変わりゆく大英帝国(2)

1999年11月25日   田中 宇

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 前回の記事「変わりゆく大英帝国(1)」では、イギリス王室の傘の下から出たがっているオーストラリアの現状を紹介したが、逆にイギリス王室との精神的な結びつきを、最近になって強めた国がある。カナダである。

 カナダも、オーストラリアと同様、エリザベス女王を元首にいただき、女王の代理人として総督を置いている。その総督が10月に交代したのだが、新しい総督は、アドリアン・クラークソン(Adrienne Clarkson)という、中国系の女性であった。白人系以外の総督が任命されたのは、初めてのことだ。

 クラークソンは1939年、香港で生まれた。3歳のとき、香港は第2次大戦で日本に占領されたが、その直後、彼女の一家は、香港在住のカナダ人たちのための避難船に乗ることを許され、首都オタワに移住した。

 こうした経験を持つ、移民一世のクラークソンは、長じて後、カナダ放送協会(CBC)に入り、報道レポーターや、文化番組の主催者などを経験し、国民の間でよく知られる存在となった。パリ駐在の外交官をしたこともある。

 カナダやオーストラリアの総督は、首相が指名し、エリザベス女王が任命するかたちをとっている。クラークソンの起用を決めたのは、カナダのクレティエン首相であったが、中国系である彼女を指名したら論争が生じることは、事前に予期できたであろう。

▼多民族国家としての再認識を目指した総督指名

 クラークソンが総督に指名された9月8日以来、保守系の新聞などは、彼女を批判する記事を載せ始めた。離婚経験があるとか、近所の人といさかいをする人であるとか、その手の批判記事が出た。「中国系移民の女性に、首相より上の地位でたる総督をさせていいのか」と言いたかったのだろうが、そう書くと人種差別、女性差別だとして逆に非難されるので、プライバシー面での攻撃になったようだ。

 ところが、そんな批判にもかかわらず、国民の間では、クラークソンの総督就任に対する評判は、とてもよい。大手新聞ナショナル・ポストの世論調査では、彼女が総督になって「良かった」または「大変良かった」と答えた人は、回答者の83%だった。半面、前任の総督(ロメオ・ルブラン)の名前を知っている人は、24%しかいなかった。

 そもそも、カナダでは、オーストラリアと同様、総督がどのような存在であるか、はっきり知っている人は少ない。ほとんどの人は、関心がない。だから前任者は、ほとんど知られることがなかったのだが、テレビで有名なクラークソンが就任したことで、総督という存在そのものが、重視されるようになった。

 カナダの人口2900万人のうち、中国系を中心としたアジア系住民は7%を占め、しだいに数が増している。特に、太平洋に面したバンクーバーでは、住民の25%がアジア系だ。クレティエン首相が、クラークソンを総督に指名したのは、カナダが多民族国家であることを、国民に認識してもらい、国の統一を維持しようする意志があったように思える。

▼移民国家を揺さぶる難民船

 カナダでは7月以来、バンクーバー周辺に、中国・福建省から「難民船」が相次いで不正入国を試み、中国大陸からカナダを経て、ニューヨークのチャイナタウンにある低賃金工場などを目的地とする不法移民ルートの存在が明らかになり、問題になっている。

 不法移民の流れは、中国の犯罪組織「蛇頭」が、組織的に運営している。当局が難民船を拿捕し、乗っていた不法入国移民を拘留しても、多くは難民申請をして仮釈放してもらえる。その後、難民として認定されるかどうか結論が出る前に行方をくらまし、最終目的地であるニューヨークに向かうケースが多い。

(移民希望者の多くは、福建省の貧しい農民で、ニューヨークに行けば高収入 の働き口があると蛇頭のメンバーに言われ、渡航費として蛇頭から数百万円相当の借金をして、不法入国船に乗っている)

 このように、蛇頭が中国から連れてきた経済難民は、カナダの寛容な移民政策を悪用しているだけに、カナダでは最近、移民に対する政策を厳しくすべきだとの意見が増えた。(違法入国者が、難民申請によって事実上、入国を許されている現状に、最も怒っているのは、合法的にカナダにやってきて、市民権取得を申請して何年も待ち続けている、中国系の人々だったのだが)

 移民の国として発展してきたカナダは、方向転換を求められているともいえるのだが、そんな中で、中国系移民一世のクラークソンが総督に就任したことは、移民国家としてのカナダ国民の統一を維持しようという意図が見える。

 9月、カナダの新聞に載った風刺マンガに、カナダ当局を代表する存在である騎馬警官が、中国からきた違法入国者の集団を見て、同僚に「あの中に、将来の総督がいるかもしれないから、彼らには慎重に対応したほうが良い」と言う、というのがある。このマンガをみてクラークソン女史は喜んだ、と報じられている。

▼隣の超大国アメリカに飲み込まれないための王制維持

 カナダには、統一を崩す方向の民族問題としてもう一つ、ケベックの分離問題がある。フランス語を母語とするケベックでは、英語圏である他のカナダから分離独立しようとする勢力が政権をとっており、ここ数年、独立を問う住民投票が、何度も行われているが、僅差で否決されている。

 首相のクレティエンはケベック出身で、フランス語が母語だが、彼自身は、ケベックの分離独立に反対している。首相は、自分がケベック人ながら、ケベックの分離には反対することで、ケベックの人々の分離傾向を抑えようとしてきた。マイノリティ出身者がトップに立つことで、民族問題を解決しようというやり方は、クラークソンの総督指名と同根の戦略であるようにも見える。

 とはいえ、カナダの政治家たちは、エリザベス女王と総督をいただく制度を続けることに、まったく疑問を持たなかったわけではない。

 昨年暮れ、首都オタワの新聞は、匿名の政治家の話として、政界内で王制をやめる検討が始まっていると報じた。これは、王制に対し世論がどう考えているかを知るため、与党中枢部が情報を流したと考えられているが、王制をやめることに対して、各界からの反発が出るに至った。

 カナダ人の多くは、オーストラリアとは対照的に、王制を維持したいと思っているようだが、その理由の一つとして考えられるのは、すぐ隣に個性の強い超大国アメリカがあるカナダは、アメリカと異なる個性を持つ必要に迫られているということだ。大統領制をとるアメリカとは違う存在であり続けるために、カナダには立憲君主制が必要なのではないか、と考えられる。

▼英連邦の「再創出」

 かつての大英帝国の版図にある国々の組織「英連邦」に加盟している54カ国のうち、16カ国は今も、エリザベス女王を元首にいただいている。これらの国々の中には、オーストラリアやカナダのように、今後も王制を続けるかどうか、検討している国がある一方、英連邦そのものも、自らの存在意義の見直しを進めている。

 論議の中心の一つとなっているのは、英連邦の本部をつとめるイギリスの政府系シンクタンク「外交政策センター」(Foreign Policy Centre) で、最近「英連邦の再創出」(Reinventing the Commonwealth)という冊子を発行した。

 そこで提案しているのは、英連邦が、参加国の人権問題を解決し、民主主義を育てていくための団体になるべきだ、ということ。加えて、WTOのように、参加国間で公正な貿易がなされるよう、体制を作ることも、英連邦の新機能として重要ではないか、としている。

 また英連邦と、イギリスの政府や王室とのつながりを薄くすることも提案しており、エリザベス女王の御代が終わったら、英連邦のトップにイギリス王室が就く制度をやめることを検討するべきではないか、とか、英連邦の本部をロンドンからインド(デリー)かアフリカ(ラゴス)に移すことを検討すべきではないか、といった提案をしている。

 かつて、植民地支配によって、アジアやアフリカの人権を踏みにじり、不公正な「アヘン貿易」を強要した大英帝国の伝統を受け継ぐ英連邦が、今後の方針として「人権」や「公正な貿易」を掲げるというのは、皮肉な感じもする。アフリカなどには、英連邦の人権強調の動きに反発する加盟国もある。

 だが、もうこの動きは具体化されている。11月上旬、2年に一度の英連邦首脳会議が、南アフリカで開かれたが、席上、10月に軍事クーデターで文民政権が追放されたパキスタンの議席を保留にして、追放もありうる状態にしておくことが決定された。

 以前なら、このようなことは「内政干渉」であったのだが、ここ1ー2年、英米を中心とする「国際社会」は、「人権」を重視する傾向を強めており、英連邦の改革も、その線に沿ったものだといえる。





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