中東和平交渉の再開2013年7月29日 田中 宇7月29日から、米国のワシントンDCで、米国政府の仲裁により、3年ぶりにパレスチナ和平(中東和平)の交渉が再開される。中東和平はオバマ政権の1期目の後半から頓挫していたが、政権が2期目に入るとともに米国が仲裁を再開した。ケリー国務長官が、イスラエルとパレスチナ自治政府(PA)の間をシャトル外交し、相互の要求をすりあわせ、交渉再開にこぎつけた。交渉の目標は、西岸とガザにパレスチナ国家を作り、イスラエルとパレスチナが平和的な関係を結び、その和平をイスラエルとアラブ諸国の間に拡大して、中東を安定させることだ。 (Israel and Palestinians to resume peace talks in Washington on Monday night) イスラエル政府は交渉再開に先立ち、104人のパレスチナ人政治犯の釈放を決めた。104人は、1993年のオスロ合意より前からイスラエルに勾留されており、オスロ合意に基づき、99年に釈放されるはずだった。画期的なオスロ合意の締結後、イスラエルでは、合意履行に反対する右派が台頭し、イスラエル政府は釈放を履行しなかった。104人の釈放は、予定より13年遅れで実施される。ひどい話であるが、この釈放は同時に、イスラエルが和平交渉を再開せざるを得なくなるところまで、国際政治的に追い込まれていることをも示している。 (PLO source: Promise to free jailed Israeli-Arabs crucial) 交渉が始まるものの、交渉開始の前提条件は不明確だ。パレスチナ側は交渉再開の前提条件として3つの点を出していた。(1)第三次中東戦争(1967年)以前のイスラエルとヨルダン川西岸(当時はヨルダン領)との国境を交渉の前提とすること(2)西岸入植地建設の凍結(3)政治犯の釈放、である。このうち(3)は実施が決まったが、残る2点が不明だ。 (Abbas Scraps Demands as US Threatens to Blame Him for Peace Talks Failure) (1)については「米欧の強い要求なので飲まざるを得ない」と言ってネタニヤフが閣内の右派を説得したという話と、米国ケリー国務長官がパレスチナのアッバースを説得して政治犯釈放だけを前提条件にさせたという話の両方がある。(2)については「イスラエル政府は引き続き、年間に千軒までの入植地住宅をしても良いことになった。十分な数なので、右派も反対していない」という報道がある。 (Despite dissent, Netanyahu faces no real challenges from Likud over peace talks) 67年国境をパレスチナとイスラエルの国境にせず、西岸入植地も撤去どころか増設されると、パレスチナ国家は、たとえ創設を公式に認められても、西岸の領土をイスラエルに蚕食され、国内の道路も寸断されたままだ。国家としての体をなさないので、欧州を含む国際社会は、中東和平が達成されたとみなさないだろう。しかし半面、67年国境を前提に交渉し、入植地建設停止を行うことを、イスラエル政界で強い右派が了承するとは考えにくい。7月30日に、中東和平交渉の再開を発表する共同声明が、米国主導で発表される予定だが、その時に、交渉再開の前提も発表されるかもしれない。 (Right-wing Israeli minister urged cabinet to vote for release of Palestinian prisoners) ネタニヤフ政権は、政府間の交渉で和平が達成されても、国民投票を行って過半数の賛成を得られない限り、和平の結論を法制化できないとする新法を制定した。イスラエルの世論は右派が強く、国民投票で和平支持が半数に達しない可能性がある。この新法は、右派がネタニヤフの和平交渉再開を支持する際の条件としてつけたものだろう。今回の和平交渉は、いくつも脆弱さを抱えての再開となっている。 (Netanyahu Rushes Referendum Requirement as Peace Talks Near) 米国の政府や議会は以前から、イスラエル右派の言いなりになる傾向が強い。イスラエル右派は、西岸入植地をパレスチナ国家に明け渡さねばならなくなる中東和平に反対している。イスラエル右派の影響力が強い米議会や米政府が、中東和平を真剣に進めるとは考えにくい。国際世論の圧力をかわすため、イスラエルは、米国に和平交渉を仲裁させるところまではやるが「パレスチナ人がテロをやめないので和平できない」といったような口実をつけて、いつも和平の実現を妨げてきた。今回も、和平がうまくいくはずがないという分析が、いくつか出されている。 (John Kerry's peace process: Dead on arrival) しかしその一方で、パレスチナ問題の解決は、イスラエルが国家を将来にわたって存続するために必要不可欠なことでもある。イスラエルにとって唯一の後ろ盾は米国だ。米国が中東支配をやめたら、イスラエルの国力は激減する。米国はイラクからもアフガンからも撤退し、中東支配の力が減退している。対照的に国連では、イスラエルを敵視する傾向が強いアラブやアフリカ中南米などの発展途上諸国の発言力が強まっている。国連では昨年来、パレスチナが国家として扱われている一方、国連の原子力機関IAEAではイスラエルに核兵器廃棄を迫る動きが強まっている。イスラエルは追い込まれている。早く和平を達成しないと、アラブやヒズボラ、シリアなどとの同時多正面戦争など、国家存亡の危機が強まる。 (◆大戦争と和平の岐路に立つ中東) (Arabs ready anti-Israel resolution over nukes) パレスチナ側は国際社会での支持拡大を背景に「イスラエルがパレスチナ国家を望まないなら、パレスチナ人の全員にイスラエル国籍を付与する運動を始める(そうなるとユダヤ人よりパレスチナ人が多くなり、イスラエルは民主的にパレスチナ国家になる)」と、強気の発言をするようになっている。 (Senior Fatah officials call for single democratic state, not two-state solution) (American Jewish leaders: Netanyahu should disown 'irresponsible" statements against two-state solution) かつて米国覇権が強かった時代、イスラエルの国策は、和平するふりをしつつ恒久的に引き延ばすことだった。今は正反対で、少なくともネタニヤフ政権は、和平を真剣に考えているはずだ。イスラエル政界では過激な右派が強く、彼らはイスラエルが滅亡の危機にあるのも無視して、和平を妨害する入植地の拡大やパレスチナ人との対立扇動を続けている。右派の多くは、ネタニヤフが党首をするリクードに所属している。 (Palestinians to demand Israel recognize general border as precondition for talks) 彼らは「67年の国境をイスラエルとパレスチナの国境とすることを前提にした和平交渉には反対だ」と言い続けてきた。しかし、国連などの国際社会での立場が強くなっているパレスチナ側は、67年国境を前提にしないと交渉に応じないと主張し続けた。最後は、ネタニヤフの立場を配慮して、米国が67年国境を交渉の前提にすることを強く望む態度をとり、EUはイスラエルの入植地に対する経済制裁(輸入や投資の規制)を発動した。それらを受けてネタニヤフは「和平を進めないと米欧からも見捨てられる」と党内の右派を説得し、交渉開始にこぎつけた(67年国境問題が交渉の明示的な前提になっているかどうか不明だが)。 (New EU guidelines on Israeli settlements enabled Abbas to say 'yes' to Kerry) 今回のような強いEUのイスラエル入植地制裁は史上初めてだ。この制裁は、イスラエル政権内で、和平に反対する右派の譲歩を引き出す効果があった。今後、交渉が進展すると、右派の妨害が強くなるかもしれないが、その時にネタニヤフは、妨害をする小政党を連立から外し、他の小政党を連立に入れて議会の多数派を維持する工作をすると予測されている。パレスチナ側の過激派の中には、イスラエル右派(モサド)から資金や情報を提供され、和平を妨害するためのテロをイスラエルでやる組織がある。今後、和平交渉が進展すると、そういった組織によるテロがイスラエル国内で起きるかもしれない。 (Netanyahu's peace offering buys him some time) すでに、右派に牛耳られているイスラエル外務省は、労働組合主導で長期のストライキを続けており、ネタニヤフ政権が和平交渉に必要な外交行動を妨害している。 (Israeli Foreign Ministry employees halt virtually all consular services) イスラエルの隣国エジプトでは、7月初めに軍部のクーデターでモルシー政権が倒された。モルシーが属するムスリム同胞団は、ガザのハマスの兄貴分で、ハマスとイスラエルの和解を仲裁でき、中東和平にとって役立つ勢力だった。エジプト軍部は、モルシーを、ハマスと共謀した罪で訴追するなと、同胞団を追い詰めているが、これはエジプトを内戦に引きずり込みかねない。 ('US wants Israel safety with Egypt unrest') エジプト軍部をけしかけてモルシー政権を転覆させたのは、中東和平を進めようとするネタニヤフ政権らイスラエルの中道派(現実派)を妨害しようとする米イスラエルの右派の策動の結果だったとも考えられる。イスラエルの駐エジプト大使は、同胞団を追い出したエジプト軍部に支持を表明したが、この支持表明も右派的だ。表明は、エジプトの民衆に「軍部はイスラエルの傀儡なのだ」と思わせてしまい、軍部にとって有害で、エジプトの混乱を助長するものだ。 (◆中東不安定化を狙って誘発されたエジプト転覆) イランでは8月にロハニ新大統領が就任する。ロハニは現職のアハマディネジャドよりも穏健な姿勢とみられており、ロハニ就任後、ロシアなどが主導してイラン核問題を解決していく可能性がある。ロシアのプーチン大統領が8月中旬にイランを訪問する予定だ。 (Russia and Iran: A postmodern dance) 米議会下院では、131人の議員が、米国とイランの直接交渉の再開を望む文書に署名する、前代未聞の事態になっている(従来は30人ほどしか署名しなかった)。イラン核兵器開発問題の本質は、米イスラエルがイランに濡れ衣をかけているだけだから、米国が濡れ衣をかけるのをやめると、イランは国際的に許され、問題が解決してしまう。中東の国際政治が、イランにとって有利に、イスラエルにとって不利になる。イスラエルは、早くパレスチナ和平を実現し、イランやアラブから敵視されにくい状況を作らないと、不利になるばかりだ。 (Iran engagement camp gets unexpected boost) 再開される中東和平交渉について、私は、和平しないとイスラエルが国家存亡の危機から抜けられないことから考えて、意外と交渉が進展するのでないかと予測しているが、これは楽観的すぎるかもしれない。
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