アメリカを助けるオサマ・ビンラディン2001年9月27日 田中 宇今年初めにエジプトのカイロを訪れたとき、印象深かった光景の一つが、朝の通勤ラッシュ時の地下鉄の車内だった。かなり混んでいる車内で、イスラム教の聖典であるコーランの本を熱心に読んでいる人が何人もいたからである。 ネクタイとスーツ姿の男性は、つり革につかまって立ちながら分厚い文庫本のようなコーランを読んでいた。黙読するというより、小さな声で音読しているようで、唇が動いていた。座席に座っていたOL風の女性は、もっと小さな豆本のコーランを読んでいた。 ドアの脇に立っていたノーネクタイの開襟シャツの若い男性は、チャックのついたビジネスダイアリーのような人工皮革のカバーの中にコーランを入れていて、それを開けて読んでいた。私の周囲の半径3メートルぐらいの混雑する車内に、コーランを読んでいる人が数人はいた。書いてあることを理解するために読むというより、唱えるという感じで読んでいた。 エジプトは、宗教と政治を分離した国家運営が行われている世俗主義の国だ。信仰は個人の自由に基づいており、その点では日本や欧米に似ている。しかも、エジプトは貧富の格差が大きい国だ。朝地下鉄に乗って通勤する人々は中産階級で、エジプトの人々の中では比較的欧米風の生活を享受している階層だと思われる。外資系企業に勤める人も多いに違いない。そう考えると、朝のラッシュの地下鉄の中で、こんなにたくさんの人々がコーランを読んでいるのは驚きだった。 エジプトでは、青年海外協力隊の若い人々とお会いする機会があったのだが、そこで聞いた話からも、エジプトの人々の多くが熱心なイスラム教徒であることがうかがえた。エジプト第2の都市アレキサンドリアでは、アラビア文字のカリグラフィ(毛筆文字)を描く地元の青年のところに連れて行ってもらった。駅の裏手の庶民的な地域に住む、あんちゃん風の青年が描くカリグラフィの多くは、コーランの一節などイスラム教に基づくものだった。 ▼人々に支持されないイスラム原理主義 しかし、エジプトには熱心なイスラム教徒が多いものの「イスラム原理主義」や「イスラム過激派」を支持する人は多くない。カイロの地下鉄でコーランを読んでいる中産階級の人々は、西欧的な合理主義や個人主義、男女平等、民主主義などの価値観を好む傾向が強い。それは、東京や大阪で朝のラッシュの地下鉄に乗る人々と変わらないだろう。 それだけに、それらの価値観を「西欧キリスト教世界」の産物だとして拒否する、いわゆる「イスラム原理主義」の考え方や「アメリカ人を皆殺しにせよ」と言っているオサマ・ビンラディンのような考え方を嫌っている人が多い。私が話を聞いた都会のエジプト人はそう考えていた。(イスラム原理主義の組織が根拠地にしているのは、ナイル川上流の貧しい農村地帯など) イスラム原理主義に基づく政権は、すでにイランやアフガニスタンで実践されたが、国民に豊かな生活を与えることができないでいる。そのことも、人々がイスラム原理主義を嫌う原因となっている。 イスラム教を盛んにすることで社会を良くしようとする運動は、一般に「イスラム復興運動」とか「イスラム主義」と呼ばれている。その中には、「イスラエルがある限りイスラム社会は良くならない」「アメリカの影響力が大きいと中東は良くならない」と考え、その手段として暴力を使っても良いと考える人々もいる(欧米や日本で「イスラム原理主義」と呼ばれる人々)。 エジプトにおけるイスラム復興運動の初期は、1928年に生まれた「ムスリム同胞団」で、彼らは当時のエジプトを支配していたイギリスに仕えた政府要人を暗殺するなど、テロリズムにも手を染めた。1997年にルクソールで日本人観光客らの殺害事件では、同胞団の流れを組む組織「イスラム集団」が犯行声明を出している。 しかし、イスラム復興運動の大半は、地道で穏健なものだ。貧しい人々に救済の手を差し伸べねばならないとするイスラム教の教えに忠実になろうと、貧しい人々が住む地域に病院や孤児院を建てる運動などがその例だ。 こうした穏健な「イスラム復興運動」とテロリズムを行う人々とを一緒にして「イスラム原理主義」と呼ぶのは、企業の組合活動もボランティアの市民運動も、全部「左翼」だから「過激派」だと言うのと似ている。 ▼アメリカとの対決に巻き込まれる人々 逆に、9月11日にアメリカで起きた大規模テロ事件から感じられるのは、熱心なイスラム教徒だが、過激なイスラム原理主義も嫌いだという、カイロの中産階級のような中東の人々を、イスラム原理主義の人々が率いるアメリカとの対決に巻き込もうとする意図である。 パレスチナ紛争やイラクに対する経済制裁を見ている中東の人々は、アメリカに対してあまり良い感情を持っていない。アメリカそのものは嫌いではないのだが、アメリカが中東に対して行っている外交政策は、自国の都合を一方的に押しつけるものと感じている。そんな中で今回のテロ事件が起き、アメリカは挙国一致で「報復」する姿勢を見せている。アメリカ側が、犯人を特定する証拠がほとんどないままアフガニスタンを攻撃すれば、中東を中心とするイスラム世界の人々の反米感情が高まるだろう。 そうした状況下でテロリストが第2弾の行動をアメリカで起こし、それに対する再報復をアメリカが行うという展開になった場合、もともとは過激なイスラム原理主義者を嫌っていた中東の穏健派の人々は、穏健な主張を続けることが許されなくなり、過激な方に引きずられてしまう。 そうなると、これまで「親米」を掲げてきたエジプトやサウジアラビア、ヨルダンなどの政府に対する国内からの攻撃も強まり、イスラム原理主義勢力による政権転覆につながりかねない。それこそオサマ・ビンラディンが目標としてきた「中東に純粋なイスラム教の政治を行う統一政府を作る」ことが実現してしまう。 おそらく、大テロ事件の直後はすぐにでもアフガニスタンにミサイルを撃ち込みそうに見えたアメリカ政府が、テロ攻撃から2週間たっても表だった軍事行動を起こしていない理由の一つは、サウジアラビアやエジプトなどの政府首脳がアメリカに対して「あなた方が無茶をすると私の政府が倒され、反米政権になってしまいますよ」と言って、早まった攻撃を慎むよう懇願したからだろう。 ▼オサマもサダムもアメリカを助けている? 今回の事件がオサマ・ビンラディンの指示によるものかどうか分からないが、私がカイロで会ったエジプト人の学校の先生は「オサマ・ビンラディンもサダム・フセインも、アメリカCIAの意を受けてやっているんですよ」と言っていた。「このことは、エジプト人のかなりの部分が感じていることだ」とも語っていた。(このことはカイロ在住の日本人の中東研究者の方からも聞いた) ビンラディンは、アフガニスタンに行って対ソ連戦を支援していた時代にCIAと接触があった。このことは、アメリカは否定しているが、イギリスの情報関係者が認めている。またフセインは、イラクの政権を取る前にカイロに亡命していた時期があり、その時期にCIAと接触したという。 2人とも一時はCIAと接触したとしても、その後は反米に転じていったから今では敵味方ではないのか、と思ったが、話を聞くうちに、少なくとも観念的には「オサマとサダムはアメリカの正反対に位置する敵となることでアメリカを助けている」という考え方は成り立つと思うようになった。 オサマやサダムがいるばかりに、中東では自立した穏健な政治体制が育たず、常にアメリカに頼らざるを得ない不安定な政権ばかりになってしまっている。中東で安定が続けば、イスラム教の考え方に基づきつつ西欧合理主義を取り入れた新しいイスラム社会のあり方が生み出され、経済的に豊かで自由なイスラム社会が作れるかもしれない(日本は100年以上前に、すでにこの手の融合をやっている)。しかし、現実の中東では不安定な状態が続き、過激な論調か、目先のカネ目当てのアメリカ依存しか選択肢がない。 アフガニスタンのタリバンも、1994年に国内統一の戦いを始めた当初は、ゲリラどうしの内戦を終わらせてアフガニスタンを統一したいと考える集団だったのに、1996年にオサマ・ビンラディンが亡命してきてしばらくすると、急にアメリカの敵として仕立てられてしまっている。 オサマの考え方は非常に観念的で「中東的」ではなく、むしろアメリカ人的な合理主義の考え方に近い。だからオサマは「アメリカの代理人」のように見受けられる、と言う人もいた。 オサマやサダムと、アメリカの右派とが結託して「文明の衝突」の構造を作り出し、中東のイスラム世界が500年前までのようにヨーロッパ文明をしのぐ発展をすることを防いでいる。そうエジプトの知識人は考えているのだった。
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