終戦記念日に考える2013年8月16日 田中 宇3年前の大震災以来、国民的な記念日として3月11日の震災の日が台頭し、その割を食うかたちで、8月15日の終戦記念日や、8月6日と9日の広島・長崎の原爆の日といった敗戦関係の記念日に対する公的な重視が薄れているように感じてきた。しかし、今年の終戦記念日の戦没者追悼式の式辞で、安倍首相がアジア諸国への謝罪や戦争に対する放棄や反対の意志表明をせず、戦没者に対する追悼の念だけを表明したことで、終戦記念日に対する新たな意味づけが出てきたようにも感じる。 安倍首相は式辞で、世界の恒久平和への貢献も表明した。しかし「平和への貢献」は「戦争放棄」と異なる。日本が追随する米国は「テロ組織」(第二次大戦では「ナチスドイツや軍国主義日本」)を戦争で抹殺しない限り世界が平和にならないという、ジョージ・オーウェル的な「戦争こそ平和」の理屈で戦争してきた。今の日本では、中国に負けない軍事力を持たないと平和が守れないという思考も席巻している。安倍の理屈は「戦争こそ平和」に近いと考えられる。 もともと、終戦や原爆投下の記念日に対する公的な重視が持つ意味は、日本で軍部が権力を持つ状況を恒久的に抑止するという宣言だ。軍部の暴走を許して戦争を起こすと先の戦争の惨事を繰り返しますよ、というメッセージを国民に共有させ、日本の中枢で軍人が恒久的に低い地位しか持てないようにするためだった。これは、米国が日本の軍事再台頭を抑止するための策だったが、同時に、終戦とともに軍部と天皇と政治家が権力を失い、米国の傘下で権力を握った日本の官僚機構にとっても好都合だった。同様の策は、戦争放棄や象徴天皇制を明記した日本国憲法にも盛り込まれている。 1960年代末以降、米軍が日本駐留軍を減らす方向に動き出したが、日本政府は「平和憲法に縛られ、自衛に必要な自衛隊の増強ができません。まだまだ米軍の駐留と日米安保体制への依存が必要です。駐留費の一部負担はできますよ」と言って、在日米軍を引き留めた。米国が「お上(最高意志決定者)」として存在し、その下に事務局として官僚機構が直結し、自民党や国会といった政治家はお飾りでしかない戦後の権力構造の維持には、日米安保体制が必須だった。終戦や原爆投下の日が掲げていた反戦平和主義の裏には、日米安保体制を使った官僚機構の権力維持策があった。この点は、最近の記事で指摘した。 (貿易協定と国家統合) 米国は70年代以降、日本が自衛力(軍事力)を強めることを求め、90年代の冷戦終結後、この要求がさらに強まった。米政府は、90年の湾岸戦争で「カネは出すが兵力を出さない日本はダメだ」という態度をとり、外務省など日本側は焦った。2001年の911テロ事件後、米政府は好戦的な単独覇権主義をとり「米軍と一緒に世界各地で戦えない国は同盟国でない」という態度を強めた。英国やカナダや豪州といったアングロサクソン諸国は、アフガニスタンやイラクにこぞって参戦した。ロシアとドイツに挟まれてきたポーランドは、米国との同盟を強めて独露を見返そうと、多くの兵力をイラクに派遣した。 イラク占領で、日本の自衛隊もサマワに進駐したが、憲法上の制約から戦闘行為ができず、弱さを露呈した。私が見るところ、サマワ駐留における日本の弱さは、法的な制約に起因するものでない。自衛隊がサマワ市街を巡回中に脅威を感じたら、発砲しても、合法な自衛の範囲内だ。治安が悪い当時のイラクでは、事後の現場検証もほとんど行えないので、誰も合法性に対して明確な疑いを提起できない。 日本は、自作自演的な911テロ事件の再発防止の自衛策と称し、無実のイラクに侵攻し、何十万人も市民を殺して違法性を問われない米国に従属する国なのだから、現行憲法でも「戦争」でなく「自衛」の法解釈の範囲をとても広くとることが政治的に可能なはずだ。法律の解釈は政治的に決まる。純粋な法解釈など存在しない。自衛隊がイラクなど海外駐留で毎回へっぴり腰なイメージなのは、日本の自衛隊が強くて有能だという評判が日本や世界で広がると、じゃあ在日米軍は要らないだろうという話が日米で持ち上がり、日本の権力機構維持に必要な対米従属が崩れるからだ。 真面目で上司に対し従順で、教育水準が高く、統率がとれ、職人気質で自分の道具(武器)の整備を怠らず、照準を正確に合わせられる技能を持つ日本人の特性から考えて、自衛隊は強い軍隊になりうる(実際に戦前は強かった)。しかし対米従属という政治目的のため、自衛隊は恒久的にへっぴり腰で弱くなければならない。憲法9条を廃止しても、日本が対米従属していられる限り、自衛隊は弱いイメージのままだろう。 しかし憲法9条を廃止すると、日本は「戦争放棄を定めた憲法があるので、米国の要望通りに軍事的な自立ができません」と言えなくなる。安倍政権は9条廃止の改憲を目論んでいるが、改憲すると対米従属がやりにくくなる。米国が日本離れできるとともに、改憲によって安全保障面で日本側の裁量が増える。裁量の増加する分だけ、官僚でなく政治家(国会、内閣)が意志決定する部分が増す。長期的に見て改憲は、現行の官僚独裁制の維持を危うくする。 イラク占領の騒動後、米軍は結局イラクもアフガンも撤退し、リビアやシリアに参戦するのを避け、世界の2カ所で大規模な戦争を同時に戦える軍備を持つという2正面戦略も放棄し、単独覇権主義は死語になった。日本など同盟諸国の軍隊が米国に追随して海外侵略せねばならない事態は当分ないだろう。しかし米政府はその後のオバマ政権で「財政難で海外駐留費を切り詰めねばならないので、日本はもう米軍に頼らず自衛しろ」という要求を日本に対して強めた。米国という親分は意地悪だ。「ついてこれないやつは俺の子分じゃない」といって全速力で走る作戦の次は「お前らの面倒なんか見切れないから自分でやれ」と言って子分を困らせる。子分を好きでないかのようだ。 米国は従属する国に対して意地悪な上、リーマンショックで経済力が大幅に減退した。そんな米国に一定の見切りをつけ、米国と中国の両方と対等な関係になることをめざしたのが09年秋の鳩山政権だったが、あっという間に官僚機構とその手下のマスコミに全力で妨害中傷され、潰された。2年後の大震災で、官僚機構が「防災体制」をテコに復権したことは、最近の記事に書いたとおりだ。 (貿易協定と国家統合) 震災後、311の重要性が上がった半面、815や806や809の重要性が薄れた。しかし、外交面で日本が対米従属の体制を続けないと、選挙で選ばれた政治家が権力を獲得する「真の民主化」が起こり、日本は官僚独裁制を維持できなくなる。これを阻止するために3年ほど前から出てきている新たな策が、尖閣諸島や竹島の紛争をあおり、日本が「戦争責任」を否定する態度をちらつかせるなどして、中国や韓国と対立を激化することだ。 日本は、対米従属が薄まるほど、中韓などアジアとの関係を強化する方向に進む。米国は、中国包囲網を作るようなことを言いつつ、一方で中国に北朝鮮問題の主導役、つまり朝鮮半島に対する覇権を押しつけたり、米中が対等な立場で世界に影響力を行使するG2体制を模索したりしている(米国はフィリピンなど中国周辺への米軍駐留を増加しているが、これはむしろ中国の軍事台頭を誘発するためのものだ)。米国は、東アジアにおける中国の影響力を認めつつ、将来的に日本や韓国から駐留軍を撤収していき、日韓が中国の影響圏に取り込まれていくことを容認するつもりだろう。だから、日本が対米従属を維持するには、中国や韓国と敵対し続けるのがよい。 中国だけでなく韓国も敵視せねばならないのは、米国にとって、日韓に安保協定を結ばせることが、在日・在韓米軍を撤収する第一歩だからだ。昨年、日韓は安保協定を締結しそうだったが、締結直前に破棄され、その後は逆に、竹島問題などで日韓の対立が激化した。竹島問題で大騒ぎしているのは日本でなく韓国の方だが、竹島問題は60年代から、韓国政府が反日を国民結束のためのプロパガンダにする際の象徴的事項に仕立ててきた(日本側は、竹島問題をほとんど無視してきた。日本人の多くは10年ほど前まで竹島問題を知らなかった)。日本側で少し「竹島は日本領だ」と言うだけで、韓国側は激昂する。「従軍慰安婦」「強制連行」「歴史教科書」なども同様の構図だ。日本が、日韓関係を悪化させるのは簡単だ。 このような状況をふまえると、安倍政権が閣僚らの靖国神社参拝を重視したり、安倍の終戦記念日の式辞でアジアへの謝罪が述べられず、中韓政府が怒ったりしたことの意味が見えてくる。日本政府の戦略は、日本に戦争責任がないことを中韓に認めさせることでない。竹島や尖閣諸島を心底大事だとも思っていないだろう。重要なのは、日本と中韓の関係が悪いままにして、日本が「対米従属後」に予測される「東アジア共同体の一員」の状況の方に流れていくのを止めることにある。日本が中韓と敵対したままだと、米国は日米安保体制を希薄化しにくい。 とはいえ、このやり方には問題もある。終戦後、日本に「戦争責任」の重荷を背負わせたのは中国や韓国でなく、米国(米英)である。米英は、東京裁判などで、戦時中の日本の行為が「悪事」だったことを「歴史的事実」として政治的に確定させた。日本が「戦争責任」を認めない姿勢をとりすぎると、米国の終戦直後の覇権確立時の基本戦略に楯突くことになり、日米関係を悪化させかねない。すでに米国のマスコミは、安倍政権の姿勢を批判する記事を出している。 (Abe Should End the War Over Yasukuni Shrine) だから今回、安倍自身は8月15日に靖国神社を参拝せず玉串奉納だけにして、中韓を怒らす式辞からの対アジア謝罪の削除の方を大きな話にしたのだろう。安倍首相は今年5月、航空自衛隊の基地を視察した際に、戦時中に満州で細菌の生体実験を行った731部隊を想起させる「731」と書かれた訓練機に乗った写真を公開し、中韓から「731部隊の悪行を肯定する意図が見える」と非難された。これも、米国に怒らせず中韓だけを怒らせる効果だけを持つ言動をとる戦略の一つかもしれない。 (A gaffe-prone Japan is a danger to peace in Asia) 戦前の日本は、どこの国にも従属していなかった。敗戦は日米の国力差から見て仕方がなく、敗戦直後の対米従属もやむを得ないことと考えられるが、米国が日本に自立した防衛力を持つよう仕向けた1970年代以降も、日本が官僚独裁を維持するために対米従属を続け、日本人が世界のことに無知な状態に(意図的に)しているのは、明らかに国益を損ね、日本人の精神をねじ曲げている。日本の対米従属は、自主独立を好む米国の精神にも反する。先の戦争で310万人の日本人が亡くなったが、戦没者たちは、自国が対米従属の国になったことをあの世で嘆いているだろう。安倍首相が英霊に謝罪するとしたら、それはまず自国が卑屈な対米従属を続けていることに関してだろう。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |