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アフガニスタンの通貨戦争

2002年6月21日   田中 宇

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 アフガニスタンでは現在、少なくとも3種類のお金(紙幣)が使われている。お金の単位はいずれも「アフガニ」で、3種類のうち2つはお札の外見もほとんど同じなのだが、米ドルなどと交換する際の価値は大きく異なっている。

 現在のアフガニスタンの公式通貨とされているのは「ドラティ」(Daulati)とか「カブール紙幣」「ラバニ紙幣」などと呼ばれている紙幣で、発行者はかつて大統領だったブルハヌディン・ラバニの勢力である。

 アフガニスタンは1979年からソ連軍に占領されていたが、90年にソ連軍が撤退、92年にゲリラ組織「ムジャヘディン」がカブールに残存していたソ連寄りの政権を倒し、ムジャヘディン指導者の一人であるラバニが大統領となった。ドラティ紙幣は、このラバニ政権下で印刷・流通が始まった。

 その後、ムジャヘディンの指導者間で対立が深まり、アフガニスタンは内戦に陥った。96年にタリバンが北部をのぞくほぼ全土を制覇し、それまで相互に敵対していたラバニらムジャヘディン各派は北部に撤退し「北部同盟」として再結集した。タリバンは北部以外の地域を統治し始めたが、自前の新紙幣を発行せず、それまで流通していたラバニ紙幣をそのまま新政権の通貨として使い続けた。

 タリバンは中央銀行を作らず、銀行の設立も認めなかった。彼らは独自の基準で「異教徒的」と判断した制度や習慣を強制的に廃止したが、通貨の発行や流通管理も異教徒的な行為とみなしたのだと思われる。ところが、すべての通貨の流通を禁じてしまうと、タリバン自身の物資調達にも困るので、以前から流通していたラバニ紙幣の存在を黙認せざるを得なかった。

(イスラム教では利子の徴収を禁じているが、通貨の発行や融資などの金融行為そのものは制限されていない。イスラム諸国では、手数料など利子以外の方法で融資の見返りを設定するイスラム金融が発達している。中東は伝統的に商業や金融が発達した地域で、預言者ムハンマド自身をはじめ、イスラム教徒の中には当初から商人も多かった。タリバンが通貨の発行・管理を禁じたのは、イスラム教の本来の教えから離れた独自の判断だったと思われる)

▼ラバニ紙幣とドスタム紙幣

 ラバニらの勢力は、カブールからアフガン北部に撤退する際、紙幣の印刷用原版を持ち出した。タリバンがパキスタン傘下の組織だったことに対抗してロシアが北部同盟を支援し、ラバニ紙幣はモスクワで印刷されるようになった。

 北部同盟は間もなく、タリバンがラバニ紙幣を使い続けていることに乗じた新作戦を開始した。モスクワで刷ったラバニ紙幣の新札を大きな袋に詰め、それを持った北部同盟の要員が山間の抜け道を通り、前線を越えてタリバン支配下のカブールに行き、闇市の両替屋で米ドル札に換えて北部に戻る、ということを繰り返した。タリバン支配地域で流通する紙幣を急増させてインフレを引き起こし、経済難に陥れようとする作戦だった。

 ラバニ政権がカブールを撤退する前に刷った紙幣は、通し番号の冒頭の部分が1から34までだったが、印刷所をモスクワに移して印刷を再開した新札には35以上の数字がついていた。タリバンはしばらく後になって攪乱作戦を仕掛けられていることに気づき、通し番号の冒頭が35以上の紙幣は無効だと宣言した。

 この結果、通し番号35以上の紙幣はタリバン支配地域では使われなくなったが、北部同盟は自軍の兵士の給料支払いなどにこの紙幣を使い続けたため、流通し続けた。

 この紙幣は今も流通しており「ジュンビシ」(Jumbishi)とか「ドスタム紙幣」と呼ばれている。ドスタムというのは北部同盟の有力な将軍の名前で「ジュンビシ」はドスタム将軍が作った組織「国民イスラム運動」の略称である。北部同盟内で、ドスタム配下の勢力が新札を使ったタリバン攪乱作戦を行ったのでドスタム紙幣と呼ばれるようになったのではないかと思われる。

 通し番号が1から34で始まるものがアフガニスタンの現在の公式通貨であるドラティ(ラバニ紙幣)で、35以上のものがジュンビシ(ドスタム紙幣)ということになるが、話はここで終わらない。タリバンに通し番号の違いを気づかれた後、北部同盟側は通し番号の冒頭を1−34の間に設定して紙幣を刷り直し、カブールに持ち込み続けたからである。

 この結果、通し番号が1−34であっても公式通貨ではない紙幣が存在するようになり、これらは紙幣の手触りやインクの色の微妙な違いなどで見分けるしかなくなった。ジュンビシは、ドラティの半分の価値を持つお金として流通している。

 このほかアフガニスタンでは、ソ連系の勢力が支配する前の1973年まで在位していた国王(ザヒル・シャー)の政権が発行した紙幣も流通している。また、96年にタリバン政権ができるまでパキスタンの傀儡勢力として機能していたヘクマティアル将軍の勢力が発行したラバニ紙幣のニセ札なども、一部の地域で価値を持ったお金として流通している。

▼再内戦を予測する将軍たち

 2001年11月、米軍の攻撃を受けてタリバンがカブールを放棄し、組織を解散してアフガニスタン・パキスタン国境の山岳地帯に撤退した。その後カブールには、アメリカなどのテコ入れで、12月に現在のカルザイ政権が作られた。

 カルザイ政権は、アフガニスタンを安定させたい「国際社会」の支援を受けて運営されている。アフガニスタンを安定させるには、これまで内戦の作戦の一つとして乱発されていた通貨を一新し、中央銀行を設立して新通貨を発行し、ドラティやジュンビシなどといった従来の紙幣と置き換え、通貨制度の混乱を収拾することが重要だと思われる。

 ところが、カルザイ政権が成立して半年たち、国会にあたる「ロヤ・ジルガ」が開催されてカルザイの続投が決まったのに、いまだに従来の紙幣が使われ続けている。かたちだけの中央銀行が設立されただけで、通貨発行の予定は立っていない。なぜなのか。

 その理由として考えられることの一つは、カルザイ政権が北部同盟を主体として作られており、北部同盟を構成するラバニやドスタムが、自分たちの紙幣発行権を手放すことに反対している以上、新通貨に切り替えることができないということである。

 北部同盟は、タリバンが登場するまで自分たちの間で内戦を続けていた経緯があり、内部が一枚岩ではない。タジク人、ウズベク人、ハザラ人など、血縁・地縁が異なるいくつかの勢力が「反タリバン」という一点で呉越同舟的に結束したのが北部同盟である。

 カルザイ政権を牛耳っているのは、雑多な北部同盟の中でも「パンチャシル系」と呼ばれるタジク人の勢力である。この勢力は、カブール北方のパンチャシル渓谷の氏族であり、911の直前に暗殺されたマスード将軍を中心としていた。

 マスードはロシアやイラン、インド、そしてブッシュ政権になってからはアメリカにも支援された、北部同盟で最有力の将軍だった。マスードが生きていたら、カルザイではなくマスードが新政権の最高指導者になっていただろう。パンチャシル系の勢力は、カルザイ政権の国防大臣、内務大臣、外務大臣という主要な3つの閣僚ポストを握っている。

 北部同盟の中でパンチャシル系と並んで有力なウズベク人のドスタム将軍は、以前からの地盤である北部の町マザリシャリフと周辺地域を支配し、かなりの軍事力を持っているにもかかわらず、カルザイ政権では国防副大臣という二流の職位しか与えられていない。

 ドスタムは、カルザイ政権には敵対こそしないものの、いつでも関係を切れる状態にある。カルザイ政権が長続きせず、アフガニスタンはいずれ再び内戦に陥ると予測し、そのときに備えて紙幣の発行権を含む自分の力を保持する戦略だと思われる。元大統領のラバニ(タジク人)も、カルザイ政権にまったく参加していない。

▼消えたドル化計画

 とはいえ、これらの北部同盟の勢力が通貨切り替えに反対しても、アメリカが通貨切り替えを表明すれば、反対勢力を黙らせることができるはずだ。そもそも紙幣の印刷原版がモスクワにあるのだから、アフガン政策でアメリカと歩調を合わせているロシア政府がその気になれば、従来紙幣の発行はすぐに止められる。

 今年1月、IMFの担当官がカブールを訪れた際、カルザイ政権に非協力的なラバニやドスタムが新札を刷れる現状の通貨体制を放置したら、インフレが激しくなると警告した。これを受けてカルザイ政権の中央銀行総裁が暫定的に米ドルを通貨とする構想を持ち出し、ドラティなど従来の紙幣はやがて無効になると発表した。

 この発言でドラティの対ドル相場は急落したが、しばらくすると元に戻った。アメリカ政府が、ドルをアフガニスタンの通貨にすることに反対し、ドル化構想が消えたからだった。これ以来、アフガニスタンの通貨制度を改革する具体案は出されていない。

 アメリカは、カルザイ政権を全力で支援しているような態度をみせつつ、実は安定した政権を作ろうとするカルザイに協力していない部分が大きい。通貨のことだけでなく、治安維持に関してもそれがいえる。

 アフガニスタンの軍事的な現状は、地縁・血縁で結束する各地の地域勢力がそれぞれに武装して群雄割拠する状態で、日本の戦国時代に似た状況だ。カルザイ政権は首都のカブール市内だけが勢力範囲で、しかも独自の軍隊を持たず、イギリス軍などに率いられた国際治安支援部隊に治安維持を担当してもらっている。

 カルザイとしては、欧米や国連などに頼んで国際治安支援部隊を拡大してもらい、カブール以外の各地域に陣取る地元の軍事勢力の武装解除を進め、それと平行してカブール政府に忠誠を誓うアフガニスタン国軍を新設したいと考えている。日本で戦国時代を終わらせるために「刀狩り」という武装解除を行ったようなものである。

▼弱いカルザイ政権を望む米軍事勢力

 この計画には国連も賛同し、アメリカ政府の中でもパウエル国務長官ら「中道派」は賛成した。ところがラムズフェルド国防長官ら「タカ派」(好戦派)が強く反対し、結局今でも国際治安支援部隊はカブール市内だけを担当し、カルザイ政権の統治範囲はカブール市内に限定された状態が続いている。

 アメリカの好戦派がこうした選択をするのは、カルザイ政権を弱い状態に置いておく方が、米軍にとって利益となるからではないかと思われる。アメリカがカルザイ政権に最低限の支持を与えている限り、アフガニスタンの体制は何とか保たれているが、その手綱を放したら、再びアフガニスタンは内戦に陥ってしまう。

 米軍にとっては「テロリスト」の勢力がアフガニスタンなどの国家そのものを牛耳るのは困るが、テロリストがまったくいなくなっても自分たちの出番がなくなるので困る。アフガニスタンの政府が弱い状態で維持されていれば、常にアフガンの国のどこかで反米テロリストが活動し、米軍がアフガン周辺に居座る理由もなくならない。

 アメリカのタカ派は、アフガニスタンだけでなく、パキスタンのムシャラフ、パレスチナのアラファトなどに対しても、同様の「生かさず・殺さず」の戦略を採っている。

 アフガニスタンのお金は、政府公認のドラティ札でも、最高額面の1万アフガニで20−50円ほどの価値しかない。数百ドル以上の高額の取引には、1万アフガニを1000枚束ねて縛ったかたまりがやりとりされる。

 渡された何千枚もの紙幣の中に、価値の低いジュンビシやその他のニセ札が混じっていないかどうか、一枚ずつ素早く確かめることが両替商人の仕事である。アフガニの為替相場は不安定で急落も多い。公的な為替市場が存在しないので、うわさ話で相場が急変する。紙幣の真贋を確認している間に相場が変わってしまったりする。アフガニスタンの通貨制度が変わる予定がない以上、両替商の仕事も当分は変化しないだろう。



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