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「サイバー国家」の暗部

2000年3月7日  田中 宇

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 日本とハワイの間に「エネンキオ」という国がある・・・。 「そんな国、聞いたこともない」という人がほとんどだろう。だがエネンキオ王国(Kingdom of EnenKio)の公式ホームページには、この国の領土が、小笠原諸島から東へ約2000キロ、ハワイから西へ約3000キロのところにある、サンゴ礁に囲まれたウェーク島にあると明記されている。

 ホームページによると「エネンキオ」というのは地元の言葉で「オレンジの花」という意味で、この島が欧米人によって「ウェーク島」と名づけられる前の、本来の島名だという。ウェーク島は現在アメリカ領で、日本とハワイの間にある軍事的要衝であり、米軍基地もある。このサイトは、エネンキオ島のアメリカからの独立を呼びかけている。

 アメリカ政府はウェーク島の独立を認めないので「エネンキオ」は、市民運動か、もしくはインターネット上にだけ存在する「サイバー国家」であるといえるが、意外なのは、彼らが「国債」を発行していることだ。国債のページには、国債で得た資金は、公共事業や「海上ホテル」の建設などに使うとある。国家としての実体がないのに、どうやって公共事業をやるのだろうか。

 【追加後日談】私がこの記事を最初にインターネット上で公表したのは2000年3月だったが、その後しばらくするとエネンキオ王国のサイトに名前が明示されている人物から、英文の電子メールが届いた。「われわれの国債はきちんとした実態を持ったものだ」という趣旨のメールだった。

 「国債」に対して批判的な私の記事に対し、軽い抗議の意図が込められているように思えたが、メールの内容はエネンキオのサイトにある説明文をコピーしたもので、私の記事の前提を覆すものではなかったので、やや不安に駆られつつも、そのままにしておいた。

 すると2000年10月、今度は「国債の効力を停止する」という告知メールが届いた。ウェブサイトにある発表文と同じ内容で、アメリカの証券取引委員会(SEC)から「国債」の発行や流通をやめるよう警告されたことを受けた措置のようだった。経緯の詳細は不明だが、エネンキオはアメリカを中心に「国債」の販売を手がけ、それに気づいたSECが、勝手に「国債」を名乗る証券の発行を止めさせたと解釈するのが妥当だろう。

▼サイバー国家のパスポートを売る

 「サイバー国家」の一覧サイト(http://members.tripod.com/rittergeist/)には、全部で約100カ国がリストアップされている。全く架空の国から、町おこしの一環のような存在や、分離独立を目指す地域のサイトまで、いろいろある。

 ネット上でパスポートや市民権、企業の設立や大学の学位まで申請できるところや、エネンキオのように国債や切手を発行しているところもある。多くはプロパガンダか遊びの産物と考えられるが、中にはエネンキオの国債のように、実際のお金が絡んでおり、怪しげなものもある。

 1998年11月、サイバー国家「メルキゼデク」の首脳を名乗る3人の男たちがフィリピンで、メルキゼデクのパスポートを「国際的に認知されたもの」と偽って一冊3500ドル(約35万円)で売り、海外に出稼ぎに行きたい数百人がこれを買うという、詐欺事件があった。

 パスポートの不正販売は、アメリカに密入国をめざすアジアの人々に、南米の小国のパスポートを売る商人や、難民用にNGOが発行している証明書を、日本に密入国した中国人たちに国際的な認知を受けたパスポートとして売っていた中国人ブローカーの存在が知られている。

 メルキゼデクのパスポートがそれらと少し違うのは、本物と偽物の中間のような存在であるという点だ。1998年初め、シンガポールとマレーシアの政府は、メルキゼデク側からの問い合わせに対して、メルキゼデクのパスポートを持った人の入国に対してビザは不要だと返答している。

 この2カ国は、フィリピン人の出稼ぎ先として人気があるので、メルキゼデクのパスポートを買いたいと考える人が多かったのも不思議はない。詐欺事件の後、シンガポール政府などは、以前のノービザ宣言を撤回し、メルキゼデクを国家として承認しないと表明した。

▼「宗教」と「人権」で「国家」を補強

 1998年12月の「Far Eastern Economic Review」の「Fantasy Island」という記事によると、メルキゼデクを設立したのは、アメリカ・カリフォルニア州に住むペドレイ(Pedley)親子という父子2人の人物だった。父親の方が詐欺事件を起こし、メキシコの監獄で服役していた1986年に「メルキゼデク聖書」という本を書いたのが最初だった。

 「メルキゼデク」は旧約聖書に出てくる古代のエルサレム(サレム)の王様の名前で、ペドレイ親子はユダヤ教系の宗教団体としてこのサイバー国家を作ることで、詐欺組織という特徴を消そうと考えたらしい。さらに、メルキゼデクに「国家」の体裁をつけるため、領土の獲得を目指した。

 最初、南米コロンビアの沖合の太平洋上にあるマルペヨ島(Malpelo)の領有権を主張したが、コロンビア政府が領有権を主張し、警戒を強めたため実らなかった。1994年には、南太平洋のフランス領ポリネシアの南にあるカリテイン島(Karitane)の領有権を主張したが、ここは満潮時には島全体が海面下に沈んでしまう無人島だった。

 このほか、冒頭で紹介したウェーク島の近くの島の有力者から、無人島であるタオンギ珊瑚礁(Taongi Atoll)の50年間の領土使用を認められたり、南太平洋の国フィジーからの分離独立を目指すロトゥマ島(Rotuma)の有力者と、領土使用権を掛け合った。また、コソボや東チモールの独立を支持する代わりに、彼らが独立した後は、メルキゼデクを国家として認知してもらおうとする戦略をとったりした。

 だが、領土を獲得して「国家」を目指す一方で「宗教」や「人権」といった大義名分を掲げつつも、メルキゼデクの本質は、マネーロンダリンクや詐欺を行うことにある、とアメリカや東南アジアの捜査当局は考えている。

▼ネットビジネスの普及とともに広がる暗部

 メルキゼデクでは、10万円ほどのお金で「銀行」を設立することができる。これらは国際的には銀行とは認められないが、「チューリヒ・ユーロ銀行」「ケンブリッジ商業銀行」など老舗銀行のような名前をつけ、小切手も勝手に発行することによって、本物の銀行であるかのように人々に思わせることができる。

 1995年にはロンドンで、また98年にはカリブ海のドミニカ共和国で、メルキゼデクに拠点を置く「銀行」が、債券を発行して巨額の資金を人々から集めた後に破綻する、という事件か起きた。

 またメルキゼデクの「銀行」と、ケイマン諸島など本物のタックスヘイブンとの間で資金を行き来させることにより、資金の出所が捜査当局に分かりにくくなり、違法に得たお金の資金洗浄や、脱税などに使えるという点もある。 (タックスヘイブンは、国際金融取引を誘致するため、税金を非常に安くしている国)

 メルキゼデクには「ドム」という米ドルと等価の通貨による為替市場や、証券取引所も存在することになっている。今後、インターネット上の金融市場が普及すれば、世界各地の市場に混じって、実体が不透明なサイバー国家の金融市場での金融活動も盛んになるに違いない。

 このような仕掛けは、メルキゼデクに限ったことではなく、悪知恵の働く人なら、誰にでも設立が可能だろう。金融詐欺、脱税指南、詐欺をたくらむ人々への、名門校と紛らわしい名前の「大学」の学位や「弁護士資格」の販売など、各種の悪の温床となりかねない。

 インターネットビジネスは新規参入が自由なため、被害を未然に防ぐことは難しく、「だまされたほうが悪い」という原則になると思われる。これは、詐欺などの犯罪に巻き込まれたときだけでなく、ネット上での株の売買など、合法的な取引についても同じだろう。





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