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ディベートで決まる米大統領選挙

2000年10月30日   田中 宇

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 1960年のアメリカ大統領選挙は、現職の副大統領だった共和党のニクソンと、上院議員だった民主党のケネディとの戦いであった。接戦だったが、9月末の世論調査では、ニクソンが数ポイントのリードをしていた。

 4年に一度のアメリカ大統領選挙は、11月上旬の投票日までに何回かの公開政策討論会(ディベート)が行われる。1960年9月26日に行われたケネディとニクソンの第1回討論は、テレビで放映された初めてのディベートであった。

 当時のニクソンは、ディベートを重視していなかった。ニクソンは顔色が良くないので、事前に日焼け用のランプで人工的に顔を少し焼いておいた方がよいと側近から忠告されたが、必要ないとして断った。そしてディベートの直前にひざを痛めた上、当日にディベート会場に向かう車の乗り降りの際、そのひざを再び打ってしまった。

 長い間の直立を強いられるディベートの最中、彼はひざの痛さを我慢せねばならず、ニクソンの青白い顔はいっそう不健康にテレビに映った。この討論会は6600万人がテレビで見たが、人々はニクソンの発言内容より、不健康な顔つきや、ひざの痛さをこらえるため演説台にしがみつく姿を、脳裏に焼き付けてしまった。

 対するケネディは43歳の若手で、マリンスポーツが好きな彼は日焼けして健康そうに見えた。防衛や経済の政策を落ち着いて話すケネディの姿は人々に好感を持たれ、ディベート後の世論調査は一転してケネディが優勢となった。

 ケネディはニクソンに比べてずっと無名だったが、ディベート後の優勢は投票日まで変わらず、ニクソンを僅差で破って大統領に当選した。ケネディは3年後に暗殺されたが、彼はテレビが生んだ大統領の第一世代となった。

▼ますます重要になったテレビ映り

 ケネディとのディベートの失敗は、ニクソンに大きなショックを与えた。ニクソンはその後1968年の選挙に勝って大統領となり、72年にも再選されたが、二度とディベートを受けて立とうとはしなかった。ディベートは法律で定められた行事ではなく、候補者どうしの合意によって開かれる。ニクソンが74年にウォーターゲート事件で大統領を辞任するまで、ディベートなしの大統領選挙が行われた。

 2大政党の大統領候補者が、次にディベートを行ったのは、76年のカーター対フォードの時だった。民主党のカーター(元州知事)は、現職の副大統領だった共和党のフォードよりも事前の認知度や支持率が低かったが、ディベート後は支持率が逆転し、結局カーターが勝利した。その次の80年はレーガン対カーターで、このときも同じパターンだった。元州知事のレーガンは、再選をめざす現職大統領のカーターよりも優勢にディベートを進め、勝利につなげた。

 元俳優のレーガンは、大統領になってからもテレビを使ったイメージアップをはかり、ホワイトハウス(大統領官邸)での定例記者会見で毎回、大統領がシャンデリアと赤いカーペットの優雅な廊下をさっそうと歩いて登場するシーンから映してもらえるよう、会場を設定した。

 私は日本にいる間はレーガンは大国主義で嫌いだったが、この2カ月間アメリカに住み、レーガンを紹介するテレビ特集をいくつか見るうち、感じ方が変わった(11月の大統領選挙に向けて、さまざまなテレビ特集が放映されている)。彼が魅力的な人物に見えるようになり、彼の温和な表情とウイットの効いた話しぶりが、米国民を引きつけたのだと感じるようになった。

 日本などでは、アメリカ大統領の講演を長時間放映しないし、断片的に映る大統領の映像も、音声が翻訳で本人の実際の話し方のニュアンスは分からない。そのため政策の善し悪しで大統領を評価できる。だが地元アメリカでは、大統領が絶え間なくテレビに登場するため、政策よりも話し方や表情の方が視聴者にインパクトを与えるのだろう。

▼会場の温度から演台の高さにまでこだわる

 1988年のディベートでは、民主党のデュカキス候補が死刑廃止問題の議論で「あなたの奥さんが強姦されて殺されたとしても、犯人が死刑になることを望みませんか」と司会者に尋ねられた際、冷静に答えすぎたために「人間らしい感情にとぼしいのではないか」と思われて評価を落とした。

 この選挙でにデュカキスに勝ったのは共和党のブッシュだったが、彼も1992年には、ディベート中に2度も自分の腕時計を見たため、マイナスイメージを与えてしまった。(彼は民主党のクリントンに敗れた)。

 デュカキスやブッシュの失敗は、ディベート全体の中のほんの一瞬のことだったが、録画されたそのシーンは投票日までのテレビ番組で何十回と放映されて強調され、国民の頭に刷り込まれて、選挙結果を左右するに至った。こうした作用を恐れ、今では候補者たちが数ヶ月前からディベートの準備を行うようになった。テレビの普及により、ディベートが大統領選挙の最重要イベントになったのである。

 ディベートが重視されるのは、有権者が候補者の人間性を確かめることのできる数少ないチャンスだからだ。候補者について知る方法としては、各地で開かれる政治集会やテレビコマーシャル、マスコミの記事などもあるが、いずれも候補者の人間性は、選挙用に作られたものでしかない。ディベートなら、事前に展開を予測できないだけに、素顔の候補者を見ることができる。採用試験の面接のようだという人もいる。

