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自由経済の最先端を行く「無法諸国」

2000年6月4日   田中 宇

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 産業界への行政指導から学校の制服まで、規制が強すぎる日本は経済が好転しない半面、規制なしの自由主義を追求するアメリカは未曾有の好景気が続いている。そんな状況なので、規制はなるべく少ない方が経済発展のために良い、という考え方が内外に流布している。

 そうした考えを究極まで推し進めるとどうなるか、という実例を、先日訪れたパキスタン西部のアフガニスタン国境近くの町ぺシャワールで見ることができた。この町の郊外に「バラマーケット」という総合市場があるが、そこには国家からの規制を全く受けない商品が並んでいる。

 ぺシャワールからアフガニスタンに向かう国道沿いにある、長さ1キロ以上、奥行き200メートルほどの敷地に、3−4階建ての建物が延々と続く。内部には無数の店が入居し、家電、オーディオ製品、家具などから、衣料品や歯ブラシにいたるまで、あらゆるものが売られている。

    バラマーケット内部の写真

 驚くべきは、その安さだ。私は短波ラジオを物色して買ったのだが、日本製(SANYO)だと1000円前後、中国製(広東省のメーカー)に至っては200円ほどで売られていた。日本で買うより、ゼロが一つ少ない。話のタネに200円のラジオを買った。短波6バンドを切り替えるもので、切り替えスイッチにさわると周波数がずれてしまうものの、放送は聞くことができた。

 マーケットの奥は関係者以外立ち入り禁止で、そこでは武器や麻薬類も売られているという。物騒なので、案内してくれたパキスタン人は、奥の方に行くのをいやがった。

 ここの商品の安さの秘密は、関税や売上税など政府にお金を支払うという規制を受けていない、つまり「密輸品」だということにある。密輸のシステムは、アフガニスタンが置かれている状況を利用した、国家的なものだ。その起源は、100年以上もさかのぼる。

▼部族自治区を通って逆流する密輸品

 インドを植民地にしたイギリスは19世紀、となりのアフガニスタンを2回にわたって侵略したが、アフガン人ゲリラの強い抵抗に遭い、征服できなかった。イギリスは、インダス川からカイバル峠までのアフガニスタンの東の細長い縁を奪って英領インドに編入するにとどまったが、新しい国境はアフガンの有力民族であるパシュトン人の居住地域の真ん中を二つに分割しており、これとてアフガン人の反対が強かった。

 (彼らはゲリラ戦に強い民族で、最近アフガニスタンの政権をとったイスラム軍政機関「タリバン」も、パシュトン人主体の組織である)

 そのためイギリスは、アフガン国境近くのパシュトン人の地域を「部族自治区」(Tribal Areas)とし、さらに1921年、懐柔の意を込めて、内陸国であるアフガニスタンがカラチなど英領インドの港を使って商品を輸入する場合、イギリスは関税をかけないことを約束した。

 1945年に英領インドが独立した後、協定はパキスタンに引き継がれた。パキスタン政府に力があったら、部族自治区に対して国家主権を拡大し、治外法権の状態を解消できたのだろうが、東隣のインドとの軍事対立に国家のエネルギーの多くを割かれたため、パキスタン政府は西隣のパシュトン人との対立を避ける必要があり、英領時代の協定はそのまま残った。

 非関税協定は、パキスタンの港や国境での税金だけを免除したもので、パキスタンからアフガニスタンに入る国境では、アフガン政府が関税をかけるのが、本来の姿だ。だが現在のタリバン政権は、戦乱続きでまっとうな政府組織を作れない。しかも、1996年にタリバンが政権をとった背景には、パキスタン在住のパシュトン人トラック輸送業者たちからの政治的、資金的な支援があった。タリバンは、輸送業者に強い態度をとれない立場にある。

 こうしてカラチに陸揚げされた商品は、免税のままアフガニスタンに入るが、アフガン人は戦争で貧乏なので消費市場にならない。そのため商品は、パキスタン政府の監視が及ばない部族自治区を通って再びパキスタンに逆戻りし、税金を一度も払わないまま、バラマーケットへと運ばれてくる。植民地の歴史と、アフガニスタン・パキスタン両国が抱えた戦争が、全く無税の「超自由主義経済」の状況を生んでいる。

▼冷戦後も増殖する「冷戦の落とし子」

 マーケットでは、以前は日本製品が主流だったが、3年ほど前から、シルクロードを通って入ってくる中国製品が取って代わっている。日本製品もいまだに多いが、中には中国製品に「SONY」「TOSHIBA」などのニセのロゴを貼りつけて日本製のように見せかけたものもあるという。

 ぺシャワールのバラマーケットは、アフガン難民キャンプの隣にあるが、市場とキャンプは、ソ連軍とアフガンゲリラが戦っていた1980年代に同時に生まれ、拡大した。バラマーケットの利益は、難民キャンプからアフガニスタンへと戦いに行くゲリラたちの資金源となり、パキスタン政府も黙認していた。マーケットは「冷戦の落とし子」であった。

 ところがこのマーケットは冷戦が終わっても、縮小するどころか、逆にここ数年、パキスタンの他の大都市の近郊にも出現するようになった。ここ数年パキスタンでは、ブット政権とシャリフ政権の時代に政府の腐敗がひどくなり、密輸品を取り締まるどころか、首相とその一族が政府資金を食い荒らすような事態が続いたためだった。

 昨年のクーデター以来、パキスタンの「最後の秩序」と期待される軍が政権を取り、立て直しを進めており、バラマーケットからも税金を取る方針が出された。パキスタンはこれまでの腐敗政権の時代に巨額の国際債務を抱えている。借金返済のため、IMFなどは政府収入の増加を強く求めており、密輸品への課税はその流れでもある。

 だがバラマーケットを支える人々には、冷戦時代にアメリカの意を受けてアフガンゲリラを支援したパキスタン政府内の勢力や、アフガン戦争で儲けた政治家などがおり、取り締まりはおろか、課税すら難しい状況となっている。

▼ユーゴはネットのカード不正使用天国

 もう一つ、アフガニスタンと同様、国際社会から外されているがゆえに、犯罪の領域にまで踏み込んだ「自由主義」が横行しているのが、ユーゴスラビアである。以下はアメリカの有力新聞「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記事で紹介された話である。記事はネット上にもある

 ユーゴの首都ベオグラードでは、地元のインターネットサイトから入手した、自分のものではないクレジットカード番号を使って、アメリカなどのネット通販会社から、音楽CDや書籍、パソコンの周辺機器など、比較的小額な商品を送ってもらうという犯罪を手がけている若者が多い。

 ユーゴはコソボ戦争時にアメリカや西欧と対立し、インターポール(ICPO、国際刑事警察機構)にも入っていないため、通販会社がアメリカの警察を通じてベオグラードの犯人を検挙してもらうことは無理だ。税関や郵便局の職員は、送られてきたCDや機器が詐欺的に得られたものと知りつつも「敵国アメリカの会社からむしり取るのは、むしろ良いことだ」と考える国民意識があるため、放置している。

 ユーゴは今も経済制裁を受けているため、ユーゴを宛て先にすると購入が拒否されてしまう。そのため詐取を試みる若者は、少し知恵を働かせる。送り先を「ユーゴスラビア共和国ベオグラード市」とせず「クロアチア共和国ベオグラード市」など、わざと間違った周辺国の名前を記入しておく。

 品物はいったんクロアチアの郵便局に届くが、そこの職員は、ベオグラードはユーゴの町だと知っているから「アメリカ人はベオグラードがどこの国かも知らない困った奴らだ」などと言いつつ、ユーゴに転送してくれる。必ず転送してくれるとは限らないが、注文する方は何回試みてもタダなので、10回に2回でも成功すれば、若者は満足する。ユーゴの人々の月収は5000円程度が普通だから、CD1枚でも高級品である。

▼小額の商品を狙え

 もう一つのコツは、小額の商品を狙うことだという。たとえば書籍のネット販売店「アマゾン・コム」では、高い本ばかりを大量に注文してくる人を要注意人物とし、カード番号に問題がないか調べる。逆に1冊ずつ買う人は、いちいちカード番号の真贋をチェックしていては手間がかかりすぎるため、ほぼノーチェックであり、この点を犯罪者は突いている。パソコンの周辺機器にしても、3万円程度までの普及品を狙うのが、慣れた人の犯行だという。

 こうした犯罪はユーゴだけでなく、捜査当局があまり積極的でない旧ソ連諸国などでも行われている可能性が高い。一方、中東のイスラム諸国では、インターネットが反イスラム的とされ規制されている国が多いため、反米意識は強くても、この手の犯罪が横行する可能性は低い。

 先日、警察やインターネット業界の関係者などが、世界各国からパリに集まって開かれた国際会議でも、この種の犯罪への対策が話し合われた。この問題は7月の九州沖縄サミットの議題にもなる予定だが、まだ各国の当局者が連絡をとり始めたばかりの段階であり、決定打は見つかっていない。



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