パレスチナ和平交渉の終わり2010年12月10日 田中 宇12月1日、ブラジル政府は、パレスチナを国家として承認すると、パレスチナ自治政府に書簡を送って知らせた。11月に、パレスチナ自治政府のアッバス大統領がブラジルのルーラ大統領と会った際、パレスチナを国家承認してほしいと頼まれたことの返答だという。 (Brazil recognizes Palestinian state) この一見小さな話は、歴史的な大転換の始まりになる可能性がある。ブラジルに続いてアルゼンチン、ウルグアイ、フランスが、いずれも目立たない形式で、相次いでパレスチナを国家として承認している。 (France 'will recognize' Palestinian state) (Argentina joins Brazil in recognition of Palestinian state) ▼米国の和平仲裁力の低下 従来、パレスチナ問題は、米国の仲介によってパレスチナとイスラエルが交渉し、両者間に和平が成立したら世界がパレスチナ国家を承認し、イスラエルによる弾圧や、パレスチナ人による「テロ」も終わり、問題が解決するというシナリオを進める努力が、少なくとも見かけ上の外交劇として、続けられてきた。 しかし今年9月以降、米国によるパレスチナ和平仲裁が機能しなくなる傾向が強まった。9月初め、オバマ大統領が新たなパレスチナ和平交渉の始まりを宣言し、9月15日にクリントン国務長官がエルサレムを訪問し、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナのアッバス大統領との話し合いを仲裁した。だがそれ以来、ネタニヤフとアッバスは一度も会っていない。 (Halt to Palestinian peace talks could become permanent) イスラエルは、米国などの要請を受け、東エルサレムを含むヨルダン川西岸の占領地における入植地住宅の建設を凍結してきたが、その凍結が9月26日に切れた。米欧やアラブ諸国はネタニヤフに凍結の延長を求め「凍結延長したら、ご褒美に最新鋭のF35戦闘機をあげる」とか「凍結延長したら、イスラエル右派が釈放を強く求めているジョナサン・ポラード(イスラエルのために米国の機密を盗んで投獄されている米国籍のスパイ)を釈放してほしい」といった条件が双方から出され、凍結延長に向けた米イスラエルの交渉が行われた。 (U.S. won't comment on reports of Pollard release deal) (U.S. offers Israel warplanes in return for new settlement freeze) しかしイスラエル政権内の右派勢力は、凍結延長に強く反対し続けた。同政権は議席がぎりぎりの連立で、ネタニヤフは右派の要求を断れず、米国の強い要求があっても凍結延長を了承するわけにはいかなかった。凍結は予定どおり解除され、10月から入植地住宅の建設が再開された。 (Peace Now: 2,066 settlement homes to be built as soon as freeze ends) (As settlement freeze expiration looms, U.S. makes final effort to halt peace talks breakdown) 米国は11月3日に中間選挙を行った。米政界はイスラエル右派の影響が強く、オバマは中間選挙が終わってからでないとパレスチナ和平を進めにくかった。それでパレスチナ側は、中間選挙から1週間後の11月8日までに和平交渉を再開するよう米国に求めた。パレスチナ自治政府は、交渉が再開しなければ交渉決裂とみなし、自治政府を解散するか、逆に自治政府が和平を経ずに独立を宣言し、国連に承認してもらうと言い出した。 (PLO official: Palestinians weighing alternatives to peace talks) (Halt to Palestinian peace talks could become permanent) パレスチナ自治政府(PA)が解散すると、イスラエルは西岸を直接統治しなければならなくなり、統治コストが急増し、イスラエルが非難される人権問題もひどくなる。解散は、PAを自滅させることによってイスラエルも破壊するという意味で、自治政府が持つ外交的な「核兵器オプション」と言われている。 (Abbas: Last resort - I'll ask Israel to take over) (Abbas's PA Choice: Dissolve or Declare Statehood) ▼和平を経ず国家独立を目指すパレスチナ 中間選挙は、オバマが率いる民主党の負けが投票前から濃厚だった。イスラエル右派は、中間選挙に勝って議会を席巻した共和党に対し、強い影響力を持っている。民主党の負けが濃厚になった10月23日には、パレスチナ国家の首都になるはずの地域として60年前から国連で決められている東エルサレムについて、イスラエル政府が「イスラエルの重要な一部である」と閣議決定し、国際社会が決めた「西エルサレムはイスラエルの首都、東エルサレムはパレスチナの首都」という構想を拒否する宣言を放った。 (Israel approves plan to Judaize al-Quds) (PA official: Israel intervened in US vote) そして中間選挙後、アッバスの交渉期限である11月8日に、イスラエル当局は東エルサレムで千軒の入植地住宅の建設を開始した。入植地住宅の建設凍結を和平交渉の前提としてきた米政府はイスラエルを批判した。だが、批判は弱々しいものだった。 (U.S. 'deeply disappointed' with new East Jerusalem construction plan) 事態は入植地住宅の建設について譲歩しなかったイスラエルの勝利であり、米国がイスラエルの言いなりであることがあらためて示されたというのがリベラル派的な見方だ。だが実際のところ、イスラエルは勝利していない。むしろ事態は、パレスチナ側にとって有利になっている。和平が頓挫した以上、従来の取り決めだった「和平を締結した後、パレスチナが国家になる」という順序が崩れ、和平と関係なくパレスチナが正式な国家になれる道が開けたからだ。 (Arab League may bring settlement freeze debate to UN) 保守・共和党系のウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、中間選挙前の10月20日の時点でネオコンのジョン・ボルトンによる論文記事として「中間選挙後、中東和平は行われなくなり、パレスチナ自治政府は国連安保理に国家独立を認めさせようとするだろう。米国は、イスラエルに入植地建設凍結の圧力をかけるため、安保理決議に反対しなくなるだろう」と書いている。 (John Bolton: Obama and the Coming Palestinian State) これより前、10月10日にはフランス外相が「中東和平交渉が成就しない場合、国連安保理でパレスチナ国家の独立を決議する展開がありうる」と表明している。フランスは安保理の常任理事国で、EUを代表している(EUのもう一つの大国であるドイツは「ホロコースト」に縛られ、表立って何も言えない)。事態は中間選挙前から、和平抜きのパレスチナ国家承認へと動き出していた。 (Report: France 'won't rule out' UN creation of Palestinian state) イスラエルは西岸のパレスチナ領域内に無数の入植地を作っており、中東和平を経てパレスチナ国家が建設される場合、入植地のいくつかがパレスチナ国家から切り離され、イスラエル側に編入される可能性が高い。だが、和平交渉をせずにパレスチナ国家が承認されると、その新国家はイスラエルの入植地をすべて領土内に含んだかたちになる。入植地に住むイスラエル人は、パレスチナ国籍を取得して「ユダヤ系パレスチナ人」として生きていくか、家を手放してイスラエル側に引っ越すか、最後までパレスチナ国家を拒否して戦闘するか、という三者択一となる。入植地住宅は格安なので、引越しは多くの入植者にとって家計の破綻につながる。3番目を選ぶ入植者が多そうだが、その場合は戦争になる。戦争を見越してか、右派主導のイスラエル当局は10月以降、全力で入植地建設を進めている。 (Israeli Palestinian Talks Halted: Now What?) ▼米国の代わりにBRICやEUが和平を仲裁できるか このような流れをふまえた上で、ブラジルを皮切りとするパレスチナ国家の承認の意味を考えると、この動きは来年にかけて、国連や、国際社会による広範なパレスチナ国家承認につながっていきそうだ。ブラジルはBRIC(中露印伯)の一角を占める。BRICはG20の中で、先進諸国(米欧日)と対等に渡り合える覇権勢力になりつつある。