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ウイグル人のイスラム信仰を抑圧しすぎる中国

2014年8月14日   田中 宇

 中国の西のはずれ、新疆ウイグル自治区の西南部(南新疆)の主要都市カシュガルには、2つの中心地がある。一つは市街の真ん中にあり、東西に伸びる人民路と、南北に伸びる解放路との交差点だ。この交差点の周辺に市役所、共産党委員会、人民公園などの主要施設がある。人民路と解放路の交差点が中心である町は中国のいたるところにあるが、カシュガルのこの交差点は別格だ。ここは「シルクロードの十字路」だからである。

 東方に向かう人民東路は、新疆の中心地ウルムチ市や、西安、北京につながっている。西方に向かう人民西路は「カラコルムハイウェイ」で、クンルン山脈の峠の国境を越えてパキスタン、アフガニスタン、インド方面につながっている。北方に向かう解放北路は、150キロ先の国境を越えて、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなど中央アジア諸国につながる。南方に向かう解放南路は、7月末に暴動が起きたヤルカンド、南新疆でカシュガルに次ぐ都市であるホータンを通り、青海省、チベット自治区、四川省、中国東南部につながっている。北方と南方へは高速道路がある。

「シルクロードの十字路」というとエキゾチックだが「人民路と解放路の交差点」というと、中国のどこの町にもある、中国的に平凡な場所のイメージだ。この感覚的な格差が表すものは、中国の同化政策である。中国の共産党政権は建国以来、それまで過剰に多様だった中国を、統一された「国民国家」に変質させようと、非常に強い力で同化、単一化する政策を続けた。北京語などの普及と並んで、都市計画も単一化され、広東省や黒竜江省の地方都市から、新疆自治区の地方都市であるカシュガルまで、同じような通りや公園の名前になっている。

 現在のカシュガルは上記の交差点が中心だが、昔は町の中心がもう少し北にあった。カシュガルの二つ目の中心地は、旧市街の中心部、上記の交差点から300メートルほど北西に行ったところにある「エイディガールモスク」だ。一つ目のが経済の中心地、行政上の中心地、漢族にとっての中心地であるのと対照的に、二つ目のは、地元の文化や精神的な中心地、宗教的な中心地、ウイグル族(ウイグル人)にとっての中心地だ。

(旧市街のすぐ外側に、かつての英国領事館とロシア領事館の建物の一部が、歴史的建物として残っている。2つの領事館の跡地は今、いずれもホテルになっている。産業革命から百年がすぎた19世紀末、シベリア鉄道から南下して中央アジアを占拠したロシアと、インドから北上してきた英国とが、弱体化していた清朝中国の辺境だったこの地域で影響力を接して競う「グレートゲーム」を展開し、英露が相次いで領事館を設けた。2領事館は新中国成立後、朝鮮戦争の前後まで存在していた)

 モスクと、その周辺の旧市街は観光地になっていて、中国語とウイグル語のほか、英語・ロシア語・日本語で書かれた道標があちこちに立っている。1970−80年代にNHKが「シルクロード」を放映して以来、一昨年に尖閣諸島の対立が激化するまで、日本人はカシュガルを訪れる外国人観光客の半分近くを占めていた。今では、ほとんど日本人が来なくなり、日本語のガイドは失業状態だ。

 旧市街のエイディガールモスクは、新疆の2600万人の人口の4割を占めるウイグル人の全体にとって最重要なモスクだ。広い中庭にポプラが生い茂り、真夏の昼間でも涼しい。モスクにはふだん、あまり人がいない。お祈りしている人も数人だ。周辺の旧市街と合わせ、観光用に存在しているかのようだ。しかし、週に一度の大きな礼拝が行われる金曜日の午後3時(北京時間)が近づくと、周辺からぞくぞくと男性たちが集まってくる。私がこのモスクを訪れた8月8日の金曜礼拝時は、5千人か、それ以上の男たちが集まった。

