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RANDOM DIARY TOUR
鳴海諒一日記 SINCE 6/18.2000



8月15日

▼なお相次ぐ異物混入

 またまた異物混入である。14日には日本水産の冷凍食品「ちゃんぽん」にハエの
死がいが混入していて、約十万食分を自主回収。14日と15日(別工場)には山崎
製パンの菓子パンの中に虫が入っていたが、こちらは回収なし。

 雪印乳業の集団食中毒事件以後、食品や医薬品などの細菌増殖や異物混入、味覚異
常といった問題が続発しており、業者による製品の自主回収は、この1カ月半の間だ
けで40数件以上にも上っているそうだ。

 ここ最近、異物混入騒ぎが激増した原因は、雪印事件で消費者が企業のずさんな管
理を知ってしまったからだと思う。企業がきちんとした製造・商品管理をしているも
のだと信頼していたのに、その信頼を裏切られた。だから消費者は皆怒っているのだ。

 今までも異物混入は時々あっただろう。これまであまり公にならなかったのは、消
費者が企業にだけクレームの連絡をしていたからだと思う。こんなにあちこちで同じ
ようなことが起きているとは知らなかったから、比較的穏便に済ませていたのではな
いか。しかし、最近は違う。「また異物混入だ!」と怒った消費者は、企業と保健所
に同時に連絡してしまう。だから企業はそのことを揉み消すことが出来ないのだ、き
っと。

 僕は雪印事件によって消費者が敏感に反応するようになった最近の状況を喜ばしい
ことだと思っている。異物混入を白日の下に晒すことによって、企業が一層きちんと
商品管理をするようになると思うからである。

 企業は今まで、もしかすると「何万個も製造したら、そりゃ少しは虫も入るだろ。
5万個に1個ぐらいの混入なら、限りなくゼロに近いじゃん。オッケーじゃん」と思
っていたかもしれない。はっきりと思わなくてもそのような体質だったかもしれない
(邪推だが)。しかしこれからはそうはいかないのだ。

 たった1個の商品に異物が混入していただけで、全てのを回収しなくてはならず、
そうなれば企業のイメージダウンも含めて大損害を受けることになる。工場管理者は
責任を問われ、信頼を失い、給与に影響し、ボーナスは減り、昇進は見送り、退職金
の目減りを危惧、ローン支払い計画の修正、家庭不和、突発性鬱病、自殺を考える、
なんてことにならないように頑張るしかない状況に追い込まれる。その結果、工場で
の管理が強化され、異物混入は限りなく減る、という具合である。

 消費者は、企業に安心と信頼を求めている。企業はその辺をしっかりと認識してほ
しいものだ。一度失った信用を取り戻すのは、とても難しい。


▼あなたの知らないスーパーの裏側

 今日、8月8日に放送されたテレビ番組「あなたの知らないスーパーの裏側徹底検
証」(テレビ東京)を、ビデオで見た。スーパーの商品管理のずさんさ、したたかさ
は壮絶だった。呆気にとられた。開いた口がふさがらなかった。ひ、ひどすぎる。
スーパーは多くの人が平均週2〜3回は訪れる。なのにこんなにひどい内情を僕たち
は知らない。こりゃ大変だ。

 番組は全国放送ではなかったので、御覧になっていない方も多いと思う。次回のメ
ルマガに詳細を記して配信しようと思う。それを読んだら、あまり流行っていないス
ーパーにはもう行けないかもしれない。


8月14日

▼オウム元信者の受け入れ拒否について

 【オウム真理教(アレフに改称)の麻原彰晃被告の長男(7)ら子供4人と元信者
の女性3人が暮らしている茨城県竜ケ崎市の教育委員会は14日、提出された子供3
人の就学手続きに必要な書類を受け取らず、2学期からの地元小学校への就学を拒否
した。市は今月2日に提出された住民票転入届も受理していない。

 保護者となっている女性(39)と四女(11)、代理人の弁護士らが市教委学務
課を訪れ書類を提出したが、市教委は「先に転入届の手続きをしてもらいたい」と話
すにとどめた。市教育長は、地元小学校PTAから就学拒否を求める署名が提出され
ていることを挙げ、「(転入届が受理されても)住民の不安が解消されない限り就学
は認めない」と拒否を貫く姿勢を示した。】
                           (
Web毎日新聞14日)

 僕は最近のオウムの動向には疎いのだが、この記事の内容はいったいどういうこと
なのだろうか。箇条書きにしてみよう。

・市は、元オウム信者たちの住民票転入届の受け取りを拒否。
・教育委員会は、就学手続き書類を受け取らず、地元小学校への就学を拒否。
・市教委が、元信者に「先に転入届の手続きをしてもらいたい」と話す。
・市教育長は、「転入届が受理されても就学は認めない」と拒否を貫く姿勢を示した。

 これはつまり、竜ケ崎市は元オウム信者のあらゆる受け入れを拒否したということ
だ。僕は詳しく知らないのだが、元オウム信者たちは、他に受け入れてもらえる市町
村があるのに、この竜ケ崎市に住みたかったのか。それとも日本全国津々浦々の市町
村が全て受け入れを拒否しているのか。

 国や県が、すでに元オウム信者たちを受け入れる場所を指定・用意してあり、その
中で子供たちの義務教育も受けさせる準備があるというのなら、僕の疑問は一気に解
消されるのだが、もしそうではなく、オウム信者だからどこにも受け入れられないの
だとしたら、彼らはどこへ行けばよいのだろうか。

 オウムがどうなろうと僕には知ったことではないのだが、しかし国・県・市町村の
行っていることは本当に正しいことなのか。彼らの受け入れを拒否するだけで解決す
るのだろうか。オウム信者は現在の住まいを次々に追い出されている。今、
アレフの
HP
を検索した。住民票が浮いた信者の数が現在70名ほどいる。国はこの人たちの
対応策を講じているのだろうか。そこが知りたいのだ。

 日本国民は現在の住居を移転した際、数カ月以内に移転届けを提出するのが義務づ
けられているのかと思っていたが、オウムだったら提出は免除になるのだろうか。そ
の宙ぶらりんの状況では選挙にも行けず、国民として認められていないことになって
しまうような気がする。オウムだから、別にいいのか。

 現在その辺にいるオウム信者がサリン事件を引き起こしたわけではない。「かつて
一部の信者が犯行に及んだのだから他の信者も危険に決まってる、だから受け入れな
い」と考えているのだとしたら、それでは筋が通らないような気がする。

 では、殺人犯が服役して釈放された際にも、オウムと同じように受け入れを拒否し
てしまうのだろうか。こちらは本人が人を殺した実行犯だ。危険度はオウム以上であ
る(とも考えられる)。殺人犯をオウム信者と同じように扱わねば平等とはいえない
ような気がするのだが。

 オウム信者の受け入れ拒否問題におけるマスコミ報道は非常に淡々としており、僕
が知っている範囲では一切の私見を控えているように思える。それは国側の対応が間
違っていないことを指すのか。それともオウム問題には極力触れずにタブー視してい
るのか。僕には知る由もない。

 政府や自治体が間違ったことをするわけがない。そう信じたいが、いかんせん納得
できるデータが少なすぎる。マスコミはもっとこの問題を詳しくわかりやすく解説し
てほしい。僕が想像している「オウム差別、オウム排除のための特例的差別的措置」
という考えを変えてほしい。


