中国とロシアの資本提携2009年9月9日 田中 宇ロシアと中国は、伝統的に犬猿の仲であるといわれる。中露間の伝統的な相性の悪さは、かつてモンゴル帝国がロシアの前身の国々(キエフ公国など)を攻め落として支配した「タタールのくびき」に起因する。モンゴル帝国の衰退後、ロシアは独立したが、その後も中央アジアのトルコ・モンゴル系の諸王国(タタール)は毎年のように草原をこえてロシアを襲撃し、ロシアは国力のかなりの部分をタタールとの戦いに使わねばならず、発展が遅れた。 中国の側から見ると、モンゴルと中国は別物で、歴史的にモンゴルは中国(漢民族)にとっても侵略者であり、ロシアが中国を嫌うのはお門違いだ。だがロシアは、東方から攻め込んでくる諸勢力の全体を脅威と見なしてきた。馬力で攻めてくるタタールをロシアが凌駕したのは18世紀後半、英国に始まった産業革命の波及によって、ロシアがユダヤ資本家など欧州方面から金を借りて最新鋭の兵器や工場設備を買い、東方に向けてシベリア鉄道などを敷設していった後である。 ロシアは、この東方拡大によって世界最大の領土を持つ国となった。この拡大は、スペインやポルトガルが数百年の長い「レコンキスタ」の戦いの末、15世紀にイベリア半島からイスラム教徒を追い出し、その勢いに乗って全世界を二分する大帝国となったことと類似した流れである。ロシアも、数百年間タタールと苦しい戦いを続けた後、タタールを凌駕し、ユーラシアの広大な領土を獲得して、逆にタタールを支配下に置いた。 欧州のキリスト教文明圏と中東のイスラム教文明圏の関係は、イスラム教の勃興によって中東側が強くなり、レコンキスタ後は逆に欧州側が強くなった。これを長い戦いと考えたのが「文明の衝突」の構図だが、同様に、欧州キリスト教圏の東の端であるロシアと、東方・中央アジアのタタール諸勢力との長い戦いも「文明の衝突」と見ることができる。 ロシアは急拡大の結果、太平洋岸の沿海州まで自国に併合した。中国(清朝)も沿海州を自国領と考えていたが、産業革命を上手に導入できなかった清朝の中国はロシアよりずっと弱く、アムール地方や沿海州をロシア領と認める不平等なアイグン(愛琿)条約と北京条約を1858−60年に中露間で締結させられた。 その後、辛亥革命とロシア革命を経て「ソ連」となったロシアは「中華民国」となった中国の国民党政権を、国際共産主義運動の一環として支援し、国民党とは別の左翼勢力として出てきた中国共産党も、ソ連の仲裁による「国共合作」で国民党に合流した。中国とロシアの歴史的対立は、共産主義によって止揚・解消されたかに見えたが、それは共産主義そのものと同様、裏表のある幻影的な話だった。 中国共産党には初期からソ連の指導員がいたが、毛沢東はソ連を信用せず、中共は政権奪取から間もない1950年代にはソ連と関係を良くしていたが、60年代に中ソの路線対立が表面化し、ソ連はウイグル人の暴動を扇動するなど反中国的な策略を行い、中ソ対立が激化した。1972年にはニクソン政権の米国が「米中関係を好転させ、中国を米国の対ソ包囲網に参加させる」という戦略(建前)を掲げて中国を訪問した。 ▼日本が対米従属に固執したので中国に向いたロシア 中露関係は「文明の衝突」風の長期的な対立の構図を持つので、近年、911後に米国が単独覇権主義を振りかざす中で中露が関係を好転させても、多くの人々は依然として、中露関係の基盤は対立であり、上海協力機構などを通じた中露協調は確固たるものではなく、一時的・便宜的なものにすぎないと考えてきた。しかし最近、この従来の常識をくつがえしそうな新事態が起きている。 これまでロシアは、中国に対する警戒感から、エネルギー開発など自国の戦略的産業に中国が資本参加することを断ってきた。だが今年4月、ロシアは初めて、中国の政府系金融機関の資金がロシアの石油パイプライン建設に入ってくることを認めた。ロシア側は、シベリアの油田から中国北東部の黒龍江省大慶までパイプラインを建設し、シベリアの石油を中国に売る計画を進めているが、このパイプライン建設資金の一部を中国が融資することになった。(大慶には枯渇した大油田があり、中国各地への石油パイプラインの基点となっている) (China quietly reshapes Asia) ロシアはもともと、シベリアの石油を中国ではなく日本に売ろうとしていた。ロシアはシベリアの油田だけではなく、極東の沿海州の都市基盤や産業の開発にも資金を必要としており、ロシアがシベリアの石油を日本に売る代わりに、日本はシベリアや沿海州の開発に金と技術を投資する構想を、ロシア側は持っていた。ロシアは日本の気を引くため「日本が石油を買わないなら、中国に売ってしまう」と言い続けていた。 しかし日本は、ロシアから秋波を送られても動かなかった。90年代前半の日本は日露関係を改善しようと試みたが、90年代後半に米国でタカ派が強くなり、単独覇権主義の方に傾き出すと、日本では対米従属を貫くためにロシアとの関係を悪いままにしておく国策が強まり、北方領土の4島返還に固執するプロパガンダが喧伝され、ロシア敵視が強化された。 このような中でロシアは日本をあきらめ、ロシアが組む相手として日本よりも難しい中国を伴侶として、シベリアや沿海州の開発を計画せざるを得なくなった。ロシアでは2004年に政府系石油会社ロスネフチが同業他社のユガンスクネフテガス(Yuganskneftegaz)を買収した際、5年間の中国への石油供給と交換に、中国からの資本を入れたのを皮切りに、中国と組む傾向が始まった。 (China loan turns Russian oil east) ▼タタールから資本家に変身する中国 中露間では近年、1960年代からの国境紛争が話し合いによって完全に解決され、もはや中露間には領土問題は存在しない。しかし、中露間には別の問題がある。中国人はロシア人より商売の技能が格段に高く、いったんロシアが極東開発に中国の資本を受け入れたら、いつの間にかロシア極東の経済利権はすべて中国人に握られているという結果になりかねない。ロシアのテレビでは「中国が極東を奪還しようとしている」と警告する番組が放映されている。 (China and Russia: friends for now) 中国の東北三省(旧満州)は、満州族が建国した清朝にとって聖なる土地で、清朝は東北地方への漢民族の入植を禁じていたが、この禁制はしだいに破られ、山東省などから東北に漢族農民が移住して開墾を行う歴史が続いた。この時代、漢族農民が奥地の土地に移住して何カ月かすると、漢族の商人が行商にやってきて日用品などを売り、ほどなく中国の商業流通圏に組み込まれていく過程が続いた。 このような中国での僻地への商業網の拡大とは対照的に、ロシアのシベリア開発の現場にやってくる行商人はいなかった。ロシアは400年近くシベリア開発を続けたが、僻地のロシア人は外部から商人が物売りに来ることを期待できず、開発を主導していた帝国政府が支給する物品しかなかった。中国人(漢族)は根っからの商人だが、ロシア人は全くそうではなかった。 (以前の記事「世界史解読(2)」で紹介した華僑の歴史的起源と、この前近代の満州開発の話を合わせて考えると、近代以前の中国の民間経済は帝国の当局の禁制をかいくぐって発展していたことがうかがえる。中国の民間経済は伝統的に地下経済で、役人は皇帝の意にそって地下経済を取り締まるが、地下経済の必要性を知っているので賄賂をもらって黙認するという、構造的に腐敗せざるを得ない役回りを演じていた。今の共産党政権がGDP統計作成など中国の民間経済の実態を把握したり、地方官僚の腐敗を止めるのに四苦八苦しているのは、中国経済の伝統が地下経済だったことに起因しているのではないか。地下経済の商人は、決して自分の年商や利幅を正直に言わない) (世界史解読(2)欧州の勃興) (中国人を利己的でなくするため、民間経済をすべて破壊して国家管理経済だけにしようとした毛沢東は、とんでもなく過激で自滅的な試みをやっていたことがわかる。半面、ロシアは政府が強くないとうまくいかない国であることも、歴史的な背景から感じ取れる。ロシア人がプーチンを熱く支持するのは当然だ) このような歴史的背景を見ると、シベリア・極東開発に中国の資本を入れることにロシア政府が慎重になるのは理解できる。同時に、ロシアが中国の資本を入れるのは、ロシアが国際金融危機の影響で金欠になっていることなどを背景とした一時的な現象でしかなく、1950年代の中ソ蜜月が60年代の中ソ対立に大転換したように、今回の中露資本協調もいずれ終わるという見方もできる。 しかし今の世界経済は、欧米日の資本だけが世界を席巻していた米英中心体制が崩れ、中国を筆頭とする新興諸国の政府が新たな国際資本家として台頭し、経済が多極化する流れの中にいる。ロシアは革命前とソ連崩壊後、欧米からの主にユダヤ人による投資によって経済が発展してきた。だが、世界の資本体制が多極化するなら、ロシアに流入する資本の供給者も多極化して当然だ。欧米からロシアに流入していた資金は、昨秋来の国際金融危機で急減し、ロシアは金欠になっている。ロシア政府は、金融危機はドル崩壊まで発展すると予測しているが、この予測が実現すると、欧米からロシアへの資金は今後ますます細る。 ロシアと中国は、すでに通貨の面で協調し、ドル崩壊後に国際決済通貨を多極化し、新たな基軸通貨群の中に中国人民元とロシア・ルーブルを入れる準備を両国で始めている。ロシアは中国のことを「遅れた人々」「タタール」と認識することをやめて、中国を欧州ユダヤと並ぶ「資本家」と見なすようになったと考えられる。ロシアは、西方のユダヤ人と東方の華人の両方から資本を受け入れるようになりそうだ。 ▼チンギスハーン以来のモルドバ進出 昨年来の国際金融危機はロシアだけでなく、東欧の旧ソ連諸国をも資金不足に陥らせている。そんな中、ロシアは、自国が旧ソ連諸国の資金不足を救えないため、資金が豊富な中国に代役を頼むようになっている。 その一例が、ルーマニアとウクライナにはさまれた人口400万人の小国モルドバだ。中国は今年7月、モルドバの国家基盤整備事業のために10億ドルを低利融資することを決めた(モルドバの国家予算は年間15億ドル)。モルドバでは親ロシア派と親欧米派が対立している。米国はモルドバにNATO加盟を勧めている。モルドバを自国の影響圏にとどめたいロシアは、NATO加盟を阻止するためにモルドバに資金援助をしたいが、金がないので十分な援助ができない。そこで中国に協力してもらうことにした。 (China dips its toe in the Black Sea) モルドバ周辺の地域は、13世紀にモンゴル帝国が侵略支配した地域の西の端にあたる。ロシアが歴史的な「タタールのくびき」にこだわっているのなら、中国に対モルドバ融資を頼むことはなかっただろう。ここでも、中国はロシアにとって「タタール」から「投資家」に変身している。中国にとっては、アンゴラやスーダンでの資源開発を「鄭和以来のアフリカ進出」と呼ぶのと並ぶ「チンギスハーン以来のモルドバ進出」である。 ここまで、ロシアと中国との資本関係について書いてきたが、中国のユーラシア投資は、イスラム世界との関係においても進展している。そのあたりは改めて書く。 【続く】
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