神々の崩壊 (2):欧米銀行に広がる「突然死」の不安

98年10月16日  田中 宇


 この記事は「神々の崩壊(1):世界を揺るがすヘッジファンド危機」の続編です。

 筆者はつい先日まで、先進国の金融機関のなかで最も危ないのは、日本だと思っていた。だが、そういった状況は、最近2-3週間ほどの間に、大きく変わっている。今や、ヨーロッパやアメリカの金融機関も、日本に劣らない深刻な経営危機に陥っている。

 特に経営悪化が著しいのは、ヨーロッパの大手銀行である。ロシアに投資した金が返ってこなくなっていることや、アメリカの巨大ヘッジファンドLTCMに貸した金が焦げ付きそうなことが、経営悪化の主因となっている。LTCMの経営危機が明らかになった9月下旬以降、ABNアムロ(オランダ)、ドイツ銀行UBS(スイス銀行)などが、経営悪化の様相を強めている。

 10月5日には、信用格付け機関が、ヨーロッパの5つの大手銀行を格下げする可能性がある、と発表した。また投資銀行のINGベアリングズは、ロシアなど新興市場向けの投資部門を縮小し、全従業員約1万人のうち1200人を解雇する、と発表した。

 LTCMとロシアへの投資に共通していたのは、利回りの驚異的な高さだ。以前の記事「神々の崩壊:世界をゆるがすヘッジファンド危機」で紹介したように、LTCMへの投資利回りは、年に40%台だった。ロシアでは、「GKO」と呼ばれる主にルーブル建ての短期国債の利回りが、年50%前後だった。

 ロシア国債の高利回りは、それだけリスクが大きいということだったが、ロシアはたとえ国家破産の危機に陥っても、核兵器を大量に持っている大国だから、欧米は混乱を放置できず、援助するだろうから大丈夫だ、と思われていた。

 だが今春以降、国際金融危機がロシアに飛び火すると、IMFやアメリカが融資しても好転せず、ロシア政府は8月、GKOの償還を予定通り行えないとする、事実上の債務不履行宣言をした。「まさか」が現実になったのである。

●未来がないはずの中小銀行の方が健全になってしまうという皮肉

 西ヨーロッパでは来年から通貨統合が実施され、国家間の金融取引に対する自由化が進み、金融界の競争が厳しくなると予測されている。世界的な金融自由化の流れもあり、ヨーロッパの銀行は、国際取引を拡大し、生き残りを図ろうとしてきた。

 中小の銀行は大胆な国際化を進める力がなく、競争激化で利益が薄くなっていく国内取引で食いつながねばならず、未来は暗いと思われていた。だが、大銀行が国際投資で大損し、経営悪化しつつある今となっては、かえって中小の地域銀行の方が堅実になってしまっている。

 日本でも1980年代には、「国際化に対応できる大手銀行しか生き残れない」と言われていたが、バブル崩壊後の90年代半ばになると、かたくなに慎重経営を続けていた一部の地方銀行や信用金庫の方が頼もしく見えるようになった。それと似たことが、今ごろになってヨーロッパで起きているのである。

 冷戦崩壊後、世界的真理のように言われた「経営の国際化」「グローバリズム」は、実は一時のバブルにすぎなかったのではないか、という主張する論評が、欧米の経済専門メディアに、ちらほらと載るようになっている。

 アメリカでも、状況は似たようなものだ。9月末の合併で米国最大の銀行グループとなったバンカメリカは、ロシア投資の失敗などにより、巨額の損失を計上すると発表した。また、世界最大の投資銀行であるメリルリンチは、3400人の解雇計画を発表した。

 このような状況の中、欧米では金融機関が自分たちのリスク管理に対する自信を失って、リスク恐怖症に陥り、企業に金を貸さなくなる「貸し渋り」の態度を強めるのではないか、と心配されている。アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長は、「金融危機がアメリカ経済全体を崩壊させかねない」と警告した。

 これまでアメリカでは、アジアで米企業の商品が売れなくなって、国内経済がじわじわと悪化するのではないかと懸念されていたが、金融危機は、そうした実体経済内のメカニズムよりもはるかに速いスピードで、悪影響を広げる可能性がある。

●自分のことになると慌て出したアメリカ

 欧米銀行の突然の経営悪化の原因となったLTCMやロシア経済の破綻が起きたのは、元はといえばIMFとアメリカが、アジアで起きた金融危機への対処方法を間違えたからだった。(重要決定事項に関してIMFは事実上、アメリカ財務省に決定権を奪われているから、IMFの失策はアメリカ政府の失策といってよい)

 昨年、東南アジアと東アジアの各国で、相次いで通貨が急落し、欧米や日本から投資していた資金の引き上げが起きたとき、IMFは各国の金利を引き上げさせるとともに、政府の借金を減らす政策を取らせることによって、資金流出を食い止めようとした。投資家は高金利を好むし、あまり借金をしていない人や組織に貸したい、と思うからだ。

 だが高金利は、アジア企業の資金調達コストを増やした。多くの企業が倒産して失業者が急増し、社会不安が広がったため、海外からの投資資金は戻ってこなかった。各国政府は財政赤字を減らすため、食料や公共交通など国民生活に対する補助金を減らさざるを得ず、これも社会不安につながった。東南アジアの金利は下がらず、経済はどんどん悪化していった。

 これを見て、目ざとい投資家は、IMFの高金利・緊縮財政政策はうまくいかないので、もし金融危機がロシアや中南米に飛び火した場合、被害の拡大を阻止できないだろう、と考えて、ロシアなどから資金を引き上げ始めた。一部の投機筋は、ロシアや中南米の相場下落に備え、投機の網を張り出した。

 こうなると、不安が現実になるのは時間の問題だ。ロシアでは今年5月に金融市場が崩壊し、8月には国債の支払延期などを発表した。

 IMFとアメリカは、ひどい目に遭っている人々の範囲がアジアやロシアに限られていたときは、自分たちのやり方について公式に考え直すことはなかった。だが、欧米の金融機関の経営が急速に悪化し、自分たちの服にも火がつきそうになると、あわてて方針転換を検討し始めた。クリントン政権は、IMFの高金利政策は変えるべきだと言い始め、世界中が低金利政策に転換するよう、動き出した。

 低金利にすれば、銀行が企業に金を貸す際に、自分の儲けを十分に上乗せしても、企業が敬遠するほどの高金利にならずにすむ。つまり利下げは、経営が悪化してきた金融機関を助け、「貸し渋り」を減らすための方策だ。(日本の低金利も同じ意図を持っている)

 またIMFは、東南アジアや韓国に利下げを許すようになったのだが、その一方で欧米の金利が下がらなければ、資金はアジアから欧米にいっそう流出してしまう。アジアに利下げを許しつつ、アジア経済をこれ以上悪化させないためには、欧米や日本の金利も下げた方がいい、というわけだった。

●世界同時利下げの効果は?

 とはいえ、金利のベースとなる公定歩合などは、国内経済の状況に合わせて変えるのが常道であり、外国の状況変化を受けて上下させるものではない、とされてきた。しかも金利を決めるのは、政府から独立した中央銀行(アメリカではFRB)である。

 クリントン政権は9月になって、FRBに対して利下げするよう圧力をかけはじめたが、米国内の景気は、まだそれほど問題視すべき状況ではなかったし、利下げするとインフレ懸念が強まるので、FRBは利下げを渋った。結局、FRBは9月末、短期金利の0.25%引き下げという、小幅な利下げを実施した。約3年ぶりの利下げだった。

 だが、利下げ幅が事前の予測より小さかったので、市場関係者の多くは「FRBのグリーンスパン議長は、世界経済の危機的状態を十分に理解していない」と思ってしまった。失望感が広がって、株式相場は急落した。

 グリーンスパン氏は、11年前にFRB議長に就任して以来、「常に正しい判断をする」と経済界から評価されてきたのだが、彼に対する信頼もまた、揺らいでしまった。FRBは市場関係者からの信頼を回復するため、10月15日に公定歩合を引き下げた。約2週間に二度も利下げをするのは異例のことだ。

 アメリカ政府は、ヨーロッパや日本に対しても利下げを求めた。日本はアメリカに押されるかたちで9月10日に短期金利の目標値を引き下げたが、すでに超低金利で、もう利下げの余地はほとんど残っていない。

 ヨーロッパは来年早々に通貨統合をひかえており、政策上で微妙な手綱さばきを求められている時期だ。アメリカの同盟国で通貨統合に参加しないイギリスは利下げしたが、ドイツ、フランス、イタリアは、アメリカから言われて利下げすることを嫌がった。ヨーロッパからは、国際金融市場への影響を狙って各国が利下げしても、効果が上がるのかどうか疑問だ、との意見も出ている。

 金利は国内経済のために上下させるもの、と考えてきたFRBだが、実際はずいぶん前から、アメリカの金利は世界経済に大きな影響を与えている。たとえば1990年代の初め、アメリカでは貯蓄貸付組合(S&L)の不良債権問題で金融危機が起こり、FRBは銀行の貸し渋りを緩和するために利下げした。

 これによってバブル潰しのために高金利にしていた日本に大量の資金が流れ、円高ドル安が進んだ。資金は東南アジアにも流れ、昨年に金融危機につながる状況が作られた。

 (第3部「IMFは世界を救えるか」に続く)





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