8月13日

▼傷害致死

 昨日の日記に、『間違ったことをしている子供に「おい、何やってんだ」などと注
意をして、「うるせ〜、オヤジ、何やったって勝手だろ」と言われたら、僕がキレて
とんでもないことをしてしまったらどうしようと考えると、うかつに手出しできない』
と書いたのには理由がある。数年前にテレビでこんなニュースを見た。

 【通勤客がひしめく駅のホームで、人の迷惑を気にせずにタバコを吸っている若者
がいた。それを見つけた20代後半の青年が、「こんなとこでタバコ吸ってんじゃね
〜よ!」と背後から跳び蹴りを食らわせ、そのまま電車に乗って去ってしまった。

 蹴られた若者は倒れた時に頭を打って、その日に死んでしまった。翌日、若者を蹴
った青年は何も知らずにいつもの時間に駅に現れ、その場で逮捕された。】

 僕はこのニュースを見ていて決して他人事だとバカには出来ないなと思った。いつ
何時、どこでどうなってしまうかなんてわからない。因縁をつけられて自己防衛のつ
もりで手を出したら相手の打ち所が悪くて死亡、なんてことになったら悔やんでも悔
やみきれない。こんなバカなことで刑務所に入るなんて愚の骨頂だ。僕の残りの人生
はどうなっちゃうんだ。想像しただけで恐ろしい。愚かしい。

 僕は身長が184センチと大柄なので、人から因縁をつけられにくいかもしれない。
オヤジ狩りの標的にもされにくいかもしれない。でもこの先何が起こるかわからない。
事が起きてからでは遅いのだ。くだらないヤツに刺激されて激情しても、決して手を
出したりしないようにと、日頃からこの話をよく思い出している。この場合、僕の考
え方は「ああ我が人生、逃げるが勝ち」となる。「ああ」は余計だ。


▼カルビーのポテトチップからトカゲ発見 自主回収へ

 今度は「カルビー」のポテトチップ「味ポテト ガーリックバター」からトカゲの
死骸(体長約15センチのニホンカナヘビ)が出てきて、12日に商品を自主回収し、
工場の操業を2日間、全面停止することになった。まあ次から次へとよく続くものだ。
この話は最初、アルバイトから聞いて知ったのだが、思わず耳を疑ってしまった。

 先日の「キリン朝摘みトマトジュス缶」ハエ混入騒動で、製造された工場の管理責
任者が、「我々はこういうことが起こらないように、普段から少しずつ改善している
んです。出来ることから少しずつ改善してきているんです!」とテレビで言っていた。
僕は「少しずつ改善している」を繰り返す工場長の言葉が気になった。

 食品製造工場って完璧なシステムで稼働しているのかと思っていたら、実はそうじ
ゃないんだ。多くの不具合箇所を直しながら完璧なシステムに近づけている状況なん
だ。僕はこの工場長の話しぶりに、次のような気持ちが込められているように感じた。

「だからもっとオレの言うことを聞いて、早く改善策を実行すれば良かったんだ。本
社の対応が遅いから、こんなことになったんだ。こっちが指摘した改善策を早く取り
上げてくれていれば、こんな事態は避けられたんだ。オレは知っていた。こんなこと
もあり得ると察知していた。でも不具合が起こればその責任は全てオレに押しつけら
れる。やってられない。やってらんない!」

 単なる想像である。しかし、工場長は何かを訴えたくてたまらないように見えた。
憤っているようなイラついた様子だったのだ。大きな改善をスムーズに行えないから、
自分たちで出来る範囲の小改善を繰り返していたのかもしれない。

 いずれにせよ、この度重なる回収劇によって食品会社全体が自社工場を入念にチェ
ックし、2度とこのようなことが起こらないように厳重注意することを望みたい。も
しまた同じようなことが起こるなら、次はぜひ、トカゲじゃなくて生きてるカマキリ
の子供が納豆のようにドバ〜〜っと出てきてほしい。


▼デーブスペクターの普段の顔

 8月2日の日記に「デーブスペクターの普段の顔が見たい。きっと物静かで知的な
人だと思う」と書いたら、森監督からのメールに「デーブは普段からほとんどあのま
まです。決して物静かとはいえません。」と書き添えてあった。なんでぇ、あのまま
かよ、とちょっとガッカリ。勝手に想像を巡らせておいて、予想に反するとガッカリ
するなんて、僕は身勝手だ。

 これじゃ、タレントに会って「こんな人だとは思わなかった。もっと素敵な人かと
思った」とガッカリしている人たちと同じじゃないか。ああ、つまらない。もっと観
察眼を養おう。


8月12日

▼体罰について

 今日からお盆休みを取る方が多いせいか、当店はめっちゃくちゃ暇だった。土曜日
だというのに平日のどひまな日と同じぐらい暇だ。こんなことなら20数年ぶりに本
日行われる小学校の同級会に行けばよかった。

 僕が通っていた某国立大付属小学校は、1クラス40人が2クラスだけで、1学年
80人ほどのこじんまりした学校だった。僕は3年生の時に市立小学校から編入した。
どっちの学校も歩いて通える距離にあったのだが、きっと親が僕の将来のことを期待
して編入させたのだと思う。

 僕が編入したクラスの担任も僕と同じく転勤してきたばかりだったので、この先生
に親しみを持った。ところがこの菊池先生は体罰教師だったのだ。

 宿題を忘れると生徒を並ばせ、順番に尻を木の棒で叩く。機嫌が良い時はやや弱く、
ご機嫌斜めの時はおもいっきり叩かれた。いつだったか何をしでかしたのか忘れたが、
僕はその木の棒が折れるまで何度も何度も叩かれたことがある。痛すぎて尻の感覚が
麻痺してしまった。このことを親に話したりすると、僕が怒られるに決まってるので
内緒にしてたのに、こんな面白い話はすぐに親づたいにバレてしまった。

 木の棒が折れてしまったので、新たな棒を入手するまでしばらくの間、鉄パイプが
代替品として使われた。これはさすがに力を入れすぎるとヤバイと思ったのか、やん
わりと叩くので痛くもかゆくもない。宿題を忘れた列に調子に乗って2度並んだら、
2度目は尾てい骨にゴンッと命中し、僕は息が詰まってその場に倒れ込んでしまった。
菊池先生は、そんな僕を見て笑っていた。

 当時の先生の権力は絶対的で、叩かれたり殴られたりするのは自分が悪いからだと
思っていた。今のように、体罰禁止うんぬんとこちらの権利を主張するような時代で
はなかったのだ。「殴られるようなことをしたからいけない」と当たり前のように思
っていた。

 菊池先生の得意技は、前髪から手を頭部に差し込んで毛をギュッと掴み、そのまま
ぐるりとねじあげて頬を平手打ちすることだった。これはかなり怒っている時に行う
技なので、ものすごく痛かった。毛を捕まれるとその後に平手打ちが飛んでくること
がわかっていたので、ついつい頬を手でかばってしまう。すると「手をどけい!その
手をどけい!」と殴るポーズをとりながら言うものだから、怖くてなおさら手を外せ
ない。先生は業を煮やしてその手を無理矢理外して、かばった分だけ多めに平手をお
見舞いした。

 ある時、菊池先生は生徒の髪を掴んでねじったまま授業を再開したことがあった。
捕まれている生徒はブリッジに近い体勢で実に苦しそうな顔をこちらに向けていた。
でもそんな光景を見ても「ばっかだな、あいつ。そりゃそんな目に会うっつーの」と
思うぐらいで、ひどいことしやがってなどと先生に怒りを覚えることはなかった。そ
んな光景は日常茶飯事だったのだ。それが普通だと思っていた。

 自慢じゃないが、僕はその「髪掴みねじりあげビンタ攻撃」の発展版、往復ビンタ
攻撃を受けた唯一の生徒だった。これも何をしでかしたのか忘れたが、とにかく大し
たことをしていないことは間違いない。全ては菊池先生の「虫の居所」次第なのだか
ら。

 「鳴海〜〜! 前へ出ろい!」と菊池は顔を真っ赤にして怒り、髪を掴んでねじり
あげ、ビンタをビシバシッ、ビシバシッ、と僕に食らわせた。往復ビンタを知ったの
はその時が初めてだったので、すごくビックリした。ビシバシッ「手をどけい!」む
んず(無理矢理手をどける)、ビシバシッ、「だから手をどけいと言ってるんだ」む
んず、ビシバシッビシバシッ、むんず、ビシバシッビシバシッビシバシッ。

 僕はいつまで叩かれるんだろうと呆然となすがままに身を委ね始めた頃、ようやく
得意技披露会は終了した。菊池は僕の髪の毛がついた自分の手をパンパンと払い、
「席に戻れ!」と叫ぶのだ。

 その後はお決まりのクラス全員による連帯責任コーナーに移る。菊池の「全員イス
の上に正座!」という号令で、みんなが木のイスの上に正座させられる。正座は授業
時間が終了するまで続く。正座終了後、今度は休み時間にみんなから責められる。転
校生だった僕は、最初のうちは自己主張も出来ず、ただただ言われるがままになって
いた。僕はバカだ。僕はカッコ悪い。僕は恥ずかしい。早く帰りたい。この場から逃
げたい、と落ち込みながら、しかしジッとイスに座って耐えることしか出来なかった。

 菊池先生のもう一つの得意技は、イスに正座をさせたまま右手を上げさせる地味だ
が非常に辛い体罰だ。右手を真っ直ぐ上にピンと上げさせ、腕を耳にピッタリとくっ
つけさせる。腕が曲がると棒でビシッと叩かれる。このまま授業を続けるのだが、授
業内容が頭に入るわけがない。皆「痛いよ〜」と呟き合い、教室の壁掛け時計とにら
めっこして授業終了を待ちわびる。やっと授業が終わると、皆グッタリとして溜息を
つきながら次の授業開始まで心身を休めるのだ。

 このように時々、菊池は猛威を振るっていたわけだが、彼を悪く思っている生徒は
いなかった。むしろ皆親しみを感じていたし、僕も菊池のことが好きだった。なぜだ
かわからない。学校中で一番殴られていたのに。

 僕が小学校を卒業するまでの4年間、菊池先生は僕の担任だった。そして僕たちの
卒業とともに、彼も他の学校へ転任していった。先生が転出するその日、僕らは20
人ぐらいで先生の住まいまで見送りに行った。引越屋が最後の荷物を運び出すと、先
生は僕らに「じゃ、元気でな」と笑顔で言い残して、引越屋のトラックに乗って行っ
てしまった。僕はトラックの後尾を見送りながら、とてもとても悲しかった。大好き
な先生が去ってしまった。人生で最初の大きな別れを体験したのだ。皆の手前、悲し
みを表に現すことは出来なかった。何気ない顔をしているのが辛さを倍増した。

 現代ではとても考えられないような教育だ。でも僕たちは菊池先生に叩かれて腹が
立ったり恨んだりしたことがなかった。何も知らずに受け入れていた。これが今行わ
れたら、すぐに親に吊し上げられてしまうだろう。即、大きな問題となり、菊池先生
は謝罪を要求され、そのうちどこかへ飛ばされてしまうかもしれない。

 現代の子供たちは先生が行う体罰を「やってはならないこと」と知っている。おま
けにめったに人に叩かれたりしないものだから、免疫もない。叩かれたらすぐに自己
の権利を主張でき、自分がなぜ叩かれるようなことをしたのかと省みる機会も少ない。
叩いた教師に「お前を謝らせてやる!」と息巻くことだって出来る。「覚えてろよ!」
と捨てぜりふだって吐ける。

 まったく子供にとっては楽な世の中になったものだ。自己中心的でキレやすい子供
が増えるわけだ。多くの教師が「体罰が必要な場合もある」と言ってるのに、それが
認められることはない。おまけに最近では子供が少年法についても詳しく知ってしま
ったから、よけい始末に負えない。大変な世の中になった。

 子供はいろんな部分が未熟だ。無知だ。だから小さいうちから、自分に都合良く自
己の権利を主張するなど、ある部分、とんでもないことだと思う。体罰が良いとは言
わないが、体罰が必要な時は絶対にある。

 子供のくせに制服のまま街角で平気でタバコを吸っていたり、大勢で人混みにウン
コ座りをして通行者の行く手を阻んだり、人の迷惑も考えずにギャーギャー騒いでい
るのを見ると、オレがぶっ飛ばしてやろうかと思うことがある。学校内でもこれに似
たことをやっているんだ、きっと。先生だってぶっ飛ばしたくなるだろう。で、たま
にぶっ飛ばして、問題になったりするんだ。

 子供たちを見ていると、自分たちは何をやっても自分の自由だろ、勝手だろって思
っているような気がしてならない時がある。これからの世の中はどうなってしまうの
だろうと不安になることがある。もうすでに始まっている感もある。

 間違ったことをしている子供に「おい、何やってんだ」などと注意をして、「うる
せ〜、オヤジ、何やったってオレの勝手だろ」と言われたら、僕ががキレてとんでも
ないことをしてしまったらどうしようと考えると、うかつに手出しできない。ああ、
なんてアンタッチャブルなやつらなんだ。

 僕は幼い頃の4年間を自ら体罰を受けてきたから、体罰に対してあまり抵抗がない
だけなのかもしれないけど、少年犯罪がどんどん激化し、残酷度も増してきた昨今、
「体罰は絶対にダメ」とだけいっている場合じゃないんじゃないかな、と体罰世代は
考えるのであった。

 若者はアントニオ猪木にビンタされるのだけは抵抗が無い(むしろ叩かれたい)と
思うので、まず猪木のスタイルを真似てビンタが出来る社会にして「これは体罰じゃ
ない。あいつに気合いをいれたんだ」と説明し、「ああ気合いね、ならしゃあないな」
とおさまるシステムを作ってはどうだろうか。だめか?


8月11日

▼「落ちたマグロ」のその後

 7日の日記に「水槽に激突して死んでしまったマグロは、水族館職員のおかずにな
るのか?」とふざけて書いたら、以前、水族館に勤務されていたという方からメール
をいただき「マグロの行方」を解説して下さった。こういうことはあまり聞くチャン
スがないので、皆様にもお伝えしたい。今日は史上初の「ちょっとタメになる日記」
である。

 死んだ(職員の間では「落ちた」という)マグロは死亡原因を調べるために、必ず
解剖する。ガラスにぶつかった場合、死因は「背骨の骨折」が多いのだが、ぶつかっ
たショックで気絶して、呼吸ができなくなって死亡してしまうこともある。

 また、マグロは解剖してみないと性別がわからないため、雌雄の確認をして体調や
体重を調べ、推定年齢を割り出す。もしメスであれば卵巣の発達具合なども調べたり
する。他に、病気にかかっていなかったか、寄生虫はついていないかなどを調べるた
めに中身を切り刻んでしまうので、とても「食べる」なんて状態ではないそうだ。

 この他、落ちたマグロの血抜きをして、冷凍保存をして置いて、視覚障害の方々の
見学のときに実際に触って観察してもらったりもしている。「子供たちの一日飼育係
体験」の時に、使うときもあるそうだ。(マグロの第1背ビレは、体の中にたたみこ
まれているので、その観察など)

 以上が元水族館職員の方からの御説明である。この方は水族館を訪れる多くの客か
ら「死んだマグロは、やっぱり食べちゃうんでしょう!?」と言う質問を、かつて受
けたそうだ。やはり多くの人々にとって「マグロのその後」は素朴な疑問なのだ。し
かし、実際は解剖したり別の用途に使われ、マグロ人生を全うしているのである。

 僕はみんなと同じようなことを考えてしまっていたことを反省し、冗談でも「食べ
てしまうのか?」と書いてしまったことを元水族館職員の方とクロマグロに慎んでお
詫びしたい。


8月10日

▼『もうひとつの「放送禁止歌」』を読んで

 月刊「創」9月号(創出版)に森達也監督の手記『もうひとつの「放送禁止歌」』
が掲載されている。今回の森監督は放送禁止歌を通して「日本のタブー」について、
とても熱く語っている。そのパワーが僕にも伝導し、僕も一緒に熱くなった。

 6月に出版された『「A」撮影日誌』の森監督の文章の力強さ、考え方の正しさは
圧巻で、僕は1カ所も疑問を感じることなく、森さんの考えに同意した。鵜呑みにし
たのではない。考え方、物の捉え方が自分と同じ部分が多く、とてもよく理解できた
のだ。

 ここでは『もうひとつの「放送禁止歌」』の内容には触れずにおきたい。抜粋して
は森監督の考え方が途切れて伝わってしまうからだ。これはぜひ全文をお読みいただ
きたい。

 放送禁止歌は「その歌が流されることによって誰かが傷ついたり問題が生ずる」た
めにマスメディアが自主規制して電波に乗せない歌のことである。ほんのちょっとの
ことでも即座に封印してお蔵入りにしてしまう。差別用語が混じっていたら一巻の終
わりである。

 僕は常々思っているのだが、人々は皆多かれ少なかれ日常生活の中で様々な差別を
行っている。思いやりもない。知ってか知らずか人に迷惑をかける。世の中には、い
じめ、仲間外れ、悪口、陥れ、偽善、無神経、などなど、自分勝手な人で溢れている
のに、自分は間違ったことをしていないと思っている人が多い。人間は差別する生き
物。だから差別はいけないと教わるのだということをわかっていない。

 もちろん僕は自分のことを良い人間だなどと思ってはいない。思いやりがあるとも
思わないし、情にも厚くなく、利己的でずるい性質だと思っている。差別もする。好
きな人は大切にしたいけど、嫌いな人には何もしたくない。仕事でも従業員には適性
を重んじ、向いてない人を無理して育てようとは思わない。興味のあることはしたい
けど、興味が無いことはしたくない。サービスだってしたいことばかりじゃない。嫌
で仕方なくやっていることもある。他人がどうなろうと構わないとさえ思う時がある。

 そんな自分を知っているからこそ、差別をしたくない、人には迷惑をかけないよう
にしたい、他人を思いやらなければならない、嫌いなこともやらなければいけない、
自己中心的ではいけない、物事を正しく判断できるようになりたい、と日々願ってい
るのだ。でも真っ当な人間になるための道のりは果てしなく遠い。

 ちょっと街に出かけるだけで、様々な心ない人々を見ることが出来る。電車内で大
声で話す人、携帯電話をデカい音で鳴らす人、操作音をずっと響かせてメールを打っ
ている人、子供が騒いでも注意しようとしない親、お年寄りや妊婦や身障者に席を譲
らない人、人の進路の邪魔をして平気で横切る人、押しのけて通る人、歩きタバコを
する人、ゴミをポイ捨てする人、人の食事中でも平気でタバコを吸う人、煙の行方を
気にしない人、酔ったらわけがわからなくなってもいいと思ってる人など、本人は気
が付いているのかどうかわからないが、他人を不愉快にする人は多い。

 なのに皆、社会には正義を求め、少しの悪も許さない。テレビでは空々しく正論を
唱える。ダイオキシンが発生するのにゴミを分別しない。そのうち不燃ゴミを捨てる
場所がなくなってしまうのに、不燃容器は減らない、自分も浮気をしたことがあるの
に偉い人はしちゃいけない。なんか片手落ちな事ばっかりだ。

 『もうひとつの「放送禁止歌」』には人々の愚かさ、アンバランスさも描かれてい
る。この7ページの文章をもっと読み取って正しい考え方を深めたいと思っている。


8月9日

▼大食いチャンピオン

 僕はテレビ東京「TVチャンピオン」の大食い選手権がずっと前から大好きで、数
ヶ月に1度の「大食い」の時は必ずVTRに撮って見ている。毎回毎回、同じような
企画の繰り返しで目新しさは無いのだが、ついつい録画してしまう。条件反射になっ
てしまっている。

 この番組で忘れられないのが、数年前に参加していた岩手大学医学部の学生が、と
てつもなく強かったことである。彼は小室哲也に似た感じで見た目は華奢なのだが、
他を全く寄せ付けない圧倒的な大食いだった。あまりの食いっぷりのよさに、いつも
勝負にならない。引き離しながら他の人に「頑張れ!」と声を掛ける余裕すらあった。
僕はいつも、豪快に食べまくる彼を惚れ惚れしながら見とれていたのだ。

 彼は文芸春秋に「なぜ自分はこんなに食べられるのか」というような手記を載せた
ことがある。それによると、彼は自分がなぜ大食いなのかを知るために、医学部に進
んだということだった。彼は普通の人の何倍も胃酸の分泌が多く、そのために食べて
も食べてもすぐに消化してしまい、いくらでも食べられるそうなのだ。逆に、6時間
ごとに定期的にドカ食いをしないと胃壁が溶けてしまうので、寝ている時間だろうが
何だろうが6時間ごとの食事は欠かせず、大変な思いをしていたらしい。

 その後、彼はパタッと番組に出なくなり、いつしか赤坂尊子さん(44)が女王の
座を射止め、君臨するようになった。しかし、僕は彼の事が忘れられず、彼だったら
絶対に赤坂さんに負けないのにな、といつも燻っていた。

 そんな彼への思いを払拭する新たなヒーローが登場した。新井和響さん(33)で
ある。彼は身長170センチ、体重49キロと針金のように細く、かつての岩手大学
生に似た感じの人だった。新井さんは「早食い」出身のチャンピオンで、早食い、大
食いを制し、王座を射止めた。

 今日の読売新聞夕刊に新井さんの記事が載っていた。彼はこの7月にニューヨーク
で行われた由緒ある大会「ホットドッグ早食いコンテスト」で優勝したのだそうだ。
3年前にこの大会に出場したときには、初参加ながら堂々の2位だったのだが、今回
は制限時間の12分間にホットドッグ25本と8分の1を食べ、世界記録での優勝だ。
参加者は2メートルもあるような大男ばかりなのに、すごいぞ!

