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イラクを放棄しそうなアメリカ

2005年7月16日   田中 宇

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 アメリカ軍をイラクから撤退させようとする動きが、アメリカ国内で目立ってきた。

 イギリスの新聞が5月初めに「ブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を持っていない可能性が大きいと知りながら、イラクに侵攻しようとしている」とするイギリス政府の報告書(会議メモ)をすっぱ抜き、これまで広く推察されていた「ブッシュはイラクに大量破壊兵器がないと知りながら、ウソをついて侵攻した」とする見方が事実であることが確定した。(関連記事

 これを受けアメリカでも、しだいに「ブッシュはウソをついてイラクに侵攻した」「これは、アメリカにとってプラスにならない戦争だ。イラク侵攻のせいで、テロや反米感情は逆に増えている」といった論調が強くなった。(関連記事

 5月下旬以降、アメリカの新聞では「ブッシュ大統領は、イラク戦争をどう終わらせるのか、国民に示すべきだ」(ボルチモア・サン)「不必要な戦争が、ウソによって始められた」(ミネアポリス・スタートリビューン)「イラクのゲリラが米軍の駐留に反対して戦っているのなら、米軍の掃討作戦は、事態を悪化させるだけだ。米軍は撤退するしかない」(シカゴ・トリビューン)といった社説が出るようになった。(関連記事

 米議会の下院では6月中旬、民主・共和両党の4人の議員が、来年10月までに米軍のイラク撤退を開始させようとする法案を議会で提案した。法案に賛成する議員はまだ少数派だが、「ブッシュ大統領はイラク占領を終わらせる戦略を明示すべきだ」という要求は、上院の外交小委員会でも採択された。(関連記事

 米国内での世論調査では、6月中旬の段階で、米国民の60%は、イラクから米軍の一部または全部を撤退させた方が良いと考えている。こうした米国内部からのイラク撤退要求に対し、ブッシュ自身は「撤退時期を明確にすると、ゲリラが図に乗って攻撃を強めるので良くない」として拒否した。

▼米軍のイラク撤退計画

 とはいうものの、実は米政府は、イラクから撤退する計画を策定していた。

 イギリスの新聞にリークされた、イギリス国防相がブレア首相に提出した機密メモによると、米軍は、来年初めまでに、アメリカと同盟国の軍隊をイラクの18州のうち14州から撤退させ、その後の治安維持はイラク人の軍隊や警察に委譲する計画を立てている。

 イラクには現在アメリカ、イギリス、韓国、オーストラリア、イタリアなど合計16万人(うち米軍が13万8千人)の外国軍が駐留しているが、イラク側への治安維持業務の委譲によって、駐留総兵力を6万6千人にまで削減するのがアメリカの計画だという。(関連記事

 イギリスの国防大臣は「駐留兵力の削減については決まっていない」としながらも、機密メモの存在を認めている。イラクでは、今年10月に新憲法が制定され、それに基づいて12月に総選挙が行われて、暫定政府から正式の政府に移行する予定になっている。米軍の大幅削減案は、イラクに正式な政府ができることを契機に、イラクの政権交代が一段落したとみなし、成功裏に撤退したといえる状態を目指すものと考えられる。

 この機密メモには、イギリス軍が今年10月までに、イラクのムサンナ州など2州の治安維持をイラク側に委譲するという計画も明示されている。ムサンナ州の州都は、日本の自衛隊が駐留するサマワである。自衛隊は、自衛を超える攻撃が法律上許されておらず、イギリス軍の支援がないとサマワ駐屯を続けられない。イギリス軍の撤退は、自衛隊の撤退をも意味している。

 米英の大幅削減案は、バグダッドやスンニ派地域以外のイラク諸州の治安状態が改善されてきた、という認識を前提にしているが、この認識の正確さについては、大きな疑問がある。本当はイラクの治安は良くなっていないのに、米英はイラク占領の評判が悪くなるばかりなので、現状を誤魔化して治安が良くなっていることにして、撤退しようと考えているのではないか、ということである。

 たとえば、イギリス軍が担当するイラク南部の大都市バスラは、もともと治安は比較的安定しており、問題の少ない町とされてきたが、バスラの警察署長によると、バスラの警察官の中には本当はゲリラ側を支援している者が多く、いざゲリラを取り締まる段になると警官の4分の3は、現場を離れて逃亡したり、ゲリラ側に転じたりする状態だという。イギリス軍がいなくなったら、バスラの警察は組織ごと消滅し、ゲリラの天下になる恐れがある。(関連記事

