジアでの影響力を拡大し始めた後の2002年、中国とASEANの間で南沙群島の紛争を解決に向けた話し合いが行われ、南沙問題を軍事力でなく外交によって解決すること、ASEAN+3など国際機関でなく当事者どうしの2国間の交渉で解決していくことで合意した。 (Spratly Islands dispute From Wikipedia

 ベトナム、フィリピン、ブルネイ、マレーシアはASEANの国々なので、ASEANと日中韓で構成するASEAN+3を南沙問題の交渉の場とすることもできたが、そうなるとASEANが団結して中国と対峙する形になり、ASEAN側が有利に、中国が不利になる。東南アジアでの影響力が拡大していた中国はASEAN+3を交渉の場にすることを拒否し、中国が有利になるバラバラの2国間交渉で話し合う体制が決まった。ベトナムやフィリピンは反対したが、中国との力関係があり、黙らざるを得なかった。

 02年の合意は、中国にとって有利だった。中国は、時が経つほど大国になり、東南アジアに対する中国の経済・外交的な影響力も拡大しそうなことが、当時から予測されていた。後になるほど中国は優勢になる。いずれ南沙群島の地下資源を本格開発する時まで、問題を棚上げすれば良いというのが中国の考え方だった。02年の合意後、昨年まで、南沙群島であまり紛争が起きない状態が続いていた。

▼急に介入してきた米国

 その平穏な状態を破ったのは昨年7月、ベトナムで開かれたASEAN地域フォーラムで、米国のクリントン国務長官が「南沙群島紛争の解決は、南シナ海のシーレーンを多くの自国船が航行する米国にとっても重要だ」と述べたことだった。クリントンは、南沙群島問題を02年の合意に基づいて関係2国間で決めるのでなく、ASEAN+3など国際組織で決めるべぎたと主張し、ベトナムの立場を支持した。 (Reining in China's Ambitions

 ほぼ同時に、米海軍のマレン司令官が「中国は最近、公海上での振る舞いが以前より攻撃的になっている」として、南沙群島など南シナ海や、尖閣諸島など東シナ海、韓国沖など黄海などにおける中国の領有権主張や影響力行使を批判した(当時は、昨年春の天安艦沈没事件の余波が続き、米韓が北朝鮮の鼻先の海域で軍事演習を繰り返し、米空母が黄海に入ってきて中国が強く反発していた時期でもあった)。また米軍は、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどのASEAN諸国との軍事関係を強めた。 (US Admiral: China Taking 'More Aggressive' Stance at Sea) (Containing China Is A Fool's Errand. Yet Obama's Deal with Indonesian Thugs Is Aimed at Exactly That

 米国はそれまで、南沙問題が中国好みのやり方で解決されていくことを黙認してきた。それが急に、米国が、南沙問題で中国に敵対し、ベトナムやフィリピンを支持しつつ首を突っ込み始めたので、中国は驚いた。米国の右派新聞ウォールストリート・ジャーナルでさえ、中国の驚きぶりを伝え「ふだんは穏やかなアジア外交に、異様なことが起きている」と書いた。中国の外相は、南沙群島を多国間の国際問題として扱うべきだとするクリントンの主張に反対し、従前どおり2国間で交渉すべきだと主張した。 (South China Sea Ructions) (Chinese foreign minister warns US on South China Sea

 米国の新たな言動は、ベトナムやフィリピンが、南沙群島問題に対して従来より大胆な態度をとることにお墨付きを与えた。ベトナムは、エクソンモービルやBPといった米英の石油会社に頼んで南沙群島周辺の南シナ海での海底油田探査を本格化した。フィリピンも石油探査を進め、今年3月には中国の軍艦がフィリピンの探査船を妨害する事件も起きた。その後、中国軍機が、フィリピンが実効支配する南沙群島の島の周辺に入り込んできた。米国の後ろ盾があるフィリピン政府は、中国に強く抗議した。 (US Takes a Tougher Tone With China) (Philippines embraces US, repels China

 フィリピンの大金持ちには中華系(華人)が多い。華人に限らず、フィリピンの財界人の多くが中国との取引で儲けている。フィリピンの大統領府は、米国の後ろ盾を受けて中国と対立を激化させることに積極的だったが、議会では中国との対立激化に反対する議員も出てきた。 (Enrile tells Palace staff: Shut up on Spratly issue

 しかし、南沙群島における中比関係の悪化は、今春以降さらに進み、5月から6月にかけて、フィリピンの石油探査船の活動を中国の軍関係の船が妨害する行為が続いた。フィリピンは中国の妨害行為を非難し、中国はフィリピンが進める新たな海底資源探査を協調無視の敵対行為だと非難し返した。中国軍が大型の軍艦を派遣すると、フィリピン軍も大型の軍艦を派遣して対峙した。米軍は、南沙海域での衝突を想定した合同軍事演習をフィリピン軍と行ったり、フィリピン軍の軍備増強に協力したりして加勢した。 (China and Philippines tensions mount) (Philippines to hold joint naval exercises with US

▼待てば優勢になる中国が早まるとは考えにくい

 フィリピンと同様、ベトナムも、南沙群島における中国との衝突が激化した。今年5月末には、海底油田を探査中のベトナムの船が、中国当局の船に探査用の海中ケーブルを切断される妨害を受けた。この事件の後、米海軍は「南シナ海の航路安全確保のため」という理由で、軍艦を南沙群島の海域に差し向けた。 (South China Sea: Vietnamese hold anti-Chinese protest) (US Destroyer sent to South China Sea amid tension in Spratlys

 中国はベトナムに、南沙群島海域でのすべての石油探査をやめるよう求め、中越双方が南沙での石油探査を棚上げすることを提案した。これに対するベトナムの返答は、南沙周辺の海域で実弾軍事演習をすることだった。中国側は、共産党系の人民日報が、ベトナムに警告を発する社説を載せた。米国の後ろ盾があるので、ベトナムは中国に対して大胆な態度をとるようになった。 (China Communist Party newspaper cautions Vietnam) (Vietnam seeks US support in China dispute

 中国は台頭し、国際社会での地位が上昇している。その状況を背景に、中国が南沙群島におけるフィリピンやベトナムの行動を以前より容赦しなくなった結果、南沙での比や越と中国との対立が激化していると考えることも可能だ。しかし、すでに述べたように、中国は後になればなるほど東南アジアに対する影響力が強まり、事を荒立てず南沙群島を自分のものにできるようになる。

 中国は本質的に東アジアの覇権国なりつつあるが、それを隠したい。周辺国に対し、自国が覇権的でないというイメージを持ってもらいたい。中国は、手荒なことをせず、真綿で首を絞めるように時間をかけて越や比に隠然と圧力をかけ、南沙の領有権を放棄させたい。南沙での軍事衝突は、中国のイメージ悪化にしかならない。

 おそらく米国は、今後2−3年もすると、今より財政難を顕在化させ、ドルが基軸通貨としての信頼をさらに失い、軍事面でも世界的な展開を縮小する傾向を強めるだろう。中国は今年でなく、あと2−3年待って、米国の覇権が衰退していくのを見届けてから、南沙問題での姿勢を強気に転換するのが効率的だ。そうしたことは、中国政府も承知のはずだ。まだ米国の覇権が残っている今の時期に早まって越や比と対立する必要はない。

 中国は初の空母を建造中(ウクライナから買った旧ソ連の空母を改造)で、17世紀に台湾の反乱軍(鄭成功派)を鎮圧した清朝の将軍である「施琅」を空母の名前としてつけることにしたという。空母は2−3年以内に就航するだろう。中国が南沙群島で強気に出るなら、今でなく、空母が就航してからの方が効果的だ。 (Chinese warship makes regional waves

 これらのことから、今回の中国と越や比との南沙での対立は、中国側から仕掛けたことでなく、米国が越や比を支援して中国と対立激化させる戦略をとり、中国が怒るよう仕向けたと考えた方が妥当だ。マスコミは、越や比の主張を大きめに採用するだけで「悪いのは傲慢な中国の方だ」という論調を作れる。双方の軍当事者しかいない海洋上の出来事なので、当局ぐるみで誇張報道するのは簡単だ(昨年秋の尖閣諸島での日中衝突もそうだった)。 (日中対立の再燃

▼日本も巻き込まれるかも

 米国は、南沙問題で越や比をけしかけ、中国と代理戦争させる構図を作りたいようだが、米国は日本もこの構図の中に巻き込んでいく可能性がある。6月21日にワシントンDCで開かれた日米の2プラス2会議(外務防衛大臣会合)で、日米は、中国が公海上の軍事活動を活発化し、中国が東シナ海や南シナ海などで国際航路の安全確保を阻害しうる状況になっていることを批判し、日米が東南アジア、韓国、豪州などと組んで中国包囲網を強化する方向性で合意した。「航路の安全確保」を理由に、中国が嫌がる干渉をするのは、米国が昨年7月以来、南沙問題で採ってきたやり方だ。

 日米が中国を仮想敵として再確認する方針は、おそらく日本でなく米国から提案して日本を巻き込んでいる話だ。日本は3月の大震災の直前まで、前原が外相をしていた時代には、米国と組んで中国と対決する戦略を好んでいたが、震災直後に外相が松本に代わってから、むしろ「うちは地震と原発事故で手一杯ですから」と言い訳しつつ、国際社会でなるべく目立たないように振る舞っている。昨今の日本政府は、中国や韓国が震災復興に協力してもらうことを通じ、中国との対立も避けようとしていた。

 それが突然、今回の米国との会合で、中国を仮想敵とすることに日本が同意した。日本が今の時期に好んで中国と対立したいと思うとは考えにくい。これは、米国主導の動きと考えた方が良いだろう。昨秋の尖閣諸島の日中衝突も、米国の後押しを受けて日本政府(国土交通相だった前原ら)が強く出た可能性があるが、その構図が再発するかもしれない。今後、近いうちに菅首相が辞任する流れになりそうだが、外国人献金スキャンダルで震災直前に外相を辞任した前原が、再び米国の隠然とした後押しを受け、新首相として返り咲くシナリオもあり得る展開になってきた。

 ここで疑問が湧く。なぜ米政府は、今の時期に越や比、日本などをけしかけて中国との対立構造を激化させる中国包囲網の戦略をとるのかという疑問だ。これからの時期に中国との敵対を強めるのは、米国にとってタイミングが非常に悪い。

 赤字急増の米政府は、外国勢が米国債を買い続けないと国家を維持していけない。世界最大の米国債の買い手は中国である。今はまだ連銀が米国債を買い支えるQE2をやっているが、それは6月末で終わる。QE2終了後、米国債が急落する懸念を、中国政府の顧問たちが表明している。そうした懸念に加えて、米国が日越などに中国敵視策をとらせていることに、中国は苛立っているはずだ。中国は、米国債の購入をやめて、米国の覇権を崩したいと思うかもしれない。

 政治的にも、中国は、ロシアなどBRIC諸国との結束を強め、ライバルだったインドとも協調関係を築いている。中国は、米国の覇権体制に取って代わりうる多極型の世界体制(新世界秩序)を構築している。全体的に、中国にとって米国は「押せば倒れる」存在になっている。米政府が今の時期に中国の怒りを煽るのは自滅的である。 (立ち上がる上海協力機構

 私は以前から、米国の中枢で、自国の覇権を瓦解させて中国やロシアやイランなどを台頭させて覇権構造を転換しようとする多極化の試みがこっそり行われているように感じてきたが、米国が越や比や日本に中国敵視策をとらせることは、まさに多極化を押し進めている。



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