 今年の始めだっただろうか、TVチャンピオンにかつての岩手大の彼がゲストで出
演した。彼は体質が変わってしまい、もう大食いは出来ない体、すなわち普通の体に
なってしまっていた。だからもうこの番組には参加できないとのことだった。そうい
うことなら、淋しいけど仕方ない。

 大食いコンテストの勝負は毎回4試合おこなわれるのだが、決勝戦以外は1人ずつ
脱落していくシステムである。最下位にならなければよいのだから、上位の人は過度
に食べ過ぎなくても通過できるにもかかわらず、制限時間一杯まで食べまくる。だか
らトップと最下位に大きな差が出る。実はこれがチャンピオンクラスの人たちの醍醐
味なのだ。皆、自分のプライドのために食べ続ける。次の試合のことを考えてセーブ
したりしない。セーブする人は必ず敗れる。「いったいどこまで食べ続ければ気が済
むのか」とハラハラしながら見るのが、この番組の正しい見方なのだ。

 新井さんの勇姿が、今月24日午後7時30分「TVチャンピオン 早食い世界一
決定戦」で見ることが出来る。この日は僕も自家製ホットドッグをほおばりながら
(うそ)、彼の凄さを鑑賞したいと思っている。


▽おしらせ

 今日、田口ランディさんのファンサイト「ララララランディ」を発見した。データ
ベースにランディさんが過去に綴ったエッセイや小説の見出しが載っており、読みた
いところへすぐに行けるようになっている。非公認ながらなかなかデータも集めてあ
って感心感心。さっきさっそく掲示板にカキコしてきたよ。ランディさんに興味があ
る方はぜひ覗きに行ってみて。タイトルの黄文字をクリックしてね。



8月8日

▼キリン「朝摘みまっ赤なトマト」缶にハエ混入

 雪印牛乳食中毒事件以降、数社の商品回収騒動が起こったが、今度はキリンビバレ
ッジ
「キリン朝摘みまっ赤なトマト190g缶」61万本が回収されることになっ
た。概要は以下の通りである。

 【東京都練馬区内の主婦(50)が7月23日に購入したトマトジュース缶60本
のうちの1本を29日夜に飲んだところドブ臭のような異臭を感じ、ジュースを容器
に注ぐとハエ1匹が混入していた。主婦はその缶とジュースを保存して31日に同社
と保健所に連絡をした。

 練馬区保健所が検査したところ、混入していたのはクロキンバエの成虫で加熱され
た跡があり、製造過程で混入したとの結果を今月7日にまとめた。本日、長野県松本
市の同社系列工場に保健所が立ち入り検査に入り、工場内のベルトコンベヤーの覆い
が外れた隙間からハエが缶の中に落ちた可能性があることがわかった。同社は同日に
製造された製品約61万本の自主回収を始めた。キリンビバレッジは7月にもスポー
ツドリンク「スピード」が味の異常を指摘され、7月15日より約137万本を回収
している。】

 僕は今日の夕方、テレビのニュースの特集でこの騒動を知った。この中で練馬区の
主婦本人がVTRに登場し、キリンビバレッジの対応の悪さを指摘していた。

 主婦の訴えは、「トマトジュースにハエが混入していることを消費者に伝え、これ
以上、被害者が出ないように注意を呼びかけてほしい」というものだったのだが、同
社の対応は「商品のイメージが低下する」「会社のダメージとなるのでなるべく穏便
に」「総会屋との問題が出てくる」など、消極的でずさんなものだった。

 テレビを見た限りでは、同社はこの主婦を甘く見ていた。主婦が言いがかりをつけ
ていると思ったのかもしれない。予想だが、きっと同社にはこの種の苦情がとても多
いのだと思う。いちいち真面目に対応していたらキリがないし、ましてや製造過程で
ハエが混入することなどあり得ない、と思ってしまったのではないか。その結果、主
婦が「これでは話にならない」と呆れ、保健所に連絡したのだと僕は推測している。

 もし同社がこの主婦からのクレームを厳粛に受け止め、急いで主婦の元に駆けつけ
てジュースを回収し、早急に調査を開始すれば、61万本回収という最悪の事態は免
れたのではないだろうか。事態を重く受け止めず、誠意のある対応が出来なかったこ
とが、事を大きくしたといえるだろう。

 僕は数年前からペリエ社のコントレックス(ミネラルウォーター)を愛飲している
のだが、以前、ペットボトル内に異物が浮遊していてカビ臭くて飲めず、同社に連絡
して取り替えてもらったことがある。この時は同社の対処が良かったので、事を荒立
てたりはしなかったが、これがいま同じような事が起きて、企業の対応が悪かったら
僕だって前述の主婦と同じように保健所に連絡してしまうかもしれない。

 今回の事件は、客のクレームに対する判断を誤るとこんなバチが当たるんだよとい
う良い教訓として、今後に生かしてほしいものだ。


8月7日

▼凍りづけの水族館

 【宮城県気仙沼市で5日、地元で水揚げされたカツオ、サンマ、マンボウなど60
種類の魚を凍りづけにした「氷の水族館」が登場した。商店街の倉庫に縦、横約5メー
トルの巨大な冷凍庫を置き、中に氷柱30本を横向きに重ねた。初日は約2千人が訪
れ、子供たちは「本当に泳いでいるようだ」とはしゃいでいた。】
                             (読売新聞6日朝刊)

 この記事には写真が添えてあり、氷柱の中の20数匹の鯛はまるで群をなして泳い
でいるかのようであった。僕はこの写真を見て、本能的に嫌悪感を感じてしまった。
魚が泳いでいるのを見せたいのなら実際に水槽で泳がせればいいのに、なぜわざわざ
凍りづけにしてしまったのだろうか。凍りづけの方がインパクトがあるから? 見る
人が涼しげだから? 

 魚は人間の勝手で食用にされたり観賞用にされたりと忙しい。泳いでいる魚では、
子供たちの目は引けないということなのか。魚の泳ぐ姿は美しい。魚屋にある死んだ
魚とは全然違う。色も違う。特に子供たちにはこんな「泳いでいるかのような魚」で
はなく、生き生きと泳いでいる魚を見てほしい。普段食べている魚たちがどんなふう
に泳いでいるのかを知ってほしい。

 以前、葛西臨海水族園で熱帯魚の珍種を見ていたら、近くにいた女子高生が「ねえ、
この魚美味しそう」「これは美味しくなさそう」「こんなに身が薄いと食べるとこな
いじゃん」と言っているのが聞こえた。僕は耳を疑った。これは食い物じゃね〜〜。

 誰が何をどう見ようと勝手かもしれないが、「こんなに形が変わった魚がいるんだ」
とか「とっても綺麗な色をしてる」とかって感想はないのか。情緒はないのか。全く
食い意地ばっかり張りやがって。お前は魚屋に行け。生け簀のある料亭で鑑賞しろ。
そしてそこから選んで、それを食え。たっぷり食え。それからここへ来い。あっ、で
も「もう満腹だから見たくない」って言うかもしれない。もう知らん。

 臨海水族園の売りは大きなドーナツ型の水槽である。その中をクロマグロが飛ぶよ
うに泳ぎまくっている。速さは時速80kmにも達するそうだ。銀色の黒光りしたク
ロマグロの大群がグングン泳ぐ姿は美しい。いつまで見ていても飽きない。マグロは、
エラ呼吸が出来ないので泳ぎながら海水を口へ取り入れて呼吸する。だから一生休む
ことなく泳ぎ続けるのだ。寝ている時も泳ぐのだ。

 ある日、ドーナツ型ではなく別の水槽にいるマグロが、突然進路を変えて水槽のガ
ラスに激突した。僕の目の前でマグロは血を流し、痙攣しながらゆっくりと底へ沈ん
でいった。あのマグロは引き上げられた後、どうなってしまうのだろうか。他の魚の
餌になるのか。職員のおかずになるのか。「ばかやろ〜。死んだらすぐに血抜きをし
ないから、まずいじゃね〜か」と言ってる職員の顔が浮かぶ。杯を交わしながら、が
っはっはっは、美味い美味い、と笑う顔が浮かんでくる。

 僕はどうしてイメージが貧困なんだろう。我ながら情けない。マグロの泳ぐ姿に感
動しながら、同時に下世話なことも考えてしまう。清らかな気分の時にも正反対のこ
とを考え、オチを探している。そんな自分も嫌いじゃないけど、たまには裏を考えず
に“ほんわか”してみたいぞ。


▽今日の出来事

 今日、地元のパルコに行ったんだけど、パルコブックセンターが系列書店のリブロ
に名前が代わっていた。パルコブックセンター全店で「田口ランディさんの本棚」と
いう企画をやっているというのに、ここでは行われていなかった。がっくり。

 夕食にパエリアを食べたくなり、新潟県寺泊港直送の魚屋に活きのいいアサリを買
いに行った。この店のカニは安くて美味しいので、カニフェチの僕としては買わずと
もチェックは欠かせない。店内に入ると最初にカニコーナーへ直行するのだ。

 今日は中くらいの大きさの毛ガニが1パイ700円とお買い得だ。値札に「塩ゆで」
と書いてあるのに、気のせいか毛ガニの足が少し動いたような気がした。「あれっ、
いま動いた」と思ってカニをつんつん押してみたら、なんとその毛ガニは生きていた。
値札の「塩ゆで」は「塩ゆででどうぞ」という意味だったのだ。おおっ、オレめっちゃ
恥ずかしいやんけ。顔まっか。だははは。


8月6日

▼「自分が好きか嫌いか、それだけだ」

 小説などの書評にひどいものが時々ある。先日、新聞である作家の新刊本の書評を
読んだのだが、「冷静沈着な主人公が、途中からぐちゃぐちゃになってしまうのはお
かしい」だの「ラストもこれはないだろ〜、と思ってしまった」などと書いてあった。

 どうでもいいけどラストシーンに触れるなよ、そんなこと書いたら買う気が失せる
だろうが、と思った。書評する人は好き勝手なことを抜かしていられるけど、その本
を読もうと思っている人々にとっては、本を読む前に余計な予備知識を与えられたこ
とになるのだ。

 僕の知り合いの編集者さんは、担当作家の書評を読んでいつも一喜一憂している。
時には怒りもする。書評家が小説の意図を完全に把握できずに批判めいたことを書い
たとしても、書かれた時点で書評家の「書いたもん勝ち」になってしまう。その記事
を読んだ人には、書評をそのまま鵜呑みにされてしまうのだ。これではかなわない。

 小説をけなしておきながら、「ここまで書くのは、この作者の今後に期待している
からに他ならない」などと書いてあるのを読むと、「何を偉そうに。おまえはその人
よりもっと面白い小説を書いたことがあるのか。書評は何でも好き勝手に、自分が思
ったことを書いていいと思ったら大間違いだ」と憤ってしまう。

 以前、元指揮者だった常連さんに「店長、音楽に良い音楽、悪い音楽はないんだよ。
全ては自分が好きか嫌いか、それだけだ」と言われたことがある。なぜそんなことを
言われたのかというと、僕が好きなラフマニノフのピアノコンチェルト3番の演奏が、
ラフマニノフ本人のものよりアシュケナージが弾いている方が優れているような気が
する、と常連に話したからだ。

 それを「自分が好きか嫌いか、それだけだ」と教えられて、自分の発言の愚かさを
恥じた。全くその通りだ。オレは何様のつもりだ、と思った。それからは音楽以外で
も「良い」「悪い」という言い回しをしないように努めている。自分の中で思うとき
は、好きなもの=良いもの、嫌いなもの=悪いもの、と区別してしまうことももちろ
んあるが、対外的にはなるべく言わないように気をつけている。たまに言っちゃうけ
ど。


 さて、今日からひさびさの3連休だ。特に予定はないのだが3日間を有意義に過ご
したい、と思っていたらいきなり大寝坊してしまった。朝7時30分に寝て11時に
は起きようと思っていたのに、午後2時30分まで寝てしまった。めちゃめちゃ悔し
い。7時間も眠ったのは数カ月ぶりだ。おかげで食材の買い出しをして撮りだめして
いたビデオを何本か見たら、あっという間に1日の大半が終わってしまった。明日は
早起きしてたっぷり休日を満喫するぞ。

 そういえば今、パルコブックセンター(本屋)全店で田口ランディさんの本棚コー
ナーが設置されているはず。彼女の愛読書100冊が並んでいるらしい。明日はそれ
を見にいってみよう。そうだ、コントレックスも買わなくちゃ、って超私事だったね。


8月5日

▼出版物からの引用・転載について

 今、日記を1つ書き上げたところなのだが、書いている途中で「これは日記じゃな
くてメルマガで配信しようよ」と、もう1人の自分から提案を受けた。そうだな、い
ま書いたビールに関するコラムを牛乳に発展させれば、いいコラムが出来上がるかも
しれないと思い、その提案を受諾した。しかし問題がないわけではない。

 いま書いていたのは、週刊金曜日に連載されている対談、貧困なる精神・第124
回「日本のビールを論ずる」の記事を基に、自分の考えや感想を綴ったものなのだが、
この雑誌からの要約・引用文がけっこう長いのだ。1行(38文字)で24行ほどの
ボリュームである。これでも最小限にまとめたのだ。

 先日、メルマガ配信システム「まぐまぐ」から「著作物からの転載について」とい
う通知をもらったばかりだ。その内容は、

 「不特定多数の読者に送信されるメールマガジンへの転載は「私的利用」にあたら
ず、 著作権法で許された「引用」の範囲を超える無断転載は著作権侵害となります。
転載自由とされている場合を除き、著作権者から転載許諾を得るか、許諾のない場合
は転載中止するようお願いします。善処していただけないときは、著作権侵害を防ぐ
ため、やむを得ずマガジン停止にすることがあります。」

