石油高騰の謎2008年5月14日 田中 宇アメリカ連邦議会上院で、原油市場に対する投機資金の規制を強化する「石油取引透明化法」(Oil Trading Transparency Act)が検討されている。法案は、2人の民主党議員が提案している。(関連記事) 国際石油価格は、アメリカの代表的な原油であるウェスト・テキサス・インターミディエイト原油(WTI)の石油先物の価格で決まる。WTIの先物は、ニューヨーク商品取引所(NYMEX)に上場しているが、同じ先物商品は、ロンドンにあるICE(Intercontinental Exchange)という企業が運営するネット上の先物取引市場でも取り引きされており、アメリカのヘッジファンドや投資銀行は最近、ニューヨークのNYMEXだけでなく、ロンドンのICEを通じて、さかんにWTI先物を買い、原油価格を高騰させている。 NYMEXはアメリカの市場なので、そこでの先物取引は、米政府の商品先物取引委員会によって監視され、投機的な行為は取り締まられる。だがロンドンのICEは、外国の民間企業による相対取引の市場なので、米政府の監視の枠外にある。投機で原油をつり上げたい米投機筋(ヘッジファンドや投資銀行)は、ロンドンのICEで先物を売買し、米当局の目を盗んで意図的に原油価格をつり上げ、ぼろ儲けしており、規制が必要だ、というのが2人の上院議員の法案提出の理由である。(関連記事) 米議会上院ではすでに、2006年6月に作られた報告書で「投機資金は2000年から原油先物相場をつり上げている」「WTIの先物取引の30%はロンドンICEで取り引きされている」と指摘されていた。しかし、米政府は上院報告書をほとんど無視し、何の対策もとらなかった。(関連記事) この問題を指摘した石油・地政学専門家のウィリアム・エングダールによると、現在の国際原油価格のうち最大で60%が、投機筋によるつり上げ効果によるものだという。WTIはアメリカ産の石油種であるため、ロンドンのICEが、WTI先物を自社の市場で取り引きする商品の中に加えるに当たっては、米当局の認可が必要だったが、ブッシュ政権は2006年1月、この認可を出している。その後WTIの高騰が激しくなり、同年6月に上院が投機を警告する報告書を出したが、米政府は無視した。ブッシュ政権はまるでWTIを高騰させることを意図したかのように、投機筋にICEという抜け穴を作ってやった、とエングダールは書いている。(関連記事) エングダールの分析が正しいとしたら、現在1バレル120ドルを超えているWTIの価格は、投機を排除すれば、50ドル程度まで下がりうることになる。 ロンドンのICEでの原油先物取引は、当局の監視外で行われる相対取引が膨大な額になり、現物市場に悪影響を与えている点で、昨夏以来の金融危機の原因となったサブプライム住宅ローン債券の市場と似ている。サブプライムの債券は、現実の住宅ローン債権を、銀行の簿外という当局の監視外の領域で、相対取引で売買し、取引が昨夏まで急拡大していた。いずれの問題も、当局が市場規模すら把握できない金融派生商品の「私設市場」での取引が肥大化した末に起きている。 ▼世界多極化策の一環か? 米議会上院での石油先物規制法案に対し、規制強化を求められている米政府の商品先物取引委員会は、上院の公聴会で「原油高騰の主因は投機ではない」「石油相場は、需給に基づく基本線から大きく逸脱していない」と説明した。上院ではロンドンICEでの取引への監視強化と合わせ、石油先物取引の際の証拠金比率を引き上げて投機を規制しようとしているが、商品先物取引委員会は「(投機が上昇の主因ではないのだから)規制強化は思わぬ悪影響をもたらしかねない」と反対している。(関連記事その1、その2) 前出のエングダールの分析を延長するなら、ブッシュ政権は意図的に投機で石油を高騰させているのだから、大統領の意を受けて動く商品先物取引委員会が、石油高騰の原因は投機ではないと主張して、議会の規制要求を止めようとするのは当然だということになる。 米大手投資銀行のゴールドマンサックスは最近、原油価格は今後2年以内に1バレル200ドルまで上がるかもしれないとの予測を発表した。同銀行は3年前、原油が100ドルになる現状を正確に予測していたことで知られ、今回の200ドル説も重視されている。しかし、原油価格がWTI先物の投機によってつり上げられ、ゴールドマンが投機筋の親玉の一人であると考えるなら、自作自演の高騰なのだから、予測が当たるのは当然だ。(関連記事) ゴールドマンは、モルガンやロックフェラーと並ぶ「ニューヨークの大資本家」だ。彼ら大資本家は、1895年に米連邦政府が財政破綻しかけた際、JPモルガンを中心に、連邦政府を救済してやって以来、米政府を操る糸を握り続けている。1913年には連邦準備制度(連銀)が作られたが、連銀設立のシナリオを描いたのもニューヨークの大資本家である。米政府の外交政策を事実上決めてきた「外交問題評議会」(CFR)も同様だ。(関連記事) ブッシュ政権がICEという原油投機の「抜け穴」を開け、ニューヨークの大資本家たちが石油価格をつり上げる、という共同作業の結果、ロシアやサウジアラビア、イラン、ベネズエラなどの産油国の国庫が潤い、これらの国々はアメリカの覇権に対抗できうるネットワーク(非米同盟)を強化している。以前の記事に、ニューヨークの大資本家による「覇権ころがし」としての多極化戦略について書いたが、大資本家と、その代理人であるブッシュ政権が、石油を意図的に高騰させ、反米的な産油国の力を増大させて、世界の覇権体制を多極化しようとしている、と考えられる。 前回の記事で、3月中旬に米連銀が投資銀行ベアースターンズを救済して以来、ブッシュ政権など多極主義者による覇権自滅策を阻止すべく、イギリスなど米英中心主義勢力による延命策が発動しているようだと書いたが、今回の米議会上院での原油先物取引規制の強化策も、延命策の一環であり、原油価格を引き下げ、ドルの基軸通貨性や、米経済の不況悪化防止を目指したものとも考えられる。ベアースターンズ救済策が発表された直後、各種商品相場の平均指数(CRB指標。石油、金属、穀物など)は急落した(その後、市場最高値に戻った)。(関連記事) ▼投機筋と産油国が結託? 投機を原油高騰の主因とみなす考え方には、反論もある。最大の反論は「相場を投機でつり上げると、高騰の結果、実需が減り、大量の原油在庫が世界的に積み上がるはずだが、それは現実に起きていない。だから高騰の主因は投機ではない」「投機より、中国など新興工業国の石油消費増と、産油国の新油田開発速度の低下の結果だろう」というものだ。米経済学者ポール・クルーグマンは「原油先物市場に巨額の資金が流入しているのは事実だが、それが価格つり上げを引き起こしているとは考えにくい」と書いている。(関連記事その1、その2) 供給者と消費者がそれぞれ無数にいる中で投機が行われれば、確かに時間が経つと価格の下落が起きる。しかし、石油の場合、供給者は産油国に限定されている。しかも、国際石油業界では、従来はエクソン、シェル、BPといった米英の石油会社(セブンシスターズ)が強かったが、今では米英の会社が持つ油田の総埋蔵量は、世界の全埋蔵量の10%を切っている。残りは、サウジアラビア、イラン、イラク、クウェート、マレーシアといったイスラム諸国、ベネズエラ、メキシコ、ブラジルなど中南米諸国や、ロシア、中央アジア諸国などの国有石油会社が持っている。(関連記事) 以前の記事に書いたように、今では「セブンシスターズ」といえば、米英の石油会社7社ではなく、ロシア、イラン、サウジ、中国、マレーシア、ブラジル、ベネズエラという、反米・非米的な7カ国の政府系石油会社を指している。世界の石油業界では、この「新セブンシスターズ」の石油利権の比率が高まっている。(関連記事) 最近では、中国やインド、ロシアなどの石油会社が、アフリカの産油国に対し、資金援助やインフラ整備などを行う代わりに石油開発の権利を取得している。アフリカ諸国にとっては、従来の欧米からの支援に比べ、人権や民主化についてうるさく言われないので、喜んで中国やインドやロシアの石油会社に利権を与え、欧米勢を追い出している。この政治メカニズムで取り引きされる石油の価格は、WTI相場よりはるかに安いはずである。 世界の石油供給者の中には、主な消費者である欧米の味方が減り、欧米に良い感情を持っていない勢力、高く売りつけてやれと思っている勢力が増えている。ブッシュのテロ戦争やイラク戦争の結果、世界的な反米感情の高まりで、アメリカ(欧米)に対する産油国の「悪意」は増大している。高く売りつけたい供給者が談合し、相場をつり上げたい市場関係者や米当局がこれに協力すれば、需給バランスを崩すことなく、価格の高騰を演出できる。 アメリカの石油輸入先の国別比率は、カナダ19%、メキシコ15%、サウジ11%、ナイジェリア10%、ベネズエラ10%となっている。このうち、カナダは対米善意性が比較的高いが、残りの国々は、自国の国営石油会社を通じて「アメリカに高く売りつけてやれ」と思っても不思議はない。(関連記事) ▼国際石油市場は二重価格制? WTIの「国際石油価格」は1バレル100ドル以上だが、世界の毎日の石油売買のうち、どの程度の割合がこの高値で取り引きされているかは不明だ。アラブの産油国は昔から、イスラム諸国や非同盟の開発途上国に対し、安値で石油を売る傾向があった。OPECは1960年に設立された時から、発展途上国に安く石油を売ることが目的の一つだった。 現在でも、たとえば先日米上院で問題にされたことは、サウジアラビアがイランに1バレル20ドルという国際価格の5分の1で原油を売っていることだった。国際政治の「一般常識」としては、スンニ派で親米のサウジと、シーア派で反米のイランとは犬猿の仲で、サウジがイランに超安値で石油を売ることなど考えられない。しかし現実には、各王子が石油利権を分け与えられているサウジ王室の中には、反米的な王子もおり(王室内で親米と反米を演じる役割分担をしている)彼らは石油を安値で各地の反米イスラム勢力に売っており、イランはその一つらしい。中南米では、ベネズエラのチャベス大統領が、周辺諸国に安値で石油を売り、反米の方に傾ける戦略を採っている。(関連記事) 中東のヨルダンは建国以来、パレスチナ人が反イスラエル化するのを防ぐための米英の傀儡国であるが、フセイン政権が倒されるまで、隣の反米産油国イラクから、石油をほとんど無償(野菜との物々交換)で受け取り続けていた。イラクが混乱した今では、代わりにサウジから石油を安値(もしくは無償)で得ていると思われる。国際社会では、産油国から非産油国への政治的な石油の安値供給が各地で行われている。 欧米系の国々や日本、韓国など、アメリカ中心の覇権体制にぶら下がっている先進諸国は、法外に高いWTI価格で石油を買わざるを得ないが、その他の非米・反米の傾向がある国々では、政治的に設定されたもっと安い価格で石油を買える。特に米軍イラク侵攻後は、ロシアのプーチン政権やイランのアハマディネジャド政権、ベネズエラのチャベス政権などが共同し、政治的な石油安値販売の戦略を強化し、サウジや中国も巻き込んで、世界的な非米同盟を構築し、アメリカの覇権体制を壊すことを狙っている。 つまり世界の石油業界は、世界の多極化に賛成する国は1バレル20ドル程度の「非米価格」で、米英中心主義にぶら下がり続ける国は1バレル100ドルのWTI価格で石油を売る二重価格制になっている。おそらくWTIがいくら上がっても、非米価格には関係ない。原油の採掘原価は、多くの場合1バレル10ドル以下なので、20ドルで売れば利益は十分だ。 世界の石油取引のうち、どのくらいの量が非米価格で、どのくらいがWTIで売られているかはわからない。非米価格での石油取引は国家間の相対取引で、統計に全く出てこない。だが、すでに述べたように、世界の石油生産の大半を非米・反米諸国の国有石油会社が持っているのだから、少なくとも世界の石油取引の半分ぐらいは非米価格で売られている可能性がある。以前ベネズエラのチャベス大統領は「WTI価格で売買されている石油量は、世界の取引全量からみればごくわずかだ」と発言していた。 ▼ドル安との関係 原油の超高値は、ドルの安値の裏返しであるとも言える。ドルではなく金地金で石油を買った場合、石油の価格は大して上昇していない。戦後、1971年のニクソンショックまでは1バレルの石油を買うのに0・08オンスの金が必要だった(1オンス35ドル、1バレル3ドル前後)。その後、石油危機があったものの、金も同時に高騰したため、1980年には0・05オンス(1オンス800ドル、1バレル40ドル)に下がり、1990年にも同額(1オンス400ドル、1バレル20ドル)だった。その後、2000年には0・1オンス(1オンス300ドル、1バレル30ドル)となったが、その後の石油高騰時には、金も高騰したため、現時点でも0・13オンス(1オンス900ドル、1バレル120ドル)で、1970年代と最近の2回の石油急騰時、金に対する石油の価格はほとんど横ばいである。(関連記事) つまり金を基準に考えた場合、石油価格の急騰(石油危機)は「ドル下落」のことである。ドルの価値が大増刷によって下がったから、石油と金が高騰した。1970年代の石油危機の際には、1960年代からのドルの大増刷と経常・財政赤字増の結果としての、1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)が起こり、その後の73年の第1次石油危機は、産油国による石油価格の「正常化」(ドルの価値下落を補正するドル建て価格の値上げ)だった。同様に、2001年からの石油高騰も、ブッシュ政権によるドルの大増刷と経常・財政赤字増を受けたドルの価値下落を受けた価格是正として起きている。(関連記事) 70年代も今回も、ドルと円など他の世界の諸通貨との為替関係は、それほどドル安になっていない。それは、米政府が金融財政の無茶苦茶をやってドルを自滅させたのに対し、イギリスを初めとする欧日などの先進国は、アメリカが覇権国であり続けることを望み、ドルの基軸通貨性の喪失を嫌がり、ドルに合わせて各国通貨を弱くして、ドル安を抑止してきたからである。すべての主要通貨が安くなった結果、石油や金や穀物などの商品だけが高騰した。最近、小麦やコメなどの穀物の国際価格が高騰し、各地で食糧暴動が起きているが、1971年のニクソンショック後にも、食糧のドル建て国際価格が高騰し、世界各地で食糧暴動が起きている。(関連記事) 【続く】 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |