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アフリカの統合

2009年7月7日   田中 宇

 アフリカ連合(AU)は、アフリカ大陸のすべての国が参加する国際組織である(モロッコだけが西サハラ紛争の関係で準加盟状態)。7月4日、リビアの港湾都市スルトで開かれていたAUの首脳会合(サミット)で、AU事務局(理事会。AU Authority)を強化し、アフリカ大陸全体の防衛や外交、通商に関する政策を決定できる権限を持たせて「アフリカ連合政府」「アフリカ合衆国政府」のような権力にすることで合意した。 (African leaders in landmark decision to strengthen continental integration

 アフリカ連合は、アフリカ諸国の独立と統合を目指して1963年に作られたアフリカ統一機構(Organisation of African Unity)が2002年に発展して作られた。アフリカ統一機構は、非同盟諸国運動的な動きだったが、アフリカ連合はEUを意識し、EU型のアフリカ統合を目指している。前身のアフリカ統一機構が、エチオピア皇帝の発案で作られた関係で、今のアフリカ連合の事務局もエチオピアの首都アジスアベバにある。 (African Union From Wikipedia

 アフリカ連合の主な推進役の一人は、リビアの最高指導者ムアマル・カダフィであり、カダフィは今年2月からアフリカ連合の総会議長をつとめている。また、リビアは他のいくつかの諸国と合わせて、アフリカ連合の諸経費の75%を負担している。カダフィは80年代まではアラブ諸国の統合を推進していたが、90年代からアフリカ諸国統合の方を強く言うようになった。02年にアフリカ連合が作られた後、03年にはブッシュ政権の米国が、リビアに対して88年のパンナム機墜落以来続けていた経済制裁を解除し、カダフィは再び欧米に受け入れられるようになった。 (政権転覆と石油利権

 東アフリカ諸国や、南アフリカのムベキ前大統領は、カダフィらが提唱するアフリカ統合案が性急すぎると反対し、統合はゆっくり進めるべきだと主張してきた。だが、03年の米国のリビア制裁解除は、アフリカの外交界におけるカダフィの地位を上昇させた。カダフィらが提唱する、EU型のアフリカ統合や「アフリカ合衆国」の構想は、07年にアフリカ連合の正式な目標として掲げられた。カダフィは今年2月からアフリカ連合の議長をつとめ、できるだけ早くアフリカ統合を推進しようとしている。

 03年になぜ米国がカダフィを許し、リビアとの国交を再開したのか、何か裏があるような感じはするものの、これまで私には今一つ解けなかった。当初は「カダフィは核兵器開発を破棄したので許し、イラクのフセインは破棄しなかったので潰した」という米国の「飴と鞭」の中東戦略と言われたが、フセインも実は大量破壊兵器の開発などしておらず、米英によるでっち上げだったことが確定し、この説は破綻した。

 むしろ、今回のカダフィによるアフリカ連合の統合推進と、ブッシュ以来の米国中枢が、世界の各地域の諸国を統合・自律させて世界の覇権体制を多極化しようとする「隠れ多極主義」であることを合わせて考えると、米国はカダフィを許すことでアフリカにおけるカダフィの権威を高めてやり、世界多極化の一環となりうるアフリカ統合の推進を後押ししたとも思える。

 ついでに言うなら、米ブッシュ政権が、世界軍事支配的な単独覇権主義の一環として07年以来、アフリカに新たな米軍司令部(AFRICOM)を設置する計画を推進したことも、同様の隠れ多極主義である。米軍司令部の設置計画は、アフリカ諸国の米国に対する反感や警戒心を誘発し、アフリカを反米で結束させる働きをした。米国はアフリカ各地で司令部を設置できる国を探したが、どこでも地元政府に反対され、結局アフリカ司令部は、米軍内の組織としては存在するものの、アフリカ大陸内に本拠を置けないままになっている。 (Re-packaged AFRICOM still not good for Motherland

 米国(米欧)による支配から逃れるためには、アフリカが自立的な統合体になっていくしかない。その意味で、米軍司令部の設置計画は、間接的に、アフリカの統合を推進する結果となっている。アフリカ連合の統合分野の一つに、軍事統合があり、すでにソマリアなどでアフリカ連合軍が紛争解決のために活動している。こうした動きは、米軍の支配を拒否するアフリカ諸国の姿勢を表している。 (US Military's AFRICOM Announcement Was a Surprise to African Nations

▼アフリカを分割支配する欧州

 アフリカの人々にとって、アフリカ統合は見果てぬ夢だ。この100年間、アフリカは「欧米だけが世界の中心であり、その他の地域は欧米に支配される」という英米中心主義(英国型覇権、小均衡体制)の被害者として、分割支配され続けた。アフリカの分割は、1884年のベルリン列国会議から1914年勃発の第一次世界大戦にかけて行われた。それ以前のアフリカは、大陸全体の約10%だけが欧州列強の植民地だったが、アフリカは列強に分割されていき、ほぼ全域が植民地となった。 (Scramble for Africa From Wikipedia

 19世紀より前のアフリカは、喜望峰まわりのインド・アジア行き航路の寄港地として、ポルトガルがアンゴラやモザンビークを、英国やオランダがケープ(南アフリカ)などを植民地化し、フランスが地中海対岸のアルジェリアを植民地にしていた程度だった。しかし18世紀末に英国で始まり、欧州全域に拡大していった産業革命の結果、交通機関が飛躍的に発達した。欧州の探検家がアフリカ各地で川を遡上し、各所で地下資源を発見した。産業革命は、製造した工業製品を世界に売りつける必要性を生み出したこともあり、欧州の主要各国は、アフリカ全体を植民地にしていく動きを強めた。

 産業革命と同時期に欧州全域で起きた、フランス革命を皮切りとした国民国家革命によって、イタリアやドイツなどの新興国家が誕生した。特にドイツは、先進の英米をしのぐ工業発展を見せ、アジアやアフリカでの植民地拡大事業に参入してきたので、英仏との調整が必要となった。

 フランス革命後のナポレオン戦争に勝利して覇権国となった英国は、欧州各国がおおむね均等な力関係を持つように采配し、単独で英国と戦って勝てる国が出てこないようにする「均衡戦略」(バランス・オブ・パワー)を採っていた。(私は、現在の米国の多極化戦略を大均衡戦略と呼び、以前の英国の均衡戦略を、欧州内だけの均衡なので、小均衡戦略と呼んでいる) (覇権の起源

 英国は、欧州諸国が世界に植民地を拡大していく際にも均衡戦略を適用し、ベルリン会議などを通じて、欧州列強間でアフリカを分割する戦略を進めた。列強間で分割してしまえば、アフリカの人々が望んでも、あとから統合することは非常に難しく、いつまでも欧州列強の支配下に置ける。アフリカと同様に、中東も分割支配された。

 2度の世界大戦後、覇権国となった米国の中枢には、欧州が世界の他の地域を支配し続けることで世界経済の成長が抑制されている状態を嫌う勢力もおり、彼らは世界的に植民地の独立を奨励したり、欧米のほかにロシア(ソ連)や中国を安保理常任理事国とする国連の体制を作ったりして、英米中心の世界体制を多極的な体制に転換していこうとした。英国はこれを阻止するために米国の軍産複合体と組んで米国内の多極主義的な動きを壊し、冷戦を煽って米ソ対立を恒久化した。

 冷戦開始後、多極主義者の側は、世界の発展途上国が協調して英米中心体制に対抗する非同盟諸国の運動に期待したが、これもしりすぼみとなった。非同盟諸国運動の一つだったアフリカ統一機構も、大した成果を上げられなかった。多極主義の側が優勢になったのは、ニクソン、レーガン、ブッシュという、この40年間の米共和党の3つの政権が、英米中心体制の強化を意図的に過剰にやることで自滅的に大失敗し、結果として80年代末の冷戦終結や、現在の米英の崩壊など、多極化につながる動きにつなげたからだった。

