ムバラクの粘り腰2011年2月7日 田中 宇エジプトの反政府運動が下火になりそうな展開になってきた。軍を代表するかたちで副大統領になったオマル・スレイマン(諜報長官)が2月6日、イスラム同胞団を含む野党諸勢力の代表らと会議を開き、今後の政治改革について話し合った。スレイマンは、この会議を機にエジプトが9月の総選挙に向けて、国内野党や米欧が求める政治改革のプロセスに入ったことを内外に印象づけた。 (Protesters Pledge More Pressure on Mubarak) ムバラク大統領は辞任していないが、とりあえずスレイマン副大統領が、国民に比較的信頼されているエジプト軍の意向をまとめて実権をムバラクから委譲され、野党側と話し合いを開始したという形式ができつつある。野党側の最大要求だったムバラクの辞任が実現していないので、野党側は、まだ反政府デモを続ける姿勢を崩していない。だがエジプト経済は、反政府デモによって2週間も麻痺したままなので、国民の間には、そろそろ終わりにしてほしいという気運が出てきている。 (Egypt leadership holds firm after talks) 野党側の要求どおりにムバラクが辞めたらエジプトの混乱に収拾がつかなくなり、国民生活に長期的な悪影響が出るという脅し的な見方も、政府系メディアや、ムバラク自身の口から発せられている。今後もずっと野党側が反政府デモを続けると、国民の心が野党側から離反していきかねない。デモが下火になっていかざるを得ない要因がそこにある。 ▼本質はイスラエルの粘り腰 エジプトの反政府デモはチュニジア革命から飛び火したものだが、その後の両国の事態の展開は異なっている。チュニジアのベン・アリ前大統領はあっけなく亡命したが、ムバラクは粘り腰で辞めようとせず、このまま9月まで任期を全うする可能性が出てきた。ムバラクは国内的には、すでに軍の将軍たちに見捨てられている。この点では亡命直前のベンアリと同じだ。だが、国際的には、まだムバラクを絶対に捨てたくない勢力がいる。それはイスラエルだ。とりあえずムバラクがベンアリのように亡命せずにすんでいるのは、イスラエルや、米中枢の親イスラエル勢力が、必死にムバラクを守ったからだろう。ムバラクの粘り腰の本質は、イスラエルの粘り腰である。 チュニジアの革命がエジプトに伝播してムバラクが辞任した場合、政権転覆が他のアラブ諸国に拡大していく可能性がぐんと高くなる。ヨルダンやパレスチナ自治政府といった、イスラエル近傍の諸政府が次々と瓦解し、代わりにイスラム同胞団の政権になるか、イスラム主義者と政府軍との内戦の混乱に陥りかねない。サウジアラビアも王家内が反米イスラム主義派と親米派で分裂しかねない。すでに、サウジでは王子のクーデターが起きたという未確認情報も流れた。つまり、先週か今週にムバラクが辞めたら、イスラエルが30年ほどかけて構築した自国周辺の安定状況が瓦解する。だからイスラエルと、米中枢の親イスラエル勢力は、ムバラクを辞めさせるわけにいかない。 (2月6日の拙速分析) 米中枢では先週、オバマ大統領やその側近たちが、エジプトやイスラエル周辺の安定よりも「民主化」を重視し、事実上ムバラクに即時の辞任を求めるような発言が相次いだ。オバマらの姿勢は、高邁な理想主義にも見えるが、イスラエルからすれば、自国を国家存亡の危機に陥れる脅威そのものである。オバマらの理想主義的で呑気な民主化要求の発言は、チェイニー前副大統領やネオコンから続く「親イスラエルのふりをした反イスラエル」の隠然戦略だった可能性がある。米中枢は、ムバラクを辞めさせるかどうかで暗闘となり、イスラエル側がとりあえず勝利してムバラクが留任している感じだ。 (2月2日の拙速分析) オバマの特使としてエジプトに派遣されたフランク・ワイズナーが、米政府の意に反して「米国はムバラクが大統領に残ったまま改革が進むことを望む」と発言し、その直後にワシントンの国務省が「ワイズナーの発言は米政府を代表するものではない」と表明するなど、暗闘が見え隠れする展開が続いている。 (2月7日の拙速分析) イスラエルが米政界を牛耳るようになったのは1960年代からのことで、それは56年のスエズ動乱で米国が、アラブ統一を掲げるナセル大統領のエジプトを支持し、イスラエルを非難したことへの長期的な対策として始まっている。イスラエルに牛耳られるようになった米政界の側では70年代から、親イスラエルのふりをしつつイスラエルを潰そうとする隠然とした動きが続き、誰が本物の親イスラエル勢力が見分けがつかない暗闘状態になっている。911やイラク侵攻も、この流れの中でとらえると、うまく理解できる。 (反イスラエルの本性をあらわすアメリカ) イスラエルの存亡をめぐる暗闘は、イスラエル建国前のシオニズム運動をめぐる暗闘までさかのぼるユダヤ人内部の相克である。 (イスラエルとロスチャイルドの百年戦争) ヨルダンでは、イスラム同胞団が率いる反政府運動に呼応して、アブドラ国王が内閣を総入れ替えしたが、新首相となったバヒートは治安維持専門の元軍人で、駐イスラエル大使の経験者だ。イスラエルはエジプトだけでなく、ヨルダンやパレスチナ自治政府の政権転覆をも防ぐため、各国にイスラエルから入れ知恵してもらえる体制を作っている。