 米政府は、イラク人に軍事訓練を施し、今年10月までに20万人規模のイラクの軍と警察を設立する計画だが、これはほとんど絵に描いた餅である。新兵募集センターの行列に自爆テロリストが突っ込むなど、イラク人に軍や警察への応募を思いとどまらせようとするゲリラの動きも続いている。(関連記事

 軍に応募してくるイラク人の中には、無断で出勤してこなくなる者が多いが、司令官の中には、姿を見せなくなった部下がまだ勤務し続けていることにして、給料をポケットに入れてしまう者が多い。米軍は、イラク軍の規模は15万人に達しているというが、こうした幽霊兵士を除くと、実際の規模は4万人以下であると指摘されている。(関連記事

 北部のモスルやキルクークも、クルド人組織の軍隊と米軍が、スンニ派のゲリラと戦っており、自爆テロが頻発している。米軍が撤退したら、クルド人組織は独立傾向を強め、スンニ派との内戦になり、もしクルド人がスンニ派を追い出して決着をつけようとすれば、クルドの独立を阻止するために北からトルコ軍が侵攻し、クルドとトルコの戦争になるかもしれない。(関連記事

▼米軍が撤退するとイラクは分裂?

 イラクの外相は、イラク政府の軍隊や警察は、米英軍から治安維持業務を引き継ぐ準備ができていないので、今年中に米英軍が兵力を削減し始めると、ゲリラがはびこって大惨事になると警告している。今は削減ではなく、増員が必要だという。(関連記事

 イラク北部のクルド人と、南部のシーア派の中には、米英軍の撤退後を見越して、自前の自治権拡大を図る動きが起きている。南部と北部には油田があり、クルド人とシーア派の中には、イラクが3つに分裂した方が、石油収入が直接に入ってくるので都合が良いと考える人もいる。(関連記事

 イラクの分裂は、統一国家としての力を弱め、トルコ、シリア、イランのクルド人の自治要求を扇動してこれらの周辺国を不安定化し、サウジアラビア東部の油田地帯に住むシーア派の自治要求を煽るかもしれない。こうした中東諸国の分裂と不安定化は、以前からイラク、イラン、シリア、サウジアラビアと対立してきたイスラエルが画策していたものだ。(関連記事

 米軍の撤退でイラクが分裂することは、イスラエルの国益に合っている。イラク侵攻とその後の泥沼化の最大の責任者は、ウォルフォウィッツ国防副長官ら、ブッシュ政権内のネオコンで、彼らはイスラエル右派系の勢力である。

▼イランとイラクの急接近

 しかし、事態はイスラエルが望んだ通りにならないかもしれない。それは、今後のイラクは東隣のイランからの支援を受け、治安を維持できるかもしれないからだ。

 イラクとイランは、1980年代のイラン・イラク戦争の消耗戦以来の仇敵で、今年に入ってからも6月には、イランとイラクの国境で戦闘が始まりそうだという記事が出ている。(関連記事

 だがそんな中、7月7日にイラクのドレイミ国防相がイランを訪問した。ドレイミは、フセイン政権時代に厚遇されていたスンニ派の有力部族の出身だが、彼はイラン側に対して「フセインはイランを侵略した悪者だ」と述べ、対立を解消する態度を示した。両国は、今後イランが新生イラク軍の訓練に協力するなど、軍事面の協力体制を強化することを決めた。(関連記事

 イラク国防相のイラン訪問は、イラク側からの希望で行われたとされている。イラク暫定政権は、昨年ドレイミの前任の国防相が「(イラクの反政府ゲリラを支援しているので)イランは最大の敵である」と述べるなど、イラン敵視の政策を採っていた。イランは昨年、イラクに対し、新しい軍隊の訓練に協力しても良いという提案を行っているが、イラク側に断られている。(関連記事

 それが最近になって方針を急転換した背景には、米英が新生イラク軍の設立準備を十分に進められないまま撤退するのなら、代わりにイランに頼るしかない、というイラク暫定政権の事情があるのではないかと思われる。

 ドレイミ国防相は、イラクに帰国した後の記者会見で、イランに新生イラク軍を訓練してもらうという取り決めは存在しないと述べ、イラン側と合意したはずのことを否定した。これは「米英が訓練できないので、イランにイラク軍の訓練をやってもらう」ということが大っぴらになると、イランを敵視する米国内のタカ派を刺激するので、話がなかったことにしようとするメディア戦略だろう。イラン政府はイラク軍の訓練に協力すると発表しており、そのこととの矛盾を記者に尋ねられたドレイミ国防相は「イラン側の発言は、われわれの関知するところではない」と述べて終わっている。(関連記事

 イラクとイランの接近は、軍事部門だけでなく、イラクの石油をイランの港から積み出したり、イラクの石油精製をイランが請け負ったりする石油のスワップ協定や、そのための両国間のパイプライン連結、鉄道の連結など、経済面でも進んでいる。(関連記事

 7月16日には、イラクのジャファリ首相がイランを訪問し、両国の関係を強化する方向で交渉を進めることになっている。(関連記事

 イランとの関係を強化すればアメリカなど要らないとばかり、イラクのシーア派の過激な宗教指導者であるサドル師は、米英軍の早期撤退を求める運動を激化させ「アメリカこそがイラクの分裂を画策している。彼らが出ていけば、イラクの統一は守られる」と主張している。(関連記事

▼イランの背後に中国やロシア

 イランはここ数年間、アメリカとの関係改善を模索していたが、イスラエル寄りの傾向を強めたアメリカの政界はイランとの関係改善を拒否し、特に911事件以後は「イラクの次はイランを政権転覆する」という「中東強制民主化」の戦略が強まった。だがイラク戦争後、世界的に反米感情が強まる中で、ロシアや中国といった反米(非米)的な傾向がある大国が、石油利権などを当て込んでイランに接近している。

 中国、ロシア、中央アジア諸国が集まる安全保障会議である「上海協力機構」は7月上旬の会議で、イランのオブザーバー参加を決めている(インドとパキスタンもオブザーバー参加した)。(関連記事

 ほぼ同時に、イランの天然ガスをパキスタン、インドに運ぶパイプラインの建設交渉も進んでいる。今後、中国、ロシア、インドといったユーラシアの大国は、イランとの関係をさらに強化していくと予想される。(関連記事

 核兵器開発疑惑を理由にアメリカが国連でイランに対する経済制裁を決議しようとしても、安保理常任理事国である中国とロシアの反対により、成功しないだろう。

 そもそも、イランの核兵器開発疑惑は、戦前のイラクに対する大量破壊兵器の疑惑と同様、アメリカによる言いがかりである。IAEA(国際原子力機関)は「イランが核兵器を開発している兆候はない」という結論を出したが、アメリカの中の親イスラエル系の勢力は、イラクが国際的に許されてしまうのを阻止しようとして、IAEAのエルバラダイ事務局長を辞任させようとしたが失敗し、エルバラダイの続投が決まったという経緯がある。(関連記事

 イランが中国やロシアとの「非米同盟」を結成していく中で、今後イラクから米軍が撤退し、イラクがイランとの関係を強化することで統一を維持していくとしたら、それはイラクがアメリカを批判する非米同盟の一員になっていくことを意味している。ドイツやフランスも、中国やロシアなどにイラクの石油利権を独占されないよう「われわれはイラク侵攻に反対した」と言いながら、非米化したイラクに接近するだろう。

 中国の政府系企業は最近、中近東やアフリカなどで、さかんに道路や港湾、電力網などの建設工事を受注しており、安定後のイラクのインフラ整備は、アメリカや日本の企業ではなく、中国やフランスの会社が請け負うことになるかもしれない。中露独仏は、イラク侵攻に反対し、派兵もしていない。彼らは何もせず、イラクの利権を手にすることになる。半面、アメリカは、イラクに膨大な戦費と、兵士の人命をかけながら、何も得られずに撤退することになる。対米従属の日本も同様である。

▼アフガニスタンにも興味を失うアメリカ

 とはいうものの米政府は、せっかく占領したイラクから出ていかねばならないことに対して、あまり惜しいと思っていないふしがある。6月下旬、EUの中心地であるベルギーのブリュッセルで、アメリカ政府の主導によって、イラクの復興を支援する国際会議が開かれた。これはアメリカがEU諸国に対し、イラクの復興事業への参加を呼びかける意味があったと指摘されている。(関連記事

 またイギリスの新聞ガーディアンによると、米政府はイラクだけでなく、アフガニスタンからも撤退したいという意向を持っている。アフガニスタンでは麻薬栽培が問題になっているが、アフガン産の麻薬の9割は欧州で消費されている。このため米政府は、自国ではなくEU諸国がアフガン再建を先導すべきだと考え、アフガン占領に対する興味を失っているという。

 米軍がアフガニスタンを放棄するのと交代に、イギリス軍はイラクから撤退した兵力をアフガニスタンに持っていく予定になっている。またドイツ、オーストラリア、カナダなども、アフガニスタンに派兵している人数を増やすことを決めている。(関連記事

 EUやアングロサクソン系の国々だけでなく、中国・ロシア連合も、アフガニスタンを「上海協力機構」にオブザーバー参加させる構想がある。上海協力機構は最近、2001年のアフガン侵攻以来アメリカがアフガニスタンの北にあるキルギスタンとウズベキスタンで借り上げている米軍基地を返還するよう求める声明を出した。キルギスとウズベクの政府自身も、アメリカに基地の返還を求めている。(関連記事

 これに対し、アメリカははっきり態度を表明しておらず、何とか基地を維持しようとする外交的な行動(援助の積み増しなど)を起こしていない。アメリカがアフガニスタン占領に対して興味を失っているということは、中央アジアの基地も要らないということかもしれない。だとしたら、中国やロシアは、中央アジアの覇権をアメリカと争っているのではなく、アメリカが撤退した後の中央アジアの面倒を見るという話になる。(関連記事

▼イラクとアフガンを放棄し、軍事戦略も縮小

 米軍は、イラクでゲリラ戦の泥沼にはまるという予定外の状態に陥り、米国での新兵募集が予定通りに進まず、募集制の兵隊を基盤とした米軍のあり方そのものが危機に瀕している。

 このため国防総省は、これまでのアメリカの軍事戦略の基本だった「世界で一度に2つの戦争を戦えるよう、米軍の装備や人材を整えておく」という「2正面戦略」を縮小し、海外では一度にひとつの戦争を戦うだけの戦略とし、余裕ができた分は、米本土の防衛とテロ対策の強化に回すという新戦略への転換を検討している。(関連記事

 このことも「本土防衛」「テロ対策」といった説明は言い訳的なものであり、実質は米軍の規模縮小であろう。「軍のハイテク化」という言い訳をつけた「米軍再編」という名の世界的な米軍基地の縮小計画と同根である。イラクとアフガン駐留の縮小ないし撤退、2正面作戦の放棄、世界的な基地の縮小は、いずれもアメリカが軍事的に世界から手を引く動きであると感じられる。(関連記事

 これらの動きは、以前の記事「行き詰まる覇権のババ抜き」で書いたような、世界の安定を守ることがアメリカの重荷になり、覇権を他の大国にも分散させようとするアメリカの「世界多極化戦略」の一つと考えることができる。

 しかし、そもそもアメリカが世界から手を引くつもりなら、なぜイラクやアフガニスタンに侵攻したのだろうか。その答えになりそうなことは、冷戦後のアメリカには、世界を多極化してアメリカの覇権の負担を減らそうとする多極主義者(中道派)と、その動きに抗してアメリカ一極覇権を維持しようとするタカ派(ネオコンなど)があったという、従来からの私の分析である。

 911の衝撃の後、タカ派がブッシュ政権を握り、アフガンとイラクに侵攻したが、イラクでの戦況悪化や、侵攻時のブッシュのウソが暴露されたことなどを利用して中道派が盛り返し、多極化を進めていると考えられる。

 特に最近は、イラク侵攻の失敗の責任をとらされてネオコンが政権中枢から追い出され、代わりにライス国務長官の権限が大きくなり、EUやサウジアラビアなど、これまでネオコンに敵視されていた国々が喜んでいると報じられている。(関連記事

 また、ネオコンと連携して米政界で影響力をふるっていたイスラエル系の政治圧力団体AIPACも、FBIからスパイ容疑をかけられて幹部が辞任させられており、勢力が弱まっている。

▼日本の孤立

 前回の記事にも書いたが、アメリカが世界の多極化を容認、推進するほど、東アジアでもアメリカの影響力が弱まり、中国の力が増す。戦後ずっと対米従属を一本槍で貫いてきた日本は、国是の見直しを迫られる。対米従属は、日本に高度経済成長をもたらすなど、従来は日本に合った国是だった。だが、アメリカの覇権縮小にともない、対米従属だけではやっていけなくなり、外交的な自律が必要になりつつある。

 中国を中心とする「上海協力機構」には今後、韓国や東南アジア諸国も入るかもしれないと予測され、そうなるとこの機構は、日本とアメリカ抜きで作られる東アジア共同体となる。覇権縮小を希望するアメリカにとっては、自国抜きの集団安保体制の枠組みがアジアにできてもかまわないのだろうが、日本にとっては孤立化そのものである。



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