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捕鯨をめぐるゆがんだ戦い

2000年7月31日   田中 宇

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 カリブ海の東端にあるアンチル諸島には、小さな島国がいくつも連なっているが、そこでは漁業が重要な産業だ。そこで獲れる魚介類の中には、比率としてはわずかだがクジラが入っている。たとえばドミニカ島では、大型のクジラはたまたま近海にやってきたマッコウクジラを年に1−2頭獲る程度、小型のゴンドウクジラも年に300−450頭で、漁獲高としては多くない。

 そのカリブ海の島々のうち、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、ジャマイカなど、イギリスの植民地から独立した英連邦系の6カ国が国際捕鯨委員会(IWC)に加盟したのは、1981年から82年にかけてのことだったが、その目的は「捕鯨をやめること」だった。

▼枯葉剤の身代わりにされた捕鯨

 IWCはもともと、捕鯨産業の秩序ある発展を実現するための国際機関である。小規模といえども捕鯨をしている島々が、それをやめるためにIWCに加盟するというのは奇妙な話だが、実は彼らの加盟は、かつての宗主国だったイギリスからの援助の見返りとして、捕鯨国としての名義を貸したという側面が強かった。

 1946年に設立されたIWCは、70年代まで加盟国は17カ国前後で、多くは自国の捕鯨産業を保護したい捕鯨国だった。だが1971年、アメリカのニクソン大統領は、ベトナム戦争の泥沼化で高まった反政府世論をかわし、政府のイメージ回復をはかるため、クジラやイルカなど海洋哺乳類の保護を重要な政策として打ち出した。米国民の目が、ベトナムの「枯葉剤」から「捕鯨国の残虐行為」に移ることを狙った作戦だった。

 この「環境保護」政策にはイギリスも協力し、カリブ海だけでなく捕鯨に少しでもかかわりがある世界中の英連邦諸国を次々とIWCに招き入れた。スイスのように海のない内陸国も捕鯨に反対する目的で入ってきた。その結果、加盟国は80年代には40カ国を超え、大半が捕鯨に批判的な国々になったところで、82年、商業捕鯨を禁止する決議(モラトリアム決議)がIWCで多数決採択され、86年から禁止が実施された。

 これに反対したのは、日本やノルウェー、アイスランドなど、1940年代からIWCに加盟していた捕鯨国で、これらの国では南氷洋など遠洋で大型のクジラを獲ることが捕鯨が中心となっていたが、新規に加盟した国々の多くは、近海で小型のクジラを獲ることが捕鯨の主流で、それは禁止の対象にならなかった。

 IWCでは、決議があってもそれに異議申し立てをすれば、従わなくてもよい決まりがあった。日本はノルウェーとともに異議を申し立てたが、アメリカから圧力をかけられて撤回してしまった。日本の漁船はアメリカの200海里水域内で漁をさせてもらっていたが、日本が異議申し立てを撤回しない限り、日本に許可していた漁獲枠を削ると言ってきたのである。

 ノルウェーは異議申し立てを維持して93年に捕鯨を再開し、アイスランドはIWCのありかたに反発して92年に脱退した。(捕鯨自体は再開していない) 日本は主要捕鯨国で唯一、モラトリアムによる直接の影響を受けている国となった。

▼ODAを使って巻き返しに出た日本

 アメリカなどでは、捕鯨は日本人の「残虐性」を象徴するものとして、反日感情を煽るための道具として使われた。80年代の日本は高度経済成長を成し遂げ、アメリカの自動車や家電産業は、日本企業に負けて崩壊の危機に瀕した。そのためアメリカ政府の内部では、日本を仮想敵国視する論調が出始め、対日感情が悪化した。捕鯨は、その象徴とされたのである。

 だが90年代も後半になると、日本はバブル崩壊から立ち直れない一方、アメリカは情報通信産業などで無敵の産業力を回復して未曾有の好景気が始まり、もはや日本を敵視する必要はなくなった。しかも日本は国家としての方向性を見失い、対米従属度を高めるばかりだったので、アメリカ政府が捕鯨に関して日本に圧力をかけることは減った。とはいえ、その後も環境保護団体の先導による反捕鯨運動は続けられている。

 こうした変化を背景に、日本はまきかえし作戦に出た。日本は世界じゅうの発展途上国に開発援助(ODA)を出しているが、援助をする見返りにIWCでの日本の立場に賛成するよう要請した(圧力をかけた)。かつて英米が行ったのと同じ戦法をとったのである。

 IWC加盟のカリブ海諸国の場合、水揚げされた魚介類を加工する工場などを、日本の援助金で建てている。たとえばドミニカでは、すでに日本が工場を一つ作り、今後はあと2つ作る計画になっている。そのため日本から要請(圧力)を受ければ、応えざるを得ない。

 6−7月にオーストラリアのアデレードで開かれた今年のIWC総会では、南太平洋に捕鯨禁止のクジラの聖域を作る案がオーストラリアなどから出されたが、日本などがこれに反対した結果、可決に必要な75%の得票が集まらず、否決された。かつて反捕鯨のためにイギリスによってIWCに招き入れられたカリブ海6カ国が、今や日本の側についたことが、勝敗を決することになった。

 この決議の後、ドミニカの農業水産大臣が抗議の辞任をした。彼は欧米の環境保護団体と親しく、日本の要請を拒否してクジラの聖域作りに賛成しようとしたが、開発援助を重視するドミニカの首相は日本に同調する方針を出し、水産大臣をアデレードに行かせず、首相自らが出向いた。欧米派と日本派とがドミニカ政府内で対立した結果、大臣が辞任したのだった。(このドミニカは旧英領で、旧スペイン領のドミニカ共和国とは別の国)

▼鯨肉は日本人に不可欠なものか?

 ところで日本はなぜ、そんなに捕鯨にこだわるのだろうか。欧米の環境保護団体は、日本のイメージを悪化させるキャンペーンを展開する一方、間違った情報を故意にマスコミに流したり、捕鯨関係者に対するテロリズム的な嫌がらせも行っている。

 そのやり方に腹が立つ日本人も多いだろうが、国際市民運動やその背後にいるアメリカやイギリスの戦略に対抗するということなら、捕鯨ではなく地球温暖化や遺伝子組み換えなど他のテーマを選んだ方が、経済的な意味は大きい。

 アデレードの会議では、国際環境団体と日本側とが激しい宣伝合戦を繰り広げた。日本側は業界団体である「日本捕鯨協会」が、アメリカの大手PR会社「シャンドウィック」に依頼してキャンペーン作戦を作ってもらい、会議を前に捕鯨の必要性を説くテレビコマーシャルを打ったり、パンフレットを市民に配ったりした。

 パンフレットには「鯨肉は日本人の生活に欠かせないタンパク源で、オーストラリア人にとってのミートパイのように、日本にとって不可欠な食文化となっています。他国の食文化への介入は避けるべきではないでしょうか」という意味のことが書かれていた。

 これは事実だろうか。私には事実とは思えない。多くの日本人は今や、鯨肉は何年かに一度食べるだけの「珍味」であり、不可欠なタンパク源ではない。うどんやおにぎりなどは日本人にとって、オーストラリア人にとってのミートパイに相当する伝統的な食べ物だと思うが、鯨肉は違う。

▼国策だった鯨肉普及

 日本の捕鯨は明治以前からあり、鯨肉を食べる習慣も、魚介類を好む日本の食文化の伝統とともに古いが、それは鯨が水揚げされる地域の周辺だけのことである。日本人が全国的に大衆食として鯨肉を食べるようになったのは明治以後のことで、宮城県の鮎川港などに遠洋捕鯨の基地が作られてからだ。鯨肉を使った大阪名物の「ハリハリ鍋」も、明治時代に生まれた。

 明治から敗戦をはさんで1970年代までは、鯨肉はまさに国民的なタンパク源だった。近代的な捕鯨によって安く大量の鯨肉を確保し、缶詰やその他の大衆食として定着させ、国民に体力をつけてもらい、日本の産業振興を支えるという国策があった。

 当時は鯨肉が他の食肉より確保しやすかったため、政府は鯨肉を普及させた。戦後の学校給食に鯨肉の竜田揚げなどが出たのも、その一環である。鯨肉が日本人に不可欠なタンパク源だというのは、現在ではなくて過去のことなのである。

 こうした政策は、1986年の商業捕鯨禁止によって終わったが、それが外圧による強制であったため、日本政府は捕鯨再開を求める方針を掲げた。これは当時としては良かったかもしれないが、その後の日本が空腹の時代から飽食の時代へと変わっていき、しかも食品流通が国際化されて安い牛肉などが海外から入ってきた結果、国民的な栄養源としての鯨肉の重要性は減った。

 にもかかわらず日本政府が捕鯨にこだわっているのは、いったん決めた政策を変えることが難しいという、官僚制の弊害によるものだろう。その弊害を利用して、捕鯨協会がロビー活動を展開しているように私には見える。

 日本人は世界的に見ると、民族的な文化や伝統にあまりこだわらない人々である。先日私が行ったアフガニスタンなどは、自らの伝統にこだわるあまり、それを踏みにじろうとする外部勢力とは銃を持って戦うという歴史を持っている。それと比べると、日本人は伝統に対して淡白であり、そのことが日本がアジアの他国に先駆けて近代化(西欧化)できた一因となった。

 こうした歴史からすれば、たとえ鯨肉が日本人に不可欠な伝統的な食文化であるとしても、その確保のために「国際社会」を敵に回すのは、合理的な判断ではない。「国際社会」とは、アメリカ合衆国の別名でしかないのだが、アメリカともう一度戦うのであれば、日本はもっと国家的な戦略を立ててからにすべきだろう。

 また実は、鯨肉の流通にかかわる人々や料理店など、捕鯨協会を支える関係者自身、鯨肉が「国民に不可欠なタンパク源」に戻ることなど希望していないはずだ。商業捕鯨の禁止により、鯨肉は高価な商品として定着したが、これは逆に、仕入れをうまくやれば大儲けできるということだ。再び鯨肉が安値に戻ったら、薄利多売が必要な、儲けにくい商品になってしまう。業界の人々は、少しだけ商業捕鯨が解禁され、鯨肉の高級感は失われず、仕入れ値だけが下がることを望んでいると思われる。



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