米大統領選挙(2)優等生とドラ息子2000年11月2日 田中 宇この記事は「ディベートで決まる米大統領選挙」の続きです。 アメリカのハーバード大学は、優等生の学校である。それも、日本の東大などとは少し種類が違う。東大に入るにはガリ勉をして、テストで良い点を取れれば良いのだろうが、ハーバードはガリ勉だけでは入れない。学業の成績以外に、高校時代にクラブ活動や地域貢献、生徒会などの分野で活躍し、リーダーシップをとったかどうかが、入試の際に問われる。そのためハーバードの学生の多くは頭が良いだけでなく社交的で快活、他人に気を使った振る舞いもできる、いわば「マルチ優等生」である。 (ただし、これは大学の学士過程の話。大学院の方は、いったん社会に出たプロたちが戻ってくる学校であり、別の雰囲気を持っている) 私が最近「これぞハーバード型優等生だ」と感じた人物がいる。大統領候補のアル・ゴアである。彼は1969年にハーバードを卒業したが、彼はスピーチやディベートの能力が高く、快活で、弱者を思いやるリベラルな思想を持っているように見えた。ハーバードがあるマサチューセッツ州は、大学が多いこともあり、自由とヒューマニズムを重視する民主党の支持者が多いが、ゴアは父親の代からの民主党の政治家で、その意味でもハーバードの気風と一致している。 対立候補のジョージ・W・ブッシュは、ゴアとは対照的な人格を持った人である。彼が卒業したイエール大学も名門ではあるのだが、新入生の時の彼の成績は下から20%に入っており、友人たちとの飲み会やテニス、デートなどに明け暮れていた。大学を卒業し、故郷のテキサスに帰ってからもプレイボーイとして知られ、後に大統領になった父親の人脈を借りて石油ビジネスを手掛けるも、2回も会社を倒産させ、父親のコネを重視した同業他社や金融機関から助けてもらっている。その意味で彼は「政治家のドラ息子」であり、政敵たちは彼の資質に疑問を投げかけていた。 とはいえブッシュもまた、ハーバードで学んだ経歴を持っている。大学卒業後、兵役と家業のビジネスを少し手伝った後、卒業するのが難しいといわれるハーバードのビジネススクールに入って学位をとっており、無能なドラ息子ではない。 彼がハーバードにいたのは1970年代の前半で、学内ではベトナム反戦運動が盛んで、学生の多くは共和党のニクソン大統領を嫌っていた。保守的な共和党の政治家の息子であるブッシュにとって、リベラルな民主党の牙城であるハーバードは居心地が悪かったに違いない。当時の友人はCNNの取材に「ジョージは学内のインテリ系スノッブや社会派スノッブを嫌っていた」と答えている。「スノッブ」とは「高慢な人」といった意味で、自らの完璧さを感じているハーバードの優等生たちは、往々にして自信過剰でスノッブになってしまう。ブッシュはそんなハーバードの気風が嫌いだったようだ。 ▼貧弱だった大統領候補の討論会 この2人の大統領候補が10月3日に最初にディベートをした時、私はハーバードのケネディ行政大学院の学生食堂にある巨大スクリーンで、テレビ中継を見ていた。 民主党の英雄ケネディ元大統領の名前がついたこの大学院は、ハーバードの他の学部同様、学生のほとんどは民主党を支持しており、学食に集まった100人以上の観衆は、ゴアがブッシュの弱点を攻撃するたびに、拍手や歓声をあげ、ブッシュが反論すると不機嫌そうな声をあげていた。(若者はどこの国でもリベラルで反保守だから不思議はないのだが) ディベートでは、ゴアがブッシュを圧倒していた。ゴアはブッシュの減税政策が金持ちしか優遇しないと、数字を挙げてくり返し指摘した。それに対してブッシュは「あいまいな算術のまやかしでしかない」と口ごもりながら反論したが、数字を挙げて具体的に反論することはできなかった。私は「やっぱりブッシュはドラ息子でしかない」と感じた。 ところが、ディベートから数日後の支持率調査の結果は、ブッシュがゴアより優勢になってしまった。ディベートの直前まで、ゴアが優勢だったのが、逆転したのである。アメリカ国民の多くはブッシュの無能さよりも、ゴアの高慢さが鼻についたようだ。 大統領選挙のディベートの後には、テレビの評論番組や新聞が、候補者の発言内容や態度などを細かく何回も分析し、テレビは特徴あるいくつかの短いシーンを何回も放映する。国民はそれを何日も見るうちに、自分が最初にディベートを見たときとは違う印象を持つようになる。上手に発言できないブッシュの言葉が終わるやゴアが反論をまくしたてるシーンが何回も放映され、ゴアが高慢だという印象につながったのだろう。 