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ボーイングの凋落と日本の可能性

2003年12月31日   田中 宇

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 アメリカの製造業の栄光を象徴してきたボーイングには、ソニーやホンダといった日本のメーカーと同様に「ものづくり」の神話がある。1966年、ボーイングが500席クラスの747型ジャンボ機の開発を決定したとき、一人の役員が「この開発による投資収益はどのくらいと予測されるか」と役員会で尋ねた。だが、会社の経営トップたちは「そんなことは重要ではない。大型の旅客機が世の中に必要なのだ」と突っぱね、開発に踏み切った。

 ボーイングは、1916年に飛行機の操縦士で技術者だったウィリアム・ボーイングが創業し、すぐれた飛行機を作ることが最大の目標とされた。儲けは二の次だ、というのがボーイングの「ものづくり」の精神だった。

 747は社運をかけて開発されたものの、まだ当時は飛行機が大衆の乗り物ではなく、一般の人々が海外に観光旅行に行く習慣もなかった。航空需要の増加は見込まれていたものの、売れるかどうか不確定だった。だがその後1970年代を通じ、飛行機は大衆の乗り物として定着していき、航空券の価格は下がった。それは、747のような大型の旅客機が存在していたからこそ起きた現象だった。(関連記事

 747と同規模の他の大型機はその後ずっと登場せずボーイングの独占状態が続き、ほとんど値下げすることなく利幅が大きいまま売り続けることができた。結局、ボーイングはこれまでに747型を合計1400機近く売り、大儲けした。

▼エアバスの勝利ではなくボーイングの脱落

 だが、アメリカのものづくりの成功の象徴だったボーイングは、今や歴史的役割を終えようとしている。「終わりの始まり」になっていると感じられる。

 その一つは、後発のヨーロッパ勢であるエアバス社に抜かれてしまったことだ。1990年代まで、エアバスはボーイングにかなわなかったが、1998年にはエアバスの方が受注が多くなり、99年には年間の受注がエアバス476機に対してボーイングは391機と差が広がった。この傾向は2003年も変わらず、11月末までの段階でエアバス263機、ボーイング229機となっている。

 受注額で見ると、もっと差が開いている。2003年(10月までの統計)に、エアバスは282億ドルの受注を獲得したが、ボーイングはその半分以下の111億ドルしか受注できていない。1995年ごろまで世界の旅客機市場の8割以上をボーイングがおさえていたのに、時代はすっかり様変わりしている。

 エアバスとの戦いにボーイングが敗北したのは、エアバスが斬新な技術やコンセプトを持っていたからではない。エアバスが勝ったというより、ボーイングは「ものづくり」の精神を捨てた方が急成長できると思ったのが誤算で、その結果バブルが崩壊するように脱落していった感が強い。

 ボーイングは1994年に777を完成させた後、10年間新しいシリーズを出さず、既存のシリーズに新しい改良型を加えるだけの事業展開をしてきた。この2年間、ボーイングで売れているのは小型(150席)の737だけで、他のクラスはほとんど売れていない。エアバスがA320、A330、A340、A380と全クラスが売れているのと対照的だ。このところドル安ユーロ高で為替はボーイングに有利なのに、それも生かせていない。

▼経営多角化で急拡大したが

 アメリカの経済界では1995年前後から株価や株主を気にする経営態度が広がった。株主の立場から見れば、儲けを度外視して飛行機製造のロマンに賭けていた昔のボーイングの経営方針はリスクが大きい。新しい流れを作ったのは、1996年にCEOに就任したフィル・コンディットだった(さる12月1日に防衛部門のスキャンダルで引責辞任した)。彼は、確実に売れる機種しか開発すべきでない、確実に儲かる分野にしか手を出すべきではない、という経営方針を打ち出した。(関連記事

 その後ボーイングでは、高速旅客機(超音速機、ソニック・クルーザー)や、エアバスA380に対抗する目的で747を改良した747Xなどの開発構想が持ち上がったが、航空業界があまり関心を示さなかったこともあり、いずれも断念した。

 その代わり、ボーイングは「経営多角化」に走った。戦闘機などを作っているマクドネル・ダグラス社を1996年に買収して軍事産業に進出したほか、人工衛星打ち上げビジネス、人工衛星通信を使って映画を映画館に配信する「デジタルシネマ」などの分野に進出した。