アラブの独裁諸政権にとって米政府は、お門違いな理想主義(実は隠れ多極主義的な)を掲げてアラブ諸国の民主化(実はイスラム主義化)を進展する信頼できない勢力になっている。その分、アラブ諸政権はイスラエルの傀儡になる傾向を強めている。 (2月2日の拙速分析) チュニジアからエジプトに波及した政権転覆の動きを、イスラエルの存亡をめぐる暗闘ととらえると、IAEA前事務局長のエルバラダイが野党側の指導者に祭り上げられていることにも、新たな意味が感じられてくる。エルバラダイが国連のIAEA(国際原子力機関)の事務局長だった時、イランの台頭を恐れる米イスラエルは、イランに核兵器開発の濡れ衣をかけ、フセイン政権のイラクのように潰そうとしていた。実際のところ、イランの核開発は兵器用でなく平和利用に限定され、エルバラダイは何度もそのことをIAEAの報告書で指摘したが、米イスラエルの配下にある国際的なマスコミはそれを無視し、イランが核兵器開発していると喧伝し続けた。 (歪曲続くイラン核問題) 国際センスを持った国連官僚であるエルバラダイは、エジプトのリベラル派の指導者として欧米が支持しやすい経歴の持ち主だ。今後もし彼がイスラム同胞団と一緒に連立政権を作る場合、彼はイスラム同胞団に対する欧米の拒絶反応を緩和できる人物だ。だが同時に彼は、米イスラエルのやり口に激怒しており、ムバラクやスレイマンのようにイスラエルの傀儡になることを、強く拒否するだろう。米中枢の「親イスラエルのふりをした反イスラエル」の勢力にとって、エルバラダイは有望な気骨ある人材だ。 ▼反政府運動は暗闘の諸刃の剣 ムバラクは留任したままで、とりあえずイスラエルは暗闘に勝っている。だが、事態はまだ第1ラウンドにすぎない。エジプトをめぐる政治状況は非常に不安定なので、今週来週やその先にどんな展開になるか、まだ見えない。エジプトなどアラブ諸国で起きている反政府運動の最深奥の本質は「ムバラク対エジプト国民」ではなく、米イスラエルの中枢における、イスラエルを潰そうとする勢力と守ろうとする勢力の暗闘だ。 もちろんエジプト国民は、自国のために最大限に頑張っているだろうが、ムバラクが辞めるかどうか、革命がアラブ全体に拡大するかどうかは、エジプト国民の頑張りよりも、ワシントンやテルアビブでの政争の行方が大きく関係する。本質がイスラエル存亡をめぐる国際暗闘であると考えられる以上、アラブ全体のイスラム主義化を扇動してイスラエルを潰そうとする勢力による何らかの反撃が起こされても不思議ではない。 この暗闘とは別に、エジプト自身が持つ問題もある。エジプトは爆発的に人口が増えており、国民の平均年齢が24歳で、2040年までの約30年間に人口が32%増えると予測されている。毎年50万人が学校を卒業し、新たに労働市場に流入し続ける。しかもエジプトは砂漠以外の地域の人口密度が1平方キロあたり2千人を超え、すでに世界一の密度だ。今回の反政府デモの理由となった失業増や食糧不足が今後いっそうひどくなることが確実で、エジプトは構造的に不安定な状況から脱せられない。 (Why This Is Just The Beginning Of Egypt's Crippling Demographic Crisis) とはいえ、反政府暴動が悪化しそうなのは、エジプトやヨルダンなど親米親イスラエルの国々だけではない。シリアやイランといった、反米反イスラエルの国々に飛び火する可能性もある。シリアは、フランス植民地時代に警察官や兵士を多くやっていた少数派のアラウィ派イスラム教徒の有力軍人だったハーフェズ・アサドが権力をとって独裁者となり、父の死後に息子が跡を継いだ世襲の独裁体制だ。イランも、以前から経済政策の失敗が指摘されている。 民衆の決起を外から扇動して政権転覆する策略は、03-04年のグルジアやウクライナでの革命あたりから、ロシア包囲網としての米国の覇権戦略の一環として機能していたが、05年以降のキルギスの革命では、国内にある米軍基地に撤退を求める動きになるなど、戦略として「諸刃の剣」だ。中東でも政権転覆策は諸刃の剣で、エジプトでムバラク政権が転覆されたらイスラエルの危機が強まる半面、シリアやイランが政権転覆で自滅的に混乱すれば、イスラエルの国家存亡の危機はかなり減る。 アラブ諸国の国際衛星テレビ放送のアルジャジーラも策略の道具として諸刃の剣だ。ジャジーラは当初、カタール発でサウジ王家のスキャンダルを報道し、米国がサウジを弱体化させて親米国として引き留めておくための道具だったが、今や正反対に、各国の親米政権を倒す革命をアラブ各国に伝播する反米的な道具になっている。 イスラエル近傍では、エジプトやヨルダンでの政権転覆の策動以外に、レバノンで反米反イスラエル的なイスラム武装勢力であるヒズボラが政権をとったことも、イスラエルの脅威となっている。エジプトが安定に戻ったと思ったら、レバノンに再び火がつくかもしれない。米連銀がドルの過剰発行(QE2)を続けるほど、ドルの潜在的な信用失墜が続き、国際的な食糧高騰が進み、アラブなど各地の途上諸国の反政府暴動の要因が増す。エジプト革命の第2、第3ラウンドもありうる。 (1月12日の拙速分析)
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