 そして今、多極化の一環として、アフリカ連合によるアフリカの統合が試みられている。うまくいけばアフリカは、欧州のEUや中東(サウジアラビア中心のGCC+イラン+トルコ)、東アジア(ASEAN+日中韓)、北米(NAFTA)、中南米(ベネズエラやブラジルが主導して統合を促進中)、ロシア周辺(CSTO)などと並ぶ、今後の多極型の世界体制の極の一つになりうる。

▼中国型発展をアフリカで実践する

 最近の多極化とアフリカの関係としては、中国も、重要な役回りを果たしている。もともと中国は、50年代からの非同盟諸国運動の一環としてアフリカを支援してきたが、ここ数年は、高度成長を続ける中国経済が必要とする石油ガスや鉱物資源を得るために、アフリカ諸国に接近している。中国とアフリカとの貿易額は、2000年の110億ドルから、06年には560億ドルへと急増し、来年には1000億ドルになると予測されている。中国が輸入する原油の3分の1がアフリカ産だ。 (China: Partner or predator in Africa?

 米国が911事件後に「テロ戦争」から「世界強制民主化」へと走り、独裁政権が多いアフリカ諸国に対しても、人権や民主化などの面で批判や脅しを強め、アフリカを支配してきた欧州諸国も、米国との付き合い上、アフリカ諸国の人権侵害や独裁を問題にせざるを得ず、アフリカ諸国は欧米を敬遠するようになった。米欧が支配するIMFや世界銀行は、人権や民主化などの面での改善を、アフリカへの経済援助の条件とする姿勢を強めた。対照的に中国は、人権や民主化について条件をつけずにアフリカへの経済援助を続けたので、アフリカは欧米からの批判を無視して中国と密接な関係を持つ傾向を強めた。 (China discovers value in the IMF

 この問題に関する日本人の常識は「アフリカの独裁者が人権や民主主義を無視するのは悪だ。欧米がせっかく悪を是正しようとしているのに、自国自身が独裁で人権侵害している中国は、自国の利権拡大だけを重視し、欧米の善行を阻害する悪事を働いている」というものだろう。しかし歴史的に見ると、アフリカに対する分割支配を恒久化し、アフリカの人々の人権を最も踏みにじってきたのは欧州(欧米)である。

 欧米は、アフリカを分割し、独裁ぐらいしか政府を維持する方法がないような国家の枠組みをアフリカ各地に作った上で、独裁をやめろとか、民主化しろとか言っている。分割状態は経済的にもアフリカの発展を阻害し、恒久的に欧米からの援助が必要な援助中毒に陥らされている。欧米がやっているのは善悪観を操作する巧妙な国際知能犯罪であるが、国際情勢を知らない日本人は簡単に騙されている。騙されていることが、日本が先進国の仲間入りさせてもらえる条件とも言える。

 アフリカには、中国の進出に対して批判的な人もいるが、その一方で、中国のような非欧米勢力がアフリカに援助や経済関係を拡大することで、アフリカは欧州による100年の支配から脱するきっかけをつかめると歓迎している人も多い。中国は、アフリカ各地で港湾や鉄道、道路などのインフラ整備事業を手がけている。「民主化」よりも、経済発展によって社会が安定する方が国民の幸福につながるという中国の改革開放の考え方が、アフリカでも実践されている。

 かつては、日本も非欧米勢力として、欧米の詭弁的な支配構造を破壊してくれると発展途上国から期待されたが、戦後の日本は対米従属以外の政治目標のない国であり、今や途上国は日本ではなく中国に期待している。日本人は、それをねたんで中国を嫌悪する本末転倒の状況にある。日本が、欧米の偽善的な世界支配をきちんと指摘する国になれば、世界は日本を見直すだろうが、そのこと自体、今の日本人は理解していない。中国は、アフリカで中国型の経済発展モデルを成功させたいという世界戦略があるが、日本のアフリカ外交には戦略が欠如している。

▼中国に談合を持ち掛ける欧州

 中国のアフリカ進出に対し、守勢に立たされる欧州(EU)は昨年10月、中国に対し、アフリカにおける責任を分担する提案を行っている(The EU, Africa and China: Towards trilateral dialogue and cooperation)。欧州は、中国の攻勢を「独裁や人権侵害などアフリカの諸問題を助長する」と批判してきたが、アフリカ諸国は欧州の批判を無視して中国を重視し、欧州を軽視するばかりだ。米国がブッシュからオバマに代わり、強硬な世界民主化策の失敗を認める中で、欧州は従来の善悪操作策を放棄して、中国と折り合いをつけざるを得なくなっている。 (EU2 puts Africa ball in China's court

 欧州は、アフリカで中国が拡大した利権を認知し、その見返りとして、欧州の「人権重視」の策を中国が認知し、ある程度それに協力してくれ、という談合を中国に持ち掛けている。中国は、欧州からの提案を、疑念の目を持って見ている。米英の覇権は崩壊の傾向を強めており、米英覇権を後ろ盾とした世界に対する欧州の影響力も弱まりつつある。中国にとっては、欧州との談合は後回しにした方が有利になる。

 とはいえ昨秋のアフリカに関するEUの提案には、画期的な面もある。EUは、自分たちを模したアフリカ連合の統合構想を支持し、EUと、中国と、統合されゆくアフリカとの3者間の協調を提案している。これは、多極主義的な戦略だ。EUは、米国中心の英米中心主義から、多極主義への転換を打ち出している。この提案がなされた昨年10月は、米国でリーマンブラザーズが9月に倒産して米国の金融破綻が進み、11月にワシントンDCで多極的なG20サミットが開かれて多極化の方向性が定まっていった時期である。その時期にEUが対アフリカ戦略を多極的な方向に転換したことは、自然な動きであるともいえる。 (The EU, Africa and China: Towards trilateral dialogue and cooperation

 このような事態を見てロシアも、冷戦時代にアフリカの社会主義諸国を支援していた関係を引き継いで、アフリカ諸国との経済関係を強化している。メドベージェフ大統領は最近、100人以上のロシアの財界人を引き連れて、ソ連崩壊後のロシア首脳として最長期間のアフリカ歴訪を行った。エジプトには原発を作ってやり、ナイジェリアではガスプロムが石油ガス田の開発を決めた。ナミビアやアンゴラでは、ダイヤモンドやウランなどの利権を漁った。 (Russia's New Scramble for Africa

 ソ連崩壊後に衰退したロシアは、自国近隣の中央アジアやコーカサス諸国に対する影響力を保持するのがやっとで、遠いアフリカのことまで手が回らなかった。だが最近の多極化と中国のアフリカ進出に触発され、ロシアは再びアフリカに触手を伸ばしている。

 アフリカ連合による政治統合の動きは、成功するとは考えにくい面もある。アフリカ各国の指導者の中には独裁者が多く、彼らは自分の権力の維持増強を最重視する傾向がある。彼らが集まって統合を話し合っても、建前的には統合で合意できるかもしれないが、各論になると、各国の為政者間の利害が対立して何も決まらない可能性がある。現在のアフリカ連合を率いるカダフィは、自分の権威を発露させたがる傾向が強く、アフリカの他の指導者から嫌がられている。アフリカより先に、中南米諸国が数年前から政治統合を検討しているが、出てくる声明は美文であるものの、実体的にはほとんど進んでいない。同様のことが、アフリカでも起こりうる。 (南米のアメリカ離れ

 しかし、今後の状況が従来と全く異なる点は、米英の覇権が衰退に向かうことだ。米欧中心の世界体制が崩壊し、国際政治に真空状態が生まれる。空白を埋める、代わりの世界体制が待ち望まれるようになる。その待望感の中で、アフリカや中南米、中東、東アジアなどで、地域統合による、地域ごとの新たな世界秩序が意外に早く立ち現れる可能性がある。アフリカの統合も、意外と進展するかもしれない。アフリカが統合による自立を実現すれば、分割支配される状態から脱し、経済発展や政治安定化が可能となる。



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