民主化運動で勝てない香港2014年7月14日 田中 宇中国の特別行政区である香港で、2017年の行政長官選挙を民主的なものに変えることを北京政府に求める市民運動が続いている。北京政府が行政長官選挙の十分な民主化を認めないため、市民運動の側は、香港最大のビジネス街である香港島のセントラル(中環)地区に大量の市民が座り込みをして街を麻痺させる「中環占拠」の行動を、7月中に開始しようとしている。中環占拠は、米国の市民運動がニューヨークの金融街(ウォール街)に居座った2011年からの「ウォール街占拠」の運動にあやかっている。 (讓愛與和平占領中環) (Occupy Central with Love and Peace From Wikipedia) 1997年に英国から植民地だった香港の返還を受けた中国(北京政府)は、香港に50年間の自治を認めた。全人代(中国の議会)が定めた香港基本法の45条で、香港で最上位の指導者である行政長官を普通選挙で決めることを目標に改定していくと明記している。しかし今はまだ普通選挙でなく、香港の親中国の有力者たちが選んだ何人かの候補者の中から、業界団体や各界の団体が数十人ずつ選挙委員を出す1200人の選挙委員会が投票で行政長官を選出する、制限的な間接選挙制になっている。選挙委員の投票に参加できる人は、香港の有権者(350万人)の6%にあたる23万人にすぎない。 (Occupy Hong Kong, China's coming pro-democracy showdown) (Voter Registration Statistics) 香港の市民運動「愛と平和の中環占拠」は、基本法45条などを根拠に、17年の行政長官選挙で現行制度を大幅に民主化し、自由な立候補を受けつけ、選挙委員を選ぶ選挙の投票権も成人の香港人すべてに与える普通選挙制に移行するよう求めている。中国政府側は、選挙委員を選ぶ選挙を普通選挙にすることを認めたものの、立候補者の認定は自由化せず「愛国的(共産党政権支持)な候補者に限定する」と言っている。中国政府側は「行政長官の自由選挙は、(北京政府が約束した)香港の自治に含まれていない」「選挙制度をいつどのように変えるかは、北京政府の側が決める」とも言っている。当局側が反共産党の候補者をはずした上で普通選挙をやるやり方は、候補者を「敬虔なイスラム教徒(イスラム聖職者の独裁に反対しない人)」に限定した上で普通選挙をやっているイランの「イスラム共和国体制」と似ている。 (Are Hong Kong's Democracy Activists Chasing an Illusory Goal) 「中環占拠」は6月20-29日に、17年の選挙で行政長官をどのように選ぶべきかを問う住民投票を実施した。選択肢とされた3つの選挙方法はいずれも立候補の自由を十分に設けたもので、中国政府がすでに拒否している内容だ。香港の有権者の22%にあたる79万人が投票し、10%の棄権票以外の90%分が、立候補の自由化を求めていた。北京政府と、現行政長官の梁振英は、この住民投票が違法で無効だと表明した。 (What the Occupy Central referendum asks voters) 市民運動主催の住民投票は、香港の有権者の22%しか投票しておらず有効性に疑問があるが、市民運動の側は、選挙改革を求める民意が明確になったとして、7月中に中環の占拠を開始する方針を出している。7月1日の香港返還記念日には、選挙改革を求める10万人(当事者発表では50万人)のデモ行進が行われた。この規模のデモ行進は香港で10年ぶりだ。デモのあと、予行演習的に市民数百人が中環で座り込みを行った。 (China warns of chaos in Hong Kong) 香港では、行政長官や立法会議の選挙を民主化・自由化することについて、市民の多くが賛成しているが、市民運動が中環など中心街を長期に占拠するやり方で選挙改革を求めることには、反対の声が大きい。香港市民は全般にビジネス優先の感覚が強い。北京政府とむやみに反目すると、経済政策の面で香港に対する優遇が減らされて得策でないと考える人が多い。香港は、ビジネスにおける環境の良さに関して上海やシンガポールなどと競争しており、香港の金融センターである中環が占拠され、金融機能が麻痺すると、他の競争都市に対する香港の優位性が失われると懸念されている。中環は街路が狭く、数百人から数千人の、比較的少ない占拠者によって機能を麻痺させられる。市民運動は、それを狙って占拠する場所を中環に定めたのだと、市民運動を批判する論説も出ている。 (Occupy Central has support … but it's hardly a majority) (The business end of Occupy Central) 香港を代表する金融機関、HSBC(香港上海銀行)とスタンダード・チャータードは、いずれも旧宗主国の英国系だ。英国系勢力は以前、反中国的だったが、今では中国の経済台頭を受け、すっかり親中国に転向している。2行は、中環占拠の運動に賛成する香港の民主派系(反共産党系)の新聞への広告掲載を停止した。HSBCは、中環占拠運動で香港が混乱し、経済効率が悪化する可能性があるとして、香港株の下落予測を発表し、中環占拠で混乱がひどくなる前に香港から資金を逃がした方が良いと投資家に勧めている。中環占拠運動が行われると、高騰してきた香港の不動産市場の下落につながるとの警告も出ている。 (Get out of Hong Kong before the next pro-democracy protest, HSBC tells investors) (HSBC backtracks on Occupy Central as reason for downgrading Hong Kong's outlook) 中環占拠の運動は、間の悪い時に出てきている。この30年以上の香港の発展は、中国が本土の経済を香港を真似て自由化していくトウ小平の「改革開放」のお手本だったことに起因している。トウ小平は、香港に隣接する小さな村だった深センを、外国製造業のための工業団地に作り変え、深センが香港から英米式の市場主義や工場運営技能を吸収し、深センから中国全土に拡散していく「中国経済の香港化」によって、今に続く高度経済成長を実現した。 中国が、外資導入による加工輸出型の製造業で成長していた間、香港は中国と世界(米欧)をつなぐ場所として、中国と一緒に発展してこれた。しかし今後は、中国が、輸出主導の経済をしだいに国内需要主導に転換し、資金調達も人民元建てが増えてドル建てが減るとともに、中国が香港をお手本とする度合いが減る。香港より上海の方が中国経済にとって重要な場所になりつつある。中国にとって香港は「用済み」になる方向だ。 昨年、政権が胡錦涛から習近平に代わって以来、中国は、経済主導役が加工貿易から内需拡大に、貿易決済がドルから人民元に、米欧に逆らわず投資や技能を吸収する時代から米欧と張り合う時代へと転換する傾向を強めている。いずれも、中国が米欧から学ぶ窓口だった香港の役割が低下する方向だ。7月中旬にはBRICSサミットで、中国などBRICS諸国がIMFやドル覇権体制に取って代わるための国際機関の一つであるBRICS開発銀行を設立する。その本部は、上海に置かれる見通しだ。中国の金融センターが、香港でなく上海になる傾向に拍車がかかる。 (Shanghai to host BRICS Bank: Putin aide) 従来は香港が中国に経済的恩恵を与えてきたが、今後は逆に中国が香港に恩恵を与える。今の香港は、世界から中国に投資する勢力が拠点を置くと便利な場所、人民元のオフショア取引がしやすい市場として発展している。香港が中国投資に便利な場所であり続けるためには、香港が北京政府から政治的・政策的に大事にされ、上海やシンガポール、東京などと異なる特別な地位を維持できることが必要だ。香港が北京政府を怒らせると、経済的・政策的にどんな嫌がらせをされるかわからない。アジアでは、シンガポールが香港に取って代わることを狙っている。中国では上海が香港を抜こうとしている。香港が北京政府と対立することは、シンガポールや上海に漁夫の利を与える。中環占拠が長く続くと、アジアの本部を香港に置いている国際企業が、よそに出ていく傾向が強まる。 (Will Occupy Central send Hong Kong down the road to irrelevancy?) 