 モスクにはぎっちり詰めて8千人を収容できる(礼拝用に、一人ずつの区画がじゅうたんの上に描かれている)。モスク内の礼拝堂はじゅうたん敷きだが、中庭は石畳で、何も敷いていない。異教徒である私は礼拝時にモスクに入れないが、モスクの側面にある大きな扉の隙間から中庭をのぞいたところ、中庭は満席に近い感じだった。正面入口から中庭に入れず、入り口の前にじゅうたんを敷いて礼拝する人が300人ほどいた。一人分の礼拝用じゅうたんを丸めて手に持ってモスクにやってくる人がかなりいる。じゅうたんがない人向けに、じゅうたん代わりのビニールを子供が入り口で配布していた。最近の中国では、昔の自転車に代わって、電動バイクで移動する人が多いが、モスクの駐輪場は数百台の満車状態だ。

 8月8日の金曜礼拝時、モスクの正面入り口には、3人ほどの警察官が立っていた。一人は小銃を持っていたが、ものものしい感じはない。ウイグル人テロの襲撃対象になりうる漢人が多いウルムチでは、市街地の数百メートルおきに、小銃や盾を持った5人ずつの武装警察の部隊がおり、緊張感があったが、それに比べると、カシュガル市内は全体に、武装警官がほとんどいなかった。100キロほど離れたヤルカンドで7月末から暴動が起きて緊張状態なので、カシュガルの警察部隊はほとんどそちらに行っているのだとも聞いた。

 カシュガル市内には170カ所のモスクがある。エイディガールモスクは最大のモスクで由緒があるので、農村からカシュガルに遊びにきた人々などはこのモスクで礼拝したいだろうが、市内の居住者は自宅の近所で礼拝している。カシュガルの人口は50万人で、ウイグル人が7割だ。エイディガールモスクの金曜礼拝の人数の多さから考えると、ウイグル人の大半は、まじめに礼拝をしていると考えられる。私がカシュガルで話を聞いた数人のウイグル人も、全員が敬虔さを重視していた。

 イスラム教徒にとって1年で最も重要なのは、ラマダン(断食月)の1カ月と、断食明けの「ローズ祭」、その70日後の「クルバン祭」(犠牲祭)にかけての3カ月間だ。ローズ祭や犠牲祭には、エィディガールモスクの中だけでなく、モスクの前の広場や周辺の道も人々で埋め尽くされ、3万−5万人が集まる。モスクの入り口の屋上に楽団がのぼり、民族楽器のラッパなどを吹奏し、広場にいるウイグル人の全員が踊りまくる。ウイグル人は、踊れない者がいないといわれるほど踊り好きで、親族の会合、結婚式などでは集会者たちが踊ることが多い。アラブ人やイラン人も、家の中でやる結婚式などの会合では踊ることがあるが、公式の場では踊りや歌舞音曲がイスラム的でないとして禁止されたり制限されている。

 ウイグルでは、このような規制がない。敬虔なイスラム教徒が多いが、その一方で、モスクの前に数万人が集まって民族的な歌舞音曲をすることが年中行事になっている。イスラム教は、家族やコミュニティの結束を重視する宗教だ。その点では、ウイグル人の結束を強める祭での歌舞音曲と、イスラム的な指向が矛盾していない。ウイグルのイスラム教は、他の多くの地域と同様、信仰と文化が融合した存在になっている。

 モスクで礼拝するのは男だけだ。女性は自宅で礼拝する。農村からカシュガルに家族で遊びにきて、ついでにエイディガールモスクで礼拝する男の妻や母娘らは、モスクのまわりの木陰に座って待っている。その数は数百人ほどだった。アラブ諸国などのモスクは、男女の入り口が分かれており、女性も礼拝できるところがかなりあるが、ウイグルのモスクは礼拝時、男性のみで、女性は入場禁止だ(礼拝時以外は入場できる)。中国では、回族のモスクには、女性の礼拝区域や女性専用のモスクが設けられているが、ウイグルのモスクにはそれがない。

