日本の政変とアメリカの東アジア戦略2000年11月27日 田中 宇3ヶ月ぶりにアメリカから日本に一時帰国してみると、政変が起きていた。自民党の加藤紘一氏が、首相の座を森さんから奪おうと決起して失敗し、不発に終わった不信任決議案の提出日に、私はボストンから東京に戻ってきた。 私は国際情勢を専門に書いているので、国内情勢、特に政治のことについては詳しく調べたことがない。だから東京の政変について、この「国際ニュース解説」で展開するのは筋違いのようにも思える。だが東京にきて、政治に関心があるメディア関係者などとのお喋りの中で「加藤さんがなぜこの時期に決起したのか、理由がよく分からない」といったような話を聞くうちに、ある一つのことを思い出した。 それは、ボストンを発つ直前に出席した日本人の会合での光景だった。ハーバードやMITなど、ボストン周辺の大学院に留学しに来ている日本人が200人ほど集まる立食パーティ(JAGRASS主催)が11月17日に開かれ、そこでハーバード大学における日本研究の第一任者といわれるエズラ・ボーゲル教授が講演をした。 その中でボーゲル氏は「自民党の加藤さんが首相になればよいと個人的には思っている」という趣旨の発言を行った。自民党の若手政治家の名前を何人か挙げ「先日も東京を訪れて官僚や政治家と会ったが、日本の若いエリートは優秀だと感じた」などと語り、政治の世代交代と官僚制度の組織改革が必要だと主張した。 彼が列挙した政治家の名前を聞いて、私の近くに立っていた一人の参加者が「みんなハーバード留学経験者じゃないか」と、ひとりごとにしてはやや大きな声で言った(ボーゲル氏に対する批判に聞こえた)。確かに、加藤氏は外務省に勤務していた昭和40年代初めにハーバードの大学院で学んでいるし、ボーゲル氏が名前を挙げた参議院議員の林芳正氏も平成6年にハーバードのケネディ行政学院に留学している。 ▼生臭い象牙の塔 ハーバード大学の教授たちは一般に、意外と政治的に「生臭い」。たとえばこんなことがあった。 10月上旬、ユーゴスラビアで暴君といわれたミロシェビッチ大統領が選挙で敗れ、より民主的だと思われるコシュトニツァ政権が誕生した。その数日後、ハーバードのケネディ行政大学院の教室で、ユーゴの首都ベオグラードと国際電話をつないで討論会が行われた。 電話の向こうにはベオグラード市長やコシュトニツァ新大統領の外交アドバイザら、選挙前は野党だった民主化勢力の人々。こちら側は大教室に100人ほどの学生や研究者が集まり、教壇にはハーバードの教授ら3人のパネラーが座り、教室のスピーカーとマイクに電話をつないで対話した。 討論会は、アメリカ側のパネラーが「おめでとう」と言い、ユーゴ側が「あなた方の協力のおかげです」というやり取りで始まったが、その時に印象深かったのは、アメリカ側のパネラーたちがベオグラードを頻繁に訪問し、民主化勢力にアドバイスを与え続けてきたという事実だった。ユーゴ側は「先日はお会いできて良かった。またきてください」といった謝辞を述べていた。 ユーゴが選挙で民主化を成し遂げるまでには、アメリカは空爆を行い、それでもミロシェビッチ政権が崩壊しないため、野党勢力に対して資金供給や戦略立案などの面で協力し、選挙の勝利に導いたと報じられている(外国から献金を受けることはユーゴでも選挙違反だろうが、相手が「暴君」ならかまわないということか)。そうやってミロシェビッチを政権から降ろしたアメリカの戦略の中で、ハーバードの教授たちが重要な役割を果たしたことがうかがえた。 ハーバード大学では毎日のように開かれている国際情勢について講演や勉強会(セミナー)では、このユーゴをめぐる座談会に象徴されるように、人権侵害や反米姿勢の政権を倒したり改革したりすることが、教官たちの目的になっていると感じられることが多い。研究テーマについての客観分析に重点を置いている日本の大学とは、かなり目的が違うように思われる。 こうしたハーバードの政治的な体質に触れた私は、講演や発表会を聞くたびに「この分析は、どのような意図に基づいてなされているか」と考えるようになった。だからエズラ・ボーゲル氏が「加藤紘一が首相になるのが良い」と述べたときには「加藤氏の党内クーデターは、アメリカ政府の意志に沿ったものだ」と感じられたのだった。ハーバードの教官たちの習性からして、ボーゲル氏は個人的な感想を述べたとは思えなかった。 ▼日本の消極外交を変えたいアメリカ アメリカが日本に政変を期待したのなら、その理由は何なのか。アメリカの東アジア戦略は今、冷戦時代の敵対から、現状維持を前提とした経済主導の体制へと変化を続けている。北朝鮮に対する宥和策や、5月に台湾にできた陳水扁政権に対して「台湾独立」を宣言しないよう、アメリカ政府高官が説得/威嚇したことなどがその表れだ。 そんな中でアメリカ政府から見ると、日本は経済では国際化してきたが、外交面では消極的な姿勢を続けているのが目立つようだ。最近クリントン政権の東アジア政策の立案者の一人が講演したが、彼は「普通の国になってほしい(東アジアで応分の外交負担をしてほしい)」「日本は中国と仲良くしてほしい」と語っていた。 また元韓国KCIA高官はセミナーで「日本は北朝鮮との国交を正常化してほしい」「日本政府がこだわっている拉致問題は、北朝鮮をめぐる国際的な枠組み全体の中では、小さな問題だ」などと語った。彼は、日本政府が北朝鮮との関係を結びたくないがゆえに、拉致問題にこだわる姿勢を貫いているとみていた。 日本の外交を積極姿勢に変えるはどうすればいいか。アメリカ留学経験を持つ自民党リーダーに決起をうながし、政変が成功したらすぐにアメリカがサポートする、というシナリオが考えられても不思議ではない。加藤紘一氏は外務官僚の出身で、親中国派として知られている。このシナリオは私の推測でしかないが、「加藤政権」が誕生していたら、日本は積極外交に転じ、アメリカのアジア戦略に対するサポートを強めただろう。 その加藤氏の党内クーデターは失敗したが、日本が中国や韓国と協調を強める流れ自体は、現実のものとなっている。シンガポールで開かれたASEAN拡大会議では日韓中の関係強化が合意されたが、これもその一環であろう。とはいえ、これだけで日本の外交が積極化するとは言い切れない。根本的な変化が見られない場合、また政変が起きるのかもしれない。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |