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中東で台頭するサラフィー主義

2012年1月17日   田中 宇

 シリアでは、アサド政権打倒をめざす反政府派市民のデモや武装蜂起が続き、内乱的な事態になっている。アラブ諸国が、アサド政権による反政府運動の弾圧を抑止するための監視団を派遣したが、シリア軍と反政府民兵との武力衝突は、アラブ監視団がいないところで起きることが多く、監視の効果が上がっていない。そんな中、アラブ諸国の中でもペルシャ湾岸の小国であるカタールの国王が、アラブ諸国の軍隊をシリアに派遣してアサド政権を倒すべきだという提案を発した。 (Qatar calls for intervention to end Syria violence

 カタール国王の提案には裏がある。アサド政権が倒れた場合、その後のシリアの政権をとる反政府勢力を主導するのは、厳格なイスラム信仰を主張するスンニ派のサラフィー主義者とムスリム同胞団の系列の人々である。彼らはカタールによって資金と武器を供給され、軍事訓練を受けている。カタールは天然ガスや石油を産出し、資金力がある。アラブ諸国やNATOの軍隊が介入してアサド政権が倒れると、その後にできるシリアの政権は、カタールが育てたイスラム主義武装勢力のものになる。 (Qatar builds up anti-Syria Wahhabi army

 カタールは昨年、NATOがリビアを空爆してカダフィ政権を潰したとき、アラブ諸国の中で唯一、NATOの軍事行動に参加した国でもある。リビア反政府勢力は東部の町ベンガジが中心で、彼らの主力は、以前から東隣のエジプトのムスリム同胞団と交流があるイスラム主義者だ。イスラム主義勢力を支援してきたカタールは、リビア反政府勢力と前からつながりがあり、その関係で、NATOとリビア反政府勢力との橋渡し役をつとめ、反政府勢力に武器や資金を渡し、軍事訓練をほどこした。 (Libya's New Regime May Attack Syria

 カダフィ政権が倒れ、リビアの内戦が一段落した後、カタールが支援したリビアのイスラム主義武装勢力は、シリアの政権転覆活動に合流した。カタールは、トルコ政府の許しを得て、シリア国境に近いトルコ国内にシリア反政府勢力の拠点を作り、リビアのイスラム主義勢力をそこに行かせた。イラクがシーア派主導の国になったことで行き場を失っていたイラクのイスラム主義勢力(スンニ派)も合流した。母国で反政府のゲリラ戦を戦い抜いてきた彼らが、トルコの拠点からシリア国内に入り込み、シリア人の反政府勢力に、ゲリラ戦のやり方を教え込んだ。このカタールの戦略が功を奏し、シリアは内戦の様相を強めた。 (Moving towards a military coup in Syria?

▼サラフィー、ワッハーブ、サウジ王政、同胞団の関係史

 サラフィー主義は、イスラム教を開いたムハンマドら、初期のイスラム指導者たち(サラフ)の教えに忠実になるべきだと主張する、スンニ派イスラム教の考え方である。初期のイスラム帝国が衰退した後、イスラム教は内部に、聖者や霊廟に対する信仰、ギリシャ哲学の影響からくる思索的な宗教学の流れ、宗教学者が権威を持つことなどが生じた。サラフィー主義は、これらの後から発生したイスラム教のあり方を邪道とみなし、聖者や霊廟に対する信仰を偶像崇拝として敵視し、ムハンマドの時代の初期信仰に戻るべきだと主張した。また彼らは、もともとのイスラム信仰と、イスラム以前に西アジアに存在していた信仰形態が合体したものであるシーア派やスーフィ主義の信仰をも、邪道とみなし敵視してきた。 (Salafi - Wikipedia

 サラフィー主義として、今のイスラム世界に大きな影響を与えているのは、18世紀にサウジアラビアを興したサウド家と組んで勢力を伸ばしたムハンマド・アブドル・ワッハーブが提唱した「ワッハーブ主義」である。サラフィー主義とワッハーブ主義は、同じものとみなされることが多い。ワッハーブ主義を名乗らないサラフィー主義者は「サラフィー主義とはムハンマドの時代の信仰に戻ることであり、ワッハーブはその提唱者の一人にすぎず、ワッハーブが新たな教義を作ったのではないから、ワッハーブ主義と呼ぶのはおかしい」と言っている。

 ワッハーブ(サラフィー)主義はサウジの国教となり、その後サウジで豊富な油田が発見されてサウジ王家は大金持ちになった。、サウジ王家は、その資金でイスラム世界の全域に対し、ワッハーブ主義こそが正統なイスラム教であると教えるモスクや宗教学校を作った。その影響で今のイスラム教では、偶像崇拝を悪とみなし、イスラム法(シャリア)を尊重し、コーラン(クルアーン。ムハンマドが「神様」から受信した文書集)とハディース(ムハンマドらの言動をまとめたもの)のみに基づくのが正統なイスラム教であるという、サラフィー的な様相を帯びている。 (Wahhabi From Wikipedia

 1950年代、エジプトのナセル大統領らが主導し、イスラム政治を拒否する世俗的で親ソ連の社会主義で、アラブ諸国を統合しようとする「アラブ民族主義」が中東を席巻した。米国は、中東における親ソ連勢力の拡大を脅威に感じ、親米で大金持ちのサウジアラビアに対抗策をやらせた。サウジは、エジプトでナセル政権に弾圧されていたムスリム同胞団を自国に招いて亡命させ、そこにおいて同胞団とサラフィー(ワッハーブ)主義の融合が始まった。

 ムスリム同胞団は、イスラム主義の政治体制でアラブ諸国を統合しようとする政治運動であり、サウジアラビアというアラブの一カ国だけをサウド家が統治するサウジの政治体制と矛盾していた。ムスリム同胞団は、欧米文明が中東にもたらした議会政治や資本主義の体制を、イスラム教の政治の中に取り入れるやり方を掲げたが、サラフィー主義の厳格な考え方では、議会政治や資本主義は、ムハンマドの時代に存在せず、後世の異教徒の発明物なので、拒否する対象だ。同胞団は、サラフィー主義でないとされている。

 そのような相克がありつつも、同胞団とサラフィー主義、ワッハーブ主義、サウジ王室は、1950年代から、中東における反左翼的な政治勢力として連携していた。同胞団はエジプトやシリアなど、アラブ諸国の多くで禁止されていたから、サウジ系の勢力と合流するしかなかった。第二次大戦前、アラブ全域で独立運動として世俗的なナショナリズムが勃興した際、当時アラブ諸国を支配していた英国の軍事諜報部門(MI6)は、同胞団をナショナリズムに対立する組織として裏からテコ入れしていた。英国より米国が強くなった第二次大戦後は、米CIAが同胞団との諜報関係を継承していた。冷戦体制下で同胞団が米サウジ連合の一派になるのは、歴史的にも自然な流れだった。 (High Level Contacts Between State Department and Muslim Brotherhood

▼イラン革命と911が転換点に

 1979年にシーア派の国イランでイスラム革命が起こり、中東での米国の敵が左翼からイラン(シーア派イスラム主義)に代わった。エジプトの政権は米イスラエルに対する傀儡色が強いサダトやムバラクになり、左翼の汎アラブ民族主義が弱まった。サウジ(サラフィー、ワッハーブ)と同胞団の連合体の敵は、左翼のアラブ民族主義から、シーア派に代わった。サラフィー主義者らは、もともとシーア派を異端とみなしていたので好都合だった。

 同時期にソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。アフガンでソ連と戦うイスラム聖戦士団の組織的な枠組みと、軍事訓練基地が米CIAによって作られ、サウジやエジプトなどから、多くのサラフィーや同胞団の関係者がアフガンに行き、CIAの軍事訓練を受けた。その中のサウジ人の指導者の一人がオサマ・ビンラディンであり、CIAが作った枠組みは、のちに「アルカイダ」と呼ばれて有名になった。米マスコミの多くは、アルカイダとサラフィーを同義語として使っている。

 01年の911事件とともに、米政府はサウジ王政に「アルカイダ」を敵視して取り締まるよう命じ、サウジは消極的ながら、サラフィーや同胞団との関係を断絶した。しかしその一方で、米政府の過激な単独覇権主義や政権転覆策、親イスラエル姿勢を嫌って、アラブ各国の人々は反米感情を強め、米国の傀儡と化している独裁的な自国政府への反対が強まり、各国の事実上の最大野党だった同胞団やサラフィーへの支持が強まった。

 ペルシャ湾岸地域には、圧倒的な大国であるサウジのほか、カタールやアラブ首長国連邦、バーレーン、クウェートといった、比較的小規模なアラブの諸王国(GCC諸国)があり、一定割合のシーア派の住民がいる一方で、スンニ派住民の信仰はワッハーブ(サラフィー)主義の影響が強い。GCC諸国は、もともと英国の支配下にあったが、1960年代に英国が財政難による国力低下でスエズ運河以東から総撤退する時に、英国の戦略に沿って独立した。ペルシャ湾対岸のイランは79年のイスラム革命後、GCC諸国に住むシーア派住民に影響を与え、決起をうながすようになった。イランの動きに対抗するため、サウジ政府はペルシャ湾岸の諸小国を支援しつつ、GCCが団結してイランに対抗する姿勢をとった。

 911後、GCCは全体としてサラフィーの反米的な軍事・政治行動を取り締まる姿勢をとった。だがその後、アラブ諸国でサラフィーや同胞団に対する市民の支持が強まり、昨春からは、それが「アラブの春」として各国の独裁政権を転覆してサラフィーや同胞団の政権ができそうな流れになった。それとともに、米国からにらまれ続けて動けないサウジをしり目に、GCCの中でも特にワッハーブ(サラフィー)主義を宗教的に信奉してきたカタールが、アラブ諸国のサラフィーの政治勢力や同胞団を支援する戦略を強めた。 (Qatar embraces Wahhabism to strengthen regional influence

▼サウジ転覆をはかるカタール

 カタール国民はスンニ派90%、シーア派10%で、スンニ派国民のほとんどはワッハーブ(サラフィー)主義に属している。カタール王家は、自国の宗教的な状況を活用し、アラブ全域で台頭するサラフィー勢力を裏から積極的に支援することで、中東で大きな影響力を持つ国になろうとたくらんでいる。米政府は、自国の中東戦略をイスラエルに振り回される状態から脱しようとしており、カタールの動きを隠然と歓迎している。米国は、リビアの戦争でカタールがNATOに協力してリビアのサラフィーや同胞団をテコ入れすることを許し、リビア新政権はイスラム主義の色彩が濃くなりそうだ。 (IISS: Syria's Opposition Is Armed

 以前のリビアでは、世俗主義独裁のカダフィー政権がイスラム主義を弾圧していたが、カダフィー政権の転覆とともに、イスラム主義が急速に市民の支持と政治力を獲得しており、特に同胞団の躍進がめざましい。リビアの同胞団は、支持者に「ひげを剃れ。リビアをアフガンにするな」「高潔な政府を希求せよ。政治腐敗を許すな」「国内の安定(経済成長)と、外国からの不干渉を求め続けよ」「議論をできるだけ避けよ(現実主義でやれ)」と言い続けている。 (A mistaken case for Syrian regime change

 これらの提唱は、いわゆる「イスラム原理主義」のイメージからほど遠く、欧米かぶれのリベラル主義者にも受け入れられる。同胞団は同じやり方で、リビアだけでなくモロッコやアルジェリア、チュニジアでも支持を拡大し、エジプトでは議席のほぼ半分を獲得して圧倒的な第一党となった。同胞団は、アラブの多くの国で大きな政治勢力になることを達成した後、アラブ諸国を一つの国に統一する党是「イスラム帝国(正統カリフ)の復活」を実行しようとするだろう。

 米政府やNATOは、シリアにおいても、同胞団やサラフィーを武装させて世俗独裁のアサド政権を潰してイスラム主義の国に転換するカタールの戦略を支援している。同胞団やサラフィーの勢力であるシリアの反政府組織は、アサド政権のシリア軍が非武装の市民のデモ隊に発砲して虐殺をしていると、さかんに情報発信しているが、米欧マスコミは、これを現地の検証もなしにそのまま報道し、アサド政権を非難する国際世論を扇動している。逆に、リビアに関して米欧マスコミは、NATOが空爆で無数の市民を殺した可能性が高いのに、それをできるだけ報じないようにしてきた。

 こうした米欧のプロパガンダ戦略は、カタールやイスラム主義勢力にとって大きな追い風だ。シリアもリビアもエジプトもチュニジアも、米国の隠然とした後押しで世俗的な独裁政権が倒され、同胞団系のイスラム主義の政権になり、米国の言うことを聞かなくなり、アラブ全体がイスラム主義を主軸に統合され、いずれ世界の極の一つとして機能するようになる。カタールはその動きを後押ししている。

 カタールと対照的に、サウジ王家は、対米従属的な消極姿勢に徹している。そんなサウジに対し、カタールは、サウジのワッハーブ主義者をたきつけてサウジ王政を転覆させようとしている。カタール首相がそのように発言したと報じられ、サウジとカタールの関係が悪化している。(もともとカタールのアルジャジーラは、サウジ王政を批判する番組をアラブ全域に衛星放送するのが設立目的の一つだった) (Qatar-KSA tension rises to boiling point

 サウジ王政は、200年にわたるワッハーブ主義の守護者だが、石油収入で大金持ちとなる一方で、対米従属に固執する臆病な国家戦略をとり続けるサウジ王家に対し、911以降、サウジ国内のワッハーブ主義者たちが不満をつのらせている。石油収入を王家から分配してもらって苦労せず生きているサウジ国民の多くは、反政府的な意識が弱いが、最近は雇用不振で、めずらしく首都リヤドで失業に反対する市民のデモも起きている。 (Saudi police break up rare Riyadh demo

 サウジが対米従属の消極姿勢を続けると、サウジのワッハーブ主義者の不満が続いて王政に対する支持が揺らぎ「アラブの春」の政権転覆がサウジに飛び火しかねない。そのためサウジ王政は、カタールに対抗し、エジプトなどのサラフィー主義勢力に対する支援を復活した。しかし、アラブ各国のサラフィー主義者を強化すると、それが自国の反王政的な運動を強める方向に影響しかねない。サウジ王政はジレンマに直面している。 (Saudi Arabia Embraces Salafism: Countering The Arab Uprising? - Analysis

▼サラフィーと同胞団の関係

 エジプトでは、総議席の約50%を獲得して第一党となったムスリム同胞団(自由公正党)と、約20%を獲得して第二党となったサラフィー主義勢力(ヌール党)が対立し、ヌール党は世俗リベラル派やキリスト教徒(コプト)の勢力などと連立して対抗する動きをしていると報じられている。もともとヌール党は、同胞団と連立を組むと予測されていた。だが、同胞団がエジプト議会の単独過半数をとるかもしれず、ヌール党の主張が聞き入れられない状況になったので、方針を転換したという。 (Egypt's radical Salafis approach secular rivals

 異教徒や世俗派を嫌う傾向が強いヌール党が、現実主義の傾向が強い同胞団に対抗するため、異教徒や世俗派と連立交渉するというのは意外な構図だ。連立が成立しても、統一した政策を出せるとは考えにくい。ヌール党は、自分たちより強い同胞団に対する交渉術の一つとして、世俗派と連立交渉する姿勢を見せたのかもしれない。

 そもそも同胞団の内部にもサラフィーがおり、同胞団とサラフィーを教義の面で線引きするの難しい。政治政党を「欧米の発明物」とみなすサラフィーは、政治政党を作った時点でサラフィーでなくなってしまうという問題もある。サラフィーと同胞団は、エジプトで別々の政党になっているが、これらを根本的に別々の勢力であるとみなすべきなのか疑問だ。イスラム世界では、ユダヤ人や中国人の世界と同様に「騙しの構図作り」が政治闘争術の一つだ。イスラム主義勢力は、内部に複数の派閥があって分裂している騙しの構図を演じることで、自分たちを弱く見せる戦略をとっているのかもしれない。アラブ全体として、イスラム主義の政治勢力が今後さらに強まることは、ほぼ確実だ。

 シリアに関しては、ロシアがアサド政権の延命に協力している。ロシア政府は、シリアの政権を、アサドの系列とイスラム主義諸勢力との連立政権に転換し、アサド率いるバース党の独裁を規定したシリア憲法を改定することで内戦を避ける「イエメン型」の解決を提唱している。バース党は元左翼だ。ソ連時代から、ロシアは中東のイスラム主義化を好まず、世俗政権の維持を希求している。 (Russia's 'democracy package' for Syria

 アサド政権の延命を画策するロシアと、政権転覆を狙うカタールは、暗闘的に対立している。ロシアの駐カタール大使が昨年末、カタール入国時にカタール当局から暴行されて負傷したことを理由に、ロシアはカタールとの外交関係を格下げしている。イランもアサド政権を支持しているが、シリアをめぐるカタールとイランの対立は、ペルシャ湾におけるシーア派とスンニ派の長い対立の延長でもある。 (Russia downgrades ties with Qatar

 とはいえ、ロシアとイランとカタールは、世界の天然ガスの3大産出国であり、3カ国が協調して天然ガスの価格を操作するガスカルテルを作っている。国際政治はここでも複雑なダイナミズムを持っている。 (エネルギー覇権を強めるロシア



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