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米国債政治デフォルトの危機

2011年5月17日   田中 宇

 前週の国債入札が確定した5月16日、米政府の財政赤字が、法定上限の14兆2940億ドルに達した。米政府は、これ以上の国債発行ができなくなった。米国では政府の財政赤字(国債発行残高)の総額が1917年以来法律で決まっており、連邦議会が総額の枠を引き上げない限り、それ以上の発行ができない。 (Treasury Auctions To Take US Over Debt Ceiling On Monday

 米議会は、戦争や経済危機になるたびに、この法定上限を引き上げ、米政府のために新たな発行枠を確保してやってきた。引き上げは1940年以来、74回も引き上げられている。財政に余裕があった63年までは上限の引き下げも行われたが、財政難になった80年代には21回も引き上げられた。財政緊縮策が実施された90年代は4回だけ上限が引き上げられたが、赤字が再びひどくなった2002年以降は、ほぼ毎年引き上げられている。 (United States public debt From Wikipedia

 直近ではリーマンショック後の景気対策・金融救済の資金を作るため、昨年2月に1兆9000億ドルという史上最大幅の上限引き上げを可決した。しかし、それも1年で使い切ってしまった。米国の財政赤字は、前代未聞の早さで増えている。来年の大統領選挙後まで次の赤字上限の引き上げをしなくて良いようにするには、今回、一昨年の引き上げ幅を上回る2兆ドルの上限引き上げが必要だと米財務省は言っている。 (Treasury suggests $2 trillion debt cap raise: sources

 従来なら、赤字が上限に達するまでの間に、米議会が上限引き上げ法案を可決して事なきを得るのだが、昨年11月の中間選挙で共和党で茶会派と呼ばれる財政緊縮の強硬派が多数当選し、彼らを中心に「長期的な赤字削減策が採られない限り、赤字上限の引き上げには応じられない」という主張が議会内で強まっている。共和党は下院の多数派である上、赤字上限の引き上げには議会の3分の2の賛成が必要だ。ホワイトハウスと議会は4カ月前から財政緊縮策を議論しているが、合意に至っていない。米政府は今、財源の4割が国債発行なので、国債発行ができないと、公務員の給料、発注企業への支払い、メディケアなど官制健康保険や失業保険の支払いがとどこおる。加えて、国債の利払いや償還もできなくなり、米国債がデフォルト(債務不履行)してしまう。 (Questions and Answers About Reaching the Debt Ceiling

 デフォルトは、米国のすべての金利の基準である米国債の金利を高騰させ、債券市場が瓦解し、米経済を破壊する。米政府や連銀は「財政上限を早く引き上げないと大変なことになる」と、何カ月も前から警告してきた。 (US Treasury urges debt ceiling action

 米政府は今後、為替安定のための基金などにあてる資金を、国債利払いや償還など必要不可欠な支出に回す。その緊急策によって、米国債は8月2日までデフォルトを免れている。しかし、それまでに赤字上限の引き上げが行われないと、史上初の米国債デフォルトが現実になる。 (Debt Ceiling Has Some Give, Until Roof Falls In) (U.S. to Take `Extraordinary' Steps as It Nears Debt Ceiling

 実際のデフォルトにならなくても、5月16日以降、米政府は綱渡りの状態になり、世界の投資家が米国債やドル建て債券への投資を控えるようになると予測され、金融危機を引き起こす可能性が増している。8月の実際のデフォルトより前に、米国の長期金利は今の3%台から10%になり、米株価は10%以上下落すると予測されている。 (Debt Ceiling Warning: Inaction Would Double Interest Rates, Crash Market) (Bernanke Cautions on Debt-Limit Bargaining

▼赤字敵視の茶会派に押される共和党内

 財政赤字の削減には、増税か支出削減が必要だ。米政府の支出のうち、最も増加が激しいのはメディケア(高齢者向け)やメディケイド(低所得層向け)という官制健康保険と、公的年金などからなる社会保障費だ。米議会では、共和党が増税に反対し、民主党が社会保障費の切り詰めに反対しており、延々と議論してもかみ合わず、合意できない。4月下旬、米国の債券格付け機関S&Pが米国債の格付けを「安定的」から「悪化傾向(ネガティブ)」に引き下げたが、その大きな理由は、議会の二大政党が財政赤字削減で合意できそうもないからだった。 (Partisan Rifts Harden on Debt Deal as Options Are Rejected) (米国債デフォルトの可能性

