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戦争を準備するイスラエル

2001年7月23日   田中 宇

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 イスラエル軍は7月20日、海外在住のユダヤ人を対象に、予備兵の募集を開始すると発表した。ニューヨーク、ロンドン、バンコクなど、10万人以上のユダヤ人が住んでいる世界の9ヶ所の都市に新兵募集事務所を開くという。イスラエルでは、男女ともに徴兵義務を課しているほか、40万人以上の予備兵がいる。そこに海外在住者の予備兵が加わることになる。

 イスラエルは海外在住、特にアメリカ在住のユダヤ人から政治力や資金面で多くの支持を受けて成り立っている。海外での新兵募集開始は、アメリカなどの在外ユダヤ人社会に対して「戦争が始まるから準備してくれ」というメッセージになっている。

▼オスロ合意の屍の上に出てきた主戦論

 イスラエルが準備している戦争とは、アラファト議長が指導者となっているパレスチナ自治政府を相手とするものだ。

 「パレスチナ人国家」を設立することで和解を図ろうとする「オスロ合意」が1993年に締結されて以来、アメリカの仲介でイスラエル政府とパレスチナ代表部との和平交渉が続けられたが、その交渉期限が過ぎた後の昨年夏、駆け込み的に最終合意までこぎつけようとして失敗した結果、オスロ合意の枠組みそのものが葬られることになった。

 その後、紛争解決への方向性が失われたまま、イスラエルでは「パレスチナ人との和解」を目指す左派政治家(バラク前首相ら)への支持が失われ、代わりに「パレスチナ人の反抗を厳しく取り締まり、パレスチナ人国家も認めない」とする右派政治家の力が強まり、その中からシャロンが首相となった。

 一方パレスチナ側では、イスラエルと戦って奪われた領土を取り戻そうとする「ハマス」などイスラム主義武装組織によるテロ活動が活発になった。それを取り締まるため、イスラエル軍は「やられたらやり返す」という報復的な方針を掲げるようになった。

 ハマスが爆弾テロを行ったら、報復としてイスラエル軍がヘリを使ってハマスの幹部が乗った車を攻撃して殺すとか、西岸地区の要衝の地を占拠して入植地を作っているイスラエル人が殺されたら、報復としてイスラエル軍がその周辺地域のパレスチナ人の住宅を何10軒かブルドーザーで壊すといったやり方である。

 こうしたイスラエル軍の報復作戦は、パレスチナ側からのさらなる報復を呼び、それが次第にエスカレートした結果、イスラエル側では右派の人々を中心に「パレスチナ自治政府を潰さざるを得ない」という主戦論が強まり、戦争準備が進められることになった。

▼戦後処理に失敗して再び戦争へ

 しかしそもそも、パレスチナ自治政府とは、イスラエルがアラブ諸国に圧勝してパレスチナ人地域(ヨルダン川西岸地域とガザ)を占領した1967年の中東戦争の後、イスラエルにとっては「占領した地域に住む余計な人々」となったパレスチナ人の反抗に手を焼いた結果「パレスチナ人に最低限の自治を与えて小さな国家を作り、自分たちでテロ管理をさせ、イスラエルに歯向かわせないようにしよう」と考えて作られたものだ。

 いわば、パレスチナ人のミニ国家を作るというオスロ合意の考え方は、中東戦争の「戦後処理策」である。しかもパレスチナ人は、イスラエルの圧勝によって家を追われた「戦争難民」だ。イスラエルは、30年以上前に自分が勝った戦争で難民になった人々に対する戦後処理がうまくいかないので、難民集団に向かってもう一度戦争を仕掛けようとしているのである。

 パレスチナ人国家の構想は、アメリカのクリントン政権が考案し、テロリストの親玉として犯罪者扱いされていたPLOのアラファト議長をオモテの世界に引っ張り出して「自治政府」のトップに据え、イスラエルに交渉相手を作ってやった(それまでパレスチナ人の代表だとイスラエルが認める組織は存在しなかった)。自治政府の警察部隊には、イスラエルが武器を渡して訓練をほどこした。

 そして、オスロ合意に従い、イスラエルが統治していた西岸地域のうち、パレスチナ人が密集して住んでいる市街地は自治政府が統治する地区(A地区)として引き渡し、イスラエル側が統治する地区(C地区)、その間のB地区(パレスチナ人の統治下だがイスラエル軍は入れる)という3つの地域分けを行った。パレスチナ人の密集地域をうろうろするのはイスラエル兵にとって危険なため、A地区の治安維持をパレスチナ自治警察に任せたのである。

 ところが、昨年に和平交渉が破綻して以来、パレスチナ自治警察とイスラエル軍との関係が悪化し、A地区からB・C地区に向かって、パレスチナ人武装組織がイスラエル軍やイスラエル人入植者を攻撃することが増えた。イスラエル軍は自らが決めた地区分けを守っている限り、A地区には入って行けず、攻撃拠点を潰しに行けない。そのため「戦争」が必要となった。イスラエル軍の戦車がA地区に侵攻するということである。

 イスラエルの戦車がA地区に侵攻すれば、パレスチナ自治警察が撃ってくる。そうなるとイスラエル軍は「防衛のため」と称してパレスチナ自治警察を全滅させることができる。それはパレスチナ自治政府の崩壊を意味し、アラファト議長は殺されるか、どこか外国に亡命することになる。これが、イスラエル右派が考えている戦争のシナリオであろう。

▼六日戦争の神のご加護を再び・・・

 アラファトをパレスチナ人の代表として担ぎ出したのはアメリカである。だからアラファトは、アメリカやイスラエルの要求になるべく応じようとしてきた。そんな彼がいなくなった後は、もっと強くイスラエルとアメリカに敵対する人が指導者になる可能性もある。

 だがその一方で、アメリカがアラファトを担ぎ出すまで、パレスチナ人を代表する強い指導者は一度も出現したことがなかった。そういう歴史的な経緯から考えると、アメリカが作ってくれたパレスチナ人国家の枠組みがなくなったら、パレスチナ人たちは自分たちでそれを再構築できず、自らを代表する組織を持たないオスロ合意以前の姿に戻ってしまうかもしれない。

 イスラエルにとって「戦争」は外交的なパワーにもなりうる。1967年の第三次中東戦争(六日戦争)を「再来」させるという期待が、イスラエル右派の主戦論に込められているように思える。

 イスラエルの先制攻撃の前にエジプト、シリア、ヨルダンが次々と屈した第三次中東戦争の完勝は、イスラエル内外の多くのユダヤ人たちにとって「神がイスラエルを守っている」という、宗教的直観を感じさせたといわれている。それまでイスラエルの建国を支持していなかった欧米などのユダヤ人の中には、第三次中東戦争の圧勝ぶりを見て、イスラエルを支持するようになった人も多い。

 アメリカの中枢では「イスラエルにはアラブ諸国に言うことを聞かせるだけの力がある」と見る人が増え、アラブ産油国を統御するのにイスラエルを使うという戦略が生まれた。イスラエルはアメリカの大事な同盟国となり、イスラエルロビーが力をつけるようになった。

 それから30年、イスラエルはこのところ、パレスチナ人の人権問題をめぐり、ヨーロッパ諸国から次第に強い非難を受けるようになっている。ベルギーでは、シャロン首相が軍人時代にレバノン南部のパレスチナ人難民キャンプ(サブラ・シャティーラ)における虐殺事件を起こした責任があるとして、パレスチナ人遺族がシャロンを「戦争犯罪人」として認めさせる裁判を始めている。

 アメリカではブッシュ政権が、中東の石油利権を守るため、最低限の中東情勢への関与は行う構えは見せているものの、オスロ合意体制の失敗後、中東政策の大枠をどう作っていくか決めかねている。

 イスラエルが「戦争」を起こせば、イラクのサダム・フセイン大統領が中東の英雄になることを目指し、再び華々しくイスラエルやアメリカに敵対する活動を始めるだろう。再びクウェート侵攻をほのめかすかもしれない。エジプトやサウジアラビアなどでもイスラム主義の人々が「インティファーダ」を強化し、政府が下手に弾圧しようとすれば、すっかり親米になっているエジプトやサウジの政府も攻撃の対象にされかねない。

 こうした状況下、アメリカはイスラエルをなだめる外交をせざるを得なくなるのなら、イスラエルの「主戦論」のシナリオは外交的な効果をあげることになる。



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