変わりゆく「大英帝国」(1)1999年11月22日 田中 宇今年6月イギリスで、エリザベス女王の末息子であるエドワード王子が、風貌がどこか故ダイアナ妃と似たソフィ・リスジョーンズさんと結婚式を挙げた際、母親の女王は、二人に「ウェセックス伯爵夫妻」の称号を与えた。 ウェセックスというのは「西サクソン」を意味するイギリスの地域名だが、実はこの地域名は11世紀以来、使われていない。いわば架空の地名をつけた称号なのだが、にもかかわらずこの称号は、イギリスの王室ファンたちを熱狂させるものだった。 というのは、この「ウェセックス伯爵」、昨年制作された映画「恋におちたシェイクスピア」(Shakespeare in Love)に出てくる登場人物(シェイクスピアの恋敵)であったからだ。この伯爵名は、7ー11世紀に実在し、その後は19世紀に書かれた小説に出てきただけだった。 女王は、息子の称号をシェイクスピアの映画からとったとは言っていないのだが、王室研究家やイギリスの新聞は「映画の登場人物の称号を息子に与えるとは、女王も粋なお方だ」といったような論評を展開した。 とはいえエリザベス女王は、英王室に、従来のような大きな権力を今後も維持させようとは考えていない。イギリスの王子はこれまで、結婚すると同時に「公爵」の位を与えられてきた。エドワード王子に与えられた「伯爵」は、「公爵」より2つ格下である。 しかも女王はエドワードの結婚式を、市内中心部ではなく郊外のウィンザー城の教会で行わせ、ご成婚記念切手もカラーではなく白黒印刷にするなど、結婚にまつわる行事をなるべく地味にやろうとする意図が、随所にみられた。 これは、結婚式を国家の行事ではなく、王室の家族行事に変えたいという女王の意志だ、と王室ウォッチャーはみている。ダイアナ妃とチャールズ皇太子が1981年に結婚したとき、新婚旅行初日に地中海で乗った王室所有のヨット「ブリタニア号」も、すでに売却され、スコットランドの港に観光名所として係留されている。イギリス王室は、自らの存在を小さくしていこうとしている。 ▼イギリス王室の縮小に逆行したオーストラリア国民投票 そんな英王室の「ダウンサイジング」の流れに逆行する動きが最近、イギリスから何千キロも離れた場所で起きた。11月6日にオーストラリアで行われた国民投票で、今後も国の元首をイギリス女王にやっていただきたい、という結果が出たのである。 オーストラリアは、今から200年ほど前にイギリスの植民地となって以来、イギリスの国王や女王が元首を兼務し、その代理人として「総督」を置いている。総督は、今では象徴的な存在でしかないものの、オーストラリアの政治が収拾できないほど混乱した場合は、首相の解任や議会の解散を行える権限を持っている。 オーストラリアの国家を代表する人がイギリス人というのはおかしい、と考えるオーストラリア人も多い。来年、オーストラリアのシドニーでオリンピックが開かれるが、オリンピック憲章では、開会宣言は主催国の元首が行うことになっている。 オーストラリアはエリザベス女王が元首なので、女王自身か、その名代である総督が開会宣言をしなければならない。ふだんは「元首なんて象徴でしかないから、別に誰でもいい」と考える人々も、全世界の人々が注目するオリンピックの開会式で、イギリス王室関係者が開会宣言するのは抵抗がある。 国民投票は「女王と総督をいただくオーストラリア憲法を改訂し、連邦議会上下院の3分の2以上の承認によって選出される大統領を元首とする」という改訂案に賛成するかどうか、という質問で行われた。その結果は、45%が改憲に賛成し、55%が反対で、改憲案は通らず、今後もエリザベス女王を元首としていただくことになった。 ▼功を奏した首相の策略 イギリス人が王制を縮小しようとしているときに、オーストラリア人がイギリス王室にこだわるというのは、おかしな感じがするが、オーストラリアの現状をよくみると、それとは逆の状況が見えてくる。 世論調査では、オーストラリア国民の大多数は、王制をやめて、共和国になることを望んでいる。王制を今後も続けた方が良いと考えている人は、9%しかいない。国民投票の結果は、民意を反映していないことになる。 その背景には、国民投票を主催したジョン・ハワード首相が、王制支持者だったということがある。王制をやめて共和国化すべきという論議は、5年ほど前からオーストラリアで続いてきた。1996年、首相になったときの選挙でハワード氏は、自分が王制支持者であることが選挙にマイナスにならぬよう「首相になったら、共和国化について問う国民投票をやる」と約束した。 この公約を守るため、ハワード首相は昨年、憲法改訂のための評議会を召集し、そこでの議論の結果「共和国化するとしたら、新設される大統領は、議会上下院が投票で選出する」という結論を出した。 一方、世論調査では、国民の多くは、議会が大統領を選出する間接制ではなく、国民が直接、大統領を選ぶ直選制にしてほしいと思っていた。だが、評議会が間接選挙制を打ち出したため、国民投票の質問事項も、王制維持か間接選挙の大統領制か、という二者択一になってしまった。共和国にしたい人々の多くは、間接制では意味がないと考え、今回は改憲しないという方に投票したのだった。 オーストラリアは、首相も議会で選ぶ間接選挙制(議院内閣制)なので、大統領を直接選挙で選んでしまうと、大統領の方が民意を反映した存在ということになり、首相と大統領の意見が対立した場合、大統領が強く主張できるようになりかねない。これでは、大統領を象徴的存在にとどめておけなくなる。議会による間接選挙なら、議会や首相が望んだ人物しか、大統領になれない。 そのため、権力システムの現状維持を望む、連邦議会の政治家たちは、民意に反しても間接選挙で大統領を選びたがった。そしてハワード首相は、国民と議会との、このギャップを利用して、「現状維持」という国民投票の結果を引き出したのだった。 ▼アジアと欧州の間で揺れるオーストラリア ハワード氏はまた、オリンピックの開会式の問題でも、女王の代理である総督ではなく、首相自らが開会宣言をするという方針を打ち出し、国民に王制の違和感を感じさせないようにしようとした。 だが、国民投票後、ハワード首相の策略に対する反感が強まり、王制を続けるのなら、オリンピックの開会宣言は総督にやってもらうべきだと言う人が増え、投票から3日後の11月10日、首相はその意見にしたがって、総督にやってもらうことにした。 共和国派は、2001年の次回総選挙で、ハワードではなく共和国派の人を首相に当選させ、まずは王制を止める国民投票を行い、その後で新設の大統領を直接制と間接制のどちらで選出するかという国民投票を行うことで、確実に共和国化していこうと考えている。 オーストラリアの二大政党のうち、今は野党である労働党は、政権をとったら再度、共和国化を問う国民投票をすると主張している。それだけでなく与党の保守党でも、ハワード氏の後継者とされるピーター・コステロ蔵相は、共和国派である。オーストラリアが共和国になるのは、時間の問題だとも思える。 オーストラリアは、かつての白人中心・欧州重視の主義から、1970年代以降、高度成長を続けるアジアとの結びつきを強める方針に転換した。だが一昨年のアジア経済危機を機に、アジア重視政策を見直した方がいいという主張が、再び勃興している。 これまでオーストラリアが最も注意してつきあってきた隣の大国、インドネシアとの関係を壊しても、欧米流の人権主義を貫き、東チモールに進駐した国連軍の主力をつとめたのも、そのような背景がある。 イギリス王室とのつながりを切るかどうか、という議論もまた、オーストラリアのアイデンティティをどう形づくるかという、国家として根本的な問題と、密接にかかわっている。
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