というものである。更に「日本新聞協会編集委員会の見解」も読んでみた。たぶんこ
れなら著作権侵害には当たらないとは思ったのだけれど、念のため、全て書き上げた
ら株式会社週刊金曜日にコラムを同封して「おうかがいメール」を送ってみようと思
っている。それで転載許諾を得られたら配信することにしよう。3千人もの読者さん
がお読みになるのだから、全くの私信とはいえない規模になっている。

 週刊誌や雑誌などで目にする引用文は、かなり長くてどぎついものが多い。引用し
てきた書物を読む気がしなくなったり、読む必要性が希薄になったりする場合もある。
逆に、読んでみたくなるのもたまにはある。そういう引用記事を読んだ限りでは、あ
まり引用に神経質になることも無いような気がする。まあとにかく書き上げて送って
みることにしよう。


8月4日

▼新500円硬貨と常連Hさん

 今日、仕事に向かう電車内で先週発売された写真週刊誌を読んでいたら、新500
円硬貨の記事が載っていた。なになに?金色の500円玉が8月に発行されたって?
そんなことぜ〜んぜん知らなかった。なぜだろう、記事を見落としていたのかな。

 遅い時間に来た常連が、アルバイトに新500円硬貨と2千円札を見せびらかして
いたので見せてもらった。もっと金ピカかと思ったらそうでもないんだ。店のダウン
ライトの下では、銀色じゃないかもしれない、という程度だ。偽造出来ないように最
新技術を投入したらしいが、デザイン的には目新しさはない。どちらかといえばちょ
っとダサイ印象だった。

 でも新硬貨はいつでも魅力的だ。僕はなんとかこの新500円硬貨を譲ってもらお
うと、常連に迫った。

 「お願いします。もし譲ってくれたら、もっと優しく接客しますから」「Hさんの
ことが嫌いじゃなくなりますから」「Hさんを見直しますから」と、彼にとっては踏
んだり蹴ったりの交渉の末、「わかったわかった。もう交換してあげるから、代わり
の500円持ってきな」と、とうとう折れた。

 「Hさんは太っ腹ですね」と褒めたら、彼は笑顔で「大丈夫。ホントはもう1枚も
ってるんだもん」と白状した。「な〜んだ、やっぱそうか。ですよね〜。1枚しかな
かったらHさんがくれるわけないですよね。危うく見直しちゃうところでしたよ」と、
僕は彼のマゾ心をくすぐった。彼は挑発的な言葉を浴びて喜ぶタイプだ。

 Hさんは来店すると必ず「店長がいるから帰ろ」と言って、入口でウジウジしてな
かなか入って来ない。「飲んでこっかなやっぱやめよっかな」と毎回言ってる。で
も帰宅する電車を途中下車して来ているのだから、このまま帰るわけがないのだ。

 以前は「そんなことおっしゃらずに、1杯飲んでってくださいよ」と毎回引き止め
ていたのだが、最近では「帰ろ」と言われたら、「えっ、ホントに帰っちゃうんです
か。お気をつけて〜」とつれなくすることにした。すると「店長は冷たいなあ」と言
いながら店に入ってくるのだ。彼はこんなことをもう10年間も毎回続けている。こ
っちもいい加減に飽きる。

 店が混んでいるときにやって来ると、「今日は混んでるね。じゃいいや。帰る」と
いう。忙しくてかまっていられないので「お席ありますけど、よろしいんですか。じ
ゃまた今度」と言って離れると、ずっと入口の外に立って、中をちらちら見ている。
「もう、お席ありますからどうぞ」と言うと、やっと中に入ってくる。

 Hさんはいつも水割りを飲むのだが、2杯ほど飲んだらそれ以降にお代わりを聞く
度に、「今日はもういい。もう帰る」という。「え〜っ、もうよろしいんですか。本
日はどうもありがとうございました」と真に受けたフリをすると、「なに? 引き止
めてくれたっていいじゃない。店長冷たいな」と甘えた素振りをする。相当な甘えん
坊なのだ。僕はこれを「甘え下手」と称している。ちなみにこの常連は45歳である。

 彼はなぜいつもウジウジしているのだろう。ウジウジを楽しんでいるようにも見え
る。一度でいいから「こんばんは」と言ってサラッと入ってきてほしいものだ。世の
中にはホントいろんな人がいる。


8月3日

▼簡単・電力節約法

 【通産省の外郭団体、省エネルギーセンターの調査によると、電源を切ったビデオ
デッキの時計やリモコン待ちに使う電力など、家電製品の「待機電力」が、家庭の消
費電力量の9.4%を占めることがわかった。テレビやレンジなどは使用時以外に電
源プラグを抜く習慣をつければ、全体の待機量は42%削減できる。】
                            (本日の朝日新聞朝刊)

 この記事を読んで「なるほどそうだったのか」と僕は手を叩いた。うちの電気代が
異常に高かった理由の1つに無駄な待機電力の使用があったのか。以前、電力会社か
らの案内にも「プラグを抜くと節約ができる」と書いてあったのだが、どうせ微々た
る金額だろうとタカを括ってシカトしていた。しかし具体的に9.2%とか42%と
数字が出ると話は別だ。急にやる気が出てきた。

 うちには電気製品が多い。いや、多すぎる。特に僕の部屋には山積みである。僕の
部屋にある電気製品は、いま数えたら全部で39あった。これでも少し処分したのに、
まだまだ多い、多すぎる。電気製品の内訳は、

・ステレオ機器        6
・コンピューターと周辺機器  8
・音楽機材         25

 この部屋の壁にはコンセントが16個あり、上記の電気製品が様々なタコ足または
ディストリビューターによって全て常時つなぎっぱなしの状態になっている。これは
待機電力も相当なものだろう。

 昨年1年間の我が家の電気代の合計は約21万円(1ヶ月平均17500円)だっ
た。1世帯あたりの平均年間電気代が約12万円だから、うちはほとんど倍である。
とても2人暮らしの電気代とは思えない。

 早速、ステレオと音楽機材、合わせて33台分のプラグとレンジのプラグを引っこ
抜いた。リビングのAVシステムも今度の休みに接続を変えて、出来るだけプラグを
抜くつもりだ。これで少なめに見積もって年間約5千円の節約が期待できる。今後の
電気代が楽しみだ。

 急にプラグを抜いたのはもう1つ理由がある。コンセントに接続しているプラグに
付着したホコリが発火の原因で、火災が起こることが多いそうなのだ。知ってたら早
くやれよってお思いだろうが、なんとなく先延ばしにしてしまっていた。だから本日
の「プラグ抜き」は我が家にとって、一石二鳥の善行となった。

 国内全域で「プラグ抜き」を行えば、年間消費電力の合計が80億キロワットとな
り、これは大型原発2〜3基分にあたるそうなのだ。みんなの力が集まれば、これ以
上、原子力発電所が必要ないかもしれないなんて、これは凄いことだ。


8月2日

▼意外な訪問者

 7月30日に当店で森達也監督の出版記念パーティー2次会が行われた。森さんは
オウム内から外を撮った映画「A」の監督で、このほど「A撮影日誌」(現代書館)
と「放送禁止歌」(解放出版社)の2冊を立て続けに出版された方だ。