この「ドラ息子」と「高慢な優等生」との討論には、失望させられた人が多かったようだ。私が聴講している大統領選挙に関するケネディ大学院の授業で、教官が「ディベートの勝者はどちらだと思うか」と学生たちに尋ねた際、一人が「両方とも負けです。副大統領候補のどちらかが大統領をやった方が良い」と返答し、笑いながらそれに同意する人がけっこういた。 大統領ディベートから2日後の10月5日に行われたリーバーマン対チェイニーの副大統領候補のディベートは、相互の個人攻撃を避け、政治的な経験に長けた2人による円熟した「大人の討論」が展開された。多くの人に感銘を与えた副大統領候補の討論に比べると、大統領候補どうしの討論は子供の喧嘩のようであった。 ▼二枚舌が引っかかるゴア ゴアは高慢なイメージから脱却するため、10月11日の2回目のディベートでは、ブッシュを攻撃する時でも最初に同意できる部分を述べてから反論するようにした。だが、もともと両者の政策の違いが少ないため、この戦略では反論の効果が薄れ、焦点のボケたディベートとなってしまった。 失敗に懲りたゴアは、10月17日の3回目のディベートでは再び攻撃的な姿勢に戻ったが、毎回違う雰囲気を見せたため視聴者に不信感を持たれ、ゴアは支持率を落とした。ブッシュはゴアの失敗のおかげで支持を伸ばした。 ゴアが二枚舌であるという批判は、たとえばアメリカの世論を長く二分してきたテーマの一つである妊娠中絶に対する姿勢についてもいえる。彼は大学生のころはリベラルで中絶を積極的に認めていたが、故郷のテネシー州に戻って下院議員に立候補する際、宗教的な意味から中絶に反対する保守派の人が選挙区に多いことに合わせ、中絶反対の立場をとるようになった。 その後、上院議員になって選挙区だけでなく全米の趨勢に合わせる必要が出てくると、再び中絶容認に傾き、今回の選挙では中絶に対して自分よりやや消極的なブッシュを「女性の人権を重視していない」と攻撃した。 タバコの問題も、同様の傾向を持っている。ゴアの実家はタバコ農家で、周辺もタバコ栽培が盛んな地域である。そのためゴアはタバコ農家の権益を守る立場をとっていたが、上院議員から副大統領になるにつれ、全米の流れである禁煙を推進する姿勢を強めるようになった。 そして一方で地元からの不満を抑えるため、姉がタバコの吸いすぎから肺ガンで死んだ時のエピソードを感動的に語り、禁煙の推進は姉の死という個人的な体験によるものだと人々を納得させた。ゴアのスピーチは感動的だが、その裏にある事情と重ね合わせると、感動によって聴衆の理性を失わせる戦略が見えてくる。 ▼アメリカは世界の警察官をやめるか 2人の大統領候補者の政策には、あまり大きな違いがみられないが、それでもあえて、どちらが当選した方が世界のためかを考えてみると、私にはブッシュの方が良いように感じられる。 その一つの理由は、世界への関与のしかたである。ゴアはクリントンと同様に、世界の「平和維持」や「人権保護」の役割をアメリカが果たし続ける道を選ぶと思われるが、クリントン政権がこれまで中東やバルカンなどで行ったその手の活動は、的外れで本来の目的を果たせなかったものが多い。 そのため、アメリカは世界に対して余計なお節介をしない方がいいと私は思うのだが、ブッシュはディベートで「バルカンの治安は欧州軍に任せ、米軍は撤退を検討する」という趣旨の発言を行い、中東和平問題でも「アラブ諸国との良い関係も維持する」と述べ、イスラエル一辺倒を修正する可能性をみせるなど、各地で反米感情を煽っているだけの今の世界戦略を変えることを示唆している。 もう一つは地球環境問題である。ゴアは10年以上前から、この問題をアメリカの政治の課題にする努力を行い、ある程度成功しているが、地球環境問題はいまだに科学的な原因究明が終わっていないものが多く、それを政治的な問題にしてしまうことは危険である。 「地球温暖化京都会議への消えない疑問」、「終わらない遺伝子組み換え食品の安全性論議」、「アフリカのエイズをめぐる論争」など、以前の記事にも書いたが、世界には「科学のふりをした政治」が横行しており、ゴアが大統領になったら、アメリカがその傾向を強める懸念がある。 とはいえ、ブッシュが当選したらどんな大統領になるかも、今の時点ではほとんど見通しがつかないので、ブッシュを明確に支持するのが良いとも思えない。アメリカの有権者の多くが、どちらに投票したらいいか決めかねているが、どちらの候補が当選したらどうなるかが分からない以上、それは無理もないことといえる。
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