 本業だった民間航空機部門では、金融業との組み合わせで事業を拡大する方針を採った。航空会社に金を貸し、その金で飛行機を買ってもらうという「需要創造」を行った。

 実はエアバス社も金融を使った需要創造を行っている。しかしエアバスは、金融の部分は損をするものだと考えていた。資金繰りが苦しい航空会社にお金を貸して旅客機を売っても、その貸し金(債権)はその後、債権転売市場の様子を見ながら、なるべく損が出ないような時期を選んで転売するようにしていた。儲けはあくまでも飛行機を売った儲けで出す、という方針を続けた。これに対しボーイングでは金融部門を「ボーイングキャピタル」という別会社にして、旅客機の販売だけでなく、金融でも儲けが出る体制を目指した。

▼新機種開発のリスクをとらない投資家

 両社の方針の差は、911事件後にアメリカで航空の旅客が激減し、いくつもの航空会社が経営難に陥った時点で如実になった。各地の航空会社に貸し込んでいたボーイングキャピタルは巨額の不良債権を抱えるに至ったが、航空市場は短期間に好転すると考えて、貸し出し総額を2000年の26億ドルから2002年には125億ドルへと急増させた。それが裏目に出て、今や債権総額の4割近い47億ドルが回収困難になっている。(関連記事

 ボーイング本体は2003年11月、ようやく子会社であるボーイングキャピタルの「積極姿勢」を止めた。だが不良債権に加え、ボーイングはエアバスに対抗できる旅客機の新機種がない状態に陥っている。

 既存機種のうち757型は2002年にゼロ、03年に7機しか受注できず、生産停止を決めた。767型も02年に8機、03年は11機しか受注できなかったが、この機種は空中給油機として改造したものを米空軍に100機売り込む販売攻勢を行って受注を獲得した。ところがこの給油機問題は汚職の疑いが強く、ボーイングのCEOが突然辞任するスキャンダルになってしまった。

 金融部門の失敗に加え、人工衛星を使った映画配信システムも普及せず、事業ごと安く売却して終わりにせざるを得ない状況に追い込まれた。人工衛星打ち上げ部門も利益が減っている上、2003年6月に米軍の偵察衛星打ち上げをめぐってライバルのロッキード・マーチン社の機密情報を盗用したことが発覚し、軍から契約を解除され、信用を失墜させている。決算も2003年は第2四半期に赤字に転落した(第3四半期は防衛関係の受注増で再黒字化)。

 本業だった旅客機部門を建て直すには、ボーイングは新型機を売り出す必要があった。7E7という200席クラスの中型の新機種を開発する構想が出てきたが、投資家サイドは新機種を開発して売れなかった場合の開発費の焦げ付きを恐れ、なかなか7E7に対するゴーサインが出なかった。

 その一方で、すでにボーイングは超音速機や747Xの開発を見送っており、この先さらに7E7の開発も断念したら、それはボーイングが二度とエアバスに勝てなくなり、旅客機の分野から撤退することを意味していた。ボーイングが7E7を出すかどうかということが、2003年を通じて業界関係者たちの注目を集め続けた。

▼日本を巻き込む

 困った末にボーイングが見つけた解決策は、日本を巻き込むことだった。

 日本は、戦前は「ゼロ戦」に象徴されるように、かなりの航空機技術を持っていた。だが戦後、日本が軍事転用できる高い航空機開発能力を持つことを望まないアメリカは、なかなか日本に航空機開発を再開させなかった。日本で結実した戦後の航空機開発は1960年代に完成したプロペラ機「YS11」だけだ。あとは三菱重工業や川崎重工業、富士重工業といった重工メーカーが、ボーイングの旅客機の一部分の製造を下請けするだけだった。

 戦後の日本の経産省や重工業界にとって、航空機の開発は「夢」だった。そこにボーイングは目をつけた。日本の重工メーカー3社に7E7の開発製造の35%をやってもらう代わりに、開発費も負担してもらうという方法を採った。従来、日本のメーカーがボーイングの航空機製造にかかわる場合は、仕事を発注されるだけの純粋な下請けで、しかも日本勢は全体の20%程度を請け負うだけで、日本側がその比率を上げてほしいと頼んでもボーイングに断られていた。

 だが今回は、日本勢は自分たちの分の開発の費用を自己負担し、リスクをとって7E7の35%の製造にかかわることになる。費用の自己負担はメーカーにとってリスクが大きいが、航空機開発が「夢」だった日本には、航空機産業を育てる経産省系の財団法人として「航空機国際共同開発促進基金」というのがある。

 ボーイングは、日本の3社がこの促進基金から7E7の開発に30億ドル(3000億円強)を資金援助(低利融資)してもらうことを提案している。7E7が売れなかった場合、日本政府や日本の納税者が負担をかぶることになるが、その分ボーイングと日本のメーカーは投資リスクが減り、日本の政府や国民は「夢」がかなう。皆ハッピーだろう、というわけである。(関連記事

 ボーイングは日本のほか、イタリアなどのメーカーにも製造の分担と開発費の負担を持ちかけ、ボーイング自体は日本勢の合計と同じ35%しか分担しない方針を打ち出した。国際的にリスクを分散したのだが、見方を変えれば7E7はアメリカの投資家が金を出し渋るような成功の可能性の低いものなので、海外でリスク負担をしてくれる人々を探さざるを得なかったともいえる。

 日本の公的資金がボーイングの航空機開発に投入されそうなため、EUは「公正競争が阻害されている。エアバスが不当に不利な立場に置かれる」と批判し始めた。だが「航空機国際共同開発促進基金」の資金援助は、以前には日本のメーカーがイタリア、ドイツ、イギリスなどと組んで行った低公害型の航空機エンジン(V2500)の開発に対しても支出されている。

 しかもエアバス自体、つい数年前までフランスやドイツなどの政府の資金援助を受けており、当時はボーイングの方が「エアバスへの補助金は公正競争を阻害している」と非難していた。「公正競争」とは結局のところ、国益を誘導する政治用語でしかないといえる。(関連記事

▼売り込みでも日本を狙う

 7E7が売れるかどうかは、今後の世界の航空業界がどんな運行形態をとるかにかかっている。その点でボーイングとエアバスの予測は食い違っている。現状では、7E7のような中型機(ワイドボディ機)は世界で約1400機が飛んでおり、今後もこの規模が続くとしたら、エアバスのライバル機種A330などと奪い合って商売しなければならず、7E7の市場は小さすぎる。だがボーイングは、7E7のような中型機の需要は急拡大し、今後20年間で2500機が売れるはずだと予測している。(関連記事

 世界の主要空港の発着回数が急増し、航空会社が主要空港の発着枠を十分に確保することが難しかった従来は、限られた発着枠を有効活用できる大型機の需要が多かった。だが世界の大都市で新空港が次々と完成し、発着枠に余裕ができている。今後は各航空会社は便数を増やして乗客が好きな時間に乗れるようにするから、その分一機あたりの乗客は減り、中型機の需要が増えるだろう、というのがボーイングの予測だ。

 これに対してエアバスは、今後も規模別の旅客機の利用動向はあまり変わらず、大型機も従来通りよく売れるだろうと予測している。今や大型機はエアバスA380(555席)の独壇場で、747Xの開発を見送ったボーイングは対抗できない。エアバスは今後20年間に全世界で1100機の大型機の需要があると予測しているが、ボーイングは大型機は20年間で300機の需要しかないと見ている。双方、自分に都合の良い予測を出している。

 7E7が売れるかどうか、ボーイング内外から疑問視する声がおさまらず、11月になっても取締役会はゴーサインを出すのを延期していた。2008年に1機目の7E7が完成するとき、それを買ってくれる航空会社も定まっていなかった。911以来のテロ騒ぎの中で経営難が続いているアメリカの航空業界は、どこも7E7を買おうとしなかった。最初の数十機分の買い手が定まらなければ、7E7開発は断念に追い込まれる。

 ボーイングは、ここでも日本をだしに使った。日本の国内線市場は、世界的に見ても大きな航空機市場だ。日本航空は世界最大級のボーイングの顧客である。日本では2009年に羽田空港の沖合展開で滑走路が増設され、過密だった羽田の発着枠が増える。まさに7E7のような中型機の需要が増えるとみたボーイングは、12月の自社の取締役会の前に、日本航空システムや全日空が7E7を買うことを決めさせようと売り込んだ。

 11月下旬、ボーイングの副社長が東京に乗り込んできた。航空機製造の「夢」を果たさせてやる見返りに、日本の航空会社に7E7を購入予約させよ、と日本政府に圧力をかけつつ、日本航空と全日空を訪問した。(関連記事

 東京で記者会見したボーイングの副社長は「2社は7E7に大いに関心を持ってくれた」と語り、その後12月17日の取締役会で7E7の開発が決定された。ボーイングは13年ぶりに、ようやく新型機を開発することになった。だが翌日、日本航空は「7E7をすぐに買える経営状態にない」と通信社に対してコメントし、購入の見通しを否定した。日本航空も全日空も、簡単に新型機の購入を決められるほど余裕のある経営状態ではないのだった。(関連記事

