米国債デフォルトの可能性2011年4月21日 田中 宇債券格付け機関のS&Pが、米欧の格付け機関として史上初めて、米国債の格付けを再優良の「トリプルA安定的」から「トリプルAネガティブ」に見通しを引き下げた。その理由は、米国の政府や連邦議会が財政赤字の削減をめぐる議論でまとまりがつかず、赤字の増大に歯止めがかけられそうもないからだ。S&Pは、今後2年間に米政府が赤字削減策をまとめられない場合、トリプルAから格下げすると言っており、格下げの確率は33%だという。 (S&P goes negative on US outlook for first time) 金融危機や不況の対策としての支出増で米国の財政赤字が増え続ける中、S&Pなどの格付け機関は、以前から折に触れ、米国債を格下げする可能性を発表してきた。オバマ大統領の米民主党が昨秋の中間選挙に負け、共和党が推進するブッシュ時代の時限立法だったはずの金持ち減税策を延長せざるを得なくなった今年1月にも、S&Pとムーディーズが、赤字を減らせないなら米国を格下げせざるを得ないと警告を発した。 (S&P, Moody's Warn On U.S. Credit Rating) S&Pなど主要な格付け機関3社はすべて米英系で、政治的に、米英の国債や社債に対して甘い格付けをする傾向がある。S&Pなどは07年からの金融危機を全く警告できず、危機前にS&PがトリプルAと格付けしていた不動産担保債券(MBS)の93%が今ではジャンク格に下がっている。それを考えると、米国債に対するS&Pの格下げ開始は遅すぎたぐらいかもしれない。中国の政府系格付け会社「大公」は、米連銀による米国債買い支え(QE2)が不健全な政策だとして、昨年11月に米国債をダブルAからシングルA+ネガティブに格下げしている。 (The dollar's Surprising Reaction to a Negative US Debt Outlook) (China's Dagong Cuts U.S. Credit Rating to A+ on Fed's Quantitative Easing) S&Pは世界の127カ国の国債を格付けし、そのうち米国のほか英仏独など19カ国が最優良のトリプルAだが、米国のトリプルAには、米国の通貨であるドルが国際的な決済や富の備蓄に使われる基軸通貨である状態を支える特別な意味がある。米国債のトリプルAは、すべての債券の価値の基盤にある原点のようなもので、米国債が最優良格を失うと、世界中の国債や社債を支える価値体系が崩れる。 債券の下落は金利の上昇を意味するので、米国債が格下げされると、ドル建ての金利の全体が上がり、世界経済を減速させる。財政赤字に対する利払い額も急増し、米政府は支出を切り詰めても利払いに消える状態になる。米国債の優良さに裏打ちされていたドルの価値の下落も加速し、ドルの基軸通貨としての地位の喪失が起きる。 (So what if the US credit rating is cut?) 先進諸国の通貨当局は米英主導の協調体制を組んでいるので、先進諸国の通貨全体に対する信頼が薄れ、金や国際商品(石油や鉱石、穀物など)などの「モノ」の価格が高騰する。こうした事態はすでに起きており、S&Pの格下げの直後、金相場が史上最高値を更新し、1オンス1500ドルを初めて超えた。商品の高騰によって中国やインドなど新興諸国のインフレが激化している。新興諸国が自国通貨の対ドル為替を切り上げればインフレがおさまるが、輸出重視の新興諸国の諸通貨は切り上げを嫌がっている。 (Gold hits record high in wake of US downgrade) ▼S&Pの格下げ見通しは米政界への激励 S&Pが米国債の格下げ見通しを発したきっかけは、4月にかけてオバマ(民主党)と共和党が相次いで財政緊縮案を発表し、その後オバマが来年の次期大統領選挙への出馬を表明し、緊縮案をめぐる両党の対立が再来年1月の次期政権成立後まで解けない見通しが強まったことだ。オバマの緊縮案は金持ち増税と軍事費削減が入っており、金融界と軍産複合体の支持勢力が強い共和党には飲めない。共和党の緊縮案は老人や貧困層を対象とした健康保険の民営化が柱で、弱者救済を重視する民主党には受け入れられない。 (U.S. political rift was tipping point for S&P) S&Pは、米議会と政府が2年以内に財政緊縮策をまとめられない場合、米国債の格下げに踏み切る(かもしれない)と発表したが、これは事実上「選挙前に両党案の違いを融和して財政緊縮を始めよ。さもなくば格下げだ」という警告だ。米国債はすべての債券の原点であり、格下げは債券市場の瓦解を意味する。S&Pなど米英系格付け機関は、政治的な意味で、米国債を格下げすることが非常に難しい。だから「このままだと格下げするぞ」という見通し発表は、米国の両党に「何とか緊縮策で談合しろ」とはっぱをかける政治的な警告または激励である。 (U.S. Debt Outlook: We're On the S&P Call) ただし、両党が緊縮策で談合できたとしても、それが実際の財政緊縮につながるとは限らない。両党間の対立で今年度分の予算編成が暫定的にしか行えていなかった米議会は4月8日夜、暫定予算が切れる1時間前に残りの期間の予算編成と今年度分の赤字削減策を決め、政府機能の停止をぎりぎりで回避した。この時に両党は、今年度分として385億ドルの赤字削減を合意したと発表されている。しかし、この385億ドルの大半は、昨年度に使い残した公共事業などの予算枠を今年分として使って赤字を埋める表面的な技巧策であり、実質的な今年度の赤字削減は3億ドルにとどまっている。 (U.S. Budget Analysis Shows Smaller Savings) (米政府が機能停止の危機) この手の目くらまし策が今後も続くと、米国の財政赤字は減らない。3月末、S&Pが米国債の格下げ見通しを発表しそうだと知ったオバマ政権は「4月に財政緊縮策をうまくまとめるから少し待て」とS&Pに言って待たせた。しかし、その後出てきた今年度分の緊縮策は上記のインチキ策で、長期的な緊縮策は両党が融和できず、S&Pはしびれを切らし、格下げ見通しを発表した。 (Obama administration officials tried to keep S&P rating at `stable') ▼むしろデフォルトに近づく S&Pは、米政界に財政削減策を実行しろと激励する「良い」意味で米国債格下げ見通しの警告を発したという見方が出ている。しかし、この警告が本当に財政削減策につながるかどうか怪しい。むしろ、5月中旬に米政府の財政赤字が法定上限に達しそうなことと合わせて考えると、法定上限に達しても米議会が上限引き上げを可決できず、新規米国債が発行できなくなり、最後には利払いや元本返済ができなくなってデフォルト(債務不履行)を宣言せざるを得なくなる懸念がある。 (DoubleLine's Gundlach: S&P warning 'good' for US debt) 米議会の多数派である共和党内では「小さな政府」を希求して財政緊縮を強く求める「茶会派」が台頭している。彼らは米議会で財政上限の引き上げる案を潰そうと動いてきたが、共和党内は財政拡大(赤字増)で利権を拡大して儲けてきた軍産複合体系の勢力も強く、これまで通り上限引き上げが繰り返されそうな感じだった。 (Did The S&P Downgrade Warning Just Make A Debt Ceiling Compromise Even More Difficult?) しかし、そんな中でS&Pが「赤字を減らさねば格下げだ」と宣言したものだから、茶会派は「荒っぽい赤字削減策として、赤字上限を引き上げずに頑張ってみるのが良い」と強気になり、支持者を増やしている。世論調査では、米国民の7割が上限引き上げに反対している。米議会が赤字上限を引き上げない場合に備え、赤字を増やせない場合、国債の利払いや償還を優先して予算を使っていく法律がすでに定められている。だが、その策に頼るのも限度がある。 (5 reasons why S&P just guaranteed U.S. debt will lose AAA rating) 5月中旬、米議会が赤字上限の引き上げを拒否した時点で「米国債のデフォルト」という、これまであり得なかったことが、現実の可能性として浮上し始める。経済的な世界の景色が変わる。米国債に対する忌避が激しくなり、S&Pが避けたかった米国債の格下げが、むしろ前倒しされる方向になる。 ▼基軸通貨ゆえの放漫運営が過度に 米国債の利払いや償還は、連銀がドルを発行するだけでできる。ドルは基軸通貨だから、いくら発行しても信頼性が落ちない。ドルは全人類の経済的な要衝であり、ドルが失墜して困るのは米国より世界の方だ。米国が放漫運営をしてドルが潜在的に危機になっても、世界(かつては日独、今はBRICやEU)が救ってくれる。「ドルはわれわれの通貨だが、君たちの問題だ」という、ニクソン政権のコナリー財務長官の名言的な状況だ。米国の政財界は、高をくくって気楽に財政赤字を増やし、放漫な国家運営をしてきた。S&Pの警告も、あちこちで軽視されている。 (Economists React: S&P Outlook Cut `No Big Deal') 米英が、秘密裏に巨額のドルを貯めておけるタックスヘイブンや影の銀行システムを持ち、経済覇権を守るために、投資銀行の下請けであるヘッジファンドなどに、こっそり巨額のドルを放出したり引っ込めたりさせられることは、前回の記事に書いた。この機能も米国の強みだった。 (タックスヘイブンを使った世界支配とその終焉) だが、放漫運営にも限度がある。07年からの金融危機で、巨額の不動産担保債券が価値の裏付けの少ない紙くずまがいのネズミ講債券だったことが露呈した。当局の監督が全くない影の銀行システムやタックスヘイブンの規模が、かたぎの従来型金融システムより巨大になっていることも発覚した。昨年秋以降に発行された米国債の大半を米連銀がQE2の政策で買っている(身内以外に売れた米国債の方が少ない)ことも報じられた。 (影の銀行システムの行方) そして、米政界は財政緊縮策をまとめられず、表面的な技巧ばかり弄する。米議会の茶会派は「財政緊縮を本気でやる機会を作るため、いちど米国債をデフォルトさせればよい」とすら言っている。こんなに無茶苦茶な事態が重なると、世界が米国の放漫運営を黙認しようと思っても、静観しきれない。「米国がもう少しうまくやってくれさえすれば、他の国々で支えられるのに」と、英国も日本も中国も当局者が思っているはずだが、米国の放漫は続いている。 (Stage set for US debt limit fight) 米銀行界では、破綻した住宅ローンの担保として銀行が差し押さえたまま売却できなくなっている(放出すると住宅相場が下がる)不良住宅在庫が積み上がっている。米当局は、銀行が不良債権の評価替えをしないことを容認し、不良債権が少ないかのような状況を作り出している。このバブルも、いずれ崩壊する。 (Bankruptcy in America) 米国には「日本の国債は何度も格下げされたが、価値は下がらず、利回りが低いまま安定している。同様に、米国債が格下げされても価値は下がらない」という楽観論もある(日本は1月に格下げされ、中国と並ぶダブルAマイナス)。しかし日本国債は、9割以上が国内で消化され、多くは金融機関が政府に圧力を受けて買わされ、売ることは事実上できない。対照的に米国債は約半分が外国人に買われており、格下げによって買い手がいなくなる。日本国債になぞらえるのはお門違いだ。 連銀がドルを刷って米国債の大半を買い支えるQE2の金融緩和策は延長されず、予定通り6月末で終わりそうだ。延長するなら期限ぎりぎりで決定せず、4月27日の連銀理事会(FOMC)で延長が話題になるはずだが、それがないことがわかったとFTが報じた。連銀は、米国債の信頼低下による金利上昇に備え、金融を緩和から引き締めに転じていかねばならない。QE2が終わったら、誰が米国債を買うのか。それも不明だ。 (Fed to signal end of monetary easing) 米マスコミでは「QE2が終わって困るのは米国でなく、QE2による世界への資金ばらまきが止まって投資金が急減する新興諸国の方だ」という、相変わらず高をくくった分析が出ている。対米従属の日本のマスコミなども、この手の米国の論調を重宝してコピーしている。しかし実際には、ドルや米国債、米金融界は、危険な状態を静かに増している。 (Worrying about QE2)
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