ウィキリークス事件の裏表2010年12月13日 田中 宇11月28日、インターネットで機密文書の暴露を受け付けるサイトであるウィキリークス( <URL> 停止中。ミラーサイトは <URL> )が、米国務省の外交電文の公開(暴露)を開始した。ウィキリークスは、電文を自分のウェブサイトで暴露するだけでなく、事前に欧米の5つの新聞社・雑誌社に電文の束を電子ファイルとして送り、5社は同じ日に、電文についての暴露的な報道を行った。5社は、米ニューヨーク・タイムス紙、英ガーディアン紙、独デア・シュピーゲル誌、仏ル・モンド紙、西エル・パイス紙だ。 (Respected media outlets collaborate with WikiLeaks) ウィキリークスは約25万件の米外交電文を5社に送ったが、現在までに公開されたのは約1300件にすぎない。11月28日の初日に220件を公開したが、ウィキリークスのサイトは、5社と別の電文を公開したのではなく、5社が公開したのと同じものを、5社と歩調を合わせて公開した。どの電文をどのタイミングで公開するか、ウィキリークスは事前に5社と談合し、5社に公開手順を約束させた感じだ。ウィキリークスはその後、1日に30−70件程度ずつ、新たな電文を公開している。 ウィキリークスが5社に送った25万件の外交電文のうち、米国務省が世界の274カ国に置いている大使館などの外交官が本省に送った報告書が24万件で、国務省から各大使館などへの司令文書が8千件となっている。 (WikiLeaks Diplomatic Cables - A Superpower's View of the World) このほか「ウィキリークスが持っている米国の外交電文は全部で300万件だ」という指摘もある。ウィキリークスは今年10月、米政府が持っているイラク関連の機密文書40万件をネット上で暴露した。その後ウィキリークス側は、ツイッターで「次は、イラク関係文書の7倍の秘密文書を暴露する」とつぶやいた。それで「40万かける7で、約300万件」という数字が報じられている。だが、つぶやいただけなので、事実かどうかわからない。 (WikiLeaks threat sparks massive review of diplomatic documents) (WikiLeaks to publish secret US files) ▼ウィキリークス暴露に空騒ぎするマスコミ 25万件とか300万件とか、膨大な量の機密文書が暴露されそうになっている。だから、今回のウィキリークスによる暴露事件は「史上最大のリーク」と呼ばれ、外交機密が暴露されることによって米国の安全が損なわれるという意味で「外交界の911」とも呼ばれている。 (Is the Internet 9/11 Under Way?) ウィキリークスの代表発言者であるジュリアン・アサンジュは、米国に脅威を与える「ネット界のオサマ・ビンラディン」と呼ばれて、米議会などから敵視され「コンドームを使わずに性交した」という、スウェーデンの法律違反によって英国で逮捕され、米国に身柄送致されようとしている。「どんな罪で逮捕するにしても、アサンジュは米国に脅威を与える悪い奴なのだから、かまわない」と米国のタカ派議員らは息巻いている。「911の直接犯であろうがなかろうが、ビンラディンは悪い奴なのだから殺せばいい」という理屈と似ている。 (Wikileaks founder Julian Assange refused bail) ウィキリークスの情報暴露やアサンジュ逮捕をめぐって、米英マスコミは、日本マスコミの海老蔵騒動にも似た大騒ぎをしている。だがウィキリークスが暴露した電文の内容を見ていくと、大騒ぎをする話でもないと思えてくる。ウィキリークスが欧米マスコミ5社に流した25万件のうち、半分以上を占める13万件は、機密指定されていない。残る12万件のうち10万件は、米政府の機密指定のうち最も低い機密区分である「コンフィデンシャル」に分類されている。その上の「シークレット」に指定された文書が1・5万件で、そのさらに上の「トップ・シークレット」は1件もない。今回の暴露は、機密情報として大した価値がない。 (United States diplomatic cables leak From Wikipedia) 電文の内容も、目新しさに欠ける。ほとんどは、今回の暴露よりずっと前、すでに報じられていることだ。しかも、たとえば中東問題に関して「サウジアラビア王室は、イスラエルよりイランを脅威だと考え、米国にイラン空爆を頼んだ」とか「レバノンのヒズボラはイランから支援され、イスラエルと戦うための光ファイバー網を構築した」といった、イスラエルに有利になる内容が目立つ。私から見ると、機密文書のくせに、真実の暴露とは逆の、作り話のプロパガンダに染まる方向性の文書が多い。 (WikiLeaks Disclose Complicated U.S. Strategy By William Pfaff) (The real story of Wikileaks has clearly not yet been told. by F. William Engdahl) ウィキリークスの暴露が、イスラエルに有利、イランに不利になる状況を見て、イラン政府は「米政府の意に反して暴露されたものではなく、逆に米政府が仕組んで暴露したものだ。電文は本物でなく、ニセの電文が暴露用に偽造され、わざと流出した可能性がある」と言っている。政府の公式発表より、機密文書が暴露した形式の方がはるかに人目を引くので、米当局による親イスラエル・反イランのプロパガンダとして有効だという見方だ。 (Wikileaks secret documents are US plot against Iran, claims leader Mahmoud Ahmadinejad) ▼ウィキリークスは諜報機関に入り込まれている? 「悪の枢軸」であるイラン政府の言うことなど信用できないと、米欧日では一蹴されがちだが、暴露された電文がウィキリークスに流出した経緯を見ると、そうとばかりも言えない。今年6月、米ワイヤード誌は、ブラッドレー・マンニング(Bradley Manning)というイラク駐留米陸軍の情報担当の兵隊が、米軍の情報ネットワークであるSIPRNetから26万件の外交機密電文をコピーし、ウィキリークスに流したと報じた。 (State Department Anxious About Possible Leak of Cables to Wikileaks) ウィキリークス側は、この報道を正確でないと否定したが、今から考えれば、このワイヤードの報道が正しい感じだ。SIPRNetは、米軍や米政府内の下級の兵士や官僚の情報不足を補う目的で、ある程度までの機密文書を掲載し、300万人の兵士や官僚が閲覧可能になっている。300万人の公務員が読める機密文書だから、SIPRNetに載っているものは公開されても大した被害がないもので、トップシークレットの文書が入っていない。 (United States diplomatic cables leak From Wikipedia) むしろ、米政府の下級兵士・官僚の頭の中を政府の意図する方向に偏向させるため、プロパガンダを機密文書として流して読ませている可能性すらある。それをウィキリークスが暴露し、イラン政府がプロパガンダだと批判した。私には、イラン政府が正しいように思える。 「前代未聞の情報リーク」「300万件もの文書が流出した!」と空騒ぎする米英マスコミも、米政府が意図的にウィキリークスに流したプロパガンダを宣伝拡大する役目を果たしている可能性がある。米サロン誌の分析者は、ウィキリークスが実際には1300件しか暴露していないのに、米タイム誌は「数千件もの外交機密文書が暴露された」と書き「数千件じゃなくて1300件だろ」と指摘されても、歪曲を追加するような訂正しか出さなかったと書いている。 (The media's authoritarianism and WikiLeaks) オバマの外交戦略顧問であるブレジンスキーは、ウィキリークスの内部スタッフとして、いくつかの国々の諜報機関のエージェントが入り込んでいるのではないかと指摘している。ウィキリークスは言論の自由を追究する純粋な情報公開運動ではなく、国際政治の道具の一つであろうと彼は言っている。ボランティア活動家によって支えられているウィキリークスは、エージェントの入り込みやすい組織である。 (Zbigniew Brzezinski: Who is Really Leaking to Wikileaks?) ブレジンスキーの発言の趣旨は、英独仏など同盟国の指導者を酷評中傷する外交電文を、米国の外交官が本省に打電したことをウィキリークスが暴露している点をふまえ、反米諸国がウィキリークスにエージェントを送り込んで、米国と同盟国の関係を悪化させようとしているというものだ。 ('The United States Is Behind This Deliberate WikiLeaks') だが私には、中露やイラン、ベネズエラなどの反米非米諸国の当局が、そんな器用なことをできると思えない。むしろ、かつてテロ戦争やイラク戦争を過剰にやって失敗させた、米英イスラエル諜報界にうようよいる隠れ多極主義的な勢力が、ウィキリークスを使っているのではないかと思える。 ▼公務員や学生に「見ないふり」を命じる その意味では、911事件とウィキリークス暴露事件は「米国の安全に脅威を与える」という「表」の意味だけでなく「プロパガンダを駆使して米国の覇権を強化・恒久化するつもりが、やりすぎの結果、逆に米国の覇権を崩す」という「裏」の意味でも、同質といえる。 911以来、テロ対策と称し、米国の空港などでの身体検査や手荷物制限が厳しくなる傾向が続き、今や空港で乗客が係官に身体検査として性器を触られまくるのが当たり前になっている。その一方で米当局による「テロリスト」摘発は、空振りや「やらせ」が多い。米国民の多くが、テロ対策とその報道に疑問を持っている。 (FBI Celebrates That It Prevented FBI's Own Bomb Plot) ウィキリークスの暴露後、米政府は配下の連邦公務員や一時雇用者に対し、ウィキリークスのサイトで暴露された情報を見ることを禁じ、ウィキリークス暴露に関するマスコミ報道の記事やニュース番組を見ることすら禁じた。米政府が機密を解除しない限り、機密文書を読むことは違法だという理屈だ。米政府は、全米の学生たちに対しても、教育的な見地から、ウィキリークスの暴露文書を見ないよう通告している。 (Don't Look, Don't Read: Government Warns Its Workers Away From WikiLeaks Documents) (State Dept Warning Students Not to Read, Share WikiLeaks) こうした政策は「王様は裸であることが暴露されたが、誰も裸であると言ってはなりません」という話で、ジョージ・オーウェルの「1984」的な倒錯した究極のプロパガンダの世界である。「世界のことなど見ず、どうでもいい事件に注目し続けなさい」と国民をいざなう日本のマスコミにも似ている。これらの過剰なプロパガンダは、マスコミに対する国民の信頼を失墜させる。 911以来のテロ戦争は、イスラム世界や欧州などの人々の反米感情を扇動した。同様に、ウィキリークスのアサンジュ代表が米国で裁かれることになると、それも米当局に対する世界の人々の信頼を失墜させる。アサンジュが有罪になるなら、米欧の言論の自由の原則そのものが有罪だということになる。言論の自由を考えると、米国の裁判所がアサンジュを有罪にするのは非常に難しい。これは、歪曲を指摘された「タイム誌」ですら指摘している。 (The U.S.'s Weak Legal Case Against WikiLeaks) 米当局は、アフガニスタンなどで捕まえた「テロ容疑者」を有罪にできないとわかると、米国沖のグアンタナモ基地やカブール郊外の軍用拘置所に彼らを恒久的に留置し、まっとうな米国の裁判所でなく非公開の軍事法廷で裁いて有罪にしようと試みたりした(結局それも成功していない)。同様に米当局は、有罪にできないアサンジュを、グアンタナモ的な「司法のブラックホール」の中に恒久幽閉するのではないかとも指摘されている。十分にあり得る話だが、これをやると米国は世界の反米感情をさらに煽ることになる。国連の人権理事会やロシアのプーチン首相は、アサンジュの人権を侵害しないよう、米国に警告を発している。米露間の善悪が逆転している。 (Growing International Criticism of US Moves Against WikiLeaks) ▼国連を監視するつもりが怒らせる ウィキリークスが暴露した外交電文は、米国と世界各国との関係を悪化させる。暴露された電文の一つは、米クリントン国務長官が、国連米代表や30カ国の米大使館に対し、国連や各国の指導者たちのクレジットカード番号や航空会社の顧客カード番号などの個人情報、DNAや虹彩といった身体情報を秘密裏に収集するよう命じている。オバマ大統領は、問題の電文は偽物だと言っている。この文書を本物と認めると、クリントンを初めとする20人ぐらいの国務省高官を罷免せざるを得ず、米国務省の態勢が崩壊する。たとえ本物であるとしても、本物と認めることができない。 (Hillary Clinton Ordered Diplomats to Steal UN Officials' Credit Card Numbers) この犯罪行為の暴露は、もともと米国に嫌がらせされる傾向が強い国連事務局の反米感情を悪化させている。イラン政府は、米国に、この件について世界に釈明するよう求めている。ここでもイラン政府の方がまっとうである。 ('US should explain diplomats conduct') 米大統領府は、イラクやアフガンの占領の泥沼化が始まった05年ぐらいから、軍事的な崩壊を外交面で挽回しようと、ネオコンが考えた「積極外交」の戦略を国務省に採らせてきた。ブッシュ政権のこの戦略はオバマに引き継がれたが、積極外交とは結局のところ、国連や各国の指導者のカード番号やDNAを盗み出し、彼らの行動を監視するような軍事諜報行為を意味していた。しかも、イタリア駐在の米国の要員たちが、盗み出した国連事務総長のクレジットカード番号を使って乱痴気騒ぎの費用を出していたことも指摘されるという、なかなかの腐敗ぶりである。ネオコンの「やりすぎ策」は奥が深い。 (The secret history of US diplomacy revealed by WikiLeaks) ウィキリークスの暴露は、米国と微妙な関係にある非米諸国を苛立たせてもいる。ポーランドに配備するミサイル防衛システムをバルト三国にも配備する構想の電文は、ロシアを怒らせた。中国政府の上層部に、北朝鮮を見捨てて韓国に南北併合をやらせようとする動きがあるという電文は、中国を怒らせた(情報源が韓国外務省なので真偽は怪しい)。トルコ首相がスイスに秘密口座を持っているという噂話の電文は、トルコ首相に「暴露はイスラエルの仕業だ」と言わせ、トルコと関係改善したいイスラエルの出鼻をくじいた。 (China to dump North Korea, really?) (Senior Turkey official says Israel behind WikiLeaks release) ▼英国の世界支配の道具だった「外交」の崩壊 さらに重要なのは、今回の暴露が、米国と同盟諸国の関係をも悪化させていることだ。フランスやイタリアの首脳に対する中傷電文が暴露されている。またドイツ外務省の高官や、オーストラリア与党の重鎮政治家が、米国大使館に機密情報を積極的に提供するエージェントだったことも暴露された。 (German FM's Chief of Staff Sacked for Being US Informant) (WikiLeaks outs Mark Arbib as US informant) 独豪でさえ、上層部に米国のスパイがいるということは、ぬるぬるの対米従属でしかも機密保持が弱い日本の官界や政界には、米国に喜んで国家機密を献上するスパイが多数いそうだ。それが隠れた国是として奨励されてさえいるかもしれない。ウィキリークスがこれから暴露する電文に、自分のことが書かれているのではないかとびくびくしている日本の官僚や政治家が何人もいるかもしれない。 全体として今回の暴露は、世界の国々の高官たちに、これまでのように米大使館員に情報提供したいと思わなくなる新事態を招いている。米大使館員に情報提供すると、自分の名前まで含めて暴露され、自分の政治生命を絶たれかねないからだ。米国の歓心を買うために世界が米国に情報提供する時代は終わったのかもしれない。米国の外交覇権の失墜である。これがドルに対する信用失墜や、イラクとアフガンの泥沼化を通じた軍事覇権の衰退と同期しているのも興味深い。外交力は、経済力(ドル基軸)、軍事力と並ぶ、米国覇権の3大柱の一つだった。今や米覇権の大黒柱は3本とも崩れかけている。 (WikiLeaks: Demystifying `Diplomacy') 米国務省は、世界各国の大使館の高官たちを配置換えすることで信用失墜を防ごうとしているが、これはその国の専門家でない人がその国の米大使館に来ることを意味しており、うまくいくと思えない。 (US Eyes Embassy Shake-Ups in Wake of WikiLeaks Shaming) 今回の件は、世界的な外交システムの崩壊につながるかもしれない。近現代の外交システムは、フランス革命後のナポレオン戦争に勝って欧州の覇権を獲得した英国によって形成された。英国は、各国をうまく競わせる諜報力によって覇権を維持したから、近代の外交システムにおいて、外交と諜報(スパイ)、プロパガンダ(マスコミ)は、もともと三位一体の関係である。 第2次大戦後、覇権は英国から米国に移転したが、米国は英国が作った世界の外交システムをそっくり引き継いだから、そこにおいて最も巧妙に動けるのは、システム創設者の英国(とその傀儡勢力)であった。英国が間接的に世界を支配する構造が維持された。だが今回の暴露によって、外交官が諜報活動をやりすぎていることが発覚し、暴露の経緯でマスコミもグルだということが見えてきた。この暴露は、英国が世界を間接支配する構造をぶち壊すところまでいくかもしれない。 米国は、英国の世界支配を崩して、もともとの米国好みの世界体制である多極型への転換を、隠然と(諜報界を転換しないといけないので隠然なのだ。諜報を知らない日本人の多くには理解されないが)進めている観がある。そのことからして、ウィキリークスの暴露は、世界の外交体制の多極化につながっていくのではないかと、私は推測している。
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