オクラホマ爆破事件と911(2)2002年2月25日 田中 宇この記事は「オクラホマ爆破事件と911(1)」の続きです。 連邦ビル爆破事件の真相究明に首を突っ込んだデービス記者とシッパーズ弁護士にとって、2つの事件は単に似ているだけではなかった。2人は、連邦ビル爆破から6年後、911テロ事件が近づくにつれ、再び事件の奇怪な裏側を見ることになった。 シッパーズ自身がラジオインタビューで明らかにしているところによると、911事件が起きる2ヶ月前の2001年7月、ミネソタ州とシカゴのFBI捜査員からシッパーズに「ロアーマンハッタンを狙ったテロ攻撃が計画されている」と連絡が入った。 (関連記事) ミネソタ州のFBI捜査員はすでに書いたとおり、「20番目のテロリスト」と呼ばれたザカリアス・ムサウイをいったん拘束しながら、上部の消極姿勢に阻まれて詳しい捜査ができなかったことが分かっている。シッパーズに連絡してきたのは、その捜査員だったと思われる。 シッパーズは、デービス記者と会ってオクラホマ爆破事件の真相究明に首を突っ込んで以来、上から捜査を潰されているFBI捜査員たちの代弁者になっていた。議会がこのFBI捜査員たちを証人喚問し、捜査員たちがテロ計画の存在について証言すれば、捜査を止めている政府の上層部も態度を変えざるを得ないだろう、という戦略だった。 ところが、シッパーズが電話でこのことを話しても「分かった。検討して返事を出すから少し待っててくれ」と言ったまま返事をよこさない議員ばかりだった。 シッパーズは、ワシントンの政権がクリントンからブッシュに交代したことは事件の真相究明にもプラスだと思っていた。軍やCIAといったテロ事件を防ぐ政府機関は、民主党より共和党と親密だったので、クリントンはテロ事件の捜査に消極的なのだろう、と思われていた。 だからシッパーズは、政権がブッシュに代わり、共和党議員から司法長官になったアシュクロフトなら動いてくれるだろうと考えた。だが、ここでも「担当者から電話させる」という返事で、電話は二度とかかってこなかった。 (関連記事) ▼オクラホマ事件の容疑者がボストンの空港で勤務していた? 同じころ、95年にオクラホマ事件の発生を警告する報告書を書いた議会顧問のボダンスキーのところにも、911のテロを警告する情報が入ってきていた。またデービス記者のところにも海軍の情報担当者などからテロ計画の情報が入り、それらはシッパーズにも伝えられた。 シッパーズによると、事件発生の1ヶ月前の段階で、すでに9月11日という日付も分かっていたし、実行犯の一部については名前も分かっていた。 オクラホマ事件の取材で浮上した中東系の男たちの中には、その後ボストンのローガン空港とシカゴのオヘア空港に勤務し、それぞれ空港に自由に出入りできる立場におり、それが911テロ事件に関与しそうなことも分かった。 また、シカゴの金融機関にアラブの過激派政治組織「ハマス」(イスラム抵抗運動)の資金があり、その金がテロ計画に使われているため、FBIの捜査員が口座を凍結しようとしたが果たせなかったことも判明した。 (関連記事) (これと関連するかもしれないこととして、シカゴのハリス銀行には、ビンラディン一族とロックフェラー一族との共同口座が存在するという情報もある) (関連記事) シッパーズがラジオ出演で話したところによると、9月11日の朝、最初のハイジャック機が世界貿易センターに激突する15分前、デービス記者のところに中東系の訛りがある男の声で電話がかかってきて「テレビをつけてみろ」とだけ言って切れたという。 またテロ事件が起きた後、かねてから情報源にしていた海軍の諜報担当者からも電話があり「このテロ事件は、オクラホマの事件を起こしたのと同じ連中がやったんだ」「君は自宅にいては危険だからどこかに身を隠せ」と伝えてきたという。 (関連記事) シッパーズが言っていることは、911に関してマスコミで報じられてきたこととかけ離れており、にわかには信じがたい。だが彼は連邦議会の司法委員会という重職に就いている弁護士で、その発言は信頼できるものだともいえる。 シッパーズの発言内容が事実だとしたら、オクラホマと911と両方のテロ事件を起こした「アメリカ政府公認」のテロ組織が存在していることになる。そのテロ組織は「イラク系」で、ハマスやビンラディンなど「イスラム過激派」ともつながっている。 「イラク系」といっても、サダム・フセインの指示で動いているわけではなく、逆に、サダムの敵であるはずの米当局に「不逮捕特権」を与えられている組織ということになる。 ▼モハマド・アッタが主犯ではない? こうしたことを、911をめぐる他の情報と重ね合わせて考えてみると、さらにいくつかの推論が展開できる。その一つは、911事件の主犯格についてである。 実行犯の中には、モハマド・アッタらドイツ・ハンブルグの大学に留学していたアラブ系の学生たちと、そのほかの正体不明のサウジアラビア人たちの2系統があり、主犯格はドイツからきた学生たちだったとされるが、わずか1年あまりでハイジャック機を見事に操れるようになるはずがない。 そうではなくて、オクラホマ事件の隠された関係者である「アメリカに亡命してきた元イラクの軍人たち」が911のハイジャックにも関与していたとしたら、どうだろうか。イラク人もサウジアラビア人も、民族としては同じアラブ人であり、サウジアラビアのパスポートを持たせれば、米国内でサウジ人のように振る舞うことは可能だろう。 シッパーズの説を採るなら、オクラホマ事件の単独犯人とされて死刑になったティモシー・マクベイは、実は犯行の下っ端にすぎなかった。これと同様に911事件では、モハマド・アッタたちドイツ留学組は実は下っ端だったのだが、本当の主犯格を隠すために、アッタたちだけがクローズアップされたのではないか、と推測できる。 ニューズウィークやワシントンポストが、テロ事件から4日後の9月15日に軍幹部の話として報じたところによると、ペンシルバニア州に墜落したUA93便の実行犯の2人と、貿易センター南棟に激突したUA75の実行犯の中の1人は、1990年代にフロリダ州のペンサコーラ海軍飛行隊基地で飛行訓練を受けていた外国人リストの中に名前があった。3人は、いずれもサウジアラビアの旅券を持っており、持っていた免許にも基地内の宿舎の住所が記されていた。この基地では以前から、同盟国の軍関係のパイロットに訓練を施している。 (関連記事) 米当局の報道管制の中で、このことに関する報道は、その後途絶えてしまっている。 ▼ケネディ暗殺から続く「敵を使った暴力政治」 アメリカの当局が、サウジアラビア人でないのにサウジアラビアのパスポートを持っている人々をアメリカに自由に入国させていたことは、過去にも起きている。 アフガニスタンにソ連軍が侵攻していた1980年代、サウジアラビアでは自国民以外のムジャヘディン・ゲリラたちにもサウジの旅券が発給されており、在サウジのアメリカ領事館では旅券の所有者がサウジ人ではないと知りつつも渡米ビザを発給し、アメリカ国内でゲリラとしての軍事訓練を施していた。 当時アメリカでは、ニカラグアやキューバなどラテンアメリカの社会主義諸国の反政府ゲリラに対し、CIAが反政府テロのやり方などの軍事訓練を施していた。その訓練施設をムジャヘディンにも使わせたのではないかと思われる。 サウジのジェッダにあるアメリカ領事館でビザ係として働いていたマイケル・スプリングマンというアメリカ人が、国務省上層部が自分に命じたムジャヘディンに対する渡米ビザ発給を「不正行為」だと感じてジャーナリストに伝え、このことが明らかになった。 (関連記事) アメリカの当局は1980年代から、自国内でテロリストを養成しており、ラテンアメリカの人々だけでなく、中東のイスラム過激派の人々も、その「卒業生」だった。 1959年のキューバ革命後、アメリカではCIAが中心になり、フロリダなどに亡命してきたキューバ人たちにテロ訓練をほどこし、南米から麻薬を密輸させて軍資金を作り、密かにキューバに再入国させてカストロ政権を倒そうとしたが失敗している。 ところがこのテロ訓練は、意外なところで「成果」を挙げた可能性がある。1963年のケネディ大統領暗殺である。ケネディは、カストロ政権転覆を目指すCIAの秘密作戦(ピッグス湾事件)が危険すぎるとして作戦内容を大幅に制限し、その結果作戦は1961年に失敗したが、CIAの中にはケネディが自分たちの組織を潰そうとしていると危機感を持っていた人がたくさんいた。 米当局が「敵」を倒すためにテロ訓練をほどこした人物が、正反対に「味方」に向かってテロ行為を行い、そのテロ事件の真相が隠蔽されてしまう、という流れは、ケネディ暗殺、オクラホマ爆破事件、そして911テロ事件まで、綿々と続いているとも考えられる。
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