他の記事を読む

変わるユーゴスラビア(下)

2000年10月23日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 10月14日、ユーゴスラビア連邦とセルビア共和国の首都であるベオグラードで、人気サッカーチーム「レッドスター」と「パルチザン」の試合の最中に、双方のサポーターが乱闘を始め、多数の負傷者が出た。

 この2つのチームの反目は、サッカーを超える理由があった。パルチザンは10月6日に辞任したミロシェビッチ大統領の系列のチームである一方、レッドスターは新たに大統領となったコシュトニツァ氏を擁立した野党勢力との結びつきが強く、乱闘はサッカーに名を借りた政治紛争の意味合いが強かった。

 報道によると「パルチザン」のサポーターが先に乱暴したとされ、大統領を追われたミロシェビッチ氏の勢力による騒乱作戦だったと考えられている。前大統領の勢力は、辞任後も警察などに影響力を持ち、新政権を転覆させるための方策を打つのではないかと懸念されているが、今のところサッカーファンの乱闘など小ぜり合いのレベルを超える、直接的な攻撃は起きていない。

▼ミロシェビッチ退陣を望まなかったコソボの人々

 こうした意外にスムーズな政権交代は、セルビアの人々を安心させているが、思わぬところに、この状況を喜んでいない人々がいる。その一つはコソボのアルバニア系住民(アルバニア人)である。セルビアからの独立闘争を続けてきた彼らにとって、ミロシェビッチは宿敵であり、その退陣は普通に考えれば喜ぶべきことだろうが、コソボ指導者の多くは逆に、セルビアの民主化はコソボの独立にマイナスだと考えている。

 昨年、コソボのアルバニア人が独立運動を強め、それをミロシェビッチの軍隊が弾圧し、多くのアルバニア人が周辺国に避難した。アメリカは「人権外交」の一環としてNATO軍を率いてセルビアを空爆し、経済制裁を行った。だがこの展開は、NATOの支援を利用してコソボのアルバニア人がセルビアから独立してしまう可能性を生んだ。

 コソボのアルバニア人が独立すれば、隣国のマケドニアでも、少数派のアルバニア人が武器を持って独立闘争を起こす事態に発展しかねない。欧米は「人権侵害」を止めさせるための軍事介入が、国内紛争の一方の当事者を支援するだけの結果に終わることを恐れ、コソボの独立を認めなかった。

 その代わり、空爆を通じてセルビアの国内政治状況を変えてミロシェビッチを退陣に追い込み、セルビアの政権をコソボに強攻策をとらないものに交代させ、コソボにはセルビア国内の自治州として残らせるという方針をとった。

 ところが、アメリカのこの計画は失敗した。セルビアではむしろ、空爆を行ったアメリカや西欧に対する反感が強まり、ミロシェビッチに対する国民の支持は落ちず、コソボの分離独立派に対して寛容に接するべきだとの世論も盛り上がらなかった。昨年3月に始まったNATOの空爆は、3ヵ月後にミロシェビッチがコソボから軍隊を撤退させたため終わり、代わりに国連軍がコソボに駐留したが、その後コソボ問題は解決できず、行き詰まった。

▼次はコソボのアルバニア人が悪者になるか

 コソボのアルバニア人は、この機を利用して独立への道を進んだ。コソボの住民は8割がアルバニア人、2割がセルビア人だが、独立派はセルビア系住民に対する殺害や攻撃を散発させ、セルビア人をセルビアへ避難するように仕向けた。欧米は、この追い出し作戦を「報復的な人権侵害」と非難したが、セルビア人の村に国連軍が駐屯し、アルバニア人の攻撃から守るという防御策しかとれなかった。

 コソボでは国連保護下で自治が始まっているが、独立派は1−2年かけて、この体制を完全独立に変えようとしてきた。アメリカの敵であるミロシェビッチがセルビアを牛耳っている以上、国際社会もコソボの動きを黙認せざるを得ない可能性が大きかった。ミロシェビッチがいた方がコソボの独立が国際社会から支持されやすいため、97年のセルビアの選挙では、30万人のアルバニア系住民が、宿敵のはずのミロシェビッチに投票した。

 ところがそんな状況下で、ミロシェビッチが退陣した。新大統領のコシュトニツァは国粋主義者で、昨年には、NATOの空爆を受けて軍をコソボから撤退させたミロシェビッチの弱腰を強く批判した人物だ。コソボの独立を認めるとは思われない。

 しかも彼は、外国から警戒される「大セルビア民族主義」や、強いアメリカ攻撃を展開してきたにもかかわらず、これまでセルビア国内以外ではあまり知られていない人であるため、当選後、欧米からのウケがとてもよい。アメリカや西欧ではミロシェビッチだけを極悪非道の指導者として考える傾向が強くなってしまったため、それ以外の人物なら、誰が指導者になっても大歓迎するという姿勢になっていた。

 長いセルビア人との殺し合いを経た今、コソボのアルバニア人の多くは「セルビアからの完全独立」を強く望んでいる。欧米が命じる「セルビア国内に自治州として留まる」とう選択肢は、もはや受け入れたくない。一方、コシュトニツァと欧米とは、自治の度合については論議になるだろうが、「コソボはセルビア領内に留まる」という点では一致している。