 共和党内には、財政縮小と減税によって「小さな政府」をめざすリバタリアン系の茶会派とは別に、赤字拡大に寛容な従来の保守派(主流派。軍産複合体系含む)もいるが、保守派は党内をまとめ切れていない。茶会派の多くは、昨秋の選挙で当選する前、選挙戦の一環として、絶対に財政赤字を減らしますと宣言する誓約書に署名している。茶会派は、赤字増を認めると支持者を失って次の選挙で再選を逃すので、大幅な長期赤字削減策と抱き合わせでない限り、赤字上限の引き上げを受け入れられない。 (Democrats and Republicans Spar Over US Debt Ceiling

 茶会派は、赤字上限を引き上げないと大変なことになるという米政府の警告を嘲笑している。公務員給与の遅配など、世論を騒がすひどい話になった方が、米政府や民主党は困り果て、赤字削減に本腰を入れるので良いとまで言っている。茶会派の自信の背景には、米国民の69%、共和党支持者の79%が赤字上限の引き上げ阻止に賛成している世論調査の結果がある。 (Debt-Limit Deniers Don't Buy 'Chicken Little' Warnings

 強硬な茶会派を前に、共和党の保守派は、党内を赤字枠引き上げ容認でまとめることをあきらめかけている。先日、共和党の有力議員たちがニューヨークで金融界の重鎮らと会談した後「金融界は、財政上限問題をそれほど気にしていなかった。厳密な期限を気にせず、しばらく上限を引き上げなくても大丈夫だ」とコメントした。実際のところ米金融界は、債券市場を破壊しかねない財政上限問題を3月から心配している。 (Cantor: Wall Street Isn't Worried by Debt Ceiling) (GOP rhetoric calm on debt ceiling

 今後7月末にかけて、米国で財政赤字に関する議論が激しくなることは確実だ。ちょうど6月末には、米連銀による米国債の買い支え事業(QE2)も終了する。この半年間に発行された米国債の7割を買ってきたQE2の終了により、米国債の売れ行き悪化が顕在化する可能性があり、これも米国債の下落(金利高騰)の要因となる。 (What QE2's end will mean for your bond portfolio

 米国債とドルに対する国際的な信頼が低下すると、反比例するかたちで金地金や原油など商品相場が上昇する。それを先制的に防ごうと、先週は商品先物市場でヘッジファンドなどが売り浴びせて急落を引き起こした。連銀の金融緩和策の影響で、ジャンク債の金利が史上最低の水準まで下がっており、投機筋が資金調達するのは簡単だ。 (Junk bond yields hit record lows

 5月16日、IMFのフランス人の専務理事であるドミニク・ストロスカーンが米当局によって婦女暴行容疑で逮捕されたが、これも、ストロスカーンらが主導するギリシャ国債危機への救済策(ユーロ救済)を阻害してドルを延命させようとする米当局の濡れ衣逮捕かもしれない。63歳のストロスカーンは、来年のフランス大統領選挙に出馬する予定で、今は彼にとって政治的に大事な時期だ。そんな時に、性の問題に厳格な米国で、欧州に帰る間際に、ホテルの掃除係の女性に暴行するのは不可解だ。(彼に強姦されたと以前から主張してきたフランスの女性もいるので、もしかすると本当に強姦魔なのかもしれないが、今後の展開を見極める必要がある) (Kahn faces second assault claim

▼今回でなくてもいずれ破綻する米財政

 米議会では財政緊縮の主張が強いものの、実際には軍事費(防衛費)の増額など支出増の議案が簡単に可決され続けている。米国の来年度の軍事費は6900億ドルで、茶会派などの反対で7000億ドル超えは避けられたものの、今年度の6686億ドルから増え、史上最高額を更新する。 (House Committee Approves $690 Billion in 2012 Military Spending

 米議会は4月初旬、暫定的にしか決まっていなかった今年度予算の残りの期間の分を審議し、暫定予算が切れる直前に、380億ドルの財政削減策と抱き合わせで予算を可決した。しかし、この380億ドルの削減は、昨年度に使わなかった分の予算枠を今年度分に充てることにして削減したことにする見かけ倒しだった。意図的に入れ忘れている臨時のアフガン戦費を含めると、今年度予算はむしろ昨年度より増えた。このような見かけ倒しが米議会でまかり通るのを見ると、茶会派の(表向きの)強硬姿勢と裏腹に、7月末の期限ぎりぎりに、今回の赤字上限問題も解決されるのかもしれないとも思える。 (CBO: Counting Wars, Budget Deal Actually Adds to Spending

 しかし、いずれ何らかのきっかけで米国の財政が破綻する可能性は高い。最も危険なのは、軍事費でなくメディケアなど社会保障費の急増だ。メディケアは、ブッシュ政権が処方箋薬に対する保険適用を認めてから赤字が急拡大している。米政府の最近の調査によると、このままだとメディケアは2024年に支払い不能に陥る。以前は2029年と予測されていた支払不能が5年前倒しになっている。メディケアは政府が責任を持つ健康保険なので、支払不能の分は公金で補填せざるを得ず、財政赤字の増加に拍車をかける。 (Medicare Financing to Run Out in 2024 Without Fix

 米国では今、公務員が2250万人で、製造業の雇用者が1150万人だ。この比率は60年代と逆転している。かつて製造業が強かった米国は、産業衰退によって今や雇用を吸収できる民間産業が少なく、政府が最大の雇用主だ。 (We've Become a Nation of Takers, Not Makers

 米国民の家計は今年、1930年代の大恐慌以来初めて、総額として政府に支払うお金(税金)の金額より、政府からもらうお金(公務員の給与、政府からもらう社会保障費など)の方が多くなった。米経済は、政府の資金に依存する度合いを高めている。そして、政府の資金の出所のより多くが米国債の発行になっている。米国債の発行総額の約半分は、中国や日本など外国勢だ。米国債の信頼が失墜することは、米国の破綻そのものである。米軍の制服組の最高位であるマレン統合参謀本部議長も「わが国の安全にとって最大の脅威は、わが国の財政赤字だ」と述べている。ビンラディンの「死」の後、その傾向はますます強まっている。 (Dependent on Fed Spending and the New Money System) (Warning Signs of a Coming Currency Crisis

 茶会派は、米財政赤字の上限を引き上げず、米国債やドルが危機的な状況に陥ってもかまわないと思っているふしがある。小さな政府を希求するリバタリアン(個人の自由を極限まで求める思想)の茶会派は、第一次大戦後の100年間、連邦政府が肥大化を続けていることに憤慨し、米国を大昔のような地方分権の真の連邦国家に戻したいと思っている。茶会派の中には、近年の米国債とドルの過剰発行によって米連邦政府や連銀が破綻するのを好都合だと考える人が多い。米政界で茶会派が台頭するほど、米国の財政やドルは不安定になる。 (How the Neocons Are Co-opting the Tea Party

 米国は、イラクやアフガニスタンなど各国に濡れ衣をかけて壮大で無茶な戦争を拡大した挙げ句、世界からの信頼を失って覇権を失墜させている。これも茶会派にとって、連邦政府による覇権主義を破綻させ、米国を「対外不干渉主義」(これを中傷的に呼ぶと「孤立主義」になる)の、身の丈にあった国家に戻すことにつながるので結構なことだろう。茶会派は、世界に対して過剰な戦争をやって米覇権を自滅させ、世界の覇権体制を多極型に転換させようとしたと疑われるブッシュ政権時代のネオコンと、根底の考え方が似ている。茶会派は草の根が強いが、上の方の人々が何を考えているかわからないところがある。茶会派もネオコンも、裏の思惑がありそうな不透明な勢力である。 (Tea Party Infiltrated with Neo Cons and RINOS To Break the Will of the People?



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