改革開放政策の開始前、香港の雇用の2割にあたる100万人が製造業の就労者だったが、工場のほとんどは深センなど中国本土に移り、今や香港の製造業の就労者は2万人しかいない。製造業の企業経営者は拠点を本土に移して増益が続き、儲けた金を香港の不動産に投資した。その結果、香港の地価や家賃は高騰が続き、広大な土地を持つ財界人は資産増となったが、香港の雇用を支える産業は薄利なサービス業に代わり、一般市民の収入は伸び悩み、家賃高騰で生活費だけ上がった。実質的な貧困が増え、貧富格差が拡大した。現状に不満を持つ人々が減らず、不満のはけ口として、中環占拠など北京の共産党政権に反対する運動が支持されている。北京寄りのサウスチャイナ・モーニングポストは、そのように報じている。 (Growing anti-Beijing sentiment is shifting focus away from Hong Kong's real problems) 香港では、北京政府を怒らせることへの反対論が多いため、中環占拠が行われるかどうか、まだわからない。しかしいったん行われると非常にねばり強く続けられ、最終的に北京政府が強硬な弾圧策を採るところまでいく可能性がある。ムバラク政権転覆時のエジプトのタハリル広場占拠、ヤヌコビッチ政権転覆時のウクライナの中心街占拠など、これまで各国で行われてきた中心街の占拠運動のいくつかは、世界を震撼させるまでずっと続けられた。だからこそ、香港の財界人は中環占拠を強く警戒している。ひょっとすると、天安門事件やウクライナ政権転覆などと同様、中環占拠に対しても、米国の国務省や軍産ネオコン系シンクタンクが「中国が強硬策を採るまで続けろ」と市民運動側に入れ知恵しているかもしれない。 中環占拠が実施されてずっと続き、中国当局が強硬策で潰す事態になった場合、米欧や日本で中国を敵視するマスコミや人々が「それみたことか」と驚喜する。香港は、プーチンにとってのウクライナのように、習近平の中国が世界から非難や制裁を受ける要素になる。EUや英国の欧州勢が最近、さかんに中国にすり寄っているが、米国が中環占拠を扇動して習近平に香港を弾圧させれば、欧州勢は米国と一緒に中国を非難する側に転向せざるを得なくなり、米国は中国と欧州の接近を阻止できる。 しかし、もし習近平が香港を弾圧し、米国主導の米欧日に敵視されるようになると、習近平はプーチンやBRICSとの結束を強め、米国の金融バブル崩壊を誘発し、ドルや米国債、米国の覇権を潰して世界の覇権を多極化していくことで、米国との対立関係に勝とうとする傾向を強めるだろう。中国の大金持ちの資金が近年、米国の高級不動産市場にさかんに流入し、それをあおっているのは中国政府系の金融機関だという。中国勢は、米国の不動産市況を急落させ、金融バブルの崩壊を誘発できることになる。米国の国務省やネオコンが香港の活動家をあおって中環占拠を不退転にやらせようとしているなら、それはウクライナの政権転覆などと同様に隠れ多極主義的な画策だ。 (Did China Just Crush The US Housing Market?) 中環占拠が行われ、中国が香港を弾圧したら、香港の民主化運動を支援することが中国包囲網や中国敵視策として世界的に注目されるだろう。しかし、日本人が香港の民主化運動を支援するのは難しい。香港の民主活動家の多くは「反共産党政権」であるが、同時に中国人としてのナショナリズムを持ち、尖閣諸島は中国のものだと強く思っているし、日本の「南京大虐殺」「従軍慰安婦」など「戦争犯罪」に対する強い怒りもある。昨今の日本人は、そんな香港の活動家たちを支援する気になれない。同様に、台湾の反共産党政権の運動家の多くは、尖閣諸島を中国(中華民国)の一部だと言っているし、東南アジア人の中には、日本の「戦争犯罪への反省の撤回」を不満に思っている人が多い。日本が、中国包囲網を積極的に形成する気だったのなら、首相の靖国参拝など「戦争犯罪への反省の撤回」を世界に印象づける昨今の日本政府の策は(良心の問題としてでなく)国際戦略として、全くの失敗である。
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