陰謀うず巻くメコンの秘境ラオス2000年8月14日 田中 宇東南アジアのタイとラオスの国境には、陸路での出入国が可能なポイントが4ヵ所ある。そのうち北の方から3つは、メコン川が国境線になっており、船に乗るか橋を渡って国境を越えるが、最も南のチョンメク−ワンタオ国境では、メコン川から離れたところに国境があるため、歩いて国境を越える。私は3年前の夏にラオスを旅行したとき、この地点から入国したが、とてものんびりした国境だったことを覚えている。 国境線の100メートルほど前でタイ側のタクシーを下りて道路を歩き、ゲートをくぐってラオス側に入り、さらにしばらく歩くとラオス側の乗り合いタクシー乗り場に着くというのが、この国境の越え方だった。国境ゲートのタイ側には、衣料品や日常雑貨などを売る露天市場が広がり、買い出しに来たラオス人で混雑していた。 ラオス人たちは身分証明書の提示もせず、国境を管理する係官の前を自由に行き来していた。外国人は入国管理事務所に立ち寄る必要があったが、国境につきものの両替商人や客引きなどはまったくいなかった。ここだけでなく、ラオスではどこの町にも観光客をカモにしようとする人種が全然いなかった。外国人に話しかけられると笑ってはにかむような、昭和30年代の日本人のような人々ばかりだった。 近くの町ウボンラチャタニから国境までのタイ側のタクシーは、ピカピカのトヨタ車で冷房が寒かった。道も広々とした立派な舗装道だった。ところがラオス側は未舗装でぬかるみだらけのガタガタ道、乗り合いタクシーは窓ガラスが閉まらない20年以上前のロシアの乗用車で、客を6人も乗せ、近くのパクセの町に向かった。そんな格段の経済格差はあれど、国境の商取引は活発で、ラオスもだんだんと豊かになりそうに見えた。 ▼最後の皇太子の仕業か? ところが今年7月上旬、この国境のポイントで、平和を打ち砕く大事件が起きた。完全武装した約60人の男たちがタイ側からこの国境を襲撃し、ラオス側の入国管理事務所に突入して係員らを人質にして立てこもり、かけつけたラオス軍と数時間におよぶ銃撃戦となった。襲撃犯のうち少なくとも5人が死亡し、28人がタイ側に逃げ帰ってタイ当局に捕まったが、残りはどこかへ逃げ去った。(人質は途中で解放された) タイで捕まった28人のうちラオス人は16人で、残りはタイ人だった。彼らの中に、フランスに亡命中のスリウォン・サワン元ラオス皇太子の関係者であることを示す文書を持っていた者がいた。そのためタイ当局は、襲撃犯は皇太子の復位を目指すラオス王党派のメンバーである可能性がある、と発表した。 ラオスには19世紀末にフランスの植民地となる前、南部と北部に一つずつ王朝があった。20世紀に入って世界的に民族的な独立運動が盛んになると、ラオスでも国王を中心とした独立した統一ラオス国家を作ろうとする動きが起こった。北部の古都ルアンプラバンにあった王家が、南部のチャンパサックにあった王家を統合するかたちでまとまろうとするもので、北部王家の最後の皇太子がスリウォン・サワンであった。 第2次大戦が始まると、日本がフランスをインドシナから追い出し、ラオスにも日本軍がやってきた。日本の後押しを受ける形でサワンの祖父が1945年4月にラオスの独立を宣言した。日本の敗戦後はフランスが戻ってきたが、1953年には再び独立国となった。 ところが独立後のラオスは、すぐに米ソの冷戦に巻き込まれることになった。ルアンプラバンの王室政府はアメリカ寄りとなったが、北部と南部には共産ゲリラ「パテト・ラオ」がいて、ベトナム共産党に支援されて反政府攻撃を展開した。 1975年にアメリカがベトナム戦争に敗れると、ラオスでも共産党(人民革命党)が政権をとり、王室政府は崩壊、その後サワン皇太子ら王族は亡命したり、新政権の収容所で死んだりした。それ以来25年間、ラオスでは比較的安定した社会主義体制が維持されてきた。 ▼よみがえる「秘密の軍隊」 25年前に終わったはずの政治激動の登場人物が再びうごめいていることを示す事件は、7月の国境襲撃だけではなかった。今年の3月以来、首都ビエンチャンや、南部の町パクセで、観光地や空港、バスターミナル、ホテル、市場などに爆弾が仕掛けられる事件が、毎月のように起きている。未遂もあるが、実際に爆発して何人かの犠牲者を出したときもある。 爆破事件は「モン族」の犯行の可能性があるとされる。モン族はラオスの人口の5%強を占めていた少数民族で、山岳地帯に住んでいるためゲリラ戦を得意とする。彼らの一部はベトナム戦争の際CIAに協力して「秘密の戦争」を戦った。 モン族は1930年代以来、有力者一族の中が分裂して2つの勢力が対立し続けたが、それは外部勢力に良いように使われ続けた。1940年代には、一方がフランスから厚遇され、他方は日本軍に取り込まれてフランス軍と戦った。戦後に日本が去ると、日本軍についていた勢力は共産軍(パテト・ラオ)と組んだ。1953年にフランスが去り、代わりにアメリカが出てくると、フランスについていた勢力はアメリカに使われ、CIAの「秘密の戦争」に協力した。 この戦争が「秘密」だったのは、ラオスなどインドシナ三国の独立を決定した1954年の国際協定(ジュネーブ協定)で、米ソ・フランスなど外部勢力はインドシナ各国に介入しないとの約束を取り交わしていたためだ。協定に反して、北ベトナムはラオス国内を通って南ベトナム反政府軍を支援する「ホーチミンルート」をひそかに建設した。これに対抗してアメリカは、モン族やタイ人を軍事訓練してラオスに送り込み、共産軍と戦わせる協定違反の秘密作戦を行った。 75年にアメリカがベトナムから撤退したため秘密作戦も終わり、CIAに協力したモン族はアメリカやオーストラリアに亡命した。今では25万人のモン族がアメリカに住んでいる。モン族の一部は、ラオスが社会主義国になった後も、北部の山岳地帯にこもって反政府ゲリラ戦を続けた。アメリカに亡命したモン族の中には彼らを支援している人も多い。 ▼運び込まれる武器やニセ札 彼らの戦いはこれまで細々としたもので、世界的な注目も集めなかった。ラオスでは「山賊」と呼ばれ、犯罪者集団として扱われていた。だがその彼らが、今年に入って活動を活発化させている。しかもアメリカからの支援を受けて、である。 今年1月には、米国籍を持った6人のモン族がタイからラオスに大量の武器を運びこもうとして、ラオス当局に差し押さえられた。また3月には別のグループが、約1億円分の偽造ラオス紙幣と、大量の武器を持ち込もうとして捕まった。 偽造紙幣は、世界各地で反政府勢力による経済戦争に使われている。経済規模が小さな国では、偽造紙幣を大量に持ち込んで使うことで通貨の流通量が増え、インフレを起こして経済を混乱させることができる。アフガニスタンやイラクなどでも、反政府勢力が偽造紙幣をばらまいているが、偽造紙幣を作れる国は限られており、大国が偽造紙幣を作って他国の戦争に介入している証拠となっている。 モン族が住む山岳地帯では、政府軍のチェックポイントが襲撃されており、ラオス各地での爆弾騒ぎと連動する形で事件が展開している。しかもアメリカの議会下院では今年5月、かつてCIAに協力したモン族のうち、タイなどに亡命したもののアメリカへの移住が認めれていない人々に関して、アメリカ移住の条件を大幅に緩和する法案が可決されている。 サワン皇太子の名前が出てくる7月の国境襲撃、今年に入ってのモン族の動き、それをサポートするかのようなアメリカ議会の動き、頻発する爆弾騒ぎなど、別々に起きている出来事を並べると、奥ゆかしいラオスならではの不透明な陰謀が展開しているようにも思える。サワン皇太子が今年に入ってアメリカや欧州諸国を回り、ラオスを「自由化」したいと説いているのも気になる。(訪米時の記事はこちら) ▼台頭してきた中国派の外務大臣 それではラオスをめぐる昨今の不穏な動きは、アメリカがラオスの政権を倒そうとしているのかといえば、それだけの単純な話とも思えない。ラオスの政府内も分裂して暗闘しており、その対立が昨今の騒動の背後に感じられるからだ。 現在のラオス政府を切る軸は三面ある。「親ベトナム」対「親中国」(中国とベトナムは同種の社会主義国ながら犬猿の仲だ)、「南部出身者」対「北部出身者」、「老人」対「若手」の三つである。この25年間、ラオスの政権をとってきた人々の中心は親ベトナムの南部出身者である。彼らは年功序列方式で権力配分を決めており、今では70歳以上の老人が多い。 それと対抗する勢力の中心は、60歳のソンサワット外相らを中心とするグループで、年功序列にあぐらをかく老人たちのせいで昇進できない40−50代の政権内の若手たちの支持を集めている。ソンサワット外相は華人系の人物で、北部のルアンプラバン出身である。 一昨年のアジア通貨危機によってラオス経済が大打撃を受けた際、ソンサワットは北京に飛んで中国政府から無利子の借款を受けることに成功した。その資金はラオス経済を再び安定させるために不可欠だったため、それ以来、彼の政府内での地位が上昇し、新興勢力として台頭した。 以前のラオスでは、最高指導者だったカイソン大統領が、ベトナム派と中国派、南部派と北部派の対立を止め、その上に君臨していたが、92年に彼が死去した後は対立を止められる人物がいなくなり、今日に至っている。ラオスの独裁党である人民革命党は来年までに党大会を開く予定で、そこで政変が起きる可能性もある。 ▼アジア通貨危機の後遺症 昨今の爆弾騒ぎなどをみると、「ベトナム」「南部」を攻撃するものが多い。7月の国境襲撃は南部地域の中心で起きているし、南部の中心都市パクセの高級ホテル(元王宮)にも爆弾が仕掛けられた。ビエンチャンでは、ベトナム系住民の商店や、ラオスに駐在するベトナムの外交官や軍人が使うクラブにも爆弾が仕掛けられている。 対抗してベトナム軍はラオス軍に対する支援を強化している。ラオスに駐留するベトナム軍兵士が目立つようになり、人々の歴史的な反ベトナム感情を煽る結果となっている。 ラオスの人々の暮らしはアジア通貨危機以来なかなか改善せず、不満は強まっているものの、長老政治を続ける現政権には経済を立て直すだけの力がない。その行き詰まりに乗じて、内外の勢力が騒ぎを起こし、国民の反政府感情に訴えようとしているのが、騒ぎを起こす人々の動機ではないかと思われる。 内部対立を知られたくないラオス政府は、事件についての情報をなるべく発表しない姿勢をとっているため、誰が誰とつながって今回の事態になっているのか不透明だが、今後さらにいろいろ起きる可能性は大きく、しばらくはラオスから目が離せない。
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