 このままだと「セルビア側はコソボに自治を与えると言っているのに、アルバニア人は言うことを聞かず、身勝手だ」と国際的に批判・抑圧される展開になりかねない。追い詰められたアルバニア人が全面的な武力闘争を始めるか、それとも話し合いを続けるべきだと主張する指導者が人々を説得するか、2つの可能性がある。コソボのアルバニア人内部も「武闘派」(旧KLA)と「交渉派」に分裂しており、武闘派が交渉派を暗殺する事件も起きている。

▼モンテネグロに仕掛けられた民族紛争の種

 もう一つ、セルビアの政権交代をあまり喜んでいないのは、モンテネグロの人々である。モンテネグロはセルビアを中心とするユーゴスラビア連邦に、今でも参加している(セルビア以外の)唯一の国である。そもそも今回の政権交代は、ミロシェビッチがモンテネグロを巻き込んだ内戦を起こし、それをバネにして自らの人気を維持しようと画策して失敗したことが一因となっている。

 昨年夏、NATOの空爆を受けてコソボから撤退したとき、ミロシェビッチ大統領の力はかなり弱くなったとみられていた。アメリカはセルビアで彼に対抗する野党勢力に資金援助を行い、ミロシェビッチ政権の崩壊を早めようとしたが、野党勢力は分裂したままだった。

 ミロシェビッチ政権の特徴は「セルビア民族主義」「社会主義型の経済」「反米・反西欧」「独裁的な意志決定」といったものだが、反政府の指導者たちは、この4つのどれにどう反対するか、意見を集約できなかった。結局、セルビアの世論は「野党はバラバラで頼りないから、嫌だけどミロシェビッチでいくしかない」という状態が続いた。

 ミロシェビッチは、自らの支持が下がらないのを見て、もう一期大統領を続けられると考えた。彼は今年7月に憲法改訂を議会に提案し、認められた(議会は彼の支持者が強かった)。

 改訂の中身は、大統領の再選に対する制限をゆるめるとともに、これまで連邦議会が大統領を選出する間接選挙制だったのを、国民が大統領を選ぶ直接制に変更した。また、来年夏までに行う必要があった連邦の議会と大統領の選挙を9月に前倒しして、支持されているうちに再選を果たそうとした。

 この改訂には、もう一つ仕掛けがあった。従来は、連邦議会での各共和国の議席数は政治的に配分されていたが、これを人口比に変えることにした点である。連邦を構成する2つの共和国の人口は、セルビアが800万人なのに対し、モンテネグロは60万人(連邦全体の7%)しかいない。

 それまで連邦議会で何割かの議席を持っていたモンテネグロは、憲法改訂によって議席が大幅に減ることになり、モンテネグロでは連邦から離脱・独立すべきだとの世論が急に強まった。モンテネグロでは「独立派」と「ミロシェビッチ支持派」がそれぞれ3分の1ずつおり、改憲を機に相互の対立が悪化したが、これはミロシェビッチの狙いであった。

 モンテネグロで内戦が始まれば、コソボやボスニア紛争の時のように、セルビア国内では「分離独立派をやっつけて大セルビアを守れ」という民族主義が再び強くなり、ミロシェビッチは支持され、連邦選挙にも勝てる可能性が増すからだった。ミロシェビッチはこれまで10年以上、この手の戦略によって権力を持ち続けてきた。

▼ボイコットが選挙後に禍根を残した

 だが、モンテネグロの人々はその手には乗らなかった。同国のジュカノビッチ大統領は、9月の連邦選挙をボイコットするよう国民に呼び掛けたものの、流血の事態を避けるため独立するのは見合わせ、欧米からも賞賛された。

 一方セルビア国内では、バラバラだった野党勢力が、コシュトニツァに大統領候補を一本化することに成功した。候補が一本化できれば、アメリカ政府から選挙資金を得ることができるメリットもあったため、お互いの主張の違いは棚上げされ、「ミロシェビッチを倒す」という一点で結集した。ミロシェビッチは、モンテネグロに仕掛けた策略が成功せず、野党にも結束された結果、選挙に負けた。

 モンテネグロでは有権者の7割が大統領要請を受けて選挙をボイコットし、投票したのは3割のミロシェビッチ支持者だけだった。このことは、選挙後に問題を残すことになった。ユーゴ連邦から独裁者が消えたのは良いが、モンテネグロから新政権に参加できるのは「ミロシェビッチ派」だけになってしまったからである。

 残りの「独立派」と「中間派」は「ミロシェビッチがいなくなった以上、連邦から独立しても内戦にはならない」と考え、世論は独立へと傾くことになった。モンテネグロが独立したら、ユーゴ連邦はセルビア一国だけになって崩壊する。そうなると、連邦大統領になったコシュトニツァの権力も失われてしまう。連邦の下のセルビア共和国政府は、いまだにミロシェビッチ派が握っているため、モンテネグロの独立が再びセルビアの政情不安に結びつく可能性もある。

 コソボやモンテネグロの危機を回避するにはまず、旧ユーゴ諸国の関係や国境の問題を解決できる大きな国際会議を開く必要性がある。欧米も参加するそのような会議によって、広範囲な問題が話し合われ、今後のバルカン半島のあり方を決めることができるのではないかと考えられている。



●参考になった英文記事



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