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破綻へと迷走するドル

2010年10月31日   田中 宇

 ニューヨークの機関投資家(John Hathaway)が「通貨システムの大崩壊が始まったら、ドルより金地金の方が延命するだろう」と予測する分析を、ブルームバーグ通信で流した。分析を読んで私が注目した点の一つは、各国の指導者や当局者どうしの間の会話の中に、今の国際通貨体制がいかに危険な状態にあるかという議題や、ドル崩壊後の未来の国際政治経済の体制がどんな風になっているかという議題が、まったく出てこないことに驚く、というくだりだ。

「国際通貨システムは崩壊の過程にあり、基軸通貨としてのドルは最終段階にある。通貨当局と投資家のほとんどは、その意味がわかっていない」とも書いている。ドル基軸の終焉はもはや不可逆的なので、問題は、最終段階がどのくらい続くか、次の通貨システムへの移行がゆっくりか突然かという点だ。移行は非線形(行きつ戻りつ)に進むだろうから、中央銀行や大半の分析者が発する、現状を延長する手法の経済予測は読むに値しないという。(私自身は、2008年秋に「世界がドルを棄てた日」を書いたころから、ドルは最終段階にあると考えている) (Gold Will Outlive dollar Once Slaughter Comes: John Hathaway

 米英欧の通貨当局は、通貨のシステムを補強・安定化するのだと言って量的緩和を進めたが、それは実際には、システムを破壊する効果を持っていた。「量的緩和をやめる出口戦略が必要だ」という、ドルの過剰発行を止める主張は無視された。11月初めの連銀理事会で、追加の量的緩和が決まるだろう。世界中がドルに対する信頼を失っているのに、連銀は「貯蓄を消費に回すため」と称し、目標インフレ値を2%から4%に引き上げて、人為的にインフレ状態を誘発する計画だ。新興市場諸国のドル忌避が加速度的に強まり、少し蛇口を開けるつもりが、蛇口ごと破裂するかもしれない。インフレがうまく4%で止まる保証はどこにもない。米国債からジャンク債までの債券金利の突然の高騰がありうる。

 人為的なインフレ策は、人々が気づかないうちに下準備し、ある日突然にインフレがひどくなるよう設定するのが最も効果的だという。だからインフレの兆候が最近まで見えなかった。今では、穀物類など国際価格の高騰が始まっている。今年の年初来、ドル建ての国際価格の値上がり率は、小麦が84%、トウモロコシが63%、砂糖が55%だ。米国では、ウォールマートの平均小売価格が1ヶ月で6%近くも上がった。食糧の国際価格の値上がりを受け、ドルペッグしている中国でもインフレがひどく、中国は3年ぶりに利上げせざるを得なくなった。(日本は、保護政策の一環で、政府が流通コストを意図的に高く設定しているので、国際価格の上昇が国内小売価格の上昇に直結しない) (The Food Crisis Of 2011

 金地金の価格は、ドルに反比例している。連銀が量的緩和を再開する見通しが強くなると同時に、金相場が史上最高値を更新した。金融「専門家」の多くが「金はバブルだ」と言うが、彼らは、金の上昇ではなくドルの崩壊だということに気づかない(ふりをしている)。対米従属の保持が必要な日本や、米欧では、当局者やマスコミがドル崩壊を指摘することは少ないが、中国では大臣が「ドル増刷は、もう統制不能なところまできている」と発言している。 (China minister says dollar printing "out of control"

 ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は「金本位制に戻るべきだ」とする学者(Charles W. Kadlec)の主張を載せた。ドルを過剰発行してインフレにして購買力を上げるという、今の連銀がやっている政策は不安定化を招いて非常に危険であり、まったく逆に、ドルの発行を減らして金価格との連動性を復活させた方が良いと書いている。金ドル交換性が確保されていた時代の方が、1971年のニクソンショック後の交換性が失われた時代よりも、米経済がはるかに安定し、成長していたと指摘している。別の指摘によると、金ドル交換性を再現した場合、金価格は、今の3倍の1オンス5000ドル以上の水準になる。 (Gold vs. the Fed: The Record Is Clear

 WSJ紙は、北京大学の教授が書いた「米国は通貨戦争に敗北する」と題する文章も載せている。米国の右派は、日本の右派と違い、敵味方の両方を冷静に見ている。 (U.S. Will Lose a Currency War

▼ドル崩壊は「失敗」ではなく「成功」の結果

 経済と軍事という分野の違いがあるが「量的緩和」は「イラク戦争」に似ている。「これをやらないと米国の覇権が守れない」という理屈にみんなが絡めとられて遂行されたが、実はその戦略を立案した人々の中に、最初から大失敗と米覇権崩壊を誘発する隠れた意図(隠れ多極主義)があったと疑われる点が類似している。

 連銀が量的緩和を再開したら、米経済が立ち直る期待から株価が10%上がると予測されている。量的緩和で市場に巨額資金が注入されれば、短期的に株が上がって当然だ。一方、03年に米軍がイラクに侵攻した当初も「これで中東は安定し民主化する」「世界中の独裁諸国が米国に倒されていき、中国もロシアも親米(傀儡)の民主国になり、理想の世界になる」といった、経済における「株価10%上昇」に似た「至福」が喧伝された。 (Stocks May Jump 10% After Fed Quantitative Easing Announcement, Biggs Says

 しかし、そんな民主化の幻想は長続きせず、米国はイラクとアフガンの両方で軍事力を浪費した挙げ句、反米勢力に負けている。むしろ米国の方が、大義のない侵略戦争、誤爆による市民虐殺、裁判なしの永久拘束、無限の拷問など、反米独裁者も驚くような戦争犯罪を繰り返してきたことが暴露されている。国連の人権理事会は、ウィキリークスによるイラク関連機密の大量暴露を受けて、米国の「テロ戦争」の犯罪性を調査する予定だという。「株価10%上昇」がやがてどうなるか、推して知るべしだ。 (UN urges probe into US "war on terror"