 カシュガル、ホータンといった南新疆地域は、住民の85%がウイグル人で漢人は15%しかいないが、新疆の中心地である大都会(人口300万人)のウルムチは逆に人口の8割が漢人だ。ウルムチのウイグル人もイスラム教徒だが敬虔でなく、今年は6月末から7月末まで続いたラマダン(断食月)も、まったくやらないか、おしるし的に1日とか3日間だけやって終わりという人が多い。ラマダンをしている人は昼間、できるだけ動かずじっとしていようとするが、職場に漢人が多いと、ウイグル人だけラマダンで動かないわけないかない。ウルムチのウイグル人は、比較的所得が高い中産階級だと、モスクにほとんど行かない人がかなりいる。大都会のウルムチと、地方都市や農村の南新疆では、ウイグル人のイスラム信仰の濃さがまったく異なる。

 南新疆のウイグル人は、都会のウルムチに比べてイスラム信仰が濃厚だが、服装やあごひげなどの外観の面からは、濃厚さがうかがえず、世俗的な感じがする。ウイグルの老人の中には、あごひげを蓄えている人がいるが、それは老人だけで、若い男性は、あごひげの人がまったくいない。女性の多くは柄模様のスカーフをしているが、髪の毛と首筋の全体を隠すイスラムの「ヒジャブ」「ジルバブ」の付け方をしている人ばかりではない。髪の毛だけをおおって首筋をおおわない、米欧日でよく見るような「スカーフ式」の付け方をしている人がかなりいる。中東イスラム諸国では、女性が公的な場所で髪の毛やうなじ、首筋を見せることが禁止されている。

 しかし、この世俗的な外見には大きな理由がある。中国当局がウイグル人に対し、若い男性のあごひげ、女性が顔を隠すイスラム式の服装を禁じているからである。北京政府や、ウルムチの新疆ウイグル自治区政府の公式見解は「どんな服装をしても自由であり、違法でない」というものだが、これは現実と異なる建前論を述べているにすぎない。地元の市や町(郷鎮)などの当局は日々、若い男のあごひげや、女性の服装に対する取り締まりをやっている。女性の服装に関して多くの地元の当局は、髪の毛と首筋の全体を隠し、あごからひたいまでの顔面は露出する「ヒジャブ」までを許し、それ以上の、目だけを露出して口や鼻を隠す「ニカブ」のやり方、目までメッシュの布を垂らして隠すやり方を取り締まることが多い。

 警察に見つかる可能性がある街頭では顔面を出しているが、警察がいない乗り合いタクシーやバスの中では、目だけ露出する方式に変える女性も見た。一族の女性が、外出時でどこまで露出するかを決めるのは、夫や家族長の男性であり、当局がいないところで女性たちは、男たちの決定に従った服装をする。

 私が話をしたカシュガルのウイグル人は「ウイグル人は大昔から敬虔なイスラム教徒だ」と言っていたが、20年ほど前にカシュガルを訪問した日本人によると、当時のカシュガルでは、他の中国の諸都市と同様、多くのレストランで飲酒しており、ウイグル人の男たちは酒が大好きだったという。今でも、省都のウルムチのウイグル人は酒を飲む人が多い。しかし、カシュガルのウイグル人はほとんど飲酒しない(悪いことと知りつつ、たまに家で飲む、という人はいた。この点はアラブ人やイラン人と同じだ)。カシュガルの町には、酒を売る店もあるが、漢人もしくは観光客が多い地域に限られている。

 カシュガルなど南新疆のウイグル人が今のように熱心なイスラム教徒になったのは、01年の911事件後、米国のイスラム敵視策に呼応するかたちで、アラブ諸国の人々がイスラム教徒として覚醒したことに影響されている。毎年、多数のウイグル人が政府公認の旅行団としてメッカに巡礼に行くが、巡礼者は自分の村で尊敬されている50歳以上の中高年者が多い。メッカで他のイスラム諸国の覚醒した巡礼者たちとしばらくすごすうちに、ウイグル人の巡礼者も覚醒し、帰国後、自分の村に帰って、熱心なイスラム教徒になることを若い村人たちに教えるようになり、ウイグル人全体が敬虔になることにつながったと考えられる。

 当局は、ウイグル人をメッカ巡礼に行かせたくないが、巡礼を禁止すると密出国して行く人が増え、逆に統制や管理ができなくなるので、政府が巡礼団を編成し、参加者の選考も当局の監督のもとで行われる。巡礼に行く前には、新疆中の参加者をカシュガルに集め、数日間の研修会を行う。巡礼に行っても愛国心を忘れるなとか、イスラム原理主義にかぶれるなといったような、事前の予防としての教育を行う。巡礼から帰国後は、当局側の人が巡礼者を1人ずつ面接し、過激な思想にかぶれていないかチェックする。共産党員はウイグル人でもイスラム信仰を禁止されているが、毎年サウジアラビアから巡礼者の人数を割り当てられると、その枠はまず優先的に共産党員に配分される。共産党にとって宗教は迷信なので、メッカ巡礼も観光旅行のように考えられている。ウイグル人より、回族など、政府に対して従順なイスラム教徒を優先して巡礼に行かせているという説もある。

 01年以降、アフガニスタンやイラク、リビア、シリアなどが戦争や内戦になり、その「聖戦」に参加するウイグル人も増えた。新疆から遠く離れ、ウイグル人に対する警戒が薄い雲南省などから違法に出国して中東の聖戦に参加して「聖戦士」になった若者が、一定期間後に故郷にこっそり戻り、若者向けの無償のイスラム学校を開き「アルカイダ」ばりのイスラム原理主義の教えを広めようとする動きも起きた。

 エィディガールモスクでは7月30日、モスクで最高位のイマーム(聖職者)であるジュム・タヒル(Jume Tahir)が、モスクで朝の説教をした直後、モスクの中庭で、ナイフと斧を持った若者によって殺害されている。タヒルは20年ほど、このモスクのイマームをしていた。20年も続けられたのは、彼が政府である共産党のいいつけ(指導)に良く従っていたからだった。

 共産党は無神論であり、イスラムを含む宗教を、すべて迷信とみなしている。だからウイグル人は心の中で共産党を嫌う人も多く、共産党員になる人が、漢人に比べてぐんと少ない。党員になると、職場で昇進できる傾向が強まるので、漢人はなりたがるが、同時に無心論者の行動規範としてモスクに行くことを禁じられるので、ウイグル人は党員になりたがらない(ウイグル人の党員は、定年退職後、モスクに行くことを黙認される)。そんな中で、エィディガールモスクの指導者であるタヒルは親共産党の姿勢をとり、それがゆえに20年もイマームを続けられたが、同時に信者の中には彼を良く思わない人も多かった。

 それでも以前は、信者の若者がイマームを殺すことなど考えられなかった。状況が変わったのは北京五輪があった08年ごろからだ。00年から続いていた中国政府の新疆政策である「西部大開発」によって、多くの漢人がウルムチを中心とする新疆に移民してきて、ウイグル人の既存の商権や雇用が奪われている感じが強まった。新疆各地の共産党の漢人幹部が、内地からやってきた漢人企業と結託して金儲けする事態も広がった。

 08年にはラサなどでチベット人が漢人を襲う暴動が起こり、09年には、ウルムチでもウイグル人と漢人が相互に相手の民族を襲撃する暴動が起きた。中国政府はウイグル人のイスラム信仰を抑圧する傾向を強め、南新疆の各地で、若者のあごひげや女性の保守的な(顔面を隠す)服装が禁止された。原理主義者の養成につながるコーラン学校の開設や、子供をそうした学校に入れることも禁止された。

 昨年6月には、トルファン地区の町で当局がモスクを閉鎖し、怒った人々が暴動を起こした。この暴動で殺された人の親戚の一家3人(夫婦と夫の母親)が、昨年10月、自動車にガソリンを積んで北京の天安門広場に突っ込んで自爆し、偶然近くにいた市民を殺害している。中国政府はこの事件を「テロ」として扱い、大規模な取り締まりを行ったが、事件の実態はおそらく「テロ」というより「政府や漢人に対する抗議行動の意味を持つ一家心中」だ。

 今年3月には中国西南部の雲南省の昆明駅で、ウイグル人の男6人、女2人の集団が、刃物を持って駅の待合室に乱入し、たまたまそこにいた市民を次々と殺害する事件が起きた。この事件は、犯人像がまったく発表されておらず、以下は私の推測だ。犯人8人は、男女が交じっていることから考えて、親族どうしだろう。女性がモスクでの礼拝を許されていないことからして、ウイグル人は宗教的に男尊女卑だ。イスラム原理主義組織が計画したテロ(聖戦)なら、男ばかりでやるだろうから、明らかにそれとは違うものだ。彼らは、ウイグル人の密出国に対する当局の警戒が地元の新疆より薄く、回族などの、密出国によるメッカ巡礼のルートに使われることが多い、雲南省からラオス、タイへのルートで密出国し、中東に行ってシリアあたりの「聖戦」に参加するつもりだったのでないか。密出国に失敗し、行き詰まった挙げ句、漢人全体が宗教的・経済的にウイグル人を弾圧しているという考え方から、手当たりしだいに漢人を殺すことを「聖戦」とみなし「自殺は禁止だが、聖戦で死ねば天国に行ける」というイスラム原理主義的な言い方を信じて、当局に殺されるつもりで駅の人ごみで殺戮を行ったと考えられる。

 ウイグル人が行う殺人には、ナイフや斧が使われることが多い。ウイグル人の男性は、小さいころから、毎年のクルバン祭(犠牲祭)で、いけにえの羊を家の前や庭で殺して肉にするときに、ナイフや斧の使い方を父親ら大人から教えてもらう。だから南新疆で、ウイグル人の男は、誰でもナイフや斧で羊を殺して食肉解体作業をこなせる。刃物で羊を殺せる技能があるなら、人間を殺すこともできる。羊を殺す際は首を切るのがイスラム教のしきたりだが、ウイグル人が犯人の殺人事件(テロや暴動)で殺された漢人の多くは、首を切られている。

 上記の、昨年10月の北京・天安門広場での自動車による自爆テロと、今年3月の昆明駅での無差別殺害テロという2つの事件によって、中国全土の漢人が、ウイグル人が中国の内地(新疆以外の場所)で、漢人を殺すテロをする気があると考えるようになった。すでに述べたように2つのテロ事件は、組織的なものでない。経済と生活(宗教)の両面で追い詰められた家族が、行き詰まった挙げ句に起こした自殺的な事件だ。ウイグル人を経済的に追い詰めたのは、この10年あまりの間に漢人が新疆に流入して利権をあさったことが大きな原因だ。しかし多くの漢人にとって、そんなことは知ったことでない。中国の内地でウイグル人に対する取り締まりが厳しくなり、新疆ではイスラム教の信仰を当局が抑制する度合いが強まり、モスクの閉鎖や、服装やひげに対する禁止が強まった。

 7月末に殺されたエイディガールモスクの共産党寄りのイマームのところにも、当局から、モスクでの説教を通じてテロを抑止しろと、これまでより強い圧力がかかったのだろう。イマームの説教は、コーランの言葉を逸脱し、共産党政権が使う用語をそのまま使うようになり、信者の間にイマームに対する怒りが強まり、殺害に至ったと考えられる。

 1カ月間のラマダン(断食月)が終わるローズ祭は、イスラム教徒にとって最重要の行事だ。ウイグルの女性たちは、ラマダン開けの前日から、ローズ祭のごちそうを作る準備を行う。今年のラマダン開けは7月29日だった。しかしその前日、カシュガルから100キロあまり東に行ったヤルカンド(莎車)郊外のウイグル人の村である艾里西湖(エリシフ)鎮で、警察が40人の女性たちを、服装がイスラム的すぎるとして逮捕し、警察署に勾留した。彼女らの夫たちが警察署に行き、大事なローズ祭の準備をせねばならないので女性たちを釈放してほしいと頼んだが、聞き入れられなかった。それまでも、当局が村人のイスラム信仰を妨害する行為が多々あったようで、この事件を機に、村人たちの何人かが怒って刃物を持って警察署を襲撃する暴動に発展した。

 エリシフのとなりの荒地鎮では、ヤルカンド川の治水工事が行われていた。治水工事は、内地の漢人企業が請け負い、企業が内地から漢人の労働者を連れてきて工事を行っていた。(新疆には、ウイグル人の大きな建設会社が皆無で、少し大きな規模の土木工事や、マンションなどの大きなビルの建設は、すべて内地の漢人企業が請け負い、内地から労働者を連れてきて建設する。ウイグル人が大きな工事を請け負える建設会社を作れないのが一因であるが、建設業界の雇用や儲けはウイグル人にまったく入らない)

 エリシク県の警察署を襲撃したウイグル人たちは、その後、この治水工事の建設現場を襲撃し、漢人の労働者らを殺した。なぜウイグル人がこの工事現場を襲撃したか不明だが、単に漢人がいるというだけで殺すとは思えない。この治水工事が、川の氾濫を防止するような、村にとって良い効果をもたらすものであったなら、工事を請け負っているのが漢人であっても、殺すはずがない。逆に、この治水工事が、村の農業の大事な水資源である川の水を、どこか別のところに横流ししてしまうものであったなら、村人は激怒し、工事現場の漢人を殺しても不思議でない。

 南新疆では近年、地域経済の振興に寄与する名目で、地元の当局の漢人幹部(市や村の共産党の党書記など)によって、内地の漢人企業が誘致されて事業を行うことが多々あるが、その内実は、地元の大事な農業用水や農地、地下資源を、地元の村人から奪って企業に使わせて儲けさせてやるだけのことが多く、地元の村人が怒って、北京政府への直訴や、暴動を起こすことが相次いでいる。漢人幹部は、企業からキックバックをもらう見返りに企業を「新疆支援(援疆)」の名目で誘致する。地元の経済に貢献せず、逆に収奪が行われる。これは腐敗そのものである。このような構図が多発しているので、ヤルカンドの事件も、当局が発表しているような「テロ」でなく、村人のイスラム教の行事を抑圧し、村人の水資源を奪う「支援」のふりをした行政腐敗を行う当局に対する怒りの暴動であると考えられる。事件以来、ヤルカンド市内への外部者の立ち入りが厳しく規制されているため、現地を訪問することはできない。

 中国はこの10年あまり、上海協力機構を結成するなど、ロシアや中央アジア、インド、パキスタン、イランなど、西アジア諸国との関係を強めている。今後、中国と西アジア諸国との経済関係がさらに強まるだろう。この構図において、新疆は地理的な中心である。中国政府はこうした流れの中で、新疆の経済インフラを整備したり、内地の漢人の新疆への移住を奨励する政策をとっている。それ自体は、長期的に、中国や周辺諸国の発展につながるものだ(交通網とエネルギー関連をのぞくと、短期的には成果を上げていないインフラ整備が多いが)。

 しかし、今回の記事に書いたように地元の詳細を見ていくと、多くの矛盾があることがわかる。一つの問題は、中国共産党内部の、あまりにひどい腐敗だ。これは、漢人の経済技能を抹消しようとした毛沢東の政策から180度転換するために、手段を選ばずに金儲けすることを黙認したトウ小平の改革開放政策の負の面として、この30年来、起きている(共産党も国民党も腐敗まみれになった歴史から考えると、漢人が金儲けに貪欲すぎる民族だからと考えることもできなくないが)。共産党幹部が企業からキックバックをもらう見返りに不正に利権を与え、地元の市民や村人の農地や家などの生活権が奪われることは、中国の内地では、30年前から頻発している。新疆では、00年の西部大開発以来、ひどくなった。

 新疆を含む中国では今、党内の最強の権力集団である江沢民ら「上海閥」を含む、共産党幹部の腐敗を強く取り締まろうとしている習近平に対する評価が高い。腐敗取り締まりは江沢民や胡錦涛の時代にも行われてきたが、成果は今一つだった。習近平による取り締まりが意外にうまくいけば、新疆で党幹部がウイグル人農民から土地や水を奪って漢人企業に与える腐敗も、ひょっとすると取り締まられるかもしれない。

 新疆では、内地よりも大きな「民族問題」が、問題に加わる。中国政府は建国以来、少数民族を大事にする政策として、ウイグル人に対し、ウイグル語の教育や放送を提供している。それ自体は良いこととされているが、ウイグル人の多くは漢語(中国語)が不得意で、進んだ技術を持った漢人企業への就職は困難だ。ウイグル人の中には、子供の就職を考えて、小学校から漢語で勉強させる人もかなりいる。南新疆では、ウイグル人の多くが農民だ。西部大開発で漢人が新疆に大挙して流入する中で、多くのウイグル人が貧困層からはい上がれないでいる。(中国のイスラム教徒の中でも、回族など漢語を母語とする人々は、当局とほとんど摩擦がない。回族は、経済的にもうまくやっている)

 南新疆では、共産党幹部の腐敗、ウイグル人の民族問題に加えて、イスラム教に対する抑圧がある。抑圧の根幹には、共産党が「無神論」で、イスラムを含む宗教を迷信とみなして蔑視していることがある。イスラムは世界的な宗教であり、メッカ巡礼などを通じて、南新疆のウイグル人は自分たちの宗教的な誇りや正当性を感じている。イスラム教は、コミュニティの結束力に依拠する宗教で、イスラムのコミュニティは外部から弾圧されるほど、モスクを中心に結束を強めて対抗し、全員が命がけで戦う。当局がモスクを閉鎖したら暴動が起きるのは当然だ。イスラムは、弾圧されるほど強くなる宗教だ。ウイグル人のイスラム信仰を弾圧して宗教色を薄めて、漢人の世俗的な文化に同化しようとする共産党の政策は成功しない。

 イスラムが弾圧されるほど強くなる宗教だから、米国が911後にイスラム世界の全体に宣戦布告した「テロ戦争」は、世界中のイスラム教徒の信仰を掻き立て、イスラム教が強くなって米国が中東から撤退せざるを得なくなる事態につながっている。テロ戦争を起こした米国中枢の右派勢力は、イスラム教の本質に詳しいユダヤ人だった。それだけに、米国覇権を自滅させる隠れ多極主義的な目的でテロ戦争を起こしたのでないかと疑われる。中国政府は、米国のテロ戦争と似たやり方で、南新疆のウイグル人を宗教的に抑圧している。その理由の大きなものは、中国共産党が宗教を嫌っているからだ。イスラムテロへの対策を練る際に、米国やイスラエルの「専門家」の助言を受けているが、そうした助言が、中国共産党のイスラム弾圧策に拍車をかけた可能性も、少しあるかもしれない(隠れ多極主義的な政策が、多極化する側の国である中国を自滅させるという矛盾した構図だが)。



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