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中東和平再開とともに不穏になる世界

2013年8月6日   田中 宇

 7月30日、米国ワシントンDCでイスラエルとパレスチナの代表が会談し、中東和平交渉が3年ぶりに再開された。この交渉の源流であるオスロ合意が1993年に締結された時、マスコミも米政府も鳴り物入りでお祝いした。その流れの中でイスラエルのラビン首相が右派に暗殺され、米イスラエル政界で右派が台頭し、交渉は「ふりだけ」になり、今に至っている。交渉当事者たちは今回、右派の妨害を避けるため、できるだけ目立たないように交渉を始めた。和平交渉再開が決まった後の記者会見も20分しか行われず、質疑応答もほとんど許されず、交渉の前提も明らかにならないままだった。 (No joy, no thrills, no spills: a somber mood in Washington as Middle East talks resume

 イスラエルの右派は、和平交渉でイスラエルの土地をパレスチナ側に返還する際に、国民投票を行って可決されねばならないとする法律を、議会で制定(改定)している。イスラエル議会は、08年からある国民投票法を一般法から、憲法に相当する基本法に格上げしようとしている。この国民投票法がある限り、イスラエル政府が土地をパレスチナに返すことを決めても、右派の世論が強い国民が投票で否決し、和平を葬り去ると考えられている。右派議員たちは「これでパレスチナ国家創建を防げる」と豪語している。 (Netanyahu's biggest battle may be with his own party

 しかしよく見ると、イスラエルの国民投票法の改定は、パレスチナ国家の建設を阻止できない。国民投票法は「イスラエルの領土」を対象にした法律だが、パレスチナ国家を創設するヨルダン川西岸地域はイスラエル領でない。西岸は、イスラエルの法律が及ばない「外国」である。同じ占領地でも、西岸と同時期にヨルダンから奪った東エルサレムや、シリアから奪ったゴラン高原については、イスラエルが占領する際に「イスラエルへの併合」を宣言しており、国民投票法の対象となる。西岸は占領時にこの手の宣言がおこなわれておらず、外国の土地として占領している。 (Bill requiring referendum on ceding land passes first Knesset reading

「聖都」エルサレムは、1948年の国連決議で東西分割が予定され、西エルサレムがイスラエルの首都、東エルサレムがパレスチナの首都になると決まっている。東エルサレムは、イスラエルが占領しているが、パレスチナ国家の一部になる。その返還には、イスラエルの事情として、国民投票の可決が必要だ。しかし、残りの西岸地域の返還には、国民投票が必要ない。

 イスラエルは東エルサレムを返還する気がなく、東エルサレムを取り囲むようにユダヤ人入植地の住宅街を作り、東エルサレムと他の西岸地域と切り離す戦略を採ってきた。しかたがないのでパレスチナ側は、自治政府を東エルサレムでなく隣町のラマラに置いている。国際法的でなく現実的に考えると、イスラエルが東エルサレムを返還しなくても、「エルサレム問題」を棚上げして残りの部分で和平を締結し、パレスチナ国家はラマラを首都として、西岸とガザだけを領土として創建できる。 (Obama Made Secret Promises to Israel, Palestinians Over Peace Talks

 このように考えると、イスラエル右派の議員が「国民投票法がある限りパレスチナ国家の創設を阻止できる」と言っているのは、おかしなことだと気づく。西岸の返還に国民投票が必要なように見えるが、実はそうでない。右派議員の中には、和平を進めたいネタニヤフ首相(彼自身、ゴリゴリの右派だった)の盟友が多い。米国の覇権低下を受け、イスラエルの国家存続に中東和平の早期実現が必須だというネタニヤフらの考え方を支持する右派議員らが、和平絶対反対のふりをしつつ、国民投票法に西岸除外という抜け穴を残し、こっそり和平推進を支援しているように見える。イスラエルは、政界も世論(マスコミ)も右派が席巻している。反対を叫びつつ裏で推進するやり方でしか、和平を進められない。 (Israel's referendum problem

(日本はいずれ経済と地政学の両面で、中国との再協調が必要になるだろうが、日本の世論は反・嫌中国が席巻している。日本もイスラエル同様、右派主導で、反中国のふりをした親中国をやる必要が出てくるかもしれない)