 パーティー当日の2日前に森さんから御予約のお電話をいただいた。別会場で行わ
れる1次会の方は、「呼びかけ人」がバラエティに富んでおり、僕が名前を知ってい
るだけでも、あがた森魚さん、鈴木邦男さん、デーブ・スペクターさん、田口ランデ
ィさん、山崎哲さん、有田芳生さんなどのそうそうたる面々である。パーティー中に
トークバトルも行われるとのことだったので、とても楽しみにしていたのだが、いか
んせん2次会の準備があって参加できなかった。残念。

 中でも僕はデーブスペクターに興味があった。あの頭の回転が早いおっさんのプラ
イベートの顔を垣間見たかったのだ。単なる私的な興味だけなのだが、デーブは普段
はきっと物静かで知的な人だと思っていたので、それを確認したかった。だから当店
の2次会に現れないかなあと、少し楽しみにしてしまった。

 2次会に集まった方々は、主にテレビ・マスコミ・映画関係者で、田口ランディさ
んも取材のために欠席されたので、僕の知っている方はほんの少数だった。案の定、
デーブスペクターは現れずじまいだった。残念。

 ところがどっこい、会場内に超大物を発見した。オウムの広報副部長、荒木浩氏が
来ていたのだ。こりゃ凄い。映画「A」の主役的存在である荒木氏の本物を見れるな
んてちょっと嬉しいぞ。

 荒木氏は地下鉄サリン事件でオウム幹部が根こそぎ逮捕された後、上祐氏の代わり
にマスコミの攻撃を記者会見などで1人で受けてきた人だ。サリン事件当時、荒木氏
はホーリーネームも持っていない末端信者だったのだが、その穏やかな人柄の印象と
高学歴から、オウムのイメージ戦略として広報副部長に抜擢されたのだと思う。当時、
公安は荒木氏をあまり重要視していなかったらしく、抜擢された時には彼のデータが
不足していて相当慌てたと関係者から聞いたことがある。

 彼は京都大学出身のインテリだが、見た目には物腰が柔らかいので、良識ある普通
の青年に見える。森さんも著書にお書きになっていたが、実際の荒木氏はずいぶん背
が高く見えた。175センチだと記憶していたのだが、180センチ近くあるのでは
ないかと思った。

 僕の荒木氏に対する興味は、極めて下世話だが、彼が何を食べ何を飲むのかという
点だった。なぜそんなことに興味があるかというと、以前、森さんと荒木氏が一緒に
ラーメンを食べた際、彼はどんぶりの中の具を全てたいらげたと「A撮影日誌」に書
いてあったからだ。そう、チャーシューも残さず食べたのだ。確かオウムは肉類は摂
取しないはずなのになあ。森さんもその時は「チャーシュー食べてもいいんですか」
とはなんとなく聞けなかったようだ。

 パーティー中の荒木氏は、1人の女性とずっと立ったまま激論を交わしていて、そ
の他の動きがない。何も食べない、何も飲まない。1時間以上の論争の末、椅子に座
って座禅を組み、持参したペットボトル入りの飲み物を飲むだけだった。結局、彼は
飲まず食わずのまま当店を後にした。

 「A撮影日誌」に書かれていて笑ったエピソードがある。森さんがオウム信者のカ
ップに入った茶色く濁った飲み物を見て、「そのミルクティーのように見える飲み物
はいったいなんですか?」と尋ねると、「これは紅茶にミルクを加えたものです」と
いう返事が返ってきた。オウムがミルクティーを飲むなんて、ちょっと意外だった。
先入観とは恐ろしい。オウムは自家製覚醒物質入りの怪しげな飲み物を飲むような気
がしていた。

 僕は時々オウムのことを書いているが、オウムやその他宗教の教義には全く興味が
ない。完全なる無宗教人間である。オウムに関しては、事件後の動向に興味があるだ
けである。

 森さんの映画「A」に続く作品、「A2」(仮名)の撮影が完了した。これはその
後のオウムを追いかけて、またオウム内部にビデオカメラで潜入した映画だ。これか
ら編集等があって、上映するのは年末か来年になる。

 先日、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」でその一部が放送されたのだが、オ
ウムと地元住民の対立シーンが少しだけ映し出された。住民にとってオウムが近所に
存在するのは、極めて嫌なことである。当然、排除に乗りだし、感情も高ぶる。その
時、1人の住民が「オウムがここから去ってくれれば、他のどこへ行っても構わない
というのが本音ですね」と言ったのが印象的だった。とても素直な意見だ。そうだよ
な、皆、自分が嫌なものは目の届かないところに追いやりたくなる。それが根本的な
問題解決にならなくとも、である。

 「A2」(仮名)は「A」と同じように、上映は困難を極めるかもしれないが、も
し機会があったら、ぜひ多くの人に観てほしいと願っている。マスコミ報道の裏表に
直に接し、現実の姿を御自身の目で確かめていただきたいのだ。


8月1日

▼ガチャ切り

 「ガチャ切り」が流行っているそうだ。ガチャ切りとは、電話(主に携帯)で自分
の用件を喋って、相手の返事を聞かずにすぐに切ってしまうことである。

「もしもし。いま何やってんの?」「友達と遊んでる」「いま渋谷にいるから、いつ
もの場所に来てよ。一時間後ね、じゃあね」「えっ?でも」 ガチャッ。

 こんな感じで使われるらしい。さすが、世の中はここまで来たかと逆に感心してし
まう。普通に考えれば無礼極まりないのだが、これで相手が現れるかどうかを試すゲ
ームのような感覚で行ってるんじゃないかなと思うのだ。来ればラッキーっていうぐ
らいの軽いノリなのだと思う。

 一方的に呼びつけられたって行けないものは行けないし、呼びつけてみたものの必
ず来るという保証もない。待ちぼうけを食らうことも十分考えられる。それでも別に
いいやって思っているのだ、きっと。

 中には「あの子はガチャ切りすると必ず来るよ」なんていうガチャ切り要員もいる
ことだろう。逆に「ガチャ切りなのに毎回よく来るよね〜。他にすることないんじゃ
ないの」なんて悪口を言われてたりして。こわいこわい。

 iモード携帯電話が爆発的に売れているそうだ。仕事中や授業中などの、留守電を
聞くのをはばかってしまうような時でも、メールなら気軽に読めるため、使い勝手が
すこぶるいいようだ。しかし、メリットが大きければデメリットも大きく、約束事な
どもメールで気軽に断れてしまうので、一方的な使用も可能である。

 もうしばらくすると、約束しても行けなくなったり、行きたくなくなったらメール
を打っておしまい、というのが標準になる時代がやって来るかもしれない。「来れな
いなら電話してよ」と怒っても、「ちゃんとメール打ったじゃん」と、罪悪感すら感
じないのが当たり前の世の中になるのだろうか。きっと本人たちはそんな自分勝手を
「合理的」だと勘違いするのだ。これが、自分が同じ事をされてもオッケーになり、
世の中の秩序は乱れていく。もうすでにそんな兆候もあるのかもしれない。

 自己チューで勝手気ままな人たちは、以前に比べると確実に増えている。当店でも
「それが人にものを頼む態度か。客でも許せん」という種族が増えている。

 
 と、この後、当店でのエピソードをいくつか書いたのだが、それをもっと膨らませ
て、次回のメルマガに掲載することにしよう。信じられない人々が登場する予定だ。




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