NSAメルケル盗聴事件の意味2013年10月29日 田中 宇米国の信号傍受諜報機関NSA(国家安全保障局)が、ドイツのメルケル首相ら主要諸国の指導者35人の携帯電話やメール、個人PCのブラウザの履歴などを盗聴・盗み見していたことなどを示すNSAの内部情報を、NSAをやめて暴露を続けるエドワード・スノーデンが独仏英などのマスコミに提供して国際報道され、米欧関係が悪化する騒ぎになっている。メルケルは、ソ連の傀儡でひどい密告・盗聴社会だった旧東ドイツの出身なので、盗聴の犯罪性に敏感だ。 (Merkel frosty on the U.S. over 'unacceptable' spying allegations) (NSA Busted Conducting Industrial Espionage In France, Mexico, Brazil, China and All Around the World) 米政府は当初、NSAがメルケルらの電話を盗聴していることをオバマ大統領が知らなかったと言っていたが、ドイツの新聞が、オバマは3年前にメルケルに対する盗聴を許可していたと報じた。外国要人の電話を盗聴するのは、その国がオバマ政権をどう考えているか探って外交的対策をとるためであり、オバマが報告を受けていなかったとしたら盗聴自体が無意味だ。部下たちがやっている不正行為を把握していなかった責任も生じる。オバマは、メルケルへの盗聴を知っていたと認めざるを得ない。 (Barack Obama 'approved tapping Angela Merkel's phone 3 years ago') (If Obama Didn't Know About Merkel Spying, Who Was It For?) 亡命先を探してロシアに滞在し、暴露活動を続けるスノーデンは、フランスのルモンド紙に、NSAがフランス国内の要人や経営者、著名人の数百万本の電話を録音分析していたことを流した。電話が着発信すると、自動的に録音を開始する仕掛けになっているという。NSAが同様のやり方で、1カ月間に、スペインで6千万回、イタリアで4600万回の通話を録音していたこともマスコミにリークされ、各国からの抗議が米政府に殺到した。欧州以外では、ブラジル、メキシコなどの政府要人の通信を、NSAが盗聴やのぞき見していたことが暴露されている。 (US spy agency 'taped millions of French calls') (NSA 'tracked 60 million phone calls in Spain in a month') 相手国の要人の通信を盗聴・盗み見しようとするのは、外交の策略としてよくあることで、いちいち目くじら立てていたらきりがないと、したり顔で指摘する者たちもマスコミなどにいる。「独仏は、米国の諜報力を弱める目的で騒いでいるのだ」と主張して米国を擁護する者もいる。しかし、盗聴・盗み見は不正行為であり、やるならばれないようにせねばならず、ばれたら罰(報復)を受けるのは当然だ。NSA自体の問題より「盗聴されてしまうドイツの安全対策の甘さ」を指摘する傾向が強い日本のマスコミは、対米従属性を露呈している。 (US split over whether allies' spying fury is genuine) NSAは組織上、米議会から監督されていることになっている。だが実際のところ、NSAは以前から、米議会にほとんど報告せず活動していると、米議員自身が認めている。今回のスキャンダルを受けて、議会上院の諜報(情報)委員会の委員長は、NSAに同盟諸国の要人の通信を盗聴する事業をやめさせ、NSAに対する議会の監督を強化することを提唱した。しかし大統領府は、NSAに盗聴をやめさせるつもりはないと拒否した。この拒否は、欧州などNSAに盗聴されている諸国の怒りをかき立てる結果になった。 (Senate intelligence chair demands `total review' of surveillance) (White House Rebuts Feinstein: Surveillance of Allies to Continue) (Congressional oversight of the NSA is a joke. I should know, I'm in Congress) 2001年の911事件後「テロ戦争」の一環として、EUは米国と諜報に関する協定を結んでいる。NSAなど米当局は、テロ容疑者間の通信を傍受すると称し、欧州各国の米大使館などを拠点に、大規模な盗聴・盗み見を行ってきた。ベルリンの米大使館はドイツの政治経済の中枢を見下ろす高層ビルで、NSAはそこからドイツの政財界人の携帯電話を盗聴していた。東京の米大使館も、霞ヶ関や国会のすぐ近くにあり、同様の盗聴をしているだろう。 (If Obama Didn't Know About Merkel Spying, Who Was It For?) オサマ・ビンラディンも「殺され」て久しいし、テロ戦争の必要性は急減した(もともと自作自演的でインチキな戦争だったが)。EU諸国は今後、テロ対策として米当局に欧州内で盗聴行為を許したり、欧米間で諜報の情報共有をすることを縮小しそうだ。欧州は以前から米国の過激な軍事諜報策を嫌がっていたが、今回は、従来より欧州の怒りが大きいと指摘されている。中東問題など、世界の諸問題を解決する米国の能力が低下していることを受け、欧州が米国との同盟関係に見切りをつける傾向を強めている。 (NSA spy scandal may scuttle EU-US anti-terrorist agreement - EU commissioner) (World's Anger at Obama Policies Goes Beyond Europe and the NSA) 米英は最近「テロ戦争」の効力が落ちたことの代替策として、米英と、英植民地出身のカナダ、豪州、ニュージーランドというアングロサクソン5カ国で第二次大戦中から運営してきた諜報共有網(通称「5つの目」)に、独仏など欧州大陸諸国を加えることを検討している。フランスは参加を断ったが、ドイツは乗り気だったとされる。しかし今回のNSA事件によってドイツは、米国と諜報共有を強める方向性から一転して、諜報面で米国から自国を隔離しようとする傾向を強めている。 (Angela Merkel eyes place for Germany in US intelligence club) NSAは従来、産業スパイをしていないと宣言していたが、スノーデンの暴露により、以前の日米貿易交渉でNSAが日本の経産省と自動車各社間の連絡を盗聴していたことや、ドイツの産業界を盗聴している最大の勢力が中国やロシアでなく米国であることがわかり、NSAが産業スパイもしていたことが判明している。 (NSA Busted Conducting Industrial Espionage In France, Mexico, Brazil, China and All Around the World) (NSA's Overreach Weakens US Diplomatic Position With EU) EUと米国は、米欧FTAの交渉をしている。交渉で米側は、米企業が欧州に市場参入しやすいよう追加の市場開放や情報公開が必要だとか、米企業の知的所有権を守る体制を強化せよと欧州に言っている。しかしNSAは、グーグルやアップルをはじめとする米国の通信分野の企業に依頼して国際的な盗み見をさせていることが、以前からわかっている。。 (全人類の個人情報をネットで把握する米軍諜報部) EUが米国の求めに応じて規制を解除すると、米企業がNSAの代理で欧州で盗聴や盗み見をやれる態勢が強化されかねない。NSAのスキャンダルを受け、EUは、FTA交渉を進めることへの抵抗を強めている。米国は、諸外国に「知的所有権を守れ」と要求するが、NSAの産業スパイで外国の知的所有権を侵害しているのは、むしろ米国の方だという話になっている。 (Edward Snowden's spying claims hamper US's foreign goals) ドイツは、米国が相手国のプライバシーを守る協定を欧州側と結んでからでないと、米欧FTA協定を結べないと言い出した。米国は、EUと貿易協定を結ぶために、NSAによる盗聴をやめる必要に迫られている。 (Merkel floats EU-US privacy pact as anger mounts over spying) (Report: US to consider no-spy deal with allies upset over surveillance) テロ戦争に絡む米国の過激な策に欧州が怒り、米欧関係が危機に陥る構図は、03年のイラク侵攻から、今回のNSA盗聴事件まで、何度も繰り返されてきたが、いまだに欧州は米国との同盟関係を切っていない。今回も欧州は、数カ月も経てば、何事もなかったように米国との同盟関係を維持しているかもしれない。しかし半面、国際社会でEUが組む相手が、以前は米国以外にいなかったのが、最近ではBRICSがEUの組める相手として台頭している。こうした新状況が顕在化している矢先に、NSAの事件が起きている構図は、前回書いたサウジの対米離反と同様だ。 (米国を見限ったサウジアラビア) NSA盗聴事件では、米国から盗聴されたりネット攻撃されたりする被害者である点で、EUと、ブラジルや中国といったBRICSが同じ立場にいる。メルケルの電話が盗聴されていたことが発覚した直後、ドイツは国連総会で、ブラジルと一緒に、米国の国際盗聴を禁じる決議を提案した。ドイツやEUが、米国を敵視・抑制する政策をBRICSと一緒に提案したのは始めてであり、BRICSを中心とする多極型世界にEUが参加した初の例として画期的だ。独伯の共同提案は、即座に21カ国に支持された。 (Exclusive: Germany, Brazil Turn to U.N. to Restrain American Spies) ブラジルでは、ルセフ大統領がNSAから電話やメール、ウェブ履歴が盗聴・盗み見されていたことが今夏、スノーデンのリークから発覚した。それ以来、ルセフは訪米をとりやめ、ブラジル政府は、独自の暗号化プロトコルなど、国内のネットワークを米国から盗聴されにくいかたちに再編し、他のBRICS諸国を誘って米国を経由しないインターネット網の構築を加速する旗振り役になった。 (Brazilian president: US surveillance a 'breach of international law') ブラジルの策動は「米国から隔離されたインターネット網をBRICSが共有しようとする動き」と目されているが、実はもっとすごいことだ。10月中旬、ブラジルのとなりのウルグアイで、インターネットのIPアドレスの国際配分などを決める米国のICANNNや、ネット技術の標準化を推進してきた米欧中心のW3Cなどの非営利団体の国際会議が開かれ、米当局がインターネットの根幹部分で盗み見を続けることに反対し、ネットの体制を、従来の米国中心から、もっと国際的に対等な状態に転換していこうとする「脱米国」的な宣言を採択した。ICANNNは米国の団体だが、ネットの脱米化を推進している。 (ICANN, W3C Call For End Of US Internet Ascendancy Following NSA Revelations) ネットの脱米化は、米国離れで根無し草になるのでなく、BRICSが推進する、国連を(世界政府的な)事務局とする、多極型の世界体制の中にインターネットを置こうとする転換だ。ブラジルがBRICSを代表してやっていることと、ICANNなどが向かおうとする方向は、同じ「多極化」である。ブラジルは、米国から隔離したネットを作るのでなく、ネットを米国から乗っ取ろうとしている。ICANNなどネットの国際機関も、その動きに加担している。ドイツがブラジルと共同で、国連で米国のネット盗聴を禁じる決議を出したことは、ドイツが率いるEUが、この乗っ取りに参加し始めたことを意味している。 (Key Internet Institutions Ditch US Leadership; Brazil To Host Global Summit To Draw Up New Governance Model) 国内ネットの脱米化をはかるブラジルの動きにならい、ドイツテレコムは、国内だけで完結できるネットワークを作りたいと考え始めている。 (German Telecom Wants Germany-Only Internet Because of the NSA Debacle) 米国との諜報協定を強化しようとしていたドイツを、逆に、米国の諜報体制から離別させ、ブラジル主導のネット乗っ取りに参加する多極化勢力へと変身させたのは、元NSAのスノーデンのリークである。スノーデンのリークは多岐にわたるが、今回の件を見ると、スノーデンは覇権の多極化を加速したい勢力のエージェントであるように思われる。 (Leaks have weakened American control of the web) タイミング的に、シリア空爆放棄とイラン和解で米国の中東支配力が劇的に低下し、サウジが米国を見限り、米国内で議会と大統領の対立で財政危機が起こり、ドルと国債への信用が潜在的に失墜した矢先に、スノーデンの新たなリークによるNSA盗聴騒動が起こり、米国と欧州の同盟諸国との関係が悪化し、ドイツが米国を嫌って国連でブラジルと共同で米国抑止策を提案している。米国の覇権を低下させ、多極型世界を顕在化しようとする動きが、時期的に集中している。 (米財政危機で進む多極化) メルケルへの盗聴を報じたのはドイツのシュピーゲル誌だが、同誌は最近、サウジが米国を見限る方向を打ち出したのを機に「中東の石油を最も多く輸入しているのは中国なのだから、中東の諸問題を取りしきり、中東に責任を持つ大国を、米国から中国に替えた方が良い」と指摘する記事を、ドイツ語版限定で出した。米覇権の衰退と多極型世界への転換を示唆するこの手の記事を読むドイツの人々は、多極化の現状を感じ取っているはずだ。 (A Pax Sinica in the Middle East?) 日本では、日本語のマスコミだけに接している限り、多極化の流れはまったく感じ取れない。NSAの支配下からインターネットを解放する国際的な動きを、うらやましく思いつつ遠くから見ているだけだ。10月初め、グーグルのgメールで私の有料配信を受信している数人の読者から、記事が届かなくなったと連絡を受けた。全員がgメールでの購読だった。迷惑メールフォルダにも入っていないという。ちょうど米政府の閉鎖が始まり、財政危機について私が連続的に記事を書いていたときで、もしかするとNSA傘下のグーグルさまから有害な記事を流す奴と思われ、選択的にメールが削除される設定にされたのでないかと恐れた。 (ビルダーバーグとグーグル) 結局、10月中旬にはgメールへの配信停止問題が解消されたようで、届かなかった方々への記事配信が再開され、私のところに連絡も来なくなった。何事もなくて良かったが、対米従属の日本人が「お上」としてあがめねばならないグーグルさま(や、ジョブズさま)を批判する記事を書いている私の不安は続き、それだけにブラジルやドイツの動きが、闇夜の遠方にまたたく光のように見える。
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