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核の新世界秩序

2009年4月21日   田中 宇

 先日、ドイツのシュタインマイヤー外相がシュピーゲル誌のインタビューに答えて「米国がドイツ国内に置いている核弾頭を全部持ち返ってもらうよう、米国に働きかけたい」「核兵器は、軍事的に時代遅れの兵器である」と表明した。

 米国のオバマ大統領は4月初めの欧州歴訪時、ロンドンでロシアのメドベージェフ大統領と会談し、米露の核兵器を相互に削減するSTART(戦略兵器削減条約)を延長する話を行った。またオバマはプラハでの演説で、米国の安全保障戦略の中に占める核兵器の役割を縮小させると表明し、他の諸大国に対しても同様に、核兵器に頼らない戦略を採るよう呼びかけた。米国に核兵器を持ち帰ってくれと求めるシュタインマイヤー独外相の発言は、これらのオバマが発した米国の新戦略を受けたものだ。 (Germany wants U.S. nukes out

 今のドイツ政府は、メルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(中道右派)と、シュタインマイヤー外相が率いる社会民主党(中道左派)との左右政党の連立でできている。シュタインマイヤーは、米国の核兵器を撤去せよと言ったが、対照的にメルケルは独議会で「核兵器の保有国と保有しない国の混合体であるNATOの戦略は集団安保であり、ドイツが米国の核兵器を置かせてあげるのは当然だ」という趣旨のことを述べた。独議会では過半数の議員が、メルケルではなくシュタインマイヤーの主張を支持している。 (Foreign Minister Steinmeier wants US nukes out of Germany

 米国がドイツに何発の核弾頭を置いているか不明だ。冷戦終結後、かなり減ったとされているが、米国は今も欧州全体で100発前後の核弾頭を置いているとみられている。 (U.S. Urged to Withdraw Nuclear Weapons From Germany

▼単独覇権主義の失敗でロシアに再接近

 現代の先進国には報道の自由があるため、大事なことは何でも報道されて国民の知るところとなると思われがちだが、実は違う。欧州諸国や日本などの先進国が、米国の核兵器に対してどのような国家戦略をとっているかということは、ほとんど報じられないし、議論の多くは本質から外れたところに向いている。国家にとって大事なことは、報道の自由に関係なく、まともに報じられることは少ない。そんな中で発せられた独外相の発言は驚くに値するし、今後の欧米関係を分析する際に意味を持つ。

 オバマが欧州歴訪時、核兵器や核廃絶に言及した理由は、前任のブッシュ政権が、欧米間や米露間の政治軍事関係を無茶苦茶にしてしまったのを元に戻すためである。米露間では、冷戦終結時の1991年にSTART1が調印され(94年末から15年の期間で発効)、92年にはSTART2も調印された。STARTの1では米露双方が核弾頭を6000発に、2では3000発に減らすことなどが柱となっている。

 START2は調印されたものの、米露双方の議会で批准が難航し、ロシア議会がようやく批准を可決すると米議会が批准を否決するといったことが繰り返された。そして、ブッシュ政権が2002年に「単独覇権主義」の一環として弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)を破棄した報復に、ロシアはSTART2を破棄した。米露の関係は悪化した。

 しかし、米軍のイラクやアフガンの占領がゲリラ戦の泥沼化で失敗し、ブッシュ政権の後半から単独覇権主義は言われなくなった。むしろ、アフガンへの補給路だったパキスタンの情勢悪化を受け、米国はロシア経由の補給路を必要とするようになった。イランに圧力をかけるためにも、米国はロシア敵視をやめざるを得なくなった。それで、オバマ就任後に開かれたロンドンG20サミットを皮切りに、米政府はロシアとの関係を改善していく方向を強めた。

 START1は今年12月に失効するので、米露はそれまでに新たな核軍縮条約を締結することを目標としている。ロンドンでの米露首脳会談を受け、4月24日に一回目の米露軍縮会議がイタリアのローマで開かれる。(イタリアは今年のG8主催国) (U.S., Russia to Start Immediate Arms Control Talks

▼英米の世界支配策としての核兵器拡散

 ブッシュ政権は「米国は世界最強なのだから、米露核軍縮も必要ないし、米欧の同盟関係も軽視してよい」と言って単独覇権主義を掲げたが、それが失敗して米国が弱体化しているため、オバマ政権は「やっぱり米国は国際協調します」と方向転換している。しかし、米露が核軍縮を再生したとしても、米欧関係や米露関係が元に戻るかどうかは疑問だ。

 というのは、そもそも米英が第2次大戦中に核兵器を開発して以来、核兵器は、米英中心の世界体制を維持するために拡散させられてきた観があり、今後、米英中心の体制が崩壊するとしたら、核兵器をめぐる世界情勢も、従来と大きく異なるものになっていくだろうからだ。

 核兵器(原子爆弾)は、第二次大戦中の1942年、米英カナダによる共同開発(マンハッタン・プロジェクト)で初めて開発が開始された。原爆の完成は、1945年5月のドイツ降伏には間に合わなかったが、日本の降伏前には完成し、広島と長崎に落とすことで、核兵器を実戦で使ってみたいという米英の念願が達成された。

 米英の内部では、戦後の核兵器技術の国際管理方法として、国連で独占管理するか、もしくはすべての主要大国に核兵器技術を教え、一つの大国のみが核兵器技術を持たないようにするという、多極主義的な核管理体制が考案された。それに反対する考え方として、ソ連・共産圏を敵視する勢力は、ソ連や中国への核技術の移転に反対し、米英傘下の国々のみが核兵器技術を独占することを主張した。 (History of nuclear weapons From Wikipedia

 これは、今につながる多極主義者と米英中心主義者の対立だったが、米英中心主義者の勝利になった。マンハッタン・プロジェクトで開発された核兵器の技術は、同事業に参加する英国の学者団の中に混じっていたソ連のスパイ(ドイツから英国に亡命したドイツ共産党員の科学者クラウス・フックス Klaus Fuchsら)によってソ連に伝えられ、ソ連は1949年に原爆を完成させて核実験を行った。 (KLAUS FUCHS: ATOM BOMB SPY

 米ソを永続的に敵対する均衡状態に持っていくことで、米国に英国好みのユーラシア包囲網戦略を採らせ、欧州を米英中心の世界体制の傘下に入れるという、英国の冷戦戦略から見ると、英当局は、自国の学者団にソ連のスパイが入り込んでいることを知りながら黙認していたのではないかと思える。もともと、米英のみが核兵器技術を独占するのではなく、ソ連や中国にも教えてやるという考え方は多極主義者のものだったが、英国はこれを逆手にとった。ソ連にも核兵器技術を教えてやったものの、それは米ソ対立を悪化させ、世界の多極化を阻止するために行われた。

 中国は1964年に核実験を成功させた。中国は、中ソ関係が悪化する前の1950年代にソ連からもらった技術をもとに核兵器を作ったとされている。しかし、スターリンは当初から毛沢東を信用しておらず、満足な核兵器技術を与えたとは考えにくい。むしろ、米共和党が米中関係を好転させる戦略を1960年代前半から練っていたとキッシンジャーが述べている(ケネディが暗殺されていなかったら、ネルソン・ロックフェラーが1964年の大統領選に出馬し、キッシンジャーはその顧問となって、実際より4年早く入閣する予定だった)ことから考えて、米国が中国を強化するために核兵器技術を漏洩したと疑われる。 (米中枢の暗闘開始と六日戦争

 常識的には、すでに核兵器を持っている国々は、自分たちの影響力が低下することを恐れ、新たに核兵器を持つ国が増えることを嫌うと考えられている。しかし、たとえば台湾に核兵器技術を漏洩させ、台湾が独自に核武装するよう誘導することで、中国の台頭を好まない勢力(もしくは中国の脅威を煽って米国の軍事費を高止まりさせたいと考える勢力)は、台中の対立を恒久化させることができる(台湾は、米中関係が好転した後の1970年代に核兵器開発を試みたが、米政府に止められた)。

 同様に、パキスタンに核兵器技術を漏洩することで、インド植民地独立時に英国が仕掛けた印パ対立の構図を恒久化できる。韓国に核兵器技術を漏洩することで、南北朝鮮の対立を恒久化できる(韓国も70年代に核兵器開発を指向し、近年また核兵器開発疑惑が出ている)。このように考えると、パキスタンや台湾や韓国に核兵器技術を漏洩させたのは、米英内部の軍産英複合体による意図的な作戦だった疑いがある。

 英米としては、核兵器技術を意図的に漏洩させることで世界の分断支配を維持するとともに、印パなど誘発に乗って核武装した国に対して国際的な制裁を発動し、二重の意味で分断支配を維持できる。日本などの核廃絶運動は、英米の戦略に乗せられてきた。911前後から、米マスコミはさかんに「イスラム主義テロリストが核兵器を得て、米国で核のテロをやるだろう」と喧伝してきたが、これも「テロ戦争」を恒久化する格好の方法である。

 例外的なのは、1960年代に行われたイスラエルの核武装である。従来、イスラエルの核武装は国際的にほとんど問題にされなかったが、昨今のイスラム世界での反米主義の勃興など多極化の結果として、イスラエルの核兵器保有が問題にされるようになっている。エルバラダイIAEA事務局長は、イスラエルの核兵器が世界の核拡散防止体制を阻害していると批判している。 (Israel Undermining NPT, ElBaradei Warns

▼対米従属に戻りたくない欧州

 このような核兵器をめぐる裏話を考えた上で、ドイツのシュタインマイヤー外相が「核兵器は時代遅れの兵器」と言ったことに戻って考えてみると、いろいろなことが見えてくる。

 ドイツは、英国が米国を引っ張り込んでドイツの台頭を阻止した第2次大戦に負けて以来、ソ連側の東ドイツと米英側の西ドイツに分断されて50年をすごし、多極主義的な米レーガン政権の時に突如として東西統合を許され、今度は一転してフランスと結束して欧州統合の主導役になる立場を与えられるという、劇的な現代史を持っている。ドイツから見ると、米ソが何千発も持ち、東独と西独にも置いていた核兵器は、米ソ対立を恒久化して欧州を米英の傘下に押し込め、ドイツを東西分割しておくという軍産英複合体の世界戦略の象徴である。

 従来の米国は、表向きは「米欧協調」を掲げ、独仏などの欧州と米国が対等であるかのような建前を維持し、欧州人の気持ちを逆撫でしないよう、巧妙な戦略を採っていた。だがブッシュの単独覇権主義は、露骨に欧州を見下すもので、しかも米国はポーランドやバルト諸国といった東欧諸国をけしかけて反ロシア的な態度をとらせ、ロシアとの協調を重視する独仏の邪魔をするという欧州分断の戦略も展開した。冷戦後の欧州では、冷戦時代の対米従属から徐々に脱するとともにEU政治統合を進めて欧州を結束した強い地域に育て、欧州と米国とロシアが正三角形の対等な関係を持つようにしていくという戦略があった。単独覇権主義のブッシュの対欧州戦略は、これを阻止するものだった。

 イラクやアフガンの戦争に加え、金融危機によって米国が弱体化し、いずれドルの基軸性も崩壊するかもしれないという今、ブッシュ政権時代に米国に痛い目に合わされたドイツやフランス、イタリアといった西欧主要国は、欧米関係を以前のような「建前は欧米対等の協調体制、本質は欧州の対米従属」に戻すのではなく、欧州と米国とロシアが正三角形になる多極的な対等関係に移行した方が良いと考える向きが強くなっている。

 最近、米国の金融危機は山場を越え、むしろユーロ圏の経済崩壊が先に来るという説を見受けるが、その一方で、米国の金融機関の損益が改善しているのは一時的な粉飾決算によるもので、夏には再び米国は金融危機に見舞われるという見方もある。金融に関する情報も、客観的な装いとは裏腹に、戦争報道と同様の、覇権をめぐる暗闘のプロパガンダの一部になっている。断言はできないものの、ドルや米英金融は依然として崩壊に近づいていると感じられる。 (Bank Profits Mask Peril Still Lurking

 欧州は、2度の大戦で米国が覇権国となるまで世界の中心だった。欧州人には、米国とは対等だという意識があり、そこがアジアと大きく異なる。アジア人はアヘン戦争以来、基本的に欧米の真似をすることが近代化だった。最も早くうまく真似をやった日本が、近代アジアで支配的な力を持った。今では中国が日本に追いついたが、中国も基本は欧米の真似だ。そのようなアジアにおいては、対米従属以外の世界体制を模索する力が弱いが、米国以前に世界の中心だった欧州では、対米従属の方が特殊な体制である。

▼安定化に向かう核の新世界秩序

 政治経済の分野では、多極的な新世界秩序が立ち上がりつつある。政治面ではBRICが強いG20が、G7に取って代わられた。経済では、これまでの米国が世界を牽引する消費大国だった単独覇権状態から、中国も内需拡大で消費大国になる米中G2時代が来るという見方が強まっている。G7を見放してG2を重視せよという主張は、キッシンジャーの弟子の一人であるフレッド・バーグステンらが、多極主義の一環として以前からさかんに言っていたが、それが具現化しつつある。 (US should share global economic leadership with China - Fred Bergsten

 中国は最近、ドルを国際基軸通貨として使うことをやめようと提唱しているが、バーグステンは、これこそ米中で話し合うべき格好のテーマだと言っている。米中で話し合ってドルを国際通貨から引きずり下ろすという提案であり、隠れ多極主義者たちが、しだいに露骨に多極主義を提唱するようになっていることが見て取れる。 (We should listen to Beijing's currency idea - It's an ideal `G2' project, says Fred Bergsten

 中国の方は、できれば今後も米国が覇権国であってほしいと考えているようだが、米国の方で勝手に自滅して中国に多極化を押しつけている感じだ。表向きは、ブッシュ政権時代に年に2回開かれていた米中高官協議が年1回に減らされるなど、米中関係は疎遠になっている観があるが、実際には違うようだ。 (US Says It Will Cut Frequency of China Talks

 覇権の多極化が新世界秩序として進みつつある中で、核兵器をめぐる新世界秩序も、いずれ立ち現れてくるだろう。シュタインマイヤー独外相の「核は古くさい兵器だ」という発言から感じ取れることは、覇権の多極化とともに、核兵器の意図的な拡散が英米中心主義を維持する策略として使われることは少なくなり、むしろ核兵器をめぐる世界的な騒動は減るのではないかということだ。

 読者の中には「米英が弱体化して世界が多極化すると、中国やロシアが核兵器を使って周辺国を脅す傾向が強まる」と思う人が多いかもしれない。だが実際には、中国やロシアは地域覇権国であり、周辺諸国が自国の言うことを聞くかたちで安定的な関係を保持することを望んでいる。核兵器をちらつかせることは、むしろ周辺諸国の警戒感を強め、長期的な地域の安定を損なう。核兵器をめぐる騒動を好むのは英米だけであり、自国から遠く離れた地域をかき回して支配するために、意図的な核拡散が使われてきた。核拡散を防止するふりをして誘発する作法は、米英中心主義とともに終わるだろうと私は予測している。



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