 ユダヤ人入植地は、東エルサレム周辺以外の西岸にも無数にあり、入植地の総人口は50万人(東エルサレム周辺を含む)もいる。多くは、政府の肝いりで作られた瀟洒な公共住宅に非常に安い家賃で住んでおり、退去に応じる者は少ない。「67年国境(西岸占領地とイスラエルとの国境線)」をイスラエルとパレスチナの国境にするなら、西岸入植者の全員をイスラエル側に追い出す必要があるが、それは現実的に不可能だ。 (Israeli-Palestinian peace talks kick off as teams arrive at State Department

 米政府は「67年国境を将来の国境にするのが交渉の前提だが、交渉の成り行きしだいで結論がどうなるかわからない」という姿勢だと伝えられている。イスラエル政府は「西岸の土地の86%をパレスチナ側に返すつもりがある」と言っている。これらを総合すると、西岸にユダヤ人入植地をある程度残したまま、あるていど蚕食されたかたちの領土でパレスチナ国家を創設するのが、今回の交渉の落としどころと感じられる。 (Israel Deputy FM: Netanyahu Willing to Give Up 86% of West Bank

 蚕食方式の解決案は、すでに以前の中東和平交渉の中でも出てきたが、実現していない。蚕食状態がひどいと、西岸の各町をつなぐ道路の整備もできず、国家の体をなさない。現実的に考えて、西岸の入植地の何割かは、住人を追い出して撤去し、蚕食を軽減する必要がある。

 西岸入植地は、すべて国際法的に違法(国連決議違反)であり、蚕食案には法的な問題も残る。またイスラエル政府は最近、一方で和平交渉を再開しながら、他方で西岸入植地に対する補助金の拡大を閣議決定しており、和平に反対する右派の力が政府内で依然として強い。これらを考えると、現実策としての蚕食案であっても、実現しそうもない感じがする。しかしその一方でイスラエルは、米国の影響力低下によって和平を必要としており、和平を推進しようとする政府中枢の力も強い。イスラエル上層部での暗闘がどうなるかが注目点だ。 (Israeli Decree on West Bank Settlements Will Harm Peace Talks, Palestinians Say

 中東和平再開と関係あるか不明だが、これまで賃上げストライキによってネタニヤフの外交推進を邪魔してきたイスラエル外務省の労働組合が、一時的にストをやめると発表した。 (Israeli diplomats to go back to work in bid to end labor dispute

 西岸では、ユダヤ人入植者が、近所のパレスチナ人の移動を妨害したり、農地や家を破壊する違法行為を繰り返している(パレスチナ人怒らせてテロに走らせるか、絶望させて無気力にさせる目的)。こうした行為に対する国際的な非難が強まっているため、イスラエル政府は最近、この違法行為を取り締まる部隊を警察内に新設した。部隊は40人しかおらず効果が疑わしいが、右派は部隊新設を批判している。イスラエル政府は弱々しいものの、和平に向けた取り組みをしている。 (West Bank crime fighters - a richly funded farce

 イランや、レバノンのヒズボラといった、イスラエルと敵対してきた勢力は、今回の中東和平再開に反対している。イラン政府(外務省広報官)は7月下旬に「イスラエルに交渉推進の能力がないと考えられるので、中東和平交渉の再開には反対だ」と発表した。 (Israel incapable of negotiation with Palestinians: Araqchi

 また、ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララは8月2日のクッズデー(イスラム世界がエルサレム奪還を誓う日)の集会に登場、数年ぶりにおおやけの場で演説し「イスラエルの滅亡は、イスラム世界の全体にとって必要だ」とぶちあげた。イランやヒズボラは、イスラエルが極悪非道であればあるほど、イスラム世界からの支持を集める勢力だ。中東和平が実現してイスラエルが悪者でなくなると、イランやヒズボラの国際影響力が低下する。イランやヒズボラの反対は、今回の中東和平の実現性がそれだけ高いことを示している。 (Hezbollah's Nasrallah urges elimination of Israel in rare public speech

 イランでは8月4日、イスラエル敵視のポピュリスト(大衆迎合)政策をやっていたアハマディネジャド政権が終わり、現実派といわれるロハニ新大統領が就任した。もしかすると、今後のイランは反イスラエル色を薄め、米国との協調を模索するかもしれない。米国とイランが協調すると、イスラエルは大きく不利になる。 (Rouhani's post-populist foreign policy

 イランは79年のイスラム革命以来、大統領就任式に外国の元首を招待してこなかったが、ロハニの就任式には11人の外国元首など40カ国の代表が参加した。イランは、米国に制裁されて孤立しているにもかかわらず国際的な影響力を拡大している。 (Iran's president Hassan Rohani braced for struggle with economy

 ロハニ政権の就任を機に、米政界でイランと協調すべきという議論が盛り上がる一方、米議会はイラン制裁の強化を決めた。米国の対イラン政策は、相克・暗闘的になっている。米国の国際信用を重視するなら、イランに核問題で濡れ衣をかけるのをやめて協調した方がいいが、そうなるとイスラエルが取り残されて不利になるので、イスラエル傀儡系の議員はイラン制裁強化に賛成している。イランがロハニ政権になって米国と協調しそうなことは、イスラエルが中東和平交渉を急ぐ一因になっている。 (House Approves More Iran Sanctions Ahead of Rohani Inauguration

 もう一つ、イスラエルを敵視してきたイスラム過激派の「アルカイダ」も、中東和平交渉の再開とともに動きを「活発化」している。米政府の国務省は8月4日「アルカイダが中東と北アフリカを筆頭に世界のどこかの地域で、大使館など米政府施設を狙ったテロをやるかもしれない」と発表し、中東北アフリカ、南アジアの約20カ所の大使館を、最長で一週間休業することを決めた。 (What's behind timing of terror threat

 歴史的にテロが多いラマダン(断食月)明けの時期だというのが一因と報じられたが、米政府自身は、テロの危険性の詳細や根拠について何も発表していない。NSA(国家安全保障局)が、アルカイダ系勢力間の連絡を傍受するなどして情報収集し、テロの危険性を把握したという。 (Speculation Over `Imminent' Terror Plot Grows) (Greenwald: Is U.S. Exaggerating Threat to Embassies to Silence Critics of NSA Domestic Surveillance?

 NSAは最近、全世界の人々を対象にインターネットや電話の通信内容を傍受(盗聴、盗み見)していることが暴露され、大きな問題となっている。NSAを擁護する米議員は「NSAはテロを未然に防いでいる」と主張するが、米議会ではNSAによる盗み見に反対する議員が増えている。そんな中で米政府は、NSAが重要な存在であることを見せようとして、誇張して大規模なテロ警報を発したのでないかと勘ぐられている。 (Mood shifting, Congress may move to limit NSA spying) (Momentum Builds Against N.S.A. Surveillance

「アルカイダ」は、ヒズボラやタリバン、ムスリム同胞団など、他のイスラム主義勢力に比べて組織的な実態が欠如している。彼らは、リビアやシリアで、米国やカタールなどから武器や資金を受け取って内戦を激化する役割を果たしており、米国の軍産複合体やイスラエル右派が、中東の戦争恒久化の道具として使ってきた。アルカイダは、自発的に活動の活発化を決める勢力でなく、米イスラエルの右派や軍産複合体の都合で「活発化」する。中東和平交渉が進みそうな今、右派や軍産複合体が、和平や中東安定化を阻止しようと、アルカイダを活発化させていると考えられる。本当に脅威が拡大しているなら、英国も大使館を休業しそうだが、英国は大使館を閉めていない。(英国は数年前から、米国が進める自滅的なテロ戦争を静かに敬遠している) (U.S. issues global travel alert, citing potential Al-Qaida terror threat

 米国務省は「米国人は、世界のどこにいてもアルカイダからテロの標的にされうる」と警告している。こうした警告は、米国民を海外に行きたがらなくさせ、米国を内向きな孤立主義の方に押し流す。米国の大使館閉鎖は、米国の外交活動を阻害し、米国が世界のことを管理(支配)する体制を崩していく。テロ戦争や単独覇権主義が、米国の孤立主義と覇権の多極化につながる流れは、かなり前から見え隠れしていた。 (State Dept Issues `Worldwide' Travel Alert

 中東和平交渉の再開と同期して、中東各地で不穏な動きが出ている。エジプトでは、モルシー政権を倒すクーデターを率いた軍人のシシ国防相が、大統領に立候補宣言するという説が流れている。そうなるとムバラク時代に逆戻りで、軍部とムスリム同胞団との長い闘いが再発する。軍人が直接統治を避けるなら、エジプトは政権がかたまらない不安定な状態が長引く。 (Egypt’s military strongman Gen. El-Sisi will run for president) (Egypt's military strongman General El-Sisi will run for president - thumbs nose at Obama

 チュニジアでは一昨年の民主革命後、穏健イスラム主義政党のエンナーダが連立を組んで政権をとっている。こちらでも、2月と7月にリベラル野党指導者が立て続けに暗殺されたのを機に、政権転覆をめざしたデモが起こり、軍部によるクーデターの可能性も指摘されている。エジプトの逆流がチュニジアに伝播する「逆革命」がありうる。 (Pro-government rally draws tens of thousands in Tunisia

 シリアでは、内戦の長期化に乗じて、北部のクルド人が事実上の自治区を作って分離独立の傾向を強めており、同じくシリア北部を統治しようとしている反政府勢力(アルカイダ系)と、いくつかの町の支配権をめぐって戦闘になっている。シリアでのクルド人の独立傾向はイラクに伝播し、イラク北部のクルド人の独立運動が煽られている。シリアやイラクの戦争で、100年前に引かれた中東の国境線の曖昧化が始まり「世界最大の国家なき民族」といわれるクルド人にとって、国家建設の好機となっている。 (Syrian Kurds take fragile steps towards autonomy

 米国は覇権国なので、米国の世界戦略は、世界体制の根幹に位置する。そして第二次大戦後に覇権国になって以来、米国の世界戦略は、ずっと英国とイスラエルに牛耳られてきた(イスラエルは1970年代から)。冷戦は英国好みの世界戦略(ユーラシア包囲網)だし、911以来のテロ戦争はイスラエル好みの世界戦略(イスラム世界の恒久封じ込め。第2冷戦)だ。しかし、イラクとアフガニスタンの戦争失敗、リーマンショックなどによって米国の世界戦略は失敗色を強めている。

 英国はすでにテロ戦争を敬遠し、中国と交渉してロンドンを人民元の国際センターにすることをめざしたり、プーチンに対する敵視をゆるめたりして、米国の世界戦略の失敗と多極化に呼応する姿勢を採り始めている。英国は、トライデント潜水艦を使った、米英共同の大西洋の核兵器管理もやめようとしている。英国の、米国に対する影響力は大きく落ちている。残るはイスラエルだ。

 イスラエルが中東和平交渉を進め、アラブ諸国やイランとの敵対を終わらせて、米国の覇権が失われた後の中東で国家存続していけるようになると、イスラエルが米国にとりついて世界戦略を牛耳っていた時代が終わり、米国はおそらく(債券金融システムも崩れて)覇権の重荷を下ろし、中露などBRICSがしかたなく覇権を分散的に引き受けて、世界の多極型への転換が進む。

 逆に、イスラエルが中東和平の推進に失敗すると、イスラエルは米国を無理に中東に引き留めておかねばならないため、イスラエルが中東で大規模な戦争を誘発せざるを得ない事態に近づく。中東大戦争は、イランやアラブ諸国を破壊するだけでなくイスラエル自身を破壊する。イスラエルは核兵器を使う可能性が高い。勝者が繁栄を得る戦争でなく、参戦する多くの国が破滅し、米国の財政を圧迫し覇権崩壊も早める。最終的に漁夫の利を得るのは、中露など新興諸国であろう(中露はイランに味方してきたが、巧妙に傍観し参戦しないだろう)。

 このようにパレスチナ和平の成否は、中東と米国の将来がどうなるかを決める重大な要素となっている。パレスチナ問題は、パレスチナの問題でなく、右派(過激な自滅派)の席巻をどう乗り越えるかというイスラエルの問題である。私がイスラエルの分析にこだわる理由はそこにある。



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