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北朝鮮通貨切り下げの意味

2009年12月6日   田中 宇

 北朝鮮が通貨切り下げ(デノミ)を行っている。これまで使ってきたウォン札と、これから使う新ウォン札を、100対1の比率で交換する手続きを、12月2日から6日まで行い、12月7日から新ウォン札の流通が始まる。北朝鮮がデノミを行うのは1992年以来17年ぶりだ。

 今回のデノミには、多くの北朝鮮国民が怒っていると報じられている。旧ウォンから新ウォンに交換できるのは、1世帯あたり15万ウォンまでに限定されたからだ(北朝鮮の労働者の月給は3000ウォン程度)。それ以上のお金を持っている人も交換可能だが、交換比率は10分の1の1000対1に落ちる(しかも、出所が明確なお金だけ交換できると報じられている)。人々は、旧札が無効になる前に、交換上限を超える分の旧札を何らかの商品に換えておこうと、商品を必死に買い漁ったが、国内のすべての商店はデノミの発表から完了まで数日間の閉店を命じられた。北朝鮮政府は当初、100対1の交換上限額を1世帯あたり10万ウォンまでとしていたが、国民の怒りを受け、15万ウォンに引き上げた。 (N.Korea closes down dollar shops: report

 北朝鮮がデノミに踏み切ったのは、2002年7月に経済統制を緩和して以来、インフレが続いてきたためで、インフレが北の経済を脆弱化させているという。両替額に上限をつけたため、不満を持った国民が暴動を起こしそうで、軍隊が治安維持に乗り出しているとの報道もある。いよいよ北朝鮮は経済崩壊するのか。北朝鮮なんか崩壊すれば良いと思っている人々にとって、待ちに待った歓喜の時がきたという感じか。 (North Korea military on guard against unrest: reports

▼米国代表の平壌訪問の前日になぜ?

 そう思って調べていくと、どうも様子が違う。インフレ(物価上昇)がひどくなっているのは確かなようだが、インフレ対策としてデノミをやって両替に上限額をつけたら国民が怒るのは容易に予測できる。北朝鮮には12月8日に米国から特使のボズワースが初めて訪問する。米国政府の正式な特使が北朝鮮を訪問するのは、2000年のクリントン政権末期にオルブライト国務長官が訪朝して以来のことだ。金正日はボズワース訪朝を重視しているはずだ。 (Yu Myung Hwan Suspicious of Peace Treaty Talk

 ボズワースや、その上司のクリントン国務長官は、いずれ北朝鮮と和平条約を結ぶところまでいくかもしれないと示唆している。米国と和平条約を結ぶことは、金正日の大目標である。米政府は、米が北朝鮮に求めているのは核廃棄だけだと言っているが、韓国は中朝が韓国抜きで和平条約を結ぶのではないかと疑心暗鬼で、韓国外相は「韓国を入れないで中朝だけで和平するのは認められない」と表明している。 (Seoul not to accept separate peace deal

 北朝鮮にとって、ボズワース訪朝はぜひ成功させたいことである。インフレ対策だけが目的なら、混乱を招くデノミを、画期的なボズワース訪朝の直前にやるのはおかしい。やるならボズワースの帰国後にやるはずだ。むしろ、ボズワースの訪朝前にあえてデノミをやることに意味があったと考えられる。少なくとも、北の政府は、デノミをやってもたいした混乱はないと思っていると推測できる。 (Seoul has its own fears over US surge

 デノミは通常、国民が持っている通貨の全量を、旧通貨から新通貨に転換する。北朝鮮でも、1992年(冷戦終結でソ連からの物資補給が止まったことによるインフレ悪化)の前回のデノミは、国民の通貨の全量を転換した。前回のデノミは、北の政府が事前にデノミについて発表してから実施したが、今回は抜き打ちである。抜き打ちにせず事前発表したら、国民が事前に通貨を物資に交換しようと殺到し、インフレが煽られる。今回のデノミは、デノミ自体ではなく、北朝鮮国民の貯金を空っぽにすることが目的だと感じられる。 (`NK's Currency Revaluation Intended to Control Wealth'

(韓国政府は当初「北がデノミをする時は事前発表するはずだ」という理由から、北がデノミを予定しているとは考えにくいと発表し、事態を見誤った。北のデノミ実施が世界的に確認されたのは、通貨移行期間に入った翌日、平壌の朝鮮中央銀行の当局者が、在日朝鮮人の新聞「朝鮮新報」に対してデノミ実施の事実を認めたからだった) (North Korea Slashes Its Currency Value) (北朝鮮デノミ、総連紙が初報道 通貨秩序を強化

▼タンス預金を一掃する政権延命策

 北朝鮮の独裁者である金正日にとって最も大事なのは、自らの国家権力の掌握を邪魔しそうな勢力を、できるだけ早く見つけて潰すことだ。国家権力の掌握という点から見ると、2002年以来の限定的な経済自由化策によって、政府が把握しきれない「民間経済」が急拡大し、政府の監督外の商売人のふところ(タンス預金)に資金が蓄積されているのは危険である。この金を使って将来、どんな反政府的な企てが行われるかわからない。金正日は、こうした懸念を潰すため、換金上限つきのデノミをやって、国民のタンス預金を無効にしたのだと考えられる。 (North Koreans in misery as cash is culled

 北朝鮮では02年に経済活動をやや自由化し、全国で自由市場(ブラックマーケット)が急拡大したが、その後04年と07年の法律改定で「大儲けすること」「政府に許可なく人を雇うこと」を違法行為に定め、違反した者は最悪の場合、死刑が科されることになった。北の政府は、国民が自由市場で余剰商品などを売買して少し儲けることを黙認したが「大儲け」は違法で、無許可で人を雇って企業活動をするのも違法とした。北の政府は、1世帯あたり15万ウォンを超える国民の貯蓄については「違法な大儲け」と見なすことができる。北朝鮮国民の15万ウォン以上のタンス預金は紙くずと化すことになった。 (`N.Korea Seeks to Suppress Rising Enterpreneurial Class`

 自由市場では、商才や売る商品がある人は金持ちになるが、それらがない人は貧乏なままだ。北朝鮮では自由市場の拡大にともない、それまで安価で配給されていたコメが流通過程で自由市場に横流しされて末端の国民に回らず、国民は自由市場で高いコメを買わねばならないといった事態が起きていた。だから貯金の少ない貧しい国民は、自由市場の商人の財産を剥奪する今回のデノミを歓迎していると、韓国の新聞は指摘している。 ([Editorial] N. Korea's Currency Revaluation

 北朝鮮が自由市場を容認したのは、中国の影響によるものだ。01年に就任した米ブッシュ政権が北朝鮮敵視策を強め、それまで米国が「核廃棄枠組み合意」の一環として北朝鮮に送っていた原油を止めた。代わりに中国が北に原油を供与するようになったが、中国は北を支援する条件として、北が中国型の「社会主義市場経済」を導入するよう求め、北は02年に自由市場容認策をとった。

 今回、北の政府はデノミによって国民が自由市場で稼いだタンス預金を一掃したが、自由市場容認策そのものは廃止していない。米国は北に「核廃絶の6カ国協議に戻れ」と要求し、北は「米国が不可侵条約を結ぶ方向に動くなら戻っても良い」と言っている。この米朝交渉が何らかの結実をするなら、北は6カ国協議に戻ることになるが、6カ国協議は中国が中心だ。北に対する中国の影響力は、強まる方向になる。米国は、6カ国協議がまとまったら在韓米軍の兵力数を減らして撤退に向かい、韓国と北朝鮮は中国の影響下で安定的な関係を模索することになる。北に対する中国の影響力は今後、増える方向にあり、減ることはない。

 つまり北朝鮮は、今後さらに国内の自由市場化を容認せざるを得なくなる。だから、そうなる前に、いったん国民のタンス預金を空にする「リセット」としての通貨切り替えを行い、金正日政権が経済分野の権力を維持できる期間を延長しようとしたのが、今回のデノミの意味と考えられる。

▼いずれドルも?

 民間に蓄積された富の一掃をめざした北朝鮮のデノミ戦略を見て、東京発の英文ウェブログの筆者は、興味深い問いを発している。「北朝鮮と同じ趣旨の手口を、米当局がやることは絶対ないといえるかどうか」というものだ。経済面で世界最弱の北朝鮮と同じことを、世界最強の米国がやるはずがないと思う人々の軽信を、このウェブログ筆者は嘲笑している。 (North Korea And Currency Devaluations

 米当局はドルの過剰発行と、米国債の過剰発行の両方を続けている。中国など対米債権国は「米国は、ドルを意図的に過剰発行し続け、ドル崩壊を誘発して、巨額の借金(米国債)を帳消しにしたいのではないか」と疑っている。北朝鮮当局は、交換上限つきのデノミという、かなり荒っぽいやり方で、国民に対する債務を帳消しにしたが、米国はやり方がもっと巧妙で、金融危機なのでドルや国債の大増発が不可欠だと言いながら、世界に対する債務を帳消しにしようとしている疑いがある。

 世界では、ドルを支えることが目的だったG7(G8)が今年9月に事実上終焉し、代わりに世界の中心になったG20は、ドルに代わる基軸通貨体制を模索している。米当局が北朝鮮当局と同じことをやろうとしているという疑いを一蹴する人は、近い将来のある日、自分が北朝鮮国民と同じ立場に置かれていることに気づくことになるかもしれない。



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