 経済と軍事は違いますよ、などと反論したい人は、どんどん株を買えばよい。ただし、そのような人々も、米国で昨年来、企業経営陣による自社株の売却が購入をはるかに上回る状態がずっと続いているということを、覚えておいた方が良い。関係者の多くは、長期的に株が上がると思っていない。株を買っている勢力の多くは、量的緩和とジャンク起債によって作った資金を入れてコンピューターのプログラム売買を回し、景気回復を演出する銀行群だ。 (Insider Selling To Buying: 2,341 To 1) (Cazenove Strategist Discusses PPT And POMO Interventions To Keep Markets Ramping Higher

 人々に勝利感を味わわせて慢心させ、危険を指摘する人を主要マスコミから排除して言論統制する一方、人々が気づかないところで大失敗の構造を拡大し、人々が気づいた時にはもはや手遅れで、その後も挽回策と称して傷を深める策を弄するのが、隠れ多極主義のやり方だ。これは、詐欺師が人を騙す時の手法だ。

 同じやり口は、ドル崩壊や米軍事力消耗と並ぶ多極化の要諦である「BRICの台頭」についても言える。2005年ごろ、BRICの中核に位置する上海協力機構が結束力を増してきたとき、米国の当局者やマスコミは「あんなものは大したことない」と看過し、上海機構を危険視する米国の国際政治研究者たちの動きはやんわりと制止された。多極化は「米国が衰退しても他の極が出てくるはずがない」という意味の「無極化」にすりかえられた。 (多極化の進展と中国

 多極化を危惧する政治学者の分析が封じられたのと同様に、今、各国の中央銀行の当局者たちの会話の中には「ドル基軸が崩壊したらどうなるか」という議論が欠如し、議論を発してもやんわりと制止されるのだろう。ありそうなのは、ふだん温厚な米当局者が突然に苛立ちを見せ、恫喝するパターンだ。病的な米国依存である日本の当局者などは、米側が少し苛立つだけで震え上がり、二度とその話をしたくなくなるのではないか。

 先々、歴史の教科書に、当局者たちの能力不足からドル崩壊が起きたという説明が載るのだろう。しかし実際のところ、能力不足の状況は、米中枢の中の一部の人々によって誘発・演出されている。状況を長期的かつ詳細に見ない人々、自分の頭で考えず権威ある発言を鵜呑みにする人々、自分自身が権威になりたいと思っている人々ほど「そんなわけない。陰謀論はやめなさい」と言う。現状は、能力不足による「失敗」ではない。米中枢の一部がやった多極化戦略が「成功」した結果、現状がある。

▼中間選挙で米財政改革が頓挫しそう

 米国の11月2日の中間選挙は民主党が劣勢で、下院が今の民主党過半数から共和党過半数に逆転しそうだ。ひょっとすると上院も、共和党優勢へと逆転する。共和党が優勢になると、前ブッシュ政権がやった「金持ち減税」(今年までの時限立法)を予定通り今年末で終わらせることが難しくなる。オバマ政権は、金持ち減税を終わらせる代わりに、中産階級に対する新たな減税をやって、税収を減らさずに消費を増やそうとしている。だが、政治力を持つ各界の大金持ちたちが米政界に圧力をかけ、今や民主党でも9人の上院議員が「金持ち減税が延長されない限り、中産減税に賛成しない」と言い出している。 (Markets Expect Political Gridlock But Are Worried About Taxes

 減税ばかりでは、財政赤字を減らせない。米国債を増発し、中国やアラブ産油国など新興諸国に買ってもらう必要が強まる。その一方で米議会は、中国に対する強硬論を発している。パレスチナ問題でも、イスラエルが和平交渉を無視して入植地建設を再開したため、アラブ諸国が国連安保理でパレスチナ国家を承認する決議を提起しそうだが、米政界、特に共和党はイスラエル右派に牛耳られており、オバマに対し、安保理決議に拒否権を発動するよう迫っている。米国は弱体化しているのに、単独覇権主義的な姿勢を崩さない。中国やアラブがいつまで従順に米国債を買い続けるか怪しくなっている。 (A presidency heading for a fiscal train wreck By Nouriel Roubini

(米共和党の中でも「茶会派」は孤立主義の傾向を持っており、彼らは国際支援の全般を嫌っており、イスラエル支援に対しても消極的だ。共和党が力を持つのはイスラエルにとって必ずしもプラスではないという見方も、イスラエルから出ている) (Republican Victory: More Israel Support, or Isolationism?

 米国のドルと経済・財政が1990年代や50-60年代のような安定的な状態に戻ることは、おそらく二度とない。米覇権は崩壊に向かっている。しかし、この記事の冒頭で紹介した分析にもあるとおり、米覇権がどんな軌跡をたどって崩壊していくのか、見極めるのは困難だ。複雑な構造を持つ物質が壊れる時、その物質の各部分がどのように変化するか、物理学者たちが頭を抱えつつ考えていると思うが、それと同じだ。

 世界では日本以外にも、対米従属を続けたい国が多い。それらの国々は、ドル崩壊を好まないので為替介入し、自国通貨を引き下げ、ドルを買い支えている。中国でさえ、米国(とその傀儡たち)に挑発されて怒っているものの、中南海(中国中枢)の本心は、まだしばらく米覇権が続いた方が自国の台頭準備のために良いという考えだろう。ドルは崩壊に向かっているが、対米従属諸国からの支持とあいまって迷走状態にあるので、いつ何が起きるか予測できない。今後も分析を続ける。 (Divided We Fail By PAUL KRUGMAN



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