世界中の通信を盗聴する巨大システム2000年3月2日 田中 宇太平洋戦争中、日本軍の暗号無線交信が、連合軍によって傍受・解読されていたことが、日本の敗因の一つとなったが、この時アメリカは、カナダやオーストラリアなど、地理的に日本の通信を傍受できる同盟国に協力を求め、共同作業で日本の動向を探った。 戦後、日本の脅威がなくなった代わりに、冷戦の米ソ対立が始まると、この同盟体は、ソ連に対する諜報活動の組織に衣替えした。1947年、アメリカの国家安全保障局(NSA)を中心に、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの諜報機関が参加して「UKUSA」という協約が作られた。ソ連の大使館が本国と交信する暗号化された通信などが、傍受の対象だった。 だが彼らの任務は、1970年代、人工衛星インテルサットを経由した国際電話のサービスが普及したころから拡大し始めた。ソ連の交信だけでなく、人工衛星を経由するすべての電話やファクスの内容を、傍受の対象とするようになった。UKUSAの参加国(アングロサクソン諸国とも呼べる)が警戒すべき相手は、必ずしもソ連だけではないからだった。 たとえば1980年代には、日本が再び「潜在敵」として浮上した。日本は戦後、急速に経済力をつけ、製造業だけでなく、金融業などでも世界的な影響力を持ち始めており、アメリカは警戒感を強めた。1981年、アメリカは西海岸のワシントン州にある陸軍施設内のレーダー施設で、日本政府と各地の日本大使館との通信を重点的に傍受するプロジェクトを始めた。 このころ、日米間では貿易摩擦が激しくなっており、アメリカは日本側の通信を傍受することで、海外市場での日本企業のダンピング(不当な安値販売)などの証拠をつかめると考えたのだろう。アメリカだけでなく、オーストラリアやイギリスの施設をも動員し、世界中の日本大使館の通信を傍受していた。 ▼巨大な全文検索システム だがその後、日本はバブル経済の崩壊によって、英米の敵ではなくなってしまった。それと前後して、ソ連も崩壊し、英米にとっては、通信を傍受すべき大きな敵はいなくなったが、世界の最先端を行くこの傍受システムを破棄するのは惜しまれた。 アメリカ政府の諜報関係者たちは、新しい自己目的を作った。その一つは、イラクや北朝鮮といったアメリカに刃向かう国々や、テロリスト、麻薬カルテルなど国際的な犯罪組織に対する諜報活動が必要だということ。もう一つは、経済面での諜報活動に力を入れることで、アメリカ経済の繁栄を守るということだった。これらのシナリオが認められ、NSAは冷戦後も国家予算を獲得することに成功した。 冷戦後、アメリカとその同盟国の通信傍受システムは、さらに効率的になり、各地の諜報拠点を一体的に運営する「エシュロン」(Echelon)と呼ばれるシステムができあがった。 このシステムは、電話やファクス、電子メールなど、世界の国際通信のほとんどすべてと各地の国内通信の一部を、そっくりシステムの中にいったん取り込み、その中からあらかじめ定められたキーワードを含む通信だけを検索して抽出し、情報機関の担当者の端末に表示する。 インターネット上にある全文検索システムを、何1000倍も高速にしたシステムともいえる。システム全体で、1日に30億本の電話や電子メールを処理する能力を持っている。 単純化してたとえると、「爆弾」とか「ビンラディン」といったキーワードを設定しておけば、イスラム原理主義テロリストの黒幕といわれるアラブ人富豪オサマ・ビンラディンの指示で、どこかのアメリカ大使館に爆弾を仕掛けようとしているテロリストの打ち合わせ電話をキャッチできる。「ヘロイン」「マイアミ」というキーワードを入れておけば、コロンビアからマイアミに麻薬を運ぼうとしている組織の動きをつかめる、といった寸法だ。 ▼湾岸戦争でイラク軍の無線を傍受 通信を傍受する施設は、アメリカの東西、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、世界の10ヵ所近くにある。さらに、世界各国にあるアメリカやイギリスの大使館に装置を搬入し、そこから各国の国内通信を傍受・盗聴するプロジェクトも始められた。 エシュロンについて、ニュージーランド政府の諜報機関「GCSB」の関係者の証言を集めて書かれた報告書によると、国内通信のうち、大量の情報を伝達するためにマイクロ波による無線を使っている部分では、傍受が可能だ。 マイクロ波通信は、山の頂上に塔を建てて中継所とし、そこからとなりの山の頂上の中継所に電波を送るリレーを繰り返し、情報を遠くまで送っているが、マイクロ波の通り道の近くの建物の中などにアンテナを張ることで、ひそかにマイクロ波通信を盗聴できるという。 アメリカは日本国内にも、青森県の米軍三沢基地に通信傍受システムを持っている。それはエシュロンのネットワークの一部なので、三沢を拠点に、日本国内の通信が傍受されている可能性もある。 エシュロンのすごさが発揮された一つの例が、1991年の湾岸戦争だった。このとき、イギリスのメンウィスヒル(Menwith Hill)という場所にある米軍のレーダー施設で、スパイ衛星を通じてイラク軍の間での無線交信を傍受に成功し、「多国籍軍」の勝利を導いた。この功績によりメンウィスヒルは、アメリカ政府の国家安全保障局(NSA)から表彰されている。 ▼閣僚の電話をカナダに盗聴させたサッチャー元首相 だが、メンウィスヒルのような施設の標的は、外の敵ばかりとは限らない。 カナダの諜報機関「CSE」の元職員が、2月末に収録されたアメリカCBSテレビの番組で証言したところによると、カナダ政府は1983年、イギリスのサッチャー首相に頼まれて、サッチャー政権の閣僚2人の電話を盗聴した。 サッチャー首相は、2人の閣僚が自分の命令に背く行為を行っていると疑ったのだが、イギリス政府内の諜報機関に閣僚の電話を盗聴させると、政府が国民に対する盗聴を禁止した法律に違反してしまうので、カナダの機関に頼んで盗聴してもらったのだという。 カナダの機関による盗聴なら、少なくともイギリス政府が違法行為をしていることにはならないというわけだ。英米カナダなどの同盟5カ国間では、国内を標的にした盗聴を行う際、こうした手法をとることがよくある、とカナダの元職員はCBSテレビに語っている。(このことを報じた記事はこちら) 従来、エシュロンの存在を知っているのは、5カ国の諜報機関の担当者と、政府の最上層部の人々だけだった。だが、盗聴という明らかな不正行為を続けていることに対し、カナダやニュージーランドの諜報機関の関係者が良心の呵責を感じるようになり、1997年ごろからマスコミにエシュロンの存在が漏れ、批判記事が出るようになった。(英文記事の一覧はこちら) これを受けて、フランスやドイツなどヨーロッパ大陸の国々が、エシュロンの存在を問題にし始めた。メンウィスヒルの諜報施設は、標的だったソ連が崩壊した後も拡張を続けており、今や標的はドイツやフランスになっている可能性が大きかった。アメリカの諜報施設は、ドイツの米軍基地内にもある。 アメリカにおけるエシュロンの中心は、東海岸のウェストバージニア州の山中、シュガーグローブという村にある軍関係の施設である。ここには大西洋上の人口衛星からの電波を受信する巨大なパラボラアンテナがいくつも設置されており、その数は1990年に4基だったが、98年には9基に増えたことが市民グループなどによって確認されている。 ▼米企業の利益に使われるエシュロン ドイツやフランスがアメリカによる通信傍受の標的になっているとしたら、その目的は産業スパイに違いない・・・。ヨーロッパの政府当局者はそう考え、1998年初め、EUとして、諜報問題に詳しいイギリス人ジャーナリスト、ダンカン・キャンベル氏(Duncan Campbell)に調査を依頼した。その結果は、今年2月23日に発表された。 それによると、アメリカ政府が盗聴によって得た情報を自国企業に流した結果、アメリカ企業が国際受注競争で欧州企業を打ち負かすという不正行為が、これまでに2件あった。 ひとつは1994年、ヨーロッパ諸国が共同で設立した飛行機メーカーであるエアバス社が、サウジアラビアの航空会社に旅客機を売り込んだ時、米当局がエシュロンを使ってエアバスとサウジ航空当局者との電話を盗聴し、得られた情報を元に米政府が、エアバスがサウジ政府に賄賂を贈ろうとしていると指摘した結果、エアバスは受注競争から外され、代わりにアメリカのボーイング社が落札したというもの。 もう一つは同じ年、フランスの防衛機器メーカー、トムソンCSF社が、アマゾン熱帯雨林を監視保護するためのレーダーシステムをブラジルから受注しそうになったとき、エシュロンで米当局が関連情報をつかんだ結果、アメリカのレイセオン社が受注を横取りした、というものだった。(報告書に関する報道は、たとえばニューヨークタイムスの記事など) 具体的な社名は入っているものの、いずれも報告書の中の記述は数行ずつで具体性を欠いている上、情報源の多くは新聞記事で、間接情報に基づいて書かれたものだった。そのため英米の専門家の多くは、その信憑性を疑うコメントを出したのだが、その一方で意外な人物が、この報告書の内容を「認知」した。 ▼欧米間の関係にも悪影響 それは元CIA長官のジェームズ・ウールジー(James Woolsey)だった。 彼は、報告書で指摘された行為があったとされる1994年当時、CIA長官をしていたが、「ヨーロッパ企業の不正行為を止めるため、アメリカ政府が諜報活動で得た情報を使うことがあった」という趣旨の発言をして、アメリカの行為を正当化しつつ、盗聴の事実を間接的に認めたのだった。 彼によると、エシュロンで得られた情報が、NSAやCIAから企業に直接渡されることはないという。だが盗聴結果は、政府内の部門である商務省にも渡される。商務省は企業の振興策を行っている部門で、アメリカ企業が海外で仕事を受注しやすい環境を作ることが任務の一つであり、欧州企業の不正を阻止するとの名目で、盗聴結果が企業に渡ることはありえる。(ウールジー発言については、たとえばABCテレビの記事など) アメリカ側が存在を肯定したため、フランスではエシュロンによって実際に自国企業の営業妨害が行われたのかどうか、検察が捜査に乗り出した。またオランダ政府は2001年1月、それまでの「エシュロンが存在しているかどうか確認できない」という見解を改め、公式にエシュロンが電話やインターネットを盗聴している事実を認めた。 フランス政府がエシュロンの存在に反発するのは、自国の通信傍受システムが大きく立ち遅れているのも一因だ。フランスは国内のほか、南米のギニア、南太平洋のニューカレドニアといった自国領に施設を置き、世界的に通信傍受をしているが、その処理能力は1日200万メッセージが上限といわれ、エシュロンの1000分の1以下でしかない。 ヨーロッパで市民運動だけでなく、政府までがエシュロンを批判する態勢に入っていることは、エシュロンを持っているアメリカ・イギリスと、フランスなど西欧の大陸諸国との外交関係に悪影響をもたらしている。 西欧諸国は第2次大戦で自らを破壊した後、アメリカの傘下で冷戦時代をすごした。だがソ連崩壊後、西欧諸国は再びアメリカとは別の世界の中心になろうと動き出し、独自の外交や防衛体制の構築を試みている。そんな状況下で発覚したエシュロンの存在に対し、西欧諸国は「もうアメリカの言いなりにはならない」という意味を込めて反対している。 一方アメリカでは、市民運動が反対運動の中心だ。昨年10月21日には、市民運動家たちが企画したイベント「エシュロン妨害デー」が実施された。(www.echelon.wiretapped.net)この日一日、電子メールや電話の会話の中で、世界中の人々が「テロリスト」とか「爆弾」といった言葉を連発し、エシュロンの全文検索システムをパンクさせてしまおう、というプロジェクトだった。ユーモアと創造性のセンスにあふれたイベントだったが、これが果たして効果があったのか、米当局者は沈黙したままだ。 もしこのプロジェクトが効果をあげたのであれば、今回私が書いているこのメール配信記事にも、多くの「関連キーワード」が含まれているので、エシュロンの妨害に、少しは役立っているかもしれない。
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