▼ボーイング縮小の真空を埋めるアジア勢の可能性

 世界的には、今後最も伸びそうな旅客機の市場は中国である。日本はボーイングが政治力を使って動かせる相手なので、7E7の開発に株主からのゴーサインをもらうため、日本に狙いをつけたにすぎないと思われる。

 とはいえ日本にとっては、ボーイングの変質によって新たな可能性が生まれている。現在のボーイングは軍事産業部門が最大の利益を出しているが、国防総省が絡んだ大きなスキャンダルが暴露され始めており、ボーイングでは12月にCEOだったコンディット以下数人の経営陣が辞任に追い込まれている(この件は事件が進展したら詳しく書く予定)。今後、事態の推移によっては、ボーイングが防衛産業から追放される可能性もある。

 そうなると、社としての信用の失墜を受けて7E7も失敗し、ボーイングは旅客機事業も終わってしまうかもしれない(それは、ボーイングそのものの終わりにつながる)。旅客機の主要メーカーは欧州のエアバスだけになる。

 今後、世界で最も航空機需要が伸びるのは、中国を中心とするアジア地域である。日本は、その中の主要国である。そして、これまでアジアを支配してきたアメリカに、航空機メーカーがなくなる可能性がある。ボーイングがなくなったら、日本はエアバスの下請けをするのか。それだけが選択肢ではないだろう。日本と中国、韓国などの重工メーカーが組み、エアバスのようなアジアの航空機メーカーを立ち上げることも可能なはずだ。

 経産省が「航空機国際共同開発促進基金」などを作って日本の航空機メーカーを支援してきたのは、そのようなスケールの大きな夢を実現するためだったはずだ。アメリカという戦後の日本にとっての「瓶のふた」が外れつつある今、そうした夢がかなう可能性も大きくなっている。ボーイングがかなえてくれる7E7の夢など大したものではない。

▼近隣諸国を大切にする国家運営への転換

 今後、アメリカ国内のテロ騒ぎが終息して航空旅客が戻ってきたら、ボーイングの旅客機部門は生き残るだろう。だが、ボーイングはここ数年、会社の主軸を旅客機から軍事産業に移しており、本社機能も、旅客機部門があるシアトルから、軍事産業の発注元であるワシントンにより近いシカゴに移転している。もはやボーイングには、旅客機に賭ける意欲があまり見られない。

 航空機製造は高い技術や政治的な売り込み能力を必要とする難しい産業だが、一方で事業を安定させられれば利幅は大きい。これまで協調の経験が少ない東アジア諸国が連合して自前の航空機産業を立ち上げるのは簡単ではない。だが、エアバスも創業当時は「弱者連合」だった。1972年に最初の旅客機A300を完成したときは、関係国の国営航空以外の買い手がおらずボーイングから馬鹿にされたのに、今では立場が逆転している。(関連記事

 航空機製造以外にも、東アジア諸国が協調できる分野はたくさんありそうだ。今後、こうした東アジアの多国間協調を行う場合に重要なのは「日本が中心になる」という気負いを(少なくとも他国の人々には)見せないことだ。技術力や資金力は日本の方がまだ上かもしれないが、成長の可能性は中国の方が上である。対等さを強調することが大切だ。

 日本の言論界には、中国や韓国を敵視する傾向が強い。月刊の評論誌にはそのような論調が目立つ。だが、こうした論調は、日本の将来を考えると馬鹿げている。中国人や韓国人が嫌いだ、という日本人の民族意識を自制するのは難しいかもしれない。どこの国民も、近隣の民族が嫌いなことが多い。だが今やアメリカの大資本家さえも、アメリカ本国より中国の方が経済成長の可能性があるといって上海になだれこんでくる時代である。今後の日本の経済発展の可能性を考えれば、中国や韓国など近隣諸国を大切にする国家運営、アジアが協調して儲ける戦略こそが、日本の採るべき道であるはずだ。

 その一方で日本には、アメリカの単独覇権が今後長期的に続くことを前提とした論調も多いが、これもまた、アメリカで巧妙な言論操作が続けられていることに対して無防備な、のんきな見方だと思える。アメリカは自国の弱体化を隠すために「先制攻撃」に象徴される覇権戦略を打ち出している可能性がある。そのような可能性に注目して日本の将来を考えると、アメリカの動向を注意深く見てアメリカを敵に回さないようにしつつ、アジア諸国との協調体制を強化することが望ましいということが見えてくる。



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