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RANDOM DIARY TOUR
鳴海諒一日記 SINCE 6/18.2000



7月31日

▼間違った日本語

 無知とは恐ろしいものだ。本日配信したメルマガに「これからも御拝読をよろしく
お願いします」と何の疑問も持たずに書いていたら、読者さんから「ご自分から拝読
を使われるのはやめられた方がよろしいのでは?」と御指摘を受けた。

 辞書を引くと「拝読:読むことをへりくだっていう語。つつしんで読むこと」と書
いてある。オ〜マイガッ! 僕は知らずに読者の方々に向かって「これからもつつし
んで読んで下さい」と書いていたのだ。オレは何様だ。あ〜恥ずかしい。

 このように、僕は言葉を知らない。他にも間違った言葉や言い回しを知らずにたく
さん使っているに違いない。知らず知らずのうちに恥をかいているんだ。

 例えば本を読んでいても、知らない漢字や読めない漢字をいちいち調べたりしてし
ない。アバウトに「こんな感じだろう」と自分で当て字を当てはめて読み飛ばしてし
まう。それがいつの間にか自分にとって標準になってしまい、ついうっかり正しい読
み方だと信じ込んでいることがある。

 「御中」を「ごちゅう」とか、「猪突猛進」を「ととつもうしん」とか、「順風満
帆」を「じゅんぷうまんぽ」、「破砕」を「はき」、「おかちめんこ」を「おかめち
んこ」などと平気で読んでいた。他にもたくさんあるはずだ。人に話している時に独
自読みをしていた言葉がつい口をついて出てきたときは、やばっ、と焦るのだが、も
う後の祭り、アフター・ザ・カーニバルである。これも違うか。

 よく聞く間違えやすい言葉がある。「宮内庁御用達」を「くないちょうごようたつ」
と言ったり、「老舗」を「ろうほ」、「コミュニケーション」を「コミニュケーショ
ン」、「カリフォルニア」を「カルフォルニア」と言う人がいる。でもその場では、
なかなか指摘できるものではない。年上の人だとなおさらである。「何を言いたいの
かはよくわかる」と聞き流してしまう。この人ぐらいの年齢になると、誰からも直し
てもらえなくて、一生間違い続けるのかも、と思ってしまう。自分はこんな間違いは
したくないと思っても、知らずに使っているのだからそうとは知る由もない。

 大学時代のゼミのOB会で、怖いことで有名なOBが挨拶をしたときに「これから
は全員が“いちまる”(一丸)となって頑張るように」と言ってるのを聞いて、足を
つねりにつねって笑いをこらえたことがある。「ああ、この人は一生“いちまる”と
言い続けるのだな」と思った。たぶん怖くて誰も教えられないだろう。

 間違いとは少し違うのだが、以前、新聞の読者投稿欄に「最近は“どうもありがと
う”と言うが、昔は“どうも”は礼を言うときに使うのではなく、この度は“どうも”
御愁傷様でした、というお悔やみのときに使う言葉だった」と書いてあるのを読んで
驚いたことがある。

 今では当たり前のように使っている「どうもありがとう」に、違和感を持つ人がい
るのである。これを読んでからは、ある年齢以上の方には使わないように注意するこ
とにした。他にも昔と今では多くの言葉の使い方が違うのではないかと思い、本を探
しているのだが、なかなか見つからない。知らないうちに恥をかくのは嫌だし、知ら
ず知らずのうちに相手に失礼なことをするのも嫌なので、ちゃんと勉強しておきたい。

 そういえば「間違いやすい日本語」という本を買ったことがある。ちゃんと読まず
にどこかへしまっている。今日はこれからその本を探して、日本語の勉強をしよう。


7月30日

▼キャベツを万引きした「それなりの理由」とは?

 本日、朝日新聞「読者のページ」に掲載されていた投稿文である。

 【キャベツを万引きしたおばあさんを見て傷ついた----という11歳の女の子の
投書。我が家の10歳の息子も、ほぼ同じように思ったようです。
 そこで、「キャベツを盗んだおばさんって、どういう人だと思う? なぜ、他の高
いお肉とかじゃなくてキャベツなんだと思う」っと尋ねてみたら、「周りに人がいな
くて、とりやすかったからかな」
 「安いキャベツを盗まなくちゃならない生活って、お米もお肉もお魚も買えず、毎
日キャベツを食べているかもしれない。とっても貧しいかも」と話したら、「でも、
そうだといって盗んでもいいってことはないよ」と息子。
 (中略)でも、息子には貧困というものを実感したことはないし、惨めさもつらさ
もわからない。私は、キャベツを万引きをするおばさんにも、それなりに理由がある
ことがわかる人になって欲しいのです。
 「悪いことは悪い」、それは責めていいことです。が、「それなりの理由」も知っ
たうえであって欲しいのです。
 「なんかね、大人が万引きするところなんて見たくないよ」とも言っていました。
大人が考えている以上に、子供は大人を信じたがっているのだと思いました。】



 これを読んで、僕はこれを書いた43歳の主婦が「万引きする人の気持ちも考えて
あげてね」と言いたいように思えた。なんじゃこりゃ?である。万引きする人の気持
ちを思いやる暇があったら、盗られた店の人の気持ちを先に思いやってくれ〜。

 『その店は売り上げ不振に悩んで明日にも店が潰れてしまうかもしれなかった。仕
入れ代をやっと工面して仕入れたキャベツが、今日も万引き常習犯に持って行かれて
しまった。さあこれで今日の売り上げが減った。たったキャベツ1個とはいえ、この
店にとっては死活問題なのだ。

「お父ちゃん、こう毎日万引きされちゃ、あだしら首を吊るしかないっぺよ」

「バカなこと言うんでねえ。万引きする人はそれで今日を生きれるんじゃ。ひどだす
げだと思って耐えるすかねえっぺ」

「でもいつもキャベツを盗ってぐ奥さん、お金持ぢなのよ〜〜。家にべんつとかいう
ぐるまがとまっでるのよ〜〜」

「あだ〜〜、そうなんけえ。金持ちさオレらをバガにしぐさっで。もうやっでられね
〜〜。首吊るっぺ吊るっぺ」

「あなだ〜〜」

「おまえ〜〜、だあ〜〜〜〜」

 とまあ、ここまで子供に教える必要はないが、「貧困」や「みじめさつらさ」を万
引きのこのタイミングで教えるのはどうかと思う。僕には適所だとは到底思えない。
この投稿文では、主婦の言葉より子供の言葉の方が、よほど真っ当に聞こえてしまう。
何も子供は「万引きする人は何が何でも許せない。死刑だ」と言っているわけではな
いのに、「盗らなきゃいられない理由も知ってほしい」などと万引き犯をフォローす
るようなことを教えてほしくない。まぎらわしい。

 『キャベツを万引きしたおばあさんは、貧乏なのでとんかつ用の肉は買ったけど、
つけ合わせのキャベツを買うお金がありません。だからいつもメイン料理の食材はち
ゃんと買うものの、安い食材は万引きすることにしています。キャベツは当然、盗る
方の食材です。これ常識です。』と、こういうことだって考えられる。万引きの「そ
れなりの理由」などと言い始めたら、キリがないのである。

 万引きしたのがおばあさんでなく、おじさんだったり30歳のサラリーマンだった
り25歳のOLだったら、この主婦は子供にどんな「それなりの理由」を話して聞か
せるのだろう。子供を納得させられる理由なんてあるのだろうか。

 「大人が考えている以上に、子供は大人を信じたがっている」というのも当然のこ
とで、ことさら書くことでもないだろう。「大人が考えている以上に」なんてのも変
だ。そりゃあなたがあまり考えていなかったんだろう、と言いたくなる。「大人が万
引きするところなんて見たくないよ」 この言葉は子供にとっては当たり前のことな
のである。大人を信じる信じないではない。普段えらそうなことを言ってる大人のく
せに万引きなんかしてるんじゃね〜、と子供は言っているのだ。

 難癖をつけているようで嫌なんだけど、万引きを勝手なイメージで美化させるのは
やめてほしい。万引きは絶対にしてはいけないこと。盗む人は恥ずかしい。どんな理
由があってもダメ、と説明してほしい。「貧困」や「みじめさつらさ」とは分けて考
えるべきだと、僕は断固主張するぞ。以上!


7月29日

▼NHK受信料について

 今日の朝日新聞に「BSデジタル放送とNHK受信料」という記事が載っていた。
この中から気になった部分を拾い出してみる。

 【WOWOWの契約者の間では、「受信皿やアンテナをつけたからといってNHK
に衛星受信料を支払わなければならないのは理不尽だ」との不満の声が根強い。】

 【CATVなどの2400世帯の契約者に「仮にNHKのBS放送がスクランブル
をかけ、視聴者だけから受信料を取るとしたら」と聞いたところ、約58%が「視聴
しない」と答えた。衝撃的な結果は、業界の意向とかけ離れていることなどから公表
されなかった。NHKは収入の伸びをBSに依存している以上、経営の切り離し(鳴
海注:BSを民営化すること)は避けたいのが本音だ。】

 【視聴者の立場から言えば、必要ないものに義務的な受信料を押しつけられるのは
道理が通らない。】

 僕はNHK受信料を払っていない。現在の住まいに3年半前に一度、受信料の徴収
員がやって来て以来、その後一度もやって来ない。詳しくは
昨年9月に書いたコラム
をお読みいただきたいのだが、徴収員がやって来たその時、僕は彼と直に話をしたわ
けでもないし、不払いの由をNHKに実名で伝えたわけでもない。なのになぜか2度
とやって来ないのだ。

 上記にピックアップした記事内の受信料に不満を抱いている方々は、皆、受信料を
払っているから怒っている。番組を見ないのに徴収されているから怒っている。だか
ら払ってもいない僕が、受信料のことをとやかく言うのはお門違いかもしれないし、
第一、僕はNHKの番組を興味深く見ている。最近放送された「NHKスペシャル・
四大文明シリーズ」はとても素晴らしかった。

 「番組を見ているのなら払え」とおっしゃる方がいるのは当然だけど、僕は払って
も払わなくてもいい料金を払うつもりは無い。全ての国民から徴収しようと一生懸命
頑張っているようにまるで見えない(実際に努力を怠っている)受信料を払うつもり
は無い。払わなくても何の問題も起こらない料金を払うつもりは無い。

 受信料を払いたい人や、払うのが当然という人や、払わなくちゃいけないものだか
ら仕方なく、という方々が払ってくれて、それでNHKの経営が成り立っているのだ
から、それでいいじゃないかとも思ってしまう。

 実際は多少引け目を感じてはいる。受信料を払っている方々は、払っていない僕ら
の料金を上乗せされて余分に払わされているからだ。でもそれは僕らのせいではなく
NHKが徴収努力の怠りを穴埋めするために行っているのだから、引け目に感じるこ
とは無いのかもしれない。しかし心情的にはちょっと気にしてしまう部分はある。

 NHKは全ての放送受信契約者から平等に受信料を徴収する方法を、そろそろいい
加減に考えるべきである。いったい何十年間、頑張らないつもりなのだろう。支払っ
ていない人々を納得させたり、ふん縛って払わせる手段を編み出すべきである。僕の
家に3年半もの間、一度も徴収のお願いに来ないようではダメである。てんでダメで
ある。徴収する意志無しとみなす。烙印を押す。ジュッ。押した。

 以前、書店で「NHKのそこが知りたい」NHK広報局編 講談社 1300円
という本を見つけて、手にとってパラパラとめくってみたことがある。そこには、

■「のど自慢」の開催条件は? ■受信料の使いみちは? ■公開番組への申し込み
方法は? ■アナウンサーの放送言葉はだれが決める? ■職員採用試験の内容は?
■企画の持ち込みはどこへ? ■データ放送って何?   

などが書いてあった。僕は「受信料の使いみちは?」を立ち読みして、「な〜んだ。
NHKの宣伝本かあ」と、すぐに読むのをやめてしまった。こんな本をお金を出して
買う人がいるのかな、と不思議に思った。

 例えばこの253ページものデータが満載(?)の本を、受信料不払い者に無料で
配ったとしたら、「NHKの主旨を理解してもらった上でお支払いいただく」という
NHKのやる気が多少は伝わるのではないかと思う。そこまでしなくたって、不払い
者の郵便ポストに支払いをお願いする小冊子なりなんなりを入れて、少しプレッシャ
ーをかけてみるとか、不払い者の罪悪感を煽るとか、何かしらの効果はあるのではな
いかと思うのだが。受信料を払っていない僕が、不払い者に払わせる方法を画策して
いるのは滑稽か。

 当店の従業員の中で、NHK受信料を支払っているものは10人中0人である。1
人も支払ってはいない。聞いてみると、テレビを持っていないと嘘をついてその場を
凌いだ後、それから一度も徴収に来ないので支払っていない者が1名で、後の9名は
徴収に来ないから支払っていないと言っている。当店だけが特殊な状況だとは到底思
えないので、これから推測すると、東京都内で受信料を支払っていない人々の数は、
相当数に上るはずだ。4割? 5割?

 今後、NHKが僕ら不払い者から、どのような手段を使って徴収するのか、とても
見物である。

 話は変わるが、前回のメルマガで予告した通り、今月中に次回作を配信するために
は、NHKのことを長々と書いている場合ではなかった。何としても31日までに配
信するためには、今日ほとんど書き上がっていなければいけないのだが、え〜と、え
〜と、ダメじゃん、あははは。笑ってる場合じゃない。必ず配信するのだ!