 アメリカ大統領選挙の歴史を見ると、接戦の時ほどディベートが重要な役割を果たしている。今年のゴア対ブッシュ(2世)の戦いもその一つで、1960年のケネディ対ニクソン以来の大接戦といわれる。共和・民主両党とも中道の政策をとるようになり、今回の選挙では両党の違いを明確にしにくいため、特にディベートでの印象が選挙結果を左右するだろう、と前から予測されていた。

 そのため双方は、ディベート会場の場所から、会場の温度や演台の高さにいたるまで、細かな点にこだわって対立した。会場の温度に関する論争は、ディベート中に汗をかいてハンカチでふく光景を見られたくないためで、華氏65度(摂氏18度)で決着がついた。

 ゴアより背が低いブッシュは、自分の演台をゴアより少し低くするよう求めた。テレビ映りを良くしたい戦略だったが、ゴア側が了承せず、実現しなかった。半面、高いディベート技能を持つといわれるゴアは、マイクを演台に固定せず、襟につけるワイヤレスマイクにすることを主張した。発言の際に舞台上を歩けるようにして、パフォーマンスで視聴者を引き付けたい戦略だったが、ブッシュ側の反対で実現しなかった。

 10月3日にボストンで行われた1回目のディベートでは、ブッシュ陣営がボストンを会場にすることを渋った。ボストンはケネディ大統領の出身地で、会場の近くにはケネディの記念館もある。ケネディは民主党であり、ボストンは民主党支持者が多い。共和党のブッシュは「ケネディ効果」を恐れたのだった。

▼必死のディベート練習

 また両陣営とも、半年ほど前からディベートの準備を始めていたことが、報道から明らかになっている。ブッシュは自宅があるテキサス州の牧場に、ゴアは96年の副大統領選挙戦でも利用したフロリダ州の海洋実験所の施設を使い、それぞれディベートの本番そっくりの環境を作り、練習をした。ゴア陣営は、会場の温度まで本番ときっちり同じにするため、聴衆の体温がどれだけ会場の温度を上げるかまで調べたという。ゴアの几帳面な性格を表す逸話といえる。

 練習環境で最も重要なのは、ディベートの敵方を誰にやってもらうかということだ。共和党のブッシュ陣営でゴア役を務めたのはグレッグ上院議員(Judd Gregg)で、まじめで堅苦しそうな感じがゴアと似ているために選ばれた。グレッグは、96年にゴアがクリントンの副大統領候補として再選出馬した際も、ゴアの対抗馬だった共和党ケンプ候補のディベートの練習相手を務めた。

 ゴア陣営でブッシュ役を務めたのは、元議員のダウニー(Tom Downey)だった。ダウニーはブッシュに扮するため、プロの俳優用のレッスンに通い、ブッシュがよく言葉の意味を間違って使う点まで、本物そっくりに振る舞えるようにした。

 両陣営とも、ディベートの練習は秘密裏に行った。練習を必死に行っていることが相手陣営に分かると警戒されるので、双方の広報担当者はディベートをあまり重視していないような発言を行ったりした。そこまでしていたのに、両陣営の練習の内容が明るみになったのは、一つの陰謀的な事件が起きたからだった。

▼ビデオの罠を回避したゴア陣営

 第1回ディベートを3週間後に控えた9月13日、ゴア陣営のディベート練習でブッシュ役をつとめるダウニー元議員の事務所に小包が届いた。中身はビデオテープと資料の束で、ビデオを再生してみると、そこには本物のブッシュとゴア役のグレッグ上院議員がディベートの練習をしているシーンが映っていた。本来、敵方のブッシュ本人と選挙参謀たちしか見ることのできないビデオである。

 資料の束は、ブッシュのために作られたと思われるディベート対策マニュアルで、「ゴアの発言に頭にきたら、反撃するのは1−2分待つこと。そうればゴアの態度は変わる」などといったアドバイスが無数に並んでいた。資料の冒頭には「お役に立ちそうな資料をお送りします。数日後にお電話しますので、他の資料も必要でしたらお申しつけください」というメッセージが印字されていた。

 これは罠だと感じたダウニーは、ビデオと資料をそっくりFBIに渡した。また自らが事件に巻き込まれて疑念をかけられるのを防ぐため、マスコミにこの出来事を発表するとともに、ゴアに疑念が及ばぬよう、ディベート練習でゴアの相手役をすることを降りた。

(小包を送ったのがブッシュ側の誰かだとしたら、それはゴア陣営がブッシュのディベート戦略について知りたがっていることに付け込んだ罠だったと思われる)

 FBIは、問題の荷物が9月11日にブッシュ陣営の事務所があるテキサス州オースチンの郵便局から発送され、その郵便局の防犯ビデオに、ブッシュの選挙参謀の事務所で働く職員が映っていることを突き止めた。だが職員は関与を否定し、郵便局に行ったのは別の荷物を送るためだったと証言している。

 この事件の真相は選挙後まで判明しないと思われるが、両陣営がいかにディベートを重視し、敵方の情報を知りたがっているかが、事件によって明らかになった。そして事件が発表されたことにより米国民は、両陣営がディベートの練習をどのように行い、誰が相手役をつとめているかまで知ったのだった。

(続く)



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