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大戦争になる中東

2006年7月23日   田中 宇

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この記事は「イスラエルの逆上」の続報です。

 7月12日にイスラエルがレバノンの武装勢力ヒズボラとの戦争を開始して以来、アメリカの言論界では、ネオコン(新保守主義者)による好戦的な主張が一気に盛り上がっている。ネオコンは911事件の後「イラクを政権転覆すべきだ」とさかんに主張し、米軍のイラク侵攻させることに成功した勢力である。

 前回は、911事件が彼らの主張を活発化させる引き金となったが、今回は、7月12日のイスラエル軍によるレバノン攻撃の開始が、主張活発化の引き金となった。そして、前回の標的が「イラク」だったのに対し、今回の標的は「イラン」である。ヒズボラはイランとシリアの支援を受けており、ヒズボラを無力化するには、特にイランを潰さねばならない、というのがネオコンの主張である。(関連記事

 アメリカの政界や言論界では、共和党も民主党も、キリスト教原理主義もリベラル派も、主要な勢力のほぼすべてが「イスラエル断固支持」「イランはけしからん」と言っている。アメリカ以外の世界では「イスラエルは戦争犯罪を犯している」と考える人が多いが、このような主張をする人は、アメリカでは目立たない。アメリカでも、一般市民の中には「イスラエルが悪い」と考えている人が多そうだが、マスコミの論調にはほとんど反映されていない。(関連記事

 特に矛盾しているのはキリスト教原理主義勢力である。レバノンで最も有力な勢力はキリスト教徒(カトリック系のマロン派)であり、イスラエル軍はレバノンのキリスト教徒の一般市民の住宅街にも空爆を行っている。レバノンのキリスト教徒がたくさん殺されているのに、アメリカのキリスト教原理主義の団体は、殺す側のイスラエルを応援し続けている。(関連記事

 以前の記事に書いたように、キリスト教原理主義者は、聖書の記述から「イエス・キリストが再来するためにはイスラエルが大戦争をする必要がある」と考えており、それがイスラエル支持につながっている。

▼イスラエルで地上軍大侵攻の呼び声

 今のところ、ブッシュ政権と米議会は「イスラエル断固支持」という表明は発しているが、米軍をヒズボラやイランとの戦いに参戦させようとする動きは、ホワイトハウスや議会の中には、まだ全くない。政府外のネオコンの言論人が主張しているだけである。これで、イスラエルが、空爆によってヒズボラの攻撃力を壊滅させ、勝利宣言すれば、イスラエルとイラン、シリアが戦争になることはなく、イスラエルとレバノンとの短期間の戦争で終わる。

 しかし、7月12日から約10日が過ぎた現時点までに、イスラエルは空爆だけではヒズボラを壊滅させることはできないことが明らかになった。イスラエル軍の発表によると、ヒズボラは何年もかけてレバノン南部のイスラエル国境近くの地域に、深さ30メートル以上の地下陣地をいくつも作り、そこに武器や食糧を貯め込んできた。今回、ヒズボラは、この地下陣地からイスラエル側に攻撃を仕掛けている。(関連記事

 地下陣地は地下深くに作ってあるため、空爆によって破壊できず、イスラエル空軍が1週間空爆を続けた後でも、ヒズボラの軍事力の3分の2は破壊されず、ヒズボラは、イスラエル空軍機の空爆が終わると地下陣地から出てきてロケット砲をイスラエルに向けて発射する攻撃を繰り返している。イランで訓練を受けたため、ヒズボラの軍事技術は意外と高いと、イスラエル軍は指摘している。(関連記事

 しかもヒズボラは、イスラエル側が予測していなかった長い飛距離の新型ミサイルを持っていることが分かった。ミサイルは、イランからシリア経由で供給されているとイスラエル側は発表しているが、このミサイルの存在により、今後、イスラエルがヒズボラを完全に潰せないまま今回の戦争を終わらせると、その翌日から、ヒズボラの新型ミサイルがイスラエル北部の諸都市に飛んでくる懸念がずっと残ることになる。つまり、イスラエル側は何とかしてヒズボラを全滅させない限り、撤退できない状況になっている。(関連記事

 今回の戦争開始当初、イスラエル軍は「2週間以内の空爆でヒズボラを壊滅させる。その後、アメリカなどの仲裁を受けて停戦する」というシナリオを描いていた。しかし、空爆だけではヒズボラを潰せず、そのシナリオは達成不能になった。しかも、新型ミサイルがあるので、このままヒズボラと停戦するわけにもいかない。このような状況の中、イスラエルの政界や言論界では、地上軍をレバノン南部に侵攻させるべきだという主張が、右派を中心に出ている。(関連記事

(モサドなどイスラエルの諜報機関は、レバノン国内にスパイ網を構築し、ヒズボラ内部にもイスラエルのスパイが入り込んでいたと、イスラエル側が認めている。イスラエル側は、ヒズボラの危険性について分かっていながら、意図的に放置していた疑いがある。米政府が911事件の発生を防がなかったのと似た構図が感じられる。また逆に、イスラエルの右派が、戦争拡大のためにヒズボラの脅威を誇張している疑いもある)(関連記事その1その2

▼戦争長期化でイランを巻き込む可能性が増大

 地上軍を侵攻させても、おそらくイスラエルは苦戦する。イスラエル軍は、7月17日に小規模な特殊部隊をレバノン南部に短期間侵入させてすぐ帰還させ、これが最初の地上戦となった。(関連記事

 イスラエルの新聞ハアレツの記事によると、実は7月17日の侵攻はかなり規模の大きなもので、ヒズボラの地下陣地を探して破壊しようとする作戦が展開されたが、意外と戦闘能力と士気が高いヒズボラ側から反撃され、作戦は成功とは言いがたいものだった。(関連記事

 イスラエルでは、右派は「空軍が効かない以上、地上軍の大侵攻が必要だ」と主張しているが、軍の参謀本部は、苦戦することが分かっているので、地上軍の侵攻に消極的だ。軍の首脳は「ヒズボラはイスラエルを長い消耗戦に引き込みたいと考えている。その罠にはまらないよう、短期戦で終えねばならない」と主張している。(関連記事

 しかし、今回の侵攻でいったんはヒズボラの拠点を潰しても、イスラエル軍がレバノン南部にずっと駐留しない限り、いずれまたヒズボラがレバノン南部に戻り、イスラエル領内への攻撃を再開しかねない。イスラエルは、今回の戦争でレバノンの一般市民の生活を大破壊し、すでにレバノン人全体を敵に回している。レバノンの首相は、国内でヒズボラへの支援が急速に強まっていると指摘している。(関連記事

 レバノンの正規軍も、イスラエルと戦う姿勢を見せている。レバノンの国防相は、イスラエルが地上軍を侵攻させてきたら、レバノン軍がヒズボラに味方してイスラエルと戦うことを示唆した。イスラエルやアメリカが提案していた「レバノン軍がヒズボラを退治する」というシナリオの実行は、難しくなっている。すでに、この戦争は、長引きそうな要因を多く抱えている。(関連記事その1その2

 イスラエルにとっては、長い地上戦で消耗するほど、アメリカを戦争に巻き込む必要が高まる。イスラエルは今回の戦争が始まる前には、すぐにでもシリアを攻撃しそうな姿勢を見せていた。6月28日には、戦闘機をシリアに飛ばし、アサド大統領が滞在中の別荘の上空を低空飛行させたりしている。(関連記事

 7月12日の開戦後は、米英の国際協調主義勢力の政治家たちがイスラエルに「シリアやイランと戦争するな」と強い警告を発した結果なのか、イスラエル政府は、シリアやイランとは戦争しないという姿勢を強調している。(関連記事

 しかし、今後イスラエルが地上軍をレバノンに侵攻させ、長く苦しい戦いに入ったら、イスラエルはシリアを攻撃することで、アメリカをこの戦争に巻き込みたいという考えを強めるだろう。イランの大統領は「イスラエルがシリアを攻撃したら、イランを攻撃したのと同じとみなし、イランは反撃する」と宣言しているので、イスラエルがシリアを攻撃したら、イランとも戦争になる。

 イスラエルがイラン、シリアと戦争になったら、アメリカの政界は、今のように口だけ「イスラエル支持」と言っているだけではすまなくなり、イラク駐留米軍が、イラン軍と開戦する可能性が強まる。イランが戦争に入ったら、原油価格は100ドルを突破する。

 このような、アメリカがイラン、シリアとの戦争に入ることこそ、ネオコンが強く求めていることである。ブッシュ大統領がイランとの戦争を回避したいと考え続けても、イスラエルの苦戦がしだいに明らかになり、イスラエルがアメリカを巻き込もうとイランの戦争に入る懸念が強まっているため、イラクに軍を駐留させているアメリカが、この戦争から逃れられる可能性はしだいに低下している。(関連記事



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