7月28日

▼報道に対する私見

 僕は6月27日配信のメルマガで、森達也監督の「『A』撮影日誌」(現代書館)
をおすすめ書籍として掲載したのだが、作家・田口ランディさんがHP「オンライン
ブックストア」でこの本の
書評をお書きになっていた。

 詳しくはそちらをお読みになっていただきたいのだが、この書評に書かれている内
容の中に、とても気になる部分が2箇所あった。

 【ベルリン映画祭、香港映画祭など、外国の映画祭には招待されて海外では大きな
反響を呼ぶ。でも、日本じゃダメなのだ。森さん曰く「日本でこの映画を観た日本人
よりも、外国でこの映画を観た外国人の数の方が多い」】

 【「どう、本、売れてる?」と私が言うと「全然売れない。オウムに関することは
どこも取上げてくれない。書評も出ない」と森さんは答える。私が思う以上にオウム
真理教は「触れてはいけない事」であり続けているようだ。】

 映画「A」と「『A』撮影日誌」はオウムを知る上で絶対に欠かせない資料の1つ
だと思うのだ。なんといってもオウムの中に入って信者の素顔の一部を垣間見れたり、
オウム内から外部を見た目線で描かれた映像や文章を目に出来ることは、とても貴重
な体験である。

 オウムの実体を正しく理解するなら、様々な視点から撮られたり書かれたりしたも
のをありのままに情報公開すべきではないかと思うのだが、現実は「殺人集団」だと
いうことばかりをマスコミに植え付けられているような気がする。オウムに対して何
のフォローも肯定もするつもりはないけれど、ある種、マスコミによって我々が情報
操作されている感は否めない。

 映画「A」は一部の人たちからオウムを擁護する内容だと批判され、日本では上映
拒否が相次いだと言われるが、僕はこの映画を観て、その内容がオウムを擁護してい
るようにも批判しているようにも見えなかった。ただありのままのオウムの日常を映
しだしたドキュメントだと思った。

 もちろんドキュメントとは、制作者がある程度思惑通りに主観的に撮るわけだから、
「客観的な映像」などということはありえないが、擁護と取れる部分があるから公開
させない、人の目に触れさせない、などというのはおかしな話である。何を見てどう
感じるかを操作されてはたまらない。

 「へえ〜、オウムって報道では気持ちが悪いヤツらだったのに、全然普通の人たち
なんだ。こんな信心深い人たちが、麻原に従ったために殺人マシーンへと変貌を遂げ
て行ったんだ」

これが映画「A」を観た僕の感想である。悪いことは悪いこととして償わなければな
らないのは当然のことだが、信者の日常を映しだした映像を人の目に触れさせないと
いうのは、ずいぶん片手落ちではないかと疑問に思う。大体、オウムの日常を知る人
(映画に映し出される範囲でしかないが)が日本よりも海外に多いだなんて、なんか
恥ずかしいではないか。

 保険金目当てに娘を殺そうとした准看護婦の生い立ちを長々と報道し、「彼女は中
学生の頃から看護婦になりたいって言ってました」なんてのを見てたって何の足しに
もならない。そんなことより報道すべきことは他に多くあるのではないか。

 どんなことでもそうかもしれないが、真実を見極めようとしたら、与えられる情報
だけで判断していては片手落ちになる可能性が強いと思う。何に対しても、本当にそ
れが正しいのか、本当に間違ってるのかと注意深く考え、いつも話半分じゃないけど、
すぐに鵜呑みにはしないように心がけ、自分で情報収集することが大切だと思う。

 ランディさんが書評に書かれていた通り、僕も森監督のことを知らなければこの映
画も本も知らないままで終わっただろう。しかし、森監督と出会えたからこそ、その
他の出来事に関しても、今までと違った目線で物事が考えられるようになった。正確
に言えば、考える可能性を得られたのだ。

 7月30日(日)午後1時30分より新宿歌舞伎町の「ロフトプラスワン」で、森
監督の著書「『A』撮影日誌」と「放送禁止歌」の合同出版パーティーが行われる。
貸し切りのスタイルは取っているが、入場はフリー(入場料は必要だと思うが)で、
トークショーや各種催しなども行うようである。せっかく森監督に御招待を受けたの
だが、あいにく仕事が入ってしまって伺えなくなってしまった。とても残念だ。


7月27日

▼ビデオデッキ泥棒

 昨年暮れに高校時代のバンド仲間Dから、久し振りに店に電話がかかってきた。

「あのさあ、一緒にバンドやってたドラムのEっていただろ。あいつ、◯◯市で高校
教師をしてたんだけどさ、この間、夜中に1人で電気店に泥棒に入って、ビデオデッ
キ盗んで逮捕されたんだよ。テレビのニュースでも放送されちゃって、高校を懲戒免
職になってさあ、地元にいられないからって、どうも東京へ向かったらしいんだ」

「マジかよ。何考えてんだよ、あいつ。バカじゃん」

「オレがしばらく前に会った時も、何かちょっと変だなと思ってたんだけど、まさか
盗みをするとはな。テレビで見てビックリしたよ。それであいつ、あんまり金を持っ
てないから、もしかして鳴海に借りに行くかもしれないって思って、念のために電話
したんだよ」

「だってオレ、あいつとつき合い無いし、店だって知らないだろ」

「それがさ、前に会った時に鳴海の話になって、うっかり店の電話番号を教えちゃっ
たんだよ」

「その時は、こんな事になるってわかんないもんなあ」

「それでさ、Eは鳴海が事件のこと知らないと思ってるだろうから、すっとぼけて電
話してくるかもしれない。もし電話があっても絶対に金を貸しちゃダメだぞ」

「おう、わかったよ。絶対貸さね〜」

 電話を切ってから、僕は溜息を吐いた。あのバカ、何つまんないことやって人生棒
に振ってんだ。まったくしょ〜がないなあ。でも最後に会ってから、もう10何年も
会ってないんだ。まさか電話はかかってこないだろう、と僕はタカを括った。大体、
僕が仲良くしてたのはDだけで、EともB(昨日の日記参照)とも親しくなかったも
んな。僕は軽く考え、Eのことを記憶の彼方へ追いやってしまった。

 2週間後、金曜日の夜10時過ぎの一番忙しい時間帯に、1本の電話がかかってき
た。アルバイトが受けて、僕のところへやってきた。

「店長、お電話です。高校時代の友人のEさんという方だそうです」

「来た〜〜! げげげっ、どうしよう。あのさ、今ちょっと手が離せないから、11
時過ぎに電話をかけ直してくれって伝えてくれる?」

 アルバイトは僕の伝言をEに伝えて電話を切った。「マジかよ〜〜」 僕は困った。
何を話せばいいんだよ。久振りに会えないかなって言われたら、何て断ればいいんだ。
泥棒には会わない、なんて言えないしなあ。困ったぞ。まいったなあ。

 店の忙しさも手伝って、良い考えが思い浮かばない。でもはっきり言うしかないよ
なあ。事件のこと聞いて知ってるぞっていうしかないよな。

 その後、なぜかEから電話はかかってこなかった。僕が事件のことを知っているの
を察知したのだろうか。逆にとても気になってしまった。どこでどうしてるんだろう。
何をして生活してるんだろう。今度はDVDデッキを盗んではいないか、大画面フラ
ットテレビを盗んではいないか(これはウソ)。

 Dの話では、Eは少し精神を病んでいるとのことだったので、会わずに済めばそれ
に越したことはないような気もするが、かつての友人を切り捨ててしまったようで、
後味が悪い。しかし、電話がかかってこないのでは、手の出しようがない。

 あれからすでに8ヶ月も経ってしまったが、今度もし電話がかかってきたら、ちゃ
んと話をしてみよう。また泥棒すんなよ。


7月26日

▼『もう死んでもいい人』のせがれ

 今日、某週刊誌に掲載されていた田中真紀子が吐いた毒舌紹介記事を読んで吹き出
してしまった。

 【なにしろ、森首相を『デブ』と呼んだり、自民党◯◯県連会長だったA元◯◯庁
長官に対しては『もう死んでもいい人』とまで言った。ここまであけすけに幹部批判
をする人は彼女しかいません】

 この記事のどこがそんなに可笑しかったかというと、この『もう死んでもいい人』
と真紀子に言われたA元◯◯庁長官は、僕の同級生の父親なのだ。僕はAの息子Bと
中学、高校にまたがる2年間、一緒にバンドを組んでいた。そして『もう死んでもい
い人』の書斎でバンドの練習をしていたのだった。

 僕はBと親しくてバンドを組んでいたわけではない。Bが音楽機材や楽器、練習場
を保有していたから一緒にやっていたのである。Bは自分がやりたい曲をやるための
バンドだと言ってはばからなかったし、僕も彼のバンドは手軽に音楽活動が出来るか
ら、ま、いっかという軽いノリでやっていた。

 Bは唯我独尊タイプでいけ好かないヤツだった。Bは自分のファンのC子に入れ込
み、彼女に毎日電話をかけていた。ある日、Bが「僕はね、心理学を勉強してるから、
君の考えてることが手に取るようにわかるんだよ」と言った。その頃はもうBに対し
てすっかり冷めていたC子が、「じゃ、私が何を考えてるか当ててみて」と尋ねると、
Bは得意げに「君は僕のことが好きだ」と言った。

 だはははははっ。全然当たってないどころか、正反対だっつーの。その話を後でC
子から聞いてゾッとしたぞ、マジで。

 他にも笑ったのは、『もう死んでもいい人』の書斎でバンド練習をしていて、曲の
エンディングの合図でBが飛び上がり、ジャン!と演奏が終了した途端、Bが視界か
ら消えた。見回すと床に倒れて頭を抑えながらのたうち回っている。飛び上がった時
にシャンデリアの突起物が頭に刺さったらしい。そんなに大したことはなかったよう
だが、頭蓋骨は確実に陥没しただろう。それを見てちょっと吹き出してしまったら、
「今日は帰れ!」と追い返された。まあ当然と言えば当然だ。

 バンド解散以後、Bとはほとんどつき合いが無かったのだが、僕が以前働いていた
バーに、彼には完全にもったいないと言い切れるほどの、極上の美女と一緒に来店し
たことがあった。

 Bは僕を見るなり「いやあマスターマスター、元気か」と言いながら握手を求めて
きた。バカヤロー、友達をマスターって呼ぶヤツがどこにいるんだ、と僕は心の中で
憤った。こいつは僕のことを友達だなんて思っちゃいないなと理解した瞬間だった。
どうせ美女にカッコいいところを見せたくて来たんだろう、バカにしやがって、とも
思った。彼とはもともと相性が悪かったから、悪い方にとってしまったのかもしれな
い。でもその日は見知らぬ店員のようにこき使われたぞ。バーロー。

 他にも最新の面白ネタも仕入れたんだけど、本人にバレると何をされるかわからな
いので、このくらいでやめておこう。


7月25日

▼低価格競争の勝者マクドナルド

 昨日、ドムドムバーガーのことを書いたのだが、タイムリーなことに本日発売の週
刊朝日に「マック1人勝ちで外食産業最終戦」(138p)という記事が載っていた。

 これによると、マックのハンバーガー(現在65円:平日)と、チーズバーガー
(80円)は、今年2月に半額になるまで、全国で毎日25万個の売れ行きだったの
が、半額にしてから最高で8倍にあたる2百万個に跳ね上がったそうだ。現在でも毎
日125万個平均を売っているそうである。

 マックの価格破壊に追従したロッテリアは、7月からマックと同価格で反撃に出た
が、チーズバーガーのチーズが雪印製だったため、雪印の食中毒事件以後、あえなく
半額セールを中止してしまった。

 業界2位のモスバーガーはマックのハンバーガーが130円当時、190円の商品
を発売して反撃するのが精一杯で、現在では2年連続で減収減益だそうだ。また、あ
る業界上位のハンバーガーチェーンの役員は「マックが私達の会社を潰しにきている。
とても太刀打ちできない」と漏らしている。

 この価格競争に火がつき、他業種でも65円おにぎり、290円持ち帰り牛丼、な
どを展開し、減益減収に歯止めをかけている。しかし、このような低価格競争が行え
る企業は最大手の一部に過ぎず、その他の企業は手をこまねくばかりだという。

 マックは他社の低価格設定に対抗して、今後さらに50円バーガーの可能性をほの
めかしていた。

 以上がこの記事の概略である。一言で言って、低価格競争はありがたい。どんどん
やってほしい。しかし、しかしである。昨日書いたドムドムバーガーは、これからい
ったいどうなってしまうのだ。マジで雲行きが怪しくなってきたではないか。今日の
僕は昨日と違って切実な思いで書いている。

 僕の地元にあるドムドムのすぐ目と鼻の先にマックが出来たのは1ヶ月ほど前のこ
とである。毎日ドムドムとマックの客数をチェックしている暇はないので、現在、両
者がどのようになっているのかはわからないが、このような激戦状態の中、ドムドム
はいくらおいしいとはいえ、「甘酢肉団子バーガー」を出している場合ではないよう
な気がする。確かとても安かったような気はするが、しかし、しかし、「甘酢肉団子
バーガー」でマックに勝てるのか、いやさ、これ以上引き離されずにいられるのか。

 8月4日にはロッテリアでもいくつか新商品が販売される。中でも「スパイシーリ
ブサンド」はとてもうまそうだ。そんな各社のカタカナ商品にドムドムは勝てるのか。
いやさ、追いつけるのか。う〜む、心配だ。そういえば、ドムドムの期間限定商品は
漢字交じりのネーミングが多い。「お好み焼きバーガー」「エビ焼きバーガー」そし
てユニーク度満点の「甘酢肉団子バーガー」である。けっこうおもろいけどね。

 ドムドムは次にどんなバーガーで驚かせてくれるのか。炭火焼き鳥バーガー、牛バ
ラ肉焼き肉バーガー、かき揚げ天ぷらバーガー、鉄火巻バーガー、鯛焼きバーガー。
考えているのがだんだんアホらしくなってきたからやめる。

 マックが低価格販売を続ければ、これからより多くの人たちがマックを選んで押し
寄せる。小さな子供たちもマックで育ち、人々のハンバーガーの味覚はマックの味が
標準になってしまう。すると本当に美味しいものの味がわからなくなる。そんな単純
な図式ではないと期待する以外に無いけれど、しかし心配せずにはいられない。

 どうかドムドム他の企業の方々、低価格競争に負けないユニークで本当に美味しい
ハンバーガーを開発して、マックの1人勝ち状態にどうか風穴を空けてほしい!


7月24日

▼我が愛するDOMDOMバーガー

 人にドムドムバーガー(正確にはドムドムハンバーガー)って好き?と尋ねると、
決まって「あ〜、あの終わってる店ですか」とか「いまいち・・・」という答えが返
ってくる。なぜだなぜだ! ドムドムはいいじゃないか。僕はドムドムバーガーが大
好きだ。最近はファストフード店にはあまり行かないが、行くなら迷わずドムドムだ。

 僕が初めてドムドムへ行ったとき、何も期待せずに、というよりも話のネタに、限
定販売していた「お好み焼きバーガー」を食べて、そのあまりの突飛な美味しさに驚
いた。お好み焼きとパンが合うなんて知らなかったよ。

 嬉しくなって定番商品もいろいろ食べてみたけど、わりと真っ当な味だった。定番
商品は他店より突出しているとはいえないかもしれないが、モスバーガーと同じく作
り置きをしないシステムなので、いつも出来たてが食べられる。だから他店の冷めか
けたバーガーに比べれば、美味しくいただける。

 僕の地元のドムドムは、去年、店内を改装してコーヒーマシンを導入した。これで
1杯ごとに引き立てのコーヒーが180円でフリードリンクになり、一層ファンにな
ってしまった。僕はアイスコーヒーが好きなのだが、ドムドムでは、カップにクラッ
シュアイスを入れ、そこに熱々で濃いめのコーヒーを注いで急激に冷やした、実に香
ばしくて良質のアイスコーヒーが飲める。そこらのカフェ顔負けのうまさだ。

 最近、限定販売をしていた「甘酢肉団子バーガー」もとても美味しかった。名前を
見ただけでは、いくらドムドム好きの僕でも、ちょっと不安を感じてしまったのだが、
一口食べて、そんな気持ちは払拭された。ちょっとでも疑ってごめんね、ドムドム。

 「甘酢肉団子バーガー」は大人のバーガーだ。子供は好んで食べないかもしれない
し、逆に、子供にこの味はわからんでもええ、とさえ思ってしまう。しかし、子供受
けしなければファストフード店の将来はしれている。店を畳まれては困る。複雑な気
分である。

 先日、地元のドムドムのすぐ近くに業界最大手のマクドナルドがオープンした。マ
ックは(関西ではマクド)途切れなく行うフェアや、価格破壊とも思える超安ハンバ
ーガーで、他店を圧倒している。マックのせいでドムドムが潰れては困るのだ。近く
に同業種店が出来るとかえって人が集まるので、ドムドムにも客が流れる可能性もあ
るが、今までのドムドムの客もマックへ流れてしまう。ああ心配だ、心配だ。


7月23日

▼猛暑の夜の怪

 今日、東京では最高気温が34.9度だったそうだ。メチャメチャ暑かった。ちょ
っと歩いただけで汗だくである。皆、外を歩く気にならないようで、地下街は大賑わ
いだった。こんな日は店も当然暇で、とても退屈な1日だった。BARは猛暑に弱い
のだ。

 あまりの暑さに思い出したことがある。数年前の今日のような猛暑の夜、仕事を終
えて駅に向かって歩いていると、ふと道端に置かれているミニクラブの看板に何やら
張り紙がしてあるのに気がついた。白い紙にマジックで走り書きがしてある。 

 『ナベやめました』

 そう書いてあった。えっ? 僕は思わず読み直した。『ナベやめました』 確かに
そう書いてある。おいおい、今は夏だぜ。ナベやめましたって、今頃の季節までナベ
料理をやってたの? でもこの店は、ちゃんこ屋でも居酒屋でもなくて女の子が同席
するクラブなんじゃないの。カンバンにも60分7000円とか書いてあるし。もと
もとナベ料理を置いていたとも思えない。いったいナベやめましたってどういうこと?

 僕の頭の中は『ナベやめました』で一杯になってしまった。ナベ、ナベ、ナベ。歩
きながら何故だろう何故かしらと思考を巡らせた。「ナベ」というのは果たして「鍋」
のことなのだろうか。もしかして人の名前、そう、人の名前なんじゃないだろうか。
そうか、そういうことか、わかったぞ!(ホントかよ)

 「ナベ」は渡辺さんの愛称「ナベちゃん」で、きっとナベちゃんはこの店で働いて
いる男子店員なのだ。ナベちゃんはとても感じの良い子で、お客さんや店の女の子た
ちから好かれていた。しかし、そんなナベちゃんがある日失踪した。

 その直後、ナベちゃんが何人もの店の客から金を借りていることが発覚。客が次々
に怒り出した。なんせ強面の客ばかりの店なので、皆、いきり立って大声で騒ぎ出し、
まともに営業できない。そこへまた新たな常連が現れた。

 「こんばんは〜。あれ今日はナベは? いないの? どうしたの」

 「実は昨日から無断欠勤してまして。アパートへ行ったら部屋を引き払っていて、
  消息がつかめないんですよ」

 「なんだと! オレはあいつに金を貸したんだ。30万だぞ、ママ! あのガキ、
  人の良さそうな顔をしてトンズラしやがったな! おうおうおう、この落とし前
  をど〜つけてくれるんだよ! チキショー(ドスンバタンボカン)」

 「あらあらあら、スーさん、やめて、おやめになって、店が、店が壊れる〜〜〜」

 と、このような修羅場が毎日展開されて、困ってしまったママは、

 「そうよ、店に来て突然ナベが辞めたことを知るから、みんな暴れ出しちゃうのよ。
  入口の看板に辞めたことを書いて張っておけば、こんな騒ぎにはならないに違い
  ないわ。ワンクッションよ、ワンクッション」

 そして看板に『ナベやめました』と書いた紙を貼り出した。

 とまあ、僕の推理ではこうなるのだが、皆様はどう推理されるだろうか。


7月22日

▼あるソープ嬢の日記

 ショック! 2年間続いていた僕の数少ないお気に入りサイト、「バブルの逆襲」
(現役ソープ嬢の日記)が突然閉鎖されてしまった。とっても好きだったのに残念だ。

 このサイトは「現役ソープ嬢・舞子のウサ晴らし」と銘打ち、舞子さん(仮名)が
日々思うことを赤裸々に綴る日記である。僕にとっては未知の世界の出来事を知るこ
とが出来る優良サイトだった。

 誤解を恐れずに言うと、ソープというのは究極のサービス業なのだと思った。お客
が望むスタイルで、体を張って徹底的に奉仕する舞子さんの仕事の姿勢に、ジャンル
は違うがそのプロフェッショナルな考え方は凄い、と刺激を受けた。僕にはとても真
似できない(当たり前だ)。

 お客はどんどんつけ上がる。舞子さんが仕事として一生懸命、恋人のように接して
いたのを簡単に「純粋な好意」として受け取り、店外で会うことを望み、実際に付き
合いたいと交際を迫る。結婚を迫る。舞子さんは自分が行っているサービススタイル
の是非を問い、悩み、上手な客あしらい法を身につけ、成長して行く。そんなことが
日記形式で綴られているサイトだったのだ。特に客に対する罵倒など、舞子さんがキ
レた時の文章の巧みさ、的確さが好きだった。

 ソープ嬢=売春婦ということを前面に押し出し、遊びをわかっていない客に対して
ボロクソにけなす日記を読みながら、彼女がこのサイトに怒り、悲しみ、苦しみを吐
き出すことによって、仕事を続けていく活力を取り戻し、書くことによって答えを導
き出していることを知った。その悩みの度合いは違うものの、僕の悩みと共通点もあ
ったりして、とても共感を持ったこともある。

 それにしても、勘違い男の多さには辟易してしまう。何でも真に受けてしまうあほ
な男の多い事よ。他のことでも自分に都合良く考えてばかりなのだろうな。たやすく
想像がついてしまう。ああ、間違ってもこんな男たちのようにはなりたくない。この
サイトは、男とはどうあらねばならないか、という男の美学が詰まっている。

 この日記「バブルの逆襲」は、今年の5月に本にまとめられて出版された。新たに
加筆されて一層読みやすくなり、すでに日記を読んでいた僕にとっても面白く読めた。
「バブルの逆襲」が閉鎖され、一切の日記が読めなくなった今日、この本の存在は貴
重なものになった。女性の方にも未知の世界を知るという意味で、お薦めしたい本で
ある。御興味のある方はぜひ一読されたし。

 「バブルの逆襲」 片桐舞子著 ビジネス社 1300円 (巻末に香山リカさん、
有田芳生さんとの対談も掲載されています)


7月21日

▼飲酒運転について

 僕は毎日、電車の最寄り駅まで車通勤をしている。だから仕事のある日は家に帰る
まで飲酒をしない。正確には午後6時以降には飲まない。それじゃ、仕事中に飲んで
いるのかと思われるかもしれないが、実はそうである。仕事中に飲んでいる。

 飲んでいるといっても、それはオリジナルカクテル制作や、カクテルレシピ調整、
新製品の試飲をするためである。しかも早い時間に限定される。なんせ僕は車通勤な
のだ。飲酒運転は絶対にしない男なのである。

 カクテル制作などは、大体午後4時から5時の間に行う。多くてもせいぜい週に1
回程度である。本当は仕事中に酒など飲みたくない。しかしこれが仕事だ。因果な商
売である。

 午後4時というのは、僕にとってはまだ午前中である。皆さんとは生活のサイクル
が6時間ほどずれているので、僕の午後4時は皆さんの午前10時頃に相当する。こ
の時間に飲むのははっきりいって辛い。酔いも早く回ってしまう。

 副店長と一緒に試飲をしていると、すぐに酔ってしまうことがある。2人でゲラゲ
ラ笑っている。テンションが上がり、いくつか試飲をして陽気になった後、しばらく
すると猛烈な倦怠感が襲ってくる。そのあたりから営業開始である。これはかなり辛
い。そんな時は休憩へ行き、少しウトウトした方が良い。その後はスッキリと仕事が
できるからだ。

 今日、帰りに警察の飲酒検問があった。いつもだったら警官は明るく「すいませ〜
〜ん、ちょっとハーーッって息を吐いてもらえますか。はい、どうもありがとうござ
います。どうぞ気をつけて」と気を使って言うのだが、今日の警官は違った。

 最初から苦虫を噛みつぶしたような険しい顔をして「免許証、拝見」と言って、渡
した僕のゴールド免許証をしげしげと時間をかけて眺めている。普段、ゴールド免許
はさっさと返してくれるのに、警官はつぶさに見入っている。早くしろよ、何もあり
ゃしないよ、などと言えば面倒なことになるので、いらつきながら待った。

 「あれ、ちょっと顔が赤いねえ。それは日焼けなの?」

 「い・い・え」(イライラ)

 「じゃ、ハ〜〜ッて息を吐いて」

 「ハ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」(イライライラ)

 「ちょっと入ってるね(酒が)」

 「入ってないでしょ〜〜!」(カチーーン!)

 「じゃ、何の臭いだろ」

 「知らないっすよ。この缶コーヒーのせいじゃないですか?」

 「う〜〜〜ん・・・」

 「あのね、僕は飲酒運転はしないんですよ。なぜか。それは自分のためです!」

 「はいはい、じゃ気をつけて帰ってね」(ったくもう!)

 何度も書くが、僕は飲酒運転は絶対にしない。もし夕方に少々飲んだとしても、車
に乗るまでには8〜9時間ほどあるので、アルコールは完全に抜けてしまう。驚くこ
とに、人に飲酒運転をしないことを話すと、たいてい「すごい」「偉い」「真面目だ」
という返事が返ってくる。

 たとえ少量でもアルコールを摂取すると、人間は反射神経が必ず鈍るのだ。万が一、
危険な場面に出くわしたとき、それを回避できなくなる可能性がある。もし飲酒運転
で人をはねたりしたら最悪である。悔やんでも悔やみきれない。だから僕は絶対に乗
るときは飲まないのだ。これは偉くも凄くも真面目でもない。普通のことだ。

 世の中の多くの人が、多かれ少なかれ飲酒後、平気で車を運転する。ビール1杯く
らいなら、などと甘んじるのはその人の勝手だが、そのせいで魔の手が忍び寄って来
ているとは考えないのだろうか。不思議でならない。飲酒運転はカッコいいと思って
いるのだろうか。男らしいと思っているのだろうか。少量だから大丈夫だと思ってい
るのだろうか。全く理解できない。


7月20日

▼バーテン、マスター、支配人

 19日に配信したメルマガの「おすすめ書籍」で御紹介した「Cocktail Technic
(カクテルテクニック)」の著者、上田和男さんは、人づてに聞いたところによると、
お客から「バーテン」と呼ばれるのを嫌って、自分の店の名を「TENDER」にしたら
しい。どうもバーテンという言い回しは、あまり上品な使い方では無いようだ。

注) なぜ店の名前が「TENDER」なのかと思ったら、BAR「TENDER」= BARTEN-
DERとバーテンダーに引っかけてあるのですね(19日配信のメルマガより抜粋)

 普通、バーテンダーに「バーテン」とか「バーテンさん」と呼びかけはしないだろ
うから、「あの店のバーテンは◯◯◯だ」のように噂をされる時に使われるのだろう。
そういえば、「バーテン」の響きは、少々人を見下したような言い方にも聞こえるか
もしれない。でも僕はあまり気にしたことがないなあ。

 そうだ。思い出してみると、僕自身、他店の話をする時、「バーテン」という言い
方をしている。もっとよく考えてみると、褒めるときは「バーテンダー」で、けなす
ときに「バーテン」と呼んでいるかもしれない。いや、確かに呼んでいる。「あのバ
ーテン、むかつくんだよ」などと言っている。なんと「バーテン」は差別用語だった
のか。

 これからはきちんと、バーテンはバーテンダー、イカ天はイカテンダー、グルテン
はグルテンダー、句読点は句読テンダーと正式名称で呼ぶことにしよう。

 また、僕はお客から「店長」とか「鳴海さん」と呼ばれるのが一番多いのだが、た
まに「マスター」と呼ぶ人がいる。「マスタ〜〜〜」と呼ばれると、「マスターはや
めてくれ〜〜」と哀願したくなる。

 でもなぜだろう。「喫茶店のマスター」「スナックのマスター」というイメージが
あるからかもしれない。だからといって、そんなの別に気にすることなんて無いのに、
僕の本能が拒否反応を起こしてしまう。不思議だ。謎だ。

 たまに「支配人」と呼ばれることもある。これには拒否反応が起こらない。しかし、
僕をいつも「支配人」と呼ぶお客には「役職は店長なんですよ」と何度も教えるのに、
絶対に曲げようとしない。最近ではその呼びかけに僕もすっかり慣れてしまった。

 「そう、私はこの世の中をつかさどり支配する、その名も支配人」と言ってバサッ
とマントをひるがえし、高笑いと共に走り去るのだ。


7月19日

▼プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」

 今日、脚本家のTさんとオペラ歌手のSさんが御来店になった。Sさんはとても明
るくて素敵な方で、すぐにファンになってしまった。しばらくして、僕がパヴァロッ
ティ(3大テナーの1人)が歌っている、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」が大好
きだと伝えると、Sさんはミレッラ・フレー二(ソプラノ)のボエームが大変お気に
入りだということだった。ということは、僕が6月26日の日記に書いた、フレー二、
パヴァロッティ、カラヤン、ベルリンフィルのCD(1972年録音)をSさんもお
好きだということになる。

 なんだかとても嬉しかった。僕は以前、「クラシックはオペラを聴かなきゃ始まら
ない」と、いくつかのオペラのCDを当てずっぽうで聞いたのだが、ボエーム以外に
興味を持てなかった。しかもパヴァロッティのボエームを聴かなかったら、オペラを
放り投げてしまったかもしれない。素晴らしいCDに出会えて本当に良かった。

 このプッチーニ作「ラ・ボエーム」はどの曲も非常に美しい。もしオペラに御興味
がおありだったら、ぜひお聴きになることをおすすめしたい。誰が歌っていても同じ、
だと思ったら大きな間違いなので、ぜひお試しになる時は下記のCDをお聴きになっ
ていただきたい。全幕ものは2枚組でボリュームがあるのだが、ハイライト盤でも十
分お楽しみいただけるはず。

プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」ハイライツ(日本盤) ポリドール 3000円

ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール) ミレッラ・フレー二(ソプラノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)  ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

 僕は気に入ったCDが出現すると、他の人の演奏を聴き比べてみたくなる。同じ曲
で聴き比べれば、その歌手が好きかどうか分かり易いからだ。ある日、プラシド・ド
ミンゴ(テノール:3大テナーの1人)のボエームを買ってきて聴いてみたのだが、
驚くほど僕の心に響かなかった。歌っている人によって、こんなに曲の印象が違うも
のなのかと、ビックリした。

 そのことをオペラ歌手の卵に話したところ、面白い話を教えてくれた。ドミンゴは
有名な歌手だが、これは所属していたレコード会社ソニーがドミンゴを大々的に宣伝
して売り出し、そのおかげで3大テナーの1人といわれるまでになったとのことだっ
た。ソニーのバックアップが無ければ、ドミンゴは一流と呼ばれなかったと、卵くん
は話していた。

 この話にどれだけの信憑性があるかはわからない。様々な噂や憶測が一人歩きして
話が大きくなっている可能性もあるので、あまり盲信しないように心掛けているのだ
が、ドミンゴの歌や声が、僕にとってあまり魅力的とは言えなかったので、この話に
も一理あるかもしれない、と思ってしまった。


7月18日

▼メルマガ配信苦労秘話

 ようやく本日、新作メルマガを配信することができた。今回は21日ぶりというこ
とで、今までで一番遅い配信となってしまった。ワースト記録を次々と塗り替えてい
る。

 最初は月3回配信を順守するべく頑張って書いていたのだが、それはとても大変だ
った。自分が納得いくようにテンポの良い文章を書くのは至難の業だった。なぜなら
僕には一発できちんとまとまった文章を書く文才が無いのである。余計な言葉がテン
コ盛りで付着する。一度書いた文章を削ぎ落とす作業が一苦労なのである。

 それでも田口ランディさんや田中宇さんがメルマガで御紹介して下さったおかげで
読者数がどんどん増える。プレッシャーが増す。書きたいことが見つからない。文章
がまとまらない。自分で決めた締め切りが迫る。焦る。苦しむ。もがく。時間がない。
睡眠を削る。よれよれになる。とまあ、こんな苦労をしながら何とか頑張ってきた。

 ある日、知り合いの編集者の方が、「鳴海さん、僭越ながら申し上げると、メール
マガジンは書きたいときに書いたらいかがですか」と言われてどひゃ〜〜〜っと心臓
が飛び出そうになった。見透かされていた。僕の苦労が文章に表れてしまったか、そ
れともコラムのレベルが下がっているんだ。全部バレてるんだ。

 僕はこれ以上彼に見透かされないために、平静を装って何気ないフリをした。でも
僕の心は見透かされてるんだ、見透かされてるんだ、と同じ言葉を連呼し続けていた。

 その後、落ち着いてよく考えた結果が、締め切りを設定せずにある程度自由に配信
しよう、ある一定のレベル以上のコラムが書けてから送ろう、ということである。そ
の結果、現在のような配信間隔になってしまった。

 それでも月3回配信は出来るだけ守りたいと思って努力したのだが、コラムを書く
筆が進まない。自分の考えがまとまらなくて、ちっとも先に進まないのだ。その時に
書きたかったコラムが必要とするデータがあまりにも膨大で、一筋縄ではいかなかっ
た。

 そんな時に田口ランディさんがおっしゃった言葉を思い出した。「すらすら書けな
いものは、自分が本当に書きたいものじゃ無い」 名言である。その通りだと思った。

 それを聞いてから僕は、書きかけのコラムがつっかえて悩んでいるとき、他に書き
たいものが浮かんだら、すぐに新しいものに取り掛かるようにしてみた。するとなん
と、書きたいと思ったものはペンがグングン進む。好きなことを書くというのは、こ
ういうことだったのか。少しだけわかったような気がした。

 今回お送りした3編のコラムは、そういう時に生まれたものである。結局、当初書
き始めたコラムは、いまだに未完成のままである。そのうちなんとかしなきゃな。

 いかん、猛烈な睡魔が襲ってきた。配信した安堵感からだろうか。もう今日はこれ
以上書くのは不可能である。じゃ、寝ます。また明日〜〜〜。


日記7月17日

▼休日の過ごし方

 今日明日は2連休である。僕は休みの日は超休日モードになり、頭はボケボケダル
ダルである。だから休日に日記を書くのは大変だ。書きたいことが何も浮かんでこな
い。その気になれば書くことはいくらでもあるのだが、「これを書きたい」と思う事
柄は浮かんでこない。これが僕にとっての平常心というものなのかもしれない。

 僕は出不精な方なので、休日はほとんど決まり切った場所を巡るだけである。決ま
ったスーパー、決まった洋服屋、決まったデパート、決まった酒屋、決まった書店、
決まった魚屋、決まったレストラン、って結構出かけてるじゃね〜か。でも半径20
キロより先にはみ出ることは、まずない。

 休日は決まって妻と2人で過ごす。他の誰にも会わない。一年中2人きりである。
これは友人と呼べる人がいない、休日に他人に気を使うのが面倒くさい、様々なこと
に腹を立てるのが嫌だ、休日に会うような興味のある人がいない、などの理由からで
ある。実に内向的で排他的だ。

 休日に珍しく人に会ったのは、数ヶ月前にジャーナリストの田中宇さん宅にお呼ば
れしたのが最後だ。田中さん御夫妻はとても素敵な方たちなので、そういう時はホイ
ホイ出かけていくのだが、これだって今年初めてのことだ。それほど珍しい。

 そんな休日の過ごし方で楽しいの?とお思いの方もいらっしゃるだろうが、これが
楽しいのだ。一旦仕事に出かければ、いろんなことが目についてしまい、とても気持
ちが穏やかではいられない。安息の時間がなければ精神が休まらない。ってそんなに
偉そうに言うほど神経が細やかではなく、ただのなまけもの気質によるものなのかも
しれない。

 以前、転職をするためにしばらく充電期間というか失業中だったことがある。約3
ヶ月間のんびりと過ごしたことが今でも忘れられない。惰眠をむさぼり、暴飲暴食を
し、映画を山ほど観て、実に退廃的な生活を楽しんでいた。毎日が日曜日だったのが、
とても幸せだった。今でも「あの頃は楽しかったなあ」と思い出す。実際は、何軒か
の店で働いたりもしていたし、「こんなあほな店じゃ働けない!」と悩み落ち込んだ
りもしていた筈なのだが、今となっては良い思い出しか浮かんでこない。

 今でもまた2ヶ月ぐらいのんびりしたいなあと思ったりする。だけどこんなことを
思っているのは休日にのんびりしている時だけで、それ以外の日にはまず考えない。
きっとのんびりしているときは気持ちがマイナス方向に増長してしまうのだろう。何
をもってマイナスとするかは微妙だが・・・

 明日にはメルマガを配信したいと思っているのだが、どうなるだろう。今回も配信
が遅れてすっかりお待たせしてしまっている。今回は遅れたお詫びにコラムを3編載
せるつもりだ。それなら短めをマメに送れよと言われてしまいそうだが、いろいろ内
容のバランスもあって、なかなかそうもいかないのだ。

 この日記を書くようになってから、以前よりも書きたいことが明確になってきたし
増えてきた。日記用のネタとメルマガ用のネタがダブらないように書けそうだ。書く
ときの気持ちの持って行き方もおぼろげながらわかるようになってきた。だからとい
って、読者の方々に毎回面白いと思ってもらえるものが書けているかはわからないが、
まあこれは受取手のお好みなので、何ともいえない。

 とにかく僕は、もっともっと自分が書きたいことを飾らずにストレートに書く努力
をしていくのみである。好き勝手書くということは大変なもんだ。


7月16日

▼作家 桐生典子さん

 今日は従業員がまとまって休んでしまい、通常、日曜日は4人で働いているところ
を夜9時まで2人で行った。日曜日にしてはわりと忙しかったので大変だったけど、
当店の女性バーテンダーがとてもよく働いてくれて助かった。ありがとね。

 今日はずっと気を張って仕事をしていたのだが、そんな僕をリラックスさせてくれ
る方が御来店になった。作家の桐生典子さんである。桐生さんとは1年前の今日、当
店で初めてお会いした。とても知的で素敵な方である。接客中に僕と全く同郷である
ことがわかって盛り上がり、それ以来、親しくさせていただいている。

 昨年出版された桐生さんの4冊目の小説「抱擁」(幻冬舎刊)はとても面白い。
移植した心臓が移植前の人の情報を記憶しており、その記憶が様々な事件に関わって
ゆくというドキドキもののミステリー小説である。この移植した心臓細胞が記憶を持
つというのは本当のことで、海外で検証されているようだ。だからストーリーも余計
に生々しい。ドキドキしながら一気に読んでしまった。

 「抱擁」を読み終えた時、この感動を桐生さんにどう伝えようかと考えた。ありき
たりの感想メールじゃ面白くない。そこで思いついたのが、この小説の登場人物で主
人公に思いを寄せていた仙道隆義という中年男が意志を持ち、桐生さんに「抱擁」の
感想を述べる、という手法を取った。

 桐生さんが創造した人間の語り口調をそっくり真似て、その登場人物が独自の見解
を述べる感想メールに、桐生さんはとても驚かれたようだ。そりゃそうだ。登場人物
が、「あなたは私を犯人に仕立て上げたかったようだが、私はそんなことはしていな
い」といった内容なのだから。僕は物真似が得意なので、仙道隆義の語り口調を完全
に模倣した。まるで仙道本人からのメールのように仕上げることができた。

 桐生さんは現在、「小説すばる」で連作短編小説を執筆していらっしゃる。ある男
が死んで残した遺産を、今までつきあった女たち全員に分配するために、女性弁護士
の卵である主人公が過去の女一人一人に会って話を聞いて廻る、というストーリーな
のだが、桐生さんの女性描写は素晴らしい。特に嫌な女を描かせたら天下一品である。
僕は桐生さんの描く「嫌な女」が大好きで、いつも楽しみにしているのだ。

 桐生さん、これからも嫌なむかつく女をたくさん登場させて下さいね。



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