BRICのうち、中露印の3カ国は、イスラエルとの関係も深いので、パレスチナ国家を承認することの影響が大きすぎる。そのためユーラシアから離れた遠くの新大陸に位置するブラジルが先陣を切った観がある。 (善悪が逆転するイラン核問題) ブラジルは今年に入って、トルコ(親イスラエルから親イスラムへと急転換している)と一緒に、イラン核問題を仲裁する動きも見せ、遠くから中東問題に介入する新勢力になっている。ブラジルは、ドルと人民元などとの「通貨戦争」が始まっていると最初に宣言した国でもあり、多極化をめぐる暗闘に横から参戦する、注目すべき存在になった。 (世界を二分する通貨戦争) BRICやイスラム諸国が相次いでパレスチナを国家承認し、承認問題が国連安保理に上程されても、米国が拒否権を発動して決議をつぶし、国際社会全体の合意にならないというのが従来型の常識である。しかし、この常識は少しずつ崩れている。今のところ米共和党はオバマに「国連安保理でパレスチナ国家承認が提案されたら拒否権を発動しろ」と求めている。 (Republicans urge Obama to prevent Palestinian state recognition) だが共和党内では、イスラエルや軍産複合体に対する従来の特別視を打破したいと考える「茶会派」が、中間選挙で躍進した。彼らは「孤立主義」の傾向を持つが、米国が孤立主義になるほど、覇権を自ら手放す傾向が強くなり、世界は多極化する。茶会派がどの程度、孤立主義を掲げていくか、まだ曖昧にされているので、イスラエルは疑心暗鬼だ。ネオコンやチェイニー前副大統領が、親イスラエルのふりをしつつ、イスラエルつぶしの過激策(イスラム主義の扇動)をやったことは記憶に新しい。 (G.O.P. and Tea Party Are Mixed Blessing for Israel) (Republican Victory: More Israel Support, or Isolationism?) 米国の仲裁力が落ちているので、代わりにEUに中東和平をやってもらおうとする気運がある。しかし最近のEUは、イスラエルに対する批判を強めている。EUの外相であるアシュトン卿(英国)は11月末に「イスラエルはガザの封鎖を解くふりをして、実際には一度も封鎖を解いていない」と、鋭くイスラエルを批判した。「イスラエルは和平交渉や封鎖解除を進めるふりをする。欧米は和平を進めるふりをする。パレスチナ自治政府は、イスラエルに文句を言いつつ和平交渉が続いているふりをする」というのが、従来の中東和平の茶番劇だった。だが、米国は和平仲裁を放り出し、EUとパレスチナ自治政府も茶番劇から降りつつある。 (EU: Despite Promises, Israel Never Eased Gaza Blockade) 中東和平の頓挫が、そのまま戦争につながるわけではない。和平交渉は2000年ごろから頓挫し、進展する可能性が低下し続けたが、それでも関係者の多くは和平を進めるふりを続け、戦争になっていない。しかし、中東和平が「ふりだけ」であることは、世界に対してしだいに明らかになっている。 (US: One Year May Not Be Enough for Mideast Peace) イスラエル北隣のレバノンでは、反イスラエルの急先鋒であるヒズボラの影響力が強まり、事実上ヒズボラが政権をとる事態になっている。ヒズボラとイランとの関係も強まっている。イスラエル南隣のエジプトも、高齢の独裁大統領であるムバラクが死んだ後、イスラム主義化が強まるだろう。イランの「核兵器開発疑惑」の濡れ衣性も露呈しつつある。イラクでは米軍の撤退が進み、政治的なイランの影響が強まっている。トルコも反イスラエルに転じた。イスラエル軍のアシュケナージ参謀総長は、11月下旬に訪米して米国防総省を訪れた際に「(イスラエル建国以来の)60年間で初めて、米国は、中東における(軍事的な)足がかりを失いつつある」と率直に述べている。 (Ashkenazi: US losing foothold in region) イスラエルを守る唯一の盾だった米国の影響力が落ち、代わりにイスラエルを敵視するイスラム系勢力が中東各地で台頭している。BRICとEUが力を合わせれば、米国の代わりに中東和平を仲裁できるのか。右派が強いイスラエルは、それに従えるのか。これらの問いに対する答えは、いずれも「困難」というものだ。戦争は唐突に始まりうる。最終的にどうなるのか見えないが、非常に危険な事